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幻想怪盗団~罪と正義~  作者: 陽菜
3/42

一章 迷い込む世界と目覚める力

 ハッと、目が覚める。そこは電車の中で自分は寝てしまっていたのだと気付く。

 四月八日の土曜日の昼下がり、月曜日から通う高校の制服に身を包んだ子供は周囲を見る。休日だというのに人は少なかった。

 子供の名前は成雲 蓮。とある事情で元々通っていた高校を退学、地元にはいられなくなってしまったため、東京の高校に転校することになった。

(それにしても……)

 暇だ。限りなく暇だ。さっきまでは寝ていたので何とも思わなかったが、認識してしまうと暇すぎてたまらない。唯一持ってきていた、学校に持っていくカバンの中を見て、偶然にも本が入っていたのでそれを読み出す。一度読み切ってしまっている本だったが、こうなれば仕方ない。それに、改めて読むことで新しい発見もあるかもしれないから、無駄ではないだろう。


 本を読み終わると同時に電車が目的地に着いた。蓮は降りるとすぐに改札から出た。そしてテレビでしか見たことのない、いわゆるスクランブル交差点のところで居候先のところへ向かうべくスマホでナビを開こうとした。すると、中心に見たことのないアプリが入っていることに気付いた。

 いくらそれを押しても何の反応もない。ウイルスの類だろうか、いやでも少し前に機種変更したばかりなのにと思っていると、周囲の様子がおかしいことに気付く。蓮以外の人、もっと言えば動くもの全てが時の流れを忘れたかのように止まっていたのだ。まるでたった一人残されたような、そんな感覚に陥る。何があったのかとキョロキョロしていると、交差点の中心に青い炎があった。よく見ようとするが、それはすぐに消えてしまった。いつの間にか、時を取り戻したかのように全てが動き出していた。

「……………………」

 不気味に思った蓮は、そのアプリを消して何もなかったかのように歩き出した。


 渋谷で乗り換えた後、何度か道に迷った末、蓮は裏路地にある目的地に辿り着いた。目の前には「ファートル」と書かれた看板があった。喫茶店、だろうか、僅かにコーヒーの香りがする。

「失礼します……」

 小さくそう言って店内に入ると、ここの店主らしきぶっきらぼうな表情の男性が蓮を見る。年齢は四十ぐらいだろうか。

「……あぁ、そういや今日だったな。俺は藤森 正平。お前の保護観察人だ」

「……初めまして。ボクは成雲 蓮と言います。今日からよろしくお願いします」

 蓮は無表情のまま彼に頭を下げる。すると彼――藤森は驚いたように目を見開く。

「……前科者だと聞いてたからどんな奴が来るかと思ったが……結構おとなしいな」

 そう、蓮は傷害と援交を迫った罪で一年間の保護観察処分を下されたのだ。しかし、本当は冤罪で、むしろ蓮は人助けをした上、自身も性的暴行を受けそうになった被害者だ。だが、それを警察は聞き入れてくれなかった。

 それにしても、と藤森は蓮の服装を見て口を開く。

「それ、男の制服だろ?お前、確か女だったよな?髪も男っぽいし……」

 その言葉に蓮は頷く。

 そう、蓮は「女」だ。しかし、見に包んでいるものは白いシャツに紺色のブレザー、同じ色のズボン、それから男子用のネクタイだ。さらに胸はさらしで潰して、顔を見せないようにするため大きなメガネをして、本来の髪はウィッグで隠している。性別を知っていて、なおかつ事情を知らない者は驚くだろう。でも、これにはちゃんと理由がある。

「成雲家には、女性は結婚するまで男として育てないといけないという決まりがあるんです。ちゃんと高校にも話は通しています」

 そう、家の掟だ。蓮はこう見えても世界的に名家のお嬢様で、掟を破ると今よりもっと面倒なことになる。だから地元の高校でも男子制服を着ていた。メガネは前の高校でつけていなかったが、こっちに来ることが決まってから買ってきた、いわば伊達メガネだ。目が悪いわけではない。ちなみに、今度から通うことになっている高校では、蓮が女だということは教師以外には知らないということになっている。

「ふーん……まぁ、そういうことならいいけどよ。それじゃ、これからお前が住む部屋に案内してやるよ」

 そう言って藤森は彼女をここの喫茶店の玄関から真正面にある階段の先にある屋根裏部屋に連れて行く。

「今日からここがお前の部屋だ。本当は俺の家で過ごさせた方がいいと分かっているんだが……どうしても出来ない事情があってだな」

「いえ、お構いなく。急に引き取って下さったんですから当然です。それに、ここも案外広いですし」

 蓮は屋根裏部屋を見渡す。ほこりだらけで割と散らばっているが、そこは片付ければ問題ない。さらに机や椅子、ソファや古いテレビ、それに本やDVDプレイヤー、古いテレビゲームまであるし、どちらかと言えば快適の部類だろう。ベッドは……木箱の上にシーツを被せただけのものだが、さすがにそこまで期待はしていなかった。ベッドが硬いと思ったらソファで寝てしまえばいいわけだし。そもそも、何もないような、ガラクタだらけのところに寝かされるかと思っていた。

「すまないが、俺は店がある。お前の荷物はそこに置いてある。ここにあるものは勝手に使っていい。掃除でもしとけ」

「分かりました」

 藤森が下に行ったのを確認して、蓮は掃除を始める。モップやほうきはちゃんとあるようだ。

 ――それにしても。

 やはり厄介者扱いだ、と思った。表に出さないだけで、実はとても迷惑なのだろう。

 でも、それも仕方ない、とも思っている。いくら冤罪であるとはいえ、表向きは前科者なのだ。むしろ彼の反応が正しい。実際、ここに世話になる理由も母親が昔ここで世話になったことがあったから、その縁で預かってもらったのだ。

 そしてだからこそ、誰を信用すればいいか分からなかった。両親は無実を信じてくれたが、「どうしてそんなことをしたんだ」と責められた。学校のクラスメート達も蓮に近付かなくなった。そしてあげくには高校を退学。それが、高校一年の一月、約三ヶ月前のことだ。両親はそんな娘を受け入れてくれる高校を探し、三月にようやく東京の高校で受け入れてくれるところを見つけた。

 これだけ聞くと、彼女の両親は娘想いのとてもいい人だと思うだろう。だが、実はそうではない。両親は世間体を気にしているがために娘を高校に通わせようとしているだけで、蓮自体に興味はない。もっと言えば、蓮のことなど愛してはいないのだ。

(ボクは……ただの「道具」……)

 お嬢様ともてはやされているけれど、ようは跡継ぎを必要としているだけ。つまり、「生きた人形」だ。この保護観察処分が終わったら、蓮は両親の決めた人と無理やり結婚させられるのだろう。

(……そんなのは、いやだな……)

 感情をほとんど失った心に、その言葉だけが浮かんだ。


 蓮は基本的に無口、無表情だ。それには過去に理由がある。

 成雲家は元々巫女の家系だったらしく、今でも有名な名家のお嬢様だ。そして蓮自身も誰もが羨むほどの美形と知性の持ち主だった。また、母親譲りの画才もある。

 しかし、そんな家にも裏があるもので、両親は日頃から蓮を虐待していた。家が広いので使用人もいたが、その人達はそれを見てみぬふり、それでも気に入られようと媚を売っていた。それは学校、ひいては地域全体がそういった雰囲気だった。

 誰も助けてくれない、誰も自分のことなんて見ていない……その不信感から無口、無表情になり、さらには感情まで失い出していた。

 しかし、笑顔も涙も忘れてしまった彼女にも残っていたものがあった。それは鋼のように強い意志と正義感、慈母神のような優しさ、そして、理不尽な大人達に対する強い「怒り」と「反逆心」だ。悪いことはしっかり「悪い」と言うし、間違っていると思うことは絶対にしない。それから、困っている人がいたら放っておけない。

 その性格が仇となってしまって今回のようになってしまったのだ。


 掃除を始めてから五時間余り、本棚を整理していると藤森が上がってきた。そして、部屋を見て感嘆の声をあげた。

「随分片付いたな。「お嬢様」って聞かされていたからちゃんと掃除出来るか心配だったんだ」

「……自分のことは自分でする主義なので」

 確かに事実ではあるのだが、蓮は使用人にあまりいい感情を抱いていないので、余程のことがない限りは何でも自分でするようになっていた。高校に入ってからは家に居たくないとバイトもしていた。

「あ、それから、明日は日曜だが、学校に挨拶しに行くぞ」

「学校って……確か、凛条高校でしたよね」

 事前に配られたパンフレットを思い出しながら、彼女は尋ねる。

 凛条高等学校は私立の進学校らしい。元オリンピック選手や元医者、資本家などが教師としているらしい。そこだけだったらかなりいいところだろう。

(……絶対に、裏があるな……)

 しかし、そんな美味しい話には絶対に裏があると蓮は疑う。立場上、疑り深いのは仕方のないことかもしれない。しかし、それに気付いていないらしい藤森は「学校内で問題は起こすなよ」と告げる。

「それじゃあ、俺は家に帰るからな。いなくなったからって悪さをするなよ。そんなことしたら追い出すからな」

「分かっています。おやすみなさい」

 そう言って頭を下げる蓮に、本当に聞いたような罪を犯したのだろうかと藤森は疑問に思った。

 ――確かに彼女は無口で無表情だ。でも、どこか儚げで居場所がないような……なんか、足場がなく彷徨っている感じだ。

 人を見る目には自信がある藤森は蓮を見て少し考えたが、今は早く家に帰った方がいいと店から出た。


 藤森が家に帰って一時間後、ようやくある程度片付いた部屋を見て蓮は一息ついた。これなら日常生活を送る上では問題ないだろう。こっちでも友達なんて出来ないだろうし、屋根裏部屋は基本的に一人なのだから。元々自分に無頓着な性格の彼女は、たとえ部屋が殺風景でも気にならなかった。綺麗になった机で早速勉強を始める。カリカリというシャーペンの音と参考書やノートの捲る音だけが部屋に響いていた。


 ふと顔を上げると、時計が目に入った。もう午前一時だ。さすがにもう寝ようと参考書を閉じる。いつもならもう少しするところだが、明日は学校に行くと言われているのだ。さすがに夜更かしするわけにはいかない。

 実家から送られてきた段ボールの中から寝間着を取り出し、さらしを解き、それに着替える。制服はすぐに着替えられるように枕の横に置いておく。そこまでして、ようやく蓮はベッドに横になる。やはり硬かったが、眠れないほどではない。ご丁寧に枕まであるわけだし、贅沢は言っていられない。でも、どうしても眠れない。それは別のことにあった。

(はぁ……もう、何もかも嫌だな……)

 どうせ、どこにも居場所なんてない。これからも、出来るハズがない。それなら、いっそのこと……。

(……いや、駄目だ。兄さんを見つけるまでは、死ぬわけにはいかない)

 あの時、助けてくれたいとこの兄を救い出すまで。その時までは、まだ死ねない。

 でも、助け出すと言ったってどうすればいい?ボクはあの世界に行くことは出来ない。そもそも、どんな世界だったのかさえあまり覚えていない。それに、今もあそこにいるとは限らないし……。

 そんなことを考えていると、いつの間にか瞼が落ちていた。


 ふと目が覚めると、寝間着ではなく漫画やゲームで見るような囚人服になっていた。夢、だろうか?でも、さらしやメガネは着けてないし、自由に動くことが出来るようだ。

(……はぁ……)

 心の中でため息をつき、ムクッと上半身を起き上がらせると、手首には赤く長い手錠、左足首には重り付きの青い鎖がつけられていた。

 周囲を見渡すと、独房のような場所だということに気付く。牢屋の外には双子のようによく似た二人の白い髪の女の子と、不気味な雰囲気の男性がいた。

「起きたか、囚人」

 右の女の子が蓮に呼びかける。囚人……?と頭に疑問符を浮かべたが、すぐに自分の姿を思い出した。

(そうか、今のボクは「囚人」……)

 なら、この子達は看守ということだろうか?確かに彼女達の服装は看守服に見える。

 それなら、中心に座っている男は……?

 どう見ても看守にはみえなかった。蓮は立ち上がると、牢屋の近くまで来る。といっても数歩なのだが。

 外は牢屋に囲まれていたが、誰も入っていないようだ。いや、夢なのだから当たり前なのだが。

「ようやく目覚めたか?」

 男が口を開く。蓮はその男を見た。表情には出さないが、心の中ではかなり驚いていた。

「ここは、何かしらの形で契約した者のみが訪れることが出来る場所。お前はここの訪問者となったのだ」

 ……いつの間に。ボクは契約した覚えはないし、こんなところ、知らないハズだ。それなのに……。

 ――どこかで見たことがある気がするのはどうしてだろうか?

「しかし、まさか監獄が出てくるとはな……。この世界はお前の心の持ちようだ。お前はまさに「囚われの運命」ということだな」

「「囚われの運命」……?」

 何を言っているのだろう?この男は。初対面なのに……というより夢の中なのに。

「本当にそう思うか?ここが、夢の中だと?」

「!?……今、心を読み取りましたか?」

 蓮の言葉に男はこれまた不気味な笑いを浮かべる。それを蓮は肯定の意に捉えた。この男には簡単に隠し事が出来なさそうだ。

「なら、ここはどこですか?なぜボクはここに入れられているんです?そもそも、あなたは誰ですか?」

 それならと疑問に思っていることを聞いていく。男はそれに丁寧に答えていった。

「そう慌てるな。一つずつ説明していく。

 私の名はシャーロック。この世界の支配者だと思ってくれたらいい。そしてこの子達……お前から見て右がユリナ、左がマリナだ。お前の看守を務めてもらっている。この世界は……先程も言ったように、お前の心のありようだ。お前の「運命」とも言える。この世界を見る限り……そうだな、「牢獄世界」といったところか。お前達が普段見る夢とは違う。それから、お前がここに入れられている理由だが……」

 そこで一呼吸置き、彼――シャーロックは告げた。

「お前には更生してもらう」

「更生……?善人に生まれ変われと?警察みたいなことを言うものですね」

 まるであの時のようだ、と自嘲気味に言うと、彼は「そうではない」と言った。

「生まれ変わる、とは少し違うな。お前に課すのは「自由への更生」だ。お前は近々、「破滅の運命」にある。それから逃れるためには更生するしかない。

 ――世界の歪みに、挑む覚悟はあるか?」

「「自由への更生」?「破滅の運命」?それに、世界の歪みって?」

 ますます分からない。何が言いたい?この人は。

「説明したいのはやまやまだが、今日はもう時間がない。また今度話そう」

「囚人、時間です。早く寝なさい」

「……………………」

 左の看守――マリナに言われ、蓮はベッドに転がる。出来れば詳しく聞きたかったのだが、さすがにここでは囚人なので逆らうわけにもいかない。今度話してくれると言っているわけだし、それを信じるしかないだろう。そもそももう一度この夢を見るとも限らないが。

(でも、これは夢では、ない――)

目を閉じると、世界が歪んでいくのが気配で分かった。


 バッと跳ね起きる。そこは先程見た監獄ではなく、屋根裏部屋のベッドの上だった。

(うわ……汗が……)

 時間を見ると、まだ午前四時だった。銭湯が近くにあるらしいが、この時間はさすがに開いていないだろう。下にシャワー室があったのでここのシャワーを借りるか……?いやでも勝手に使うのは……。十分程悩んだ末、タオルで拭くことにした。後で藤森にシャワーを借りていいか聞こうと心に決める。

 結構早いが二度寝する気分にもなれず、さらしを巻いて制服を着ようと立ち上がる。

 着替えながら考えることは、先程の監獄の夢だ。

(「牢獄世界」……あれは、ただの夢じゃない)

 確か、あの世界は己の心の持ちようで、自分は「囚われの運命」だと言われた。信じられないが、確かにありえる話だ。

 ――自分は血筋と役目、それから無実の罪に囚われている。それがあの夢を表しているのなら。

 でも、他にも何か含みがあった気がする。それが何か分からないが……。

 準備を終えた蓮は、特に何をするわけでもなくベッドに座っていた。ふとスマホの電源を入れると、昨日消したハズの不気味なアプリが再び入っていることに気付く。

(…………なんだ、これ?)

 赤い、目のような模様だ。何かを見据えられているようで、不思議と恐怖が湧き上がってくる。蓮は再びそれを消した。そして、スマホをカバンの中に入れた。

 どれぐらい経っただろうか。急に階段を上がってくる音が聞こえ、蓮はそちらを見る。そこには藤森の姿があった。

「おい、準備は出来たか?なら行くぞ」

 彼の言葉に蓮は頷き、立ち上がってカバンを持った。


 「今日は車で行くぞ」という藤森の言葉に甘え、蓮は明日から通う学校――凛条高校に来た。事務室で受付し、校長室に案内される。

 校長室に入ると、そこには相当な年であろう男性と気だるそうな若い女性がいた。男性は椅子に座っており、女性は立っていることから、恐らく男性の方が校長なのだろう。

「やぁ、君が成雲 蓮かい?」

「……はい」

 男性に話しかけられ、蓮は静かに返事をする。すると彼は「早速で悪いんだけど」と面倒そうに言った。

「確かに君は名家の「お嬢様」だ。しかし、同時に前科者でもある。くれぐれも変な行動はよしてくれ。少しでも問題があった場合、すぐに退学だ」

「……お嬢様というのは伏せておく約束ではありませんでした?」

 嫌味の如く言われた言葉に、蓮はムッとする。どうせ「お嬢様のくせに犯罪者になるなんて」と言いたかったのだろう。これだから大人は嫌いだ。事情も知らないくせに。

「なに、君がお嬢様ということは教員しか知らない。君の家に関わることだからね。まぁ、名前で分かる者もいるだろうが」

「……そうですか。それなら別に構いません」

 その言葉にホッとする。名家のお嬢様というのも大変だ。

「それで、この女性が君の担任になる長谷 かおりだ」

「……よろしく。これ、学生証。ちゃんと読んでね。君に何があっても私は庇ってあげられません。そのつもりで。……はぁ、なんで私が……」

学生証を渡した担任――長谷は嫌そうな表情を隠そうともしなかった。しかし、その程度で蓮は傷つかない。

 ――どうせ、大人なんて自分の身を守ることに一生懸命なんだ。

 そう思っているから。実際、ここに入学出来たのも学校の評判のためだろう。前科者を更生させたとなれば評判も良くなるし、そうでなくとも成雲家のご令嬢が一時期とはいえ通っていたとなれば興味を持つ者も多くなるだろう。蓮が問題さえ起こさなければ学校側の目論見通りだ。

「明日登校したら職員室に来なさい。教室に案内するわ」

「話は以上だ。早く帰るといい」

 校長の言葉に蓮と藤森は頭を下げ、校長室から出た。

 車に乗り、渋滞に巻き込まれているところで藤森が口を開いた。

「……完全に厄介者扱いだな。それが「前歴」ってことだ」

「……そうですね」

「まぁ、くれぐれも問題は起こすな。ここを退学になったら、本当にどこも受け入れてくれなくなるぞ」

 それは分かっているつもりだ。そもそも問題を起こそうとも思わない。

 ――ボクはただ、普通に暮らしたいだけだ。

 お嬢様でもなく、前歴者でもなく、普通の人間として。でも、それは叶わないのだろう。表に出さないだけで、自分は極度の「人間恐怖症」で「化け物」だから。どうあっても、普通には暮らしていけない。

「……あの」

「なんだ?」

「なんでボクを引き取って下さったんですか?」

 気付けば、そう聞いていた。厄介者扱いしてくるくせに、なぜ保護司になろうと思ったのか。昔、母が世話になったからそのツテで、とは違う理由がある気がする。

「何を聞いてくるかと思えば……そうだな、お前は昔の俺に似ている気がするんだ。それに、金ももらっちまったしな……」

「……ふぅん。そうだったんですね」

 あまり聞かない方がいいと判断した蓮はそれ以上聞かなかった。彼も自分から語ることはないとこれ以上このことについて話さなかった。

「それにしても、渋滞が酷いな。何かあったのか?」

 藤森がラジオをつけた。

『えー、次のニュースです。再び東京で交通事故が発生しました。今年に入って交通事故は既に百件を超えました。また、電車も事故を起こした模様です。警察は『精神崩壊事件』の一つとして捜査を続けています……』

「またか……」

 藤森の零した言葉に蓮は疑問符を浮かべる。そんな彼女を見て、「あぁ、お前、知らないのか」と言った。

「最近東京では事故やら事件が多いんだよ。しかもそれが全員急に暴走したり廃人になったりしてるんだと。だから「精神崩壊事件」と呼ばれているんだ。

「「精神崩壊事件」……」

 どこかで聞き覚えがある気がした。実家ではテレビを見ることがほとんどなかったから初めて聞いたのに、何かを知っているような感覚。

(既視感……?あの監獄が関係している?それとも、ボク『が』何かを知っているのか?)

 あれが普通の夢とは違うというのであれば。もしかしたら何か分かるかもしれない。それとも、あの夢とはまた別に理由があるのだろうか。

「あまり気にするなよ。それでお前に何かあったら俺も手に負えない」

「……はい」

 蓮が頷くと、藤森は満足そうに「それでいい」と呟いた。


 店に戻ってきた時には、既に夜だった。

「あー、さすがに今の時間からじゃ店は開けられないな」

「……すみません」

 自分のせいでと思うと申し訳なく思い、蓮は謝った。すると彼は「なんでお前が謝んだよ」と言った。

「仕方ないだろ。挨拶周りに行かないと相手方にも失礼だし、何よりお前の評価にも関わるだろ」

「……………………?」

 彼の言っていることが分からず、蓮は首を傾げる。その様子を見て、藤森は答えた。

「さすがに学校でも何かあったら嫌だろ?」

「……いえ、慣れていますから」

 地元にいた時は奇異な目で見られ続けていた。それこそ、小学生に上がる前から。だから彼女には、友達と言える人がいなかった。それをわざわざ言うつもりはないが。

 彼女の態度に彼は「ふーん……」と不思議そうに見ていたが、

「何があったかは聞かないでやる。こっちでは何も気にせず暮らせばいい。いいな?」

 と言った。まるで子供に言い聞かせるような、そんな言葉。しかし、それだけで少し心を許すには十分だった。

「……分かりました」

 素直に蓮は頷く。それを見て藤森は笑い、「俺は帰るからな。鍵、閉めといてくれ」と言って帰っていった。蓮は言われた通り鍵を閉め、着替えを取ってくるために屋根裏部屋に上がっていった。

 シャワーは勝手に使っていいということだったので使わせてもらい、寝間着に着替える。そして家から持ってきたコップに水を入れ、再び部屋に上がる。机にコップを置くと大量の薬を取り出した。勘違いしないでほしいのは、これは決して自殺するために用意した薬ではないということだ。

 日頃の暴力や影口などからただでさえ弱っていた蓮は、冤罪事件でさらに精神的に参ってしまい、精神安定剤や鎮痛剤など、いくつもの薬を飲むようになってしまったのだ。それは、両親以外誰も知らないことだ。その腕に小さい頃から繰り返している自傷行為の傷や痕があるというのは、両親ですら知らない。睡眠薬や疲れをとる薬はまだもらっていないが、いずれもらうことになるかもしれない。そう考えると気が滅入る。

「……まぁ、誰にも言わなければいいことだし。それに、いずれ治る、ハズ……」

 そう呟きながら、蓮は飲んでいく。そういえば、明日から昼の分はどこで飲もう……。

 ――まぁ、学校に行ってから見つければいいか。

 そう思いながらスマホを見ると、またあのアプリが入っていた。

「……なんだよ、これ……」

 なんで勝手に入っているのだろう。何度も消しているのに。多少躊躇いながらもう一度それを消すと、蓮はベッドの中に入り込む。

 ――今日はあの監獄の夢、見るのかな……。

 そう思いながら、蓮は眠りの世界に落ちていった。


 月曜日、あの牢屋の夢を見なかったからか昨日よりゆっくり眠れた気がする。まだ午前五時と早い時間だが、最近はそれが当たり前になっている。まだ藤森も来ていないだろうから水を注いでこようと下に降りる。今度からはペットボトルでも常備しておこう……。

 いつも通り薬を飲んだ後、蓮は男子制服に着替え、伊達メガネをかけ、カバンの中身を確認する。筆箱に数冊のノートにメモ帳、昼の分の薬、それから本と財布……必要な物はちゃんと入っている。教科書は今日配られるということだったので持っていない。

 六時になったのを確認すると、蓮は伊達メガネを直し、カバンを持って再び下に降りる。すると、既に藤森がいた。

「お、早かったな」

「……仕込みですか?」

 蓮が尋ねると、藤森は「あぁ、カレーのな」と答えた。

「カレー……」

「そうだ。ここはコーヒーとサンドイッチ、それからカレーしかメニューがない」

 メニューが三つしかない喫茶店って……と思ったが、あまり多すぎても一人では作りきれないのかもしれない。

「もう行くのか?」

「はい。道に自信がないので……それに、昨日の事故で交通機関が遅れるかもしれませんし」

「そうか。そういや、これを渡しとくぞ」

 そう言われ、藤森はポケットから手帳を取り出す。見た感じ、新品だ。

「それに日々記録しとけ。保護観察期間中も法律に触れない限り自由に行動していいが、俺には報告する義務がある」

「分かりました」

 それを受け取り、蓮はカバンの中に入れる。ここは彼の言うことを聞いていた方がよさそうだ。それに、自分がどんなことをしたのか思い出すのに便利そうだ。

「じゃあ、気を付けろよ」

「はい。行ってきます」

 彼に頭を下げた後、蓮はすぐに店から出る。相変わらず無表情の彼女に藤森はおかしいと思い始めていた。


 何とか乗り換えも上手くいき、駅の外に出ると雨が降っていることに気付いた。すぐに近くの建物で雨宿りをしていると、もう一人隣にやってきた。

 その子は蓮と同じ高校の女子制服を着ていて、外国人のような金色の髪に青い瞳を持っていた。ふわふわであろう髪の毛は高く二つ結びにしている、いわゆる美人だ。制服は胸元が見えるギリギリのところまで崩しているが、それがまた似合っている。モデルでもやっていそうな……。

 そんな感じに見ていると、その子が蓮に気付き、小さく笑いかけた。これが男子なら一目ぼれするところなのだろう。しかし蓮はいくら男子制服を着ていても女、しかも極度の人間恐怖症だ。むしろ頭が痛くなってしまう。意識しすぎて過呼吸でも起きてしまいそうだ。

 そんな中、一台の車が二人の前に止まった。車には男性が一人でいることが分かった。

「春鳴、遅刻するぞ。乗っていくか?」

 男性が隣の女子生徒に話しかけると、その子は頷き、彼の車に乗る。助手席に乗った彼女の表情はどこか寂しそうだった。

「君も乗っていくか?」

「あ、いえ……」

 蓮が断ると、「遅刻するなよ」とだけ言って走り出した。そんな彼とは入れ違いに男子生徒が蓮の前に立ち止まった。先程の女子生徒とは違い、人工的に髪を金色に染め、瞳の色は赤だ。瞳の色は元からだろうか。制服は上着のボタンを全て外し、その下には学校指定では絶対にない黄色の服を着ていた。いわゆる「不良」というものだろう。

「クッソ!あの変態教師!」

「変態、教師?」

 彼の言っていることが分からない。思わず口に出してしまうと、その男子生徒はこちらに気付いたらしく詰め寄ってきた。

「なんだよ?狛井にチクんのか?」

「狛井……?」

 やはり分からない。彼は「知らねぇのか?」と蓮の制服を見た。

「お前、凛条高校だよな?あいつ、狛井 凌だろ?あいつ知らねぇとか……何年だ?」

「一応、二年ですけど……」

「二年……それにしては見ねぇ顔だな。もしかして、転校生か?」

 彼の質問に蓮は首を縦に振る。すると「それなら知らねぇわけだ」と彼は笑った。見た目はヤンキーだが、普段は人がいいらしい。

「ほら、行くぞ。雨もある程度止んでるし、大丈夫だろ」

 彼は器用に水たまりを避けながら蓮に話しかけてくる。どうやら案内してくれるようだ。それは助かると彼について行った。

「それにしても、狛井……女子だけ自分の車に乗せたり生徒指導とか言って勝手に呼び出したりするとか……学校を自分の城だと思っているのか!?好き勝手しやがって!」

 どうやらこの男子生徒、先程の男性――狛井というらしい――にあまりいい感情を持っていないようだ。何かあったのだろうか?

『ナビゲーションを開始します……目的地は……』

 蓮のポケットからそんな声が聞こえてきたが、二人は気付かなかった。しかし、景色がかすかに歪んだ……気がした。

 

 違和感を覚えつつ彼について行って細い道を抜けた先にあったのは、学校……ではなく巨大な西洋の城だった。

「はぁ!?なんだよこれ!」

 ちゃんと「凛条高等学校」と書いてあるから、ここが学校であることに間違いないハズだ。夢を見ているのではないかと思ったが、五感がそうではないと告げている。

「何かのセットか?中はどうなってるんだ?」

「あ、ちょっと……!」

 先に城の中に入っていく男子生徒に蓮も慌てて追いかける。

 中に入ると、そこはまさに城のロビーだった。まるで舞台のセットのようだと男子生徒は呟く。しかし、蓮はただならぬ気配を感じ取っていた。

 すると、後ろからガシャンガシャンと音が聞こえてきた。二人同時に振り返るとそこには鎧を着た何かがたくさんいた。

「へぇ……本格的だな」

 彼がその鎧に近付く。蓮は「近付くな」と言おうとしたが、声が出せなかった。

 鎧は盾を振り上げると、彼を殴りつけた。その勢いで彼は吹っ飛ばされてしまう。

「ぐほっ!おい、やばいぞ!お前だけでも逃げろ!」

 苦しそうな呻きに逃げろという声も無視してとっさに近くに寄ろうとしたが、蓮自身も後ろから殴られて気を失ってしまった。


 「おい、起きろ!」という声に蓮は目を開く。正面にはあの男子生徒の顔があった。どうやら寝かされていたようだ。

「大丈夫か?」

 心配した様子の彼に蓮は頷いた。起き上がって、周囲を見渡すと二人で牢屋に入れられていることが分かった。夢で見たあの牢屋ではなさそうだけど。

「ここ、牢屋か……?とりあえず、脱出の方法を考えるぞ」

「そうですね……」

 意見がまとまり、二人で手分けしてくまなく探すが、脱出の糸口は見当たらない。でも、少なくともあの城の中なのだ。西洋風だったから、恐らくここは地下。だとすれば、ここを出ることが出来れば上に繋がる階段を見つければ……。

 一人そんなことを考えていると、再びあの鎧の足音が聞こえてきた。二人して身構えていると、牢屋の前に立ったのは三体の鎧といかにも王様といった服を着た男性だった。

「貴様らが侵入者か。まさかこんなガキどもが賊なんてな」

 この男、見たことがある。誰だと頭を傾げていると、男子生徒が目を見開き、彼の名前を叫んだ。

「なっ……!狛井!?」

 そう、狛井だ。でも、明らかにおかしい。服装は王様のマントの他に安っぽい王冠とパンツだけ。これだけ見たらどこのお安い変態舞台だと聞きたいところだ。

「貴様らは不法侵入罪で死刑だ」

 しかし、向けられる殺気は本物。冗談で言っているわけではないようだ。というより、この人は本物……?

「はぁ!?何言ってんだ!」

 もちろん、男子生徒は言い返す。だが、牢屋の檻を開き彼を掴む男に蓮は本気だと悟る。

「まさか風谷がいるなんてな……まずは貴様からだ。そこの男は……ん?」

 蓮の方を見た狛井に似た男は顔を近付けてくる。品定めしているような目に蓮は嫌悪感を抱いた。

「貴様……女か?よく見たら顔もいいし……よし、気が変わった。貴様は生かして俺様のペットにしてやろう」

 その言葉に気持ち悪くなる。こいつもあの男と同じか……とあの日のことと重なったしまったからだ。

「お前ら、その女を捕らえておけ。俺様はこいつを始末するからよ」

 その言葉に鎧達は頷き、蓮を捕らえる。身動きが出来ない蓮は目の前の様子を眺めることしか出来なかった。

 罵倒されながら殴られる風谷という名の男子生徒、楽しそうな狛井に似た男……。

「に、げろ……」

 彼の弱々しい声が聞こえてくる。逃げる?彼を置いて逃げられるわけがない。

 ――助けないと。

 その言葉が浮かんだ時、女性のような高い声が聞こえてきた。

『これは極めて理不尽なゲーム……勝機はほぼ無いに等しいでしょう。けれど、この声が届いているのなら、まだ可能性は残っている……』

 でも、どうすればいいのだろう。一人でどうと出来るものではない。下手をすれば自分も殺されてしまうかもしれない。それに、あの時だって助けようとしてこうなってしまったのだ。それなら、いっそ……。

 そう考えていると、急に頭がかち割れそうなほど痛み出した。

「あっ……!?」

『どうした?見ているだけか?』

 今度は頭の中に男の人の声が響いた。あまりの痛みに、蓮は悲鳴をあげながらジタバタと暴れ出す。周囲のことなど気にしていられない。

『そのまま放っておくのか?もう諦めるのか?我が身大事さに見殺しか?あのままだと彼は本当に死ぬぞ。

 ――それとも、あの時のことは間違っていたのか?』

「あの、時……」

「た、たす、けて……」

 風谷の言葉とあの時助けた女性の声が重なった。

 ――そうだ。あの時のことは……。

「間違って、いない……!」

 たとえ誰にも認められなくても。誰かに、お前が悪いと言われても。自分は、正しいことをしたんだ!痛みが止まったと同時にドクン、と心臓が大きく跳ねた。

「さぁ、死ねぇ!」

「ふざけるな!」

 気付けば、そう怒鳴っていた。狛井に似た男は驚いたのか風谷を放し、蓮の方を振り返る。

「なんだぁ?貴様、痛い目に遭わされたいようだな!」

 そう言って男は手を振り上げた。が、叩くことは出来なかった。

 ――急に吹き荒れた疾風のせいで。

 それは、蓮の周囲からのようだ。彼女は再び頭が痛くなり、目の辺りが熱くなるのを感じてそこに触れる。あったのは先程までつけていた伊達メガネではなく、白に目のラインが黒く塗られたドミノマスクだった。どんどん痛みと熱さが増していくのが分かった。

『よかろう……覚悟、聞き届けたり。さぁ、力を解き放て!己が信じた正義のために、あまねく冒涜を省みぬ、その強き心を!たとえ暗闇に閉じ込められても全てを己で見定める、強き意志を!』

「あ、あぁ……!あぁあああああああああ!」

 いよいよ痛みと熱さに耐えきれなくなり、蓮はその仮面を掴む。そして、無理やり引き剥がす。顔にくっついていたらしいその仮面が剥がれると、そこから大量の血が噴き出す。しかしすぐに治り、青い炎に身体が包まれていく。

 力が溢れ出てくるのが分かった。いつの間にか身に包んでいる服が凛条高校の制服ではなく、怪盗のような黒いスリットの入ったロングコートに黒の手袋になっていた。胸はさらしを巻いているが、ゆるく巻かれているのか女だということが分かる程度には膨らんでいる。

 そんな彼女の背後には、黒い羽根を生やし、鎖を二本持った巨大な執事服の男の姿があった。

『我が名はリベリオン。お前の心に宿る反逆の魂だ。お前が望むなら、力を与えてやってもいい』

 リベリオン……反逆という意味だ。きっと、大人達に対する反逆の心と、助けたいと思う意志が彼を呼び覚ました。そんな気がした。

「……力が欲しい。奴らを倒せるだけの力が」

 蓮が彼に向かって言うと、リベリオンは『よかろう』と笑った。

『さぁ、目の前の敵を蹴散らせ!』

 その言葉と同時に、蓮は狛井の方を向く。

「な、なんだ、貴様!?衛兵ども、やれぇ!」

 狛井に似た男の命令に鎧達は別の姿になる。それは闇に堕ちた妖精のような姿だった。

『怒りに任せて唱えてみろ!』

「ダークネス!」

 頭に浮かんだ言葉を蓮が唱えると、闇魔法のような攻撃が敵に当たる。しかし相手は深手を負ったもののまだ動けるようだ。

『今度は武器を使え!』

 その言葉に蓮は懐を探ると、ナイフとハンドガンが入っていることに気付いた。ナイフの持ち手と刃の間にある丸い装飾は九個ある。その内の一つが光っていた。

「はぁあ!」

 蓮は躊躇わずそれを敵に向かって振るうと、今度こそ倒れ、姿を消していった。

「な、衛兵が……」

 男が呆然としている隙に風谷が彼を突き飛ばし、「こっちだ!」と牢屋の外に出る。蓮も続くと、風谷は狛井に似た男を牢屋に閉じ込めた。どうやら鍵を奪っていたようだ。

 後ろから声が聞こえてきたが、無視してそのまま二人は猛スピードで走る。そしてある程度離れたところで少し足を休める。

「ありがとな。さっきは助けてくれて」

 風谷は蓮に礼を言う。それに彼女は「別に。お礼なんて言わなくていいです」と告げた。その身に包んでいるのは凛条高校の制服。

「それにしても、さっきのは何だったんだ?お前、変な服になってたしよ……」

 彼の質問に蓮は分からないと言いたげに首を横に振る。実際、何も分かっていないのだから何とも言えない。どこから聞こえるのか悲鳴まで響いているし、何なのだろう?ここは。自分達の他にも誰かいるのだろうか?

「おい!そこの金髪にくせっ毛!聞こえるか?」

 するとどこからか幼さを残した高い声が聞こえてきた。「お前、しゃべったか?」と風谷が聞き、蓮は横に振る。どうやら二人ではないようだ。なら、誰の声だ……?

「こっちだこっち!お前ら、あの番兵じゃねぇんだろ!」

 少し先から聞こえてくることに気付いた蓮はそちらに向かって歩き出す。風谷も彼女に続く。どうやら先の牢屋から声がするようだ。そうして声を頼りに辿り着いた一番奥の牢屋を覗くと、そこにいたのは……。

「おい!ここから出してくれ!」

「ね、ネコォ!?」

 そう、黒ネコだ。だが、ただの黒ネコではない。まるでマスコットのような、丸っこい形をした、いわば二頭身の可愛らしいネコ。蓮も驚きはしたが、声には出さなかった。

「ネコじゃない!なぁ頼む!ここから出してくれ!」

「いやお前敵側だろ!」

 確かに見た目だけならあの鎧達と一緒だ。

「捕まってんのに敵なわけないだろ!なぁ、そこのくせっ毛。取引しようぜ。そこの壁に鍵がある。ここから出してくれ。出してくれたらここのことや出口を教えてやる。見たところ、お前達は「ここ」の住人ではないだろうしな」

 風谷には何を言っても無駄だと思ったのか、その黒ネコは蓮を指名する。黒ネコが指した方を見ると、そこに鍵が無防備にかけてあることが分かった。正直、この黒ネコは怪しいが、ここのことを教えてくれるという。それに、この黒ネコからはどこか懐かしさを感じる。敵ではないだろうと判断した蓮は「分かりました」と頷き、その鍵を取ると開けてやった。

「おい!いいのかよ!?」

「多分、この子は敵ではないと思うので」

 ギィと開いた音が聞こえ、その黒ネコは出てくる。そして、大きく伸びをした。

「ふぅ!ありがとな!お前は話が早くて助かるぜ」

 それだと風谷が話の通じない奴だと言っているようだが。まぁ、それは置いておいて。

「それで、出口はどこですか?それに、ここは一体……」

「そうだな。まずは出口に向かおう。話はそれからだ」

 確かにその通りだと蓮は頷く。しかし、風谷は納得していないらしく、「なんでだよ」と聞いてきた。

「ここで話していて、敵が来たら大変でしょう?ボクもさっきみたいに戦えるか分かりませんし……」

 だから、蓮は簡単に説明した。先程の様子を見ていたら分かりそうなものだが。

「あ、まぁ、そうだよな……」

「分かったら、さっさと来い!敵が来るぞ!」

 黒ネコが走り出すのを見て、二人も追いかける。

 ふと一つの石像の前に止まった黒ネコに蓮は話しかける。

「どうしました?」

「いや、これ怪しくないか?」

 黒ネコが指したのはあの男の上半身だけの石像。よく見ると確かに左腕のところが動きそうだ。試しにそれを降ろしてみると、近くに橋が出来た。

「おぉ~、さすがだな!」

 ならこっちから行こう、と再び走り出すネコに置いて行かれないように追う。

 もうすぐ目的の部屋、というところであの鎧の一人に会ってしまった。隠れるところはあの部屋以外にない。

「くっ……仕方ない、おいくせっ毛!戦えるんだろ!」

 そう言われ服装を見ると、先程のあのロングコートになっていた。これなら戦えると蓮は前線に出る。

「ん?お前、女なんだな……。まぁいい、行くぞ!」

「風谷君は下がっていてください」

 一人と一匹で戦えない風谷を庇うように立つ。

「来い……トラスト!」

 黒ネコが声をあげると、彼(?)の背後に猫耳がある鎧姿の巨人が現れた。トラスト……信頼という意味だ。

「お前もそれ出せんの!?」

 そんな風谷の声も無視し、蓮と黒ネコは別の姿に変化した鎧――敵に攻撃する。

「ダークネス!」

「ウインド!」

 それぞれが呪文を唱えると、闇の力と風の力が妖精に似た敵に当たる。しかし一撃で倒し切れなかったらしく、敵は蓮に向かって炎攻撃をしてきた。

「くっ……!」

 とっさに庇ったが、腕に小さいやけどをしたようだ。あれを真に受けたら大やけどするなと考えながらナイフでとどめをさした。

「大丈夫か?」

 黒ネコが蓮に近付くと「メサ!」と唱えた。するとやけどの痕が消えていった。どうやら回復呪文らしい。いつの間にかまた制服姿に戻っていた。

「ありがとうございます。えっと……」

「あぁ、そういや名乗ってなかったな。ワガハイはヨッシー」

「ボクは蓮。……出口はもうすぐですか?」

 蓮の質問に黒ネコ――ヨッシーは「あぁ、すぐそこだ」と頷いた。それならよかったとホッとする。

 部屋に入ると、棚の上に人一人が入れそうな穴があることに気付いた。

「……もしかして、あそこが外に続いているんですか?」

「さすがだな。やっぱりお前は話が早くて助かるぜ。

 ……それで、ここのことが知りたいんだよな?」

「はい」

 ここなら敵に見つかることはないだろう。なら、ここで話した方がよさそうだ。

「ここは心の中の望みや欲望が具現化した欲望認知世界だ。いわば「幻想世界」。ワガハイはここを「デザイア」と呼んでいる。ここの主はあの王様のマントを着た奴だろう」

「「デザイア」……欲望という意味ですね」

 欲望認知と言っていたから恐らくここは狛井が心の目で見ている幻想世界なのだろう。

「あぁ。そしてそこにいる敵のことを「エネミー」、それ以外を「フェイク」。さっきお前とワガハイが出した化身が「アルター」だ。アルターは「反逆の意志」を持った者が力を覚醒させると扱える。そしてそう言った奴を「アルター使い」と呼ぶんだ」

 エネミー……敵という意味か。まぁ単純な方が覚えやすい。フェイクも偽物という意味だ。それからアルター……アルターエゴだと分身という意味になる。恐らくそこから取ったのだろう。

「……っと、もうそろそろ出た方がいい。ワガハイはここにまだ用事がある」

「そうですか。ありがとう、助けてくれて」

「いいってことさ。レン、結構な美女だしな!男装しているのがもったいないぜ」

 最後の言葉はどうでもいいとして、確かに出た方がよさそうだ。蓮は風谷を連れて棚の上に乗り、その穴に入った。風谷はまだよく分かっていないようだったが、蓮について行く。

「ふぅーん、レン、か……ワガハイの予想が正しければあいつ、使えそうだな……」

 一人だけになったヨッシーは先程共に戦った女性を思い出して、ニヤリと笑った。


 穴の先は外に繋がっていて、そのまま二人は最初に来た道を走る。細い道を抜けた先には普段通り人が歩いていた。僅かに頭が痛む。

「はぁ、はぁ……。何だったんだ?あの城」

 息を整えていると、風谷がブツブツ言いながらスマホを見る。時間はもう十二時。

「やっべ!完全遅刻じゃねぇか!」

 転入初日から遅刻なんて……と蓮もさらに頭が痛くなる。そういえば、彼やヨッシーと一緒にいてもそこまで頭が痛くならなかった。そんな余裕がなかったということかもしれない。

「とりあえず早く行きましょう。午後の授業には間に合うハズです」

 それでも蓮は至って冷静に返した。真面目さゆえだろう。

「お前、さっきのことがあったのによく冷静でいられるな……」

「なら、ボク一人で行きますけど」

 ため息をつく風谷を置いて蓮は先に行こうとする。彼は「あ、待てよ!」と蓮を追いかけた。


 学校に着くと、校門には例のあの男が立っていた。

「よう、風谷。新学期入って早速遅刻とはいい度胸だな」

「あ!狛井てめっ!」

 すぐに突っかかろうとする風谷を蓮は手で制する。そして狛井に「すみません、体調が悪くて遅刻して……」と素直に謝る。すると狛井は今気付いたように蓮の方を見た。

「ん?君は転入生か?」

「あ、はい……」

「長谷先生が待っていたよ。今日は見逃してあげるから早く行きなさい」

 どういうことだろうか?城の中であんな大騒ぎを起こしたのに、彼があの城での出来事を覚えている様子はない。

 ――そういえば、ヨッシーは「幻想世界」と言っていた。なら、あの世界は現実世界とは違うのだろうか?

 そんなことを考えながら、蓮は一礼した後に職員室へ向かった。


「はぁ……君ね、初日から遅刻って」

「すみません、体調が優れなくて公園で休んでいたら……」

 あの城のことを言うわけにもいかず、蓮は適当に誤魔化す。体調が悪いというのは間違っていないけれど。

「聞けば、あの風谷君と来たみたいじゃない。駄目よ、あいつと関わっちゃ」

「どうしてですか?」

 よく分からない蓮に長谷はため息をつく。

「彼は学校でいろいろ起こした問題児なの。……まぁいいわ。まだ昼休みだから、適当に過ごしてて。授業は一時三十分に始まるから、ニ十分にまた来てくれる?」

「分かり、ました……」

 問題児?あの風谷が?確かに見た目はそうだったけど、本当にそうなのか?さっきだって、自身よりボクを救おうとしてくれたのに……。それに、厄介者扱いするくせにそんなことだけ警告するなんて、本当に身勝手だ。

 だが、そんなことをわざわざ言うべきではない。こういったレッテルはいつまでもついて回ってしまうのだ。

 ――そう、自分のように。

 頭を下げ、廊下に出ると他の人達が蓮を見てひそひそと囁いた。

「おい、見ろよ」

「あいつが例の転校生じゃね?」

「そうそう。援交迫ったあげく暴行だろ?」

「おとなしくて真面目そうなのがまた怖いよね。しかもかなりの美形だし」

「確か女と聞いていたんだけど男子制服だよね……本当は男なのかな?もしかしてそういうシュミ?あの人、おかまとか?」

「しかも、酒やたばこ、薬物もやってたんだろ?」

「本当は結構な犯罪犯してんじゃね?殺人とか」

「よく少年院入んなかったな」

「初日から遅刻とか……すげぇ度胸だな。さすが、前歴者はやることが違う」

 聞こえてくるのは根も葉もない噂だらけ。どこから前歴の情報が漏れたのか、これでは居場所なんてない。

 ――まぁ地元でもそうだったけど。

 異質な目で見られるのはもう慣れている。蓮は無視して裏庭に向かった。


 裏庭は暗く、誰もいなかった。ベンチがありそこに座り、自動販売機で買ったペットボトルの水で薬を飲む。さっきからやけに頭が痛い。

「…………はぁ」

 慣れない環境である上に先程死にかけて、思ったより疲れているのかもしれない。

 ――地元を離れるなんて、そんなことあまりなかったからな……。

 これは一時鎮痛剤が手放せないなと一人考える。

「それにしても、ここ……昼はここで過ごしていいかもしれないな」

 こんな暗くてジメジメした場所、不良でも滅多に来ないだろう。ご丁寧に屋根まであるし、思わぬ穴場だ。余計な噂は流れそうだが、そんなの気にしていたら何も出来ない。

 スマホを見ると、もう一時十五分だ。蓮はすぐに職員室へ向かった。


 長谷に連れられて着いたのは二年三組。どうやらここが蓮の教室らしい。

「はーい、座って!転入生を紹介するから!」

 長谷の言葉に全員一斉に蓮の方を見る。その瞳には怯えと恐怖とある種の好奇。

「ほら、自己紹介して」

「……成雲 蓮です。今日は体調不良で遅刻してしまいました」

 担任に促されて、蓮は自己紹介をする。歓迎されていないと分かっていたから、あえて「よろしくお願いします」とは言わなかった。

 案の定、影口を叩かれる。「目をあわせたらやばいぞ」やら「殴られるぞ」やら、言われる筋合いのものだらけ。誰も彼も、前歴といううわべだけを見ている。

 ――どうせここにも、味方なんていない。

 分りきっていたことだ。今更どうこう言うつもりもない。

「それじゃあ、あなたはあそこの席に座って」

 長谷が指したのは、あのツインテールの女子生徒――春鳴の後ろ。どうやら窓際の一番後ろの席のようだ。それが無難だろうと蓮はその席に向かう。

 春鳴は蓮を見て「嘘でしょ……」と小さく言う。何に対しての台詞なのか分からないが、気にしないことにした。どうせなんで自分の近く……?とか、そんなところだろう。

「……うそつき」

 彼女の横を通った時そんなことを言われたが、無視して通り過ぎた。すると再びひそひそと話し声が聞こえてきた。

「おい、あそこの空間やばくね?」

「あぁ、いろいろやばいな。援交仲間っての?」

「あそこには近づかないでおこ……」

 どうやら目の前の彼女も何かしらの噂があるようだ。確かに彼女は制服を着崩しているけど……他には何もないように見える。心なしか、どこか悲しそうだ。居場所がないと言った感じで……。

「……………………」

 世の中終わってるな、と一人気付かれないようにため息をつく。他人をよく見ないで、噂だけで勝手に評価している。

 なんて、そんなことを考えるだけ無駄だ。今は授業に集中しよう。

「あ、成雲さんに教科書渡すの忘れてた……。ゴメン、隣の人、成雲さんに教科書見せてくれない?」

「えぇ?マジかよ……」

 しかしこうもはっきり嫌がられるとさすがに気分が悪い。それなら別に見せてもらわなくてもいい。

「あ、大丈夫です」

「……本当に?」

「はい。一応、教科書の内容は頭に入ってるので」

「そう……なら、ニ十ページの五行目から七行目、言える?」

 蓮の驚異的な記憶力を信じていない長谷は、出来ないだろうとそう言った。

 国語の教科書のそのページは確か……。

「『ゆみはたかしに言った。「ここにいても、何も見つからないと思うわ。それよりお家に帰りましょう」。たかしは渋々頷き、ゆみの後ろ姿を追いかけた』、でしたよね」

 一行一句間違えずに言ってのけた蓮に、長谷は信じられないと言った目をした。

「……正解よ。あなた、教科書いらないんじゃない?」

「いや教科書はください」

 あの目は本気で渡さないかもしれない。全て覚えている自信はあるが、さすがに毎回思い出しながらは面倒だ。

「勉強は出来るのかよ」

「というか、頭よすぎね?教科書丸々覚えてるなんて」

「あいつ、何者だよ」

「あれで犯罪者とか、ホントやばいよな」

 それにしても、本当にうるさい。関わりたくないなら静かにしていればいいのに。

 そう思いながら、蓮は窓の外を見る。一瞬、痣の出来た男子生徒が見えたが気に留めることはなかった。


 放課後、帰ろうとすると長谷が蓮を呼び止めた。

「……何ですか?」

「いや、えっと……例の噂、流したの私じゃないから」

 まさかそれを言うためにわざわざ話しかけてきたのだろうか。

「……それは疑っていませんよ。そんなことして得すること、全くないですから」

 面倒ごとが増えるだけと分かっている彼女があえて言うとは思えない。でも、なら誰が噂を流した……?

「あ、おい」

 すると後ろから風谷の声が聞こえてきた。蓮が振り返ると、長谷はため息をつく。

「……髪、まだ染めてないの?」

「せんせーには関係ないだろ?……後で屋上に来てくれないか?」

 長谷の言葉を適当にあしらって、彼は蓮の耳元でそう言ってきた。そしてそのまま上に上がっていく。

「……はぁ、あいつとは本当に関わらないでよ?それから、明後日は球技大会だから」

 そう釘を刺して、長谷は去っていった。しかし、その後ろ姿が見えなくなった後、蓮は風谷の後を追いかけた。


 屋上にはどこから持ってきたのか、机と椅子があった。元々ここにあったものだろうか。

「お、来てくれたか。長谷になんか言われてないのか?」

「関わるなと言われましたけど……」

 誰とどうつき合おうが、自分の勝手だ。誰かに指図される筋合いはない。

「それにしてもお前、前歴持ちか。道理で肝が据わっているわけだ」

「……避けないんですか?」

 蓮が聞くと、彼は「はぁ?」と驚きの声をあげた。

「なんで避ける必要があんだよ。お前、真面目そうだし。前歴のやつもなんか事情があんじゃねえの?」

 ほぼ一方的に話される。だけど噂だけで避けないところを見ると、この人、見た目はあれだけど本当にいい奴なのかもしれないと蓮は思う。

「お前こそ、俺を避けるべきだろ。俺、問題児だぞ?」

「……なんで?」

 なぜ問題児というだけで避ける必要があるのだろうか。蓮のそれとは全く別物なのに。そんな蓮の様子に話が進まないと思ったのかこの話は打ち切る。

「……まぁいいや。それよりさ、朝のあれ……夢じゃねえよな」

「……そうだと思います」

 いっそ夢だと思いたいが、感覚がはっきりしすぎた。あれは、夢なんかじゃない。

「そうだよな……」

 しかし、それならなぜ自分達はあの世界に入り込んでしまったのか。それが分からない。

「なぁ、明日の放課後、もう一度あそこに行ってみないか?」

 しかし彼の言葉に考えていたことも吹き飛んでしまった。

「あの城に?危ないですよ、死にかけたじゃないですか」

 それに蓮は止める。いくら普段無口無表情とはいえ、今回ばかりはほんのちょっとだけ焦った表情を浮かべた。それが良希に伝わっている様子はないが。

「すぐに出てくれば大丈夫だろ」

「そういう問題じゃ……。……はぁ」

 こういったタイプの人間は一度決めると決して曲げないことを知っている。なら、彼だけでいかないようについて行く方が得策だろう。

「……分かりました。一緒に行きますよ」

「サンキュー!お前、いい奴だな!」

「でも、どうなっても知りませんからね」

 ついて行くとは言っても、責任までは負えない。そこは釘を刺しておく。

「分かってるって。じゃあ、学校近くの裏路地に集合な。んじゃ、またな」

 風谷が屋上から出ていくのを確認すると、蓮はスマホを確認する。やはりあのアプリが入っていた。

「……………………」

 いくら消しても無駄だと思い、今回はそのまま放っておくことにした。

 帰る途中、本屋に立ち寄り小説を買った。学校の図書館に行こうにも変な噂で騒がれるだろうから、勉強もファートルやファミレスでしようと考えながら帰り着く。

「おかえり。学校から連絡が入ったぞ。遅れたんだってな」

「すみません。ちょっと体調が悪くて……」

「せめて学校には連絡入れろ。気分悪いなら、今から病院行くか?」

「別に大丈夫です。すぐ治りますから」

 帰ってきて早々、藤森にそんなことを言われた。保護観察人だから連絡が入ってきたようだ。それを適当にあしらって、屋根裏部屋に行く。

「あ、おい!飯はどうした?」

「外で食べてきました」

 本当は朝から何も食べていないが、正直食欲がない。あの時から、食事がほとんど喉に通らなくなってしまったのだ。

 通帳を見ると、食事や遊びに行かないくせにバイトに明け暮れていたせいで貯まりすぎていた。ここでも許可が下りればバイトをするつもりだ。

(病院代もあるしね……)

 診察代はともかく、薬代が結構かかってしまうのだ。

 そういえば、病院はどこにあるのだろうか?定期的に通うことになるから出来れば早めに見つけておきたいところだ。

 ――いざとなれば薬だけでもいいし……。

 それなら放課後に寄ればいい。とりあえず、この周辺で病院……診療所でもいいからとスマホでファートル周辺のマップを見た。すると案外近くにあることが分かった。

(明日は風谷君とあの場所にもう一度行く約束してるし……行くなら明後日かな?)

 時間があれば明日でもいいけど、事情が事情だけに時間がかかってしまうかもしれない。なら、時間がある方がいいだろう。でも確か、その日は球技大会があったような気が……まぁいいや。

(とりあえず、勉強するか)

 授業が終わった後に渡された教科書を開き、蓮は勉強を始める。彼女にとってはほぼ復習みたいなものだが。

「おい、俺、もう帰るからな。戸締り頼んだぞ」

 下からそんな声が聞こえてきた。それに「分かりました」と答えた。

 扉が閉まった音が聞こえると、蓮は下に降りて鍵を閉めた。一応、藤森は鍵を持っているのだから自分で閉めたらいいと思うけれど。勝手に出ていくわけでもないし。

 そのままペットボトルに水を入れて、上にあがる。制服や下着は洗って干している。

「……なんか、疲れたな……」

 いつも以上に身体が疲れている。やはり慣れない環境ゆえだろう。今日は早めに寝ようと寝間着に着替え、ベッドに横になる。するとすぐに眠りについた。


 ――悪夢を、見た。

 女性を助けようとして冤罪をかけられた、あの時の夢を。

「――――――――!」

 バッと蓮は跳ね起きる。そして、夢であることを知る。

「………………はぁ」

 最近ため息ばかりついている気がする。頭も痛いし身体も重くて気だるいし、最悪だ。

 時間を見ると、まだ三時過ぎ。疲れは抜けきっていない。しかし二度寝する気分でもないので本を読むことにした。だが、集中出来ず、すぐに諦める。

 ――蓮の見る夢は悪夢ばかりだ。虐待を受けている時か、学校であることないこと言われていた時か、さっき見た冤罪の時の夢。いい夢なんて今まで見たことがない。

 テレビでも見ようと電源をつける。深夜ニュースでは例の精神崩壊事件のことが報道されていた。

「……急に人格がおかしくなってしまう……人が変わったように暴行したり殺人を犯したりする……急に廃人になって事故を起こす……」

 これは明らかにおかしい。故意的な何かを感じる。

 誰かが「何か」をしている……?

 憶測をたてるには情報が少なすぎる。しかし、少なくとも偶然ではないということだけは分かった。

「……変なところ、来ちゃったな」

 ボソッと呟く。気付けばもう五時過ぎだった。

 

 昨日と同じように学校に来ると、遠巻きにまたひそひそと影口を言われる。噂が流れた時点で覚悟はしているので何とも思わないが。

「お、君は昨日の……おはよう」

 後ろから声をかけられ、振り返ると狛井が立っていた。「こっち側」の彼はずいぶん人のよさそうな笑みを浮かべている。

「……おはようございます、先生」

 正直、昨日のあれを見た後ではあまり関わりたくないが、挨拶ぐらいはしないと失礼だろう。そう思って頭を下げる。そして、すぐに立ち去る。

「……成雲 蓮……顔もいいしスタイルもいい……あいつも狙い目だな……」

 後ろで何か言われた気がするが、聞こえてこなかった。


 授業も終わり、放課後。蓮が廊下に出ると狛井が立っていることに気付く。風谷と約束があるのでそのまま横を通り過ぎようとすると、声をかけられた。

「やぁ、成雲。今から帰りか?」

「……はい、そうですが」

 まさか呼び止められるとは思っていなかった。動揺していることは悟られないようにしているが、思わず一歩後退ってしまった。

「まだこの学校に来てよく分からないことだらけだろ?俺が案内しようか?」

「い、いえ。お気遣いなく。それに、早く帰らないと居候先に迷惑かけてしまうので……」

 適当に誤魔化すと、彼は「そうか、それはいけないな」とすぐに引いた。これはこれで何かありそうだ。

「じゃ、気を付けて帰るんだぞ」

「は、はい。さよなら……」

 早く離れたくて、蓮は早足に階段を降りる。その様子を見て、狛井は誰にも聞こえないように舌打ちをして、体育教官室に向かった。


 校門から出て、裏路地に行くとそこには既に風谷がいた。

「よう、来たな。じゃ、早速行こうぜ」

「行くって……どうやって?」

 やけに張り切っている彼に蓮は聞く。行くにしろどうすればいいか分かっていないのだ。

(昨日は勝手に学校が城になっていたわけだし……何かしないといけないと思うんだよな)

 しかし彼は「昨日来た道を辿ればいずれ着くんじゃね?」と呑気に言った。本当にそれでいいのかと思いながら蓮は彼の後をついて行く。

 だが、いくら同じ道を辿ってもあの城にならない。

「なんねぇな……」

 彼の言葉に頷く。そこでふと、あの時自分のスマホのナビゲーションが勝手についていたことを思い出した。

「ナビ……」

「ナビ?そういやお前、なんかつけてたよな」

 蓮がスマホを見ると、風谷は覗き込んできた。

「ん?なんだ、その赤いやつ」

「なんか、勝手に入っていたんです。もしかしたらこれかも……」

 そう思って、そのアプリをタッチする。すると赤い文字で「目的地を入力してください」と出てきた。検索履歴を押すと、「狛井 凌 凛条高等学校 城」というものが出てきた。

「お!これじゃねぇか?」

「あ、勝手に押したら……!」

 風谷がそれを押してしまうと、周囲の景色が歪み、周囲に人がいなくなった。学校を見ると、昨日見た城になっていた。原因はこれだったのか……。

「うおっ!スゲ、本当に来れたな!あ、先に言っておくけど何かあったらすぐに逃げ……ってえぇ!?」

 蓮の方を見た風谷は彼女の服装を見て驚く。蓮の服装は制服ではなく昨日見たあのロングコートだったのだ。

「おま、また変な格好になってるぞ!」

「へ?……あ、本当だ」

 妙にしっくりしていたからか、自分では全く気付かなかった。

「まぁ、いいんじゃないですか?」

「いいのかよ!」

 割と呑気な彼女に風谷がツッコんでいると、

「おい!騒がしいぞ!バレるじゃねぇか!」

 聞いたことのある声が聞こえて、二人はそちらを見る。そこにはヨッシーが立っていた。

「また来たのか、お前ら……昨日、逃がしてやったってのによ」

「ちょっと確認したくてよ。こんなとこがホントにあるのかって」

 呆れた声に気付いていないのか、風谷は悪びれなく言った。

「それに、悲鳴も聞こえてきたしよ……」

 そして、今度は心配そうに告げた。

「悲鳴?それで見に来たのか?」

 悲鳴、と聞いてヨッシーはピクッと耳を動かした。蓮はそれに気付いたが、風谷は見ていなかったようだ。

「あぁ。俺達のように捕まってんなら助けてやりたくて」

 彼の言葉に心当たりがあるのかヨッシーは考えた後、蓮を見た。

「お前が一緒に来てくれるなら、案内してやってもいいぜ?」

「オレは別に構いませんけど」

 即答する彼女にヨッシーは「やったぜ!」と飛び上がり、風谷は「ありがとな!」と蓮を見て笑う。

「じゃあ、こっちだ!」

 ヨッシーが走ると、その後ろ姿を追った。

 ヨッシーが連れてきた場所は「狛井先生の愛の訓練所」と書かれたところだった。

「多分、お前の言っていた悲鳴ってのはここからだと思うぜ」

蓮が扉を開けると、独房に入れられた人が数人、それから大きなガラスが張られたところが三か所あった。ヨッシーの言う通り、ここから悲鳴が聞こえてくる。悲鳴があがっているというのにどこが「愛の訓練所」だ、笑わせると蓮は思った。

近くのガラスの中を見てみると、たくさんの人が体罰を加えられていた。彼らの服装からしてどこかの部員、だろうか。

「ひでぇ……」

 風谷が呟くと、ヨッシーも「そうだな」と頷いた。蓮も同感だ。

「しかもあいつら、うちの高校のバレー部員じゃねぇか!」

「え?」

 凛条高校のバレー部員って……。じゃあ彼らも巻き込まれて……?

「落ち着け。こいつらは本物じゃない」

「本物じゃないって……もしかして、幻想世界の中の人ってことですか?確か、「フェイク」とか言っていた……」

 昨日ヨッシーが言っていたことを思い出し、蓮が聞くと、ヨッシーは「よく分かってるじゃないか」と言った。

「……それにしても酷いな。こいつら、現実でもこんなことされてんじゃねぇか?」

「現実でもって……まさか……!」

 彼の言っていることが分かった蓮は珍しく僅かに表情を歪ませる。

「思ってる通りだぜ。ここは「幻想世界」であり「欲望認知の世界」。歪んだ心の世界がここってことなのさ。当然、何をどう思っているかもここの主次第ってことさ。恐らく、ここの主は、学校は城で部員は全員奴隷とでも思ってるんじゃないか?だからこうなっているわけだし。現実でも体罰はしていると思うぜ。ワガハイも拷問されたしな」

 嘘……と頭を抱えたくなる。まさか教師が生徒に体罰をしているなんて。しかも、こんなに酷い……。

「くそっ!まさにあいつの頭ん中じゃねぇか!こうなりゃ証拠だけでも……ってえぇ!?圏外!?」

 風谷がスマホを取り出したが、使えないことに驚いていた。蓮も見てみるが、こちらも圏外であのナビ以外は使えなかった。

「しゃーねー!せめて顔だけでも……!」

「早くしろ!いつエネミーが来るか分かんねぇからな!」

 ヨッシーが急かす。風谷が部員達の顔を覚えると、三人は走り出した。

 ホールに出ると、どこからか声が聞こえてきた。

「またか、風谷。それに、そこの女も自分から来てくれるなんてな」

 そう、狛井だ。と言っても現実の方ではなく、デザイアの方だが。

「ふざけんじゃねぇ!学校はお前の城じゃねぇんだよ!」

 風谷が叫ぶと狛井は「ふん」と鼻で笑った。そして、風谷に興味はないのか蓮の方に視線を向ける。

「お前には分からないだろうが、ここでは誰もが俺様に気に入られようとするんだぞ?」

「……あ、そう」

 蓮に向けられたその言葉に蓮は冷たく返す。少なくとも彼女は奴に気に入られたいとは思わない。

「城を荒らす奴は殺さないとなぁ?衛兵!」

 狛井が声をかけると、どこから来たのか鎧達が現れた。

「くそっ……!おい金髪!お前は下がってろ!」

 ヨッシーの命令に風谷は「あ、あぁ」と頷く。その瞳には僅かな申し訳なさと後悔が浮かんでいた。

「レン!お前も戦うぞ!」

「はい、分かってます」

 今戦えるのはヨッシーと自分だけ。なら、戦うのは道理だろう。蓮はナイフを構える。

「女は捕えろ!他は殺せ!」

 狛井の言葉に合わせて鎧達は本当の姿を現す。一人は馬に乗った騎士と言った感じの兵士、あとの二人はそれの付き添いの歩兵だった。

「行くぞ!」

 ヨッシーの掛け声に蓮は敵に近付いて斬りつける。しかしダメージが与えられている感じはしない。それならとリベリオンを出して闇攻撃を加えるが、これも同じだった。ヨッシーもトラストを出して風攻撃を与えるが、そんなに効いていないようだ。

「くっ……!何が弱点なんだ?」

 蓮の呟きにヨッシーは首を横に振る。物理が駄目ということは銃弾も恐らく効かないだろうし……これでは負け戦だ。

「くくく……この程度か」

 すると騎士のような姿のエネミーがヨッシーに向かって持っていた大剣を振るう。それをもろにくらったヨッシーは遠くに飛ばされてしまう。

「ぐはぁ!ワガハイとしたことが……!」

「ヨッシー!くっ……!」

 ヨッシーの方に気を取られ、よそ見していたところに蓮も攻撃を受ける。そのまま吹き飛ばされて壁に当たってしまい、その強い衝撃からすぐに立ち上がることが出来なかった。その様子に狛井は笑い、彼女に近付く。そしてその胸倉を掴む。

「離せ……!」

 蓮が睨みつけるが、それに臆せずむしろニヤリとさらに深く笑う。ヨッシーは歩兵に捕まっていた。

「俺様に歯向かうとはいい度胸だ。お仕置きが必要だなぁ?名家のお嬢様?」

 言葉とは裏腹にずいぶん楽しそうだ。蓮がジタバタと暴れていると不意に胸を触られた。

「ひっ……!」

 あの日の恐怖が脳裏によみがえり、蓮は思わず悲鳴をあげた。

「ははは!いいなぁその表情!いっそここで脱がせるか?そんで風谷の目の前で気持ちイイことしてやろうかぁ!?」

 そう言って狛井は蓮の服を少しずつ脱がしていく。逃げようと暴れるが、服がきわどいところまで脱げてしまうことに気付き、抵抗をやめざるをえなかった。

「……くそっ!」

 その様子を見て、風谷は悔しそうに膝をついて地面に拳を叩きつけた。

「貴様はそこで見てればいい。陸上部の「裏切り」の元エースさん?」

 狛井の言葉に蓮は悔しそうな風谷を見つめる。裏切りの、エース?それは、一体どういう……。

「俺様以外が目立つのは腹立つんだよ!生意気にインターハイなんて俺様が出させない。だから貴様の足を壊した。陸上部を廃部にしてやったんだ。簡単だったよ、貴様が血の気が多い奴だったからなぁ!耐えられんほどの課題を課して、お前の足を壊して、耐えられなくなった貴様が俺様を殴った。それを「正当防衛」として処理してもらって陸上部は廃部になったんだ。それで陸上部は居場所をなくした。それなのに貴様は一人のうのうと生きていてよ!」

 手を止めた狛井から聞かされるそれは外道以外の何物でもなかった。

「酷いな……奴の言っていることは本当だろう」

 ヨッシーがそう呟く。現実では言わないことでも、デザイアでは本当のことを話すようになるのだそうだ。この世界を見ていればそうだろうと思わざるを得なかったので、それ自体は驚かなかった。ただ、こいつは本物のクズだなと思った。

「くそっ……!俺、また奪われんのかよ……!こんな奴に……!」

 けれど、諦めかけている彼を見ているのがどこか嫌だった。

「諦めるな!」

 いつの間にか、蓮に叫んでいた。

「いいのか!?このままで!取り戻そうとは思わないのか!」

 蓮のその言葉に風谷は言葉を詰まらせる。そして、

「そう、だよな……。取り戻さないといけないよな……」

 風谷はゆらりと立ち上がる。その瞳はもう後悔していなかった。

「ありがとよ、目を覚まさせてくれて」

 そして、いつものあの笑みを蓮に向けた。蓮をそれを見てホッとする。

「貴様に何が出来んだよ!なぁ!?お前もそう思うだろ?」

「いたっ……!」

「レン!」

 しかしまだ解放されているわけではない。今度は腕を強く掴まれ、痛みが走る。その様子にヨッシーは動こうとするが、歩兵にはばかれた。

「そいつを放せ!」

 そう言う風谷を横目で見て、「貴様はおとなしくそこで見てればいいんだよ!こいつが乱れる姿をな!」と叫んだ。その時、

「かっ……!?」

 風谷が頭を抱え座り込んだ。これはもしかして、と蓮は見つめる。狛井も再び手を止めた。

『随分待たせたものだ……。あの女を救うために力が必要なんだろう?どうせ消しえぬ汚名なら己の信じた正義のために、守るべき者のためにひと暴れ……それこそが、お前の望んでいることだ!』

 風谷の後ろからそんな声が聞こえてきた。顔を上げた彼の顔には炎の形の仮面。

「くっ……!あぁあああああああ!」

 風谷が仮面を剥がすと、後ろに軍人のような巨大な男性が現れた。彼の服装も、どこか軍人を思わされる。その手には白の手袋。

 彼の周りから疾風が吹き荒れ、鎧達と狛井は思わず力を緩めた。そのすきに蓮とヨッシーは抜け出し、風谷のところに駆け寄った。蓮はその間に服装を直す。

「金髪!お前にもアルター使いの素質があったのか!」

「金髪じゃねぇ!俺は風谷 良希だ!」

 彼の本名、初めて聞いた。良希……いい名前だ。

「貴様ら……!ただじゃおかないぞ!」

 狛井がイラついたように三人を見る。しかし、誰も臆することはなかった。

「へん!出来るならな!「ジャスティス」!」

 ジャスティス……正義という意味だ。本当は正義感が強い人なのだろう。

「ぶっ放せ!トネール!」

 良希がそう叫ぶと雷が放たれた。仮面は炎なのに雷なのか……と思ったが、そこは黙っておく。どうやらエネミー達はその雷が弱点だったようで、膝をつく。形勢逆転だ。

「行きましょう。一斉攻撃です」

 蓮の掛け声に良希とヨッシーは頷き、武器を構える。良希はメリケンサック、ヨッシーは小刀のようだ。

 エネミーが動けない隙に三人は攻撃を仕掛けていく。どうやら体力はそこまで残っていなかったようで、何度か斬りつけるとすぐに倒れた。

「な、な……」

 呆然と立ち尽くす狛井を前に、良希は座り込んだ。

「風谷君、大丈夫ですか?」

 とっさに近寄り、その背を撫でる。良希は「大丈夫だ」と言うが、その顔には明らかな疲れが見えた。

「アルターが解放されたばかりなんだ。無理はしない方がいい」

 ヨッシーもそんなことを言う。どうやら解放したばかりだとどうしても疲れが酷くなるようだ。それなら、蓮にこんなことがなかったのはなぜなのだろう。

「せんせ~」

 そんな時、どこからか女性の声が聞こえてきた。ふと見ると、狛井の近くに下着姿に猫耳をつけた金髪の女性がいることが分かった。

「おぉ、お前か。こいつら、どうするべきだと思う?」

 狛井が彼女に聞いた。この女性もどこかで見たことが……。

「お前、春鳴!?」

 春鳴って確か、蓮の前の席に座っている女子生徒だ。だが、本物がここにいるわけがない。ということは、この彼女は「フェイク」というやつだろう。雰囲気が違う。

「やっちゃえー!ニャン」

 奴の認識では彼女はそんななのかと思っていると、「やはりそうだよな」と狛井が笑い、指を鳴らす。すると遠くから鎧達の足音が聞こえてきた。

「ここは一度引きましょう!」

「あぁ、いい判断だ、レン!」

 このままでは危険と判断した蓮は良希の手を取って出口へ走った。状況を理解していない彼は「ちょっ……待てよ!」と蓮に引っ張られるまま走った。


 出口に着くと、良希が「なぁ、よかったのか!?」と聞いてきた。

「何がですか?」

「春鳴だよ!」

「大丈夫ですよ、あれは「偽物」です」

 本物なら蓮も見捨ててはいない。だが、分かっていない良希は「だからって……!」と食い下がる。

「あの女はこの世界の人間、つまり現実のあの女とは違うんだ。だから助けても意味がない。分かったか?」

 ヨッシーが蓮のかわりに説明してくれる。それにさらに「ついでに」と付け加える。

「恐らくですが、本物の狛井?はこっちのことは知らないと思います」

 昨日の現実の方の狛井の様子を思い出し、そう言うとヨッシーは飛び上がった。

「さすがだな、レン!そう、こっちの世界と現実世界は深く関わっているが、現実世界の方の奴はこっちの出来事を知らない」

 やっぱりか、と蓮は頷くが良希は疑問符を浮かべていた。

「……?分かるように言ってくれ」

「つまり、「幻想世界」……こちら側では何をしても本当の奴は何も知らないということです」

 結構砕いて説明すると、ようやく納得したようだ。

「そうなのか。なら、心配いらないな!じゃあ、もうここから出ようぜ!」

「なぁ、その前にワガハイの話を……」

 ヨッシーが二人に何か話そうとするが、

「バレー部員の顔、全員覚えたし!」

「ちょっと、話を聞いて……!」

「またな!ヨッシー!」

 ヨッシーの話を全く聞かず、二人は現実世界へと戻っていった。その様子を唖然と見た後、

「おい!ねぇわ!話ぐらい聞いてくれよ!」

 と空に向かって叫んだ。しかし、

「確か、あいつらは現実世界に行ったんだよな?ワガハイも、出来るか分からないがやってみる価値はありそうだぜ……」

 一人、何かを考えていた。


 現実に戻ってきた二人は息を吐く。

「ふぅ、危なかったな……」

「……そうですね」

 その言葉に、蓮は頷く。やはり頭が痛くなる。しかしそれを表情には出さない。

「そういやお前、表情にあまり出ないタイプ?」

 不意に聞かれ、蓮は首を傾げる。

「……まぁ、よく仮面みたいだとか無表情で怖いとかは言われますが……」

 昔からそうだ。ただ、それを指摘されることはあまりない。

「なぁ、ここで話もなんだし、一緒に牛丼食いに行かねぇ?」

 良希の誘いに蓮は一瞬悩んだが、彼が何か話したいようだったのでその誘いに乗った。

「ありがとよ!いい場所知ってんだ」

 そう言って彼は歩き出した。その後ろ姿を追いかける。


 牛丼屋に着くと、良希は特盛の、蓮は小盛を頼んだ。

「そういや、お前って女なんだな」

 牛丼が来るのを待っていると、不意に話しかけられる。それに「……はい、理由があって男子制服を着ているのですが」と答えた。

「そう改まんなよ。俺の前では普通にしていいぜ?」

「……そうか?それなら、そうさせてもらう」

 いつもならそう言われても敬語を貫いているところだが、なぜか彼には普通の自分でいいと思い、普段の口調になる。

「あ、敬語なしだと男口調になるのな……まぁいいや。名前、まだちゃんと名乗ってなかったよな?俺、風谷 良希」

「……成雲 蓮」

 互いに自己紹介をすると、良希は彼女に手を差し出した。握手しよう、ということだろうか?

「「良希」でいいぜ。よろしくな、レンレン」

 笑顔でそう言ってくるものだから、蓮は一瞬どうしようか悩み、

「……あぁ、よろしく、風谷」

 彼の苗字を呼び捨てにした。

「あ、てめっ」

 そんな彼女に良希は恨みがましく見てきた。いきなり変なあだ名で言う方が悪い。

「冗談だ。……あ、来たぞ」

 牛丼が二人の前に置かれる。良希は蓮に割りばしを渡す。

「ありがとう」

「礼を言われるほどじゃねえよ。……なぁ」

 いきなり真剣な顔になり、蓮は姿勢を正す。何を聞かれるだろうと思っていると、「そういや、さ」と話し出した。

「狛井の噂、聞いたことがあるか?」

 それに首を横に振る。自分の噂のせいでほとんど聞こえてこなかっただけかもしれない。

「あいつ、元オリンピック選手でバレー部の顧問なんだ。で、部員に体罰を与えてるって噂がある。それから、春鳴と付き合ってるって噂も」

「……………………」

 あれを見た後だと、体罰の方は真実だと認めざるを得ない。でも、春鳴との噂は、違うように思える。

 ――あの時、どこか寂しそうだと感じた。あれは、多分……。

「今までは噂程度だったけどよ、あれ見て確信したぜ。あいつ、本当に部員を奴隷として見てるってな。……春鳴との噂は違うだろうけどよ」

「春鳴さんの噂の方は違うって……?」

 なんでそれを断定して言えるのだろう?何か確信があるのだろうか。

「あぁ。あいつ、中学が同じなんだよ。高校に入ってから話さなくなってな。でも、確か狛井はあいつの好みではないぜ?」

 そういうことか。確かにそれならある程度分かっていてもおかしくない。

「……俺さ、あいつらを助けたい。そして、情報を得て狛井の悪事を暴きたい。部員達の顔は覚えたから、一緒に探してくれないか?」

 彼の瞳からは必死さが感じ取れた。だから、蓮は「……あぁ、いいぞ」と答えた。

「ただ、ボクは噂の前歴者だ。どこまで情報が得られるか……」

 そもそも話を聞いてくれるか……。それだけが心配だった。

「あー……オレも問題児だしな。……あのよ、いいってんなら、その……前歴の話、聞かせてくれないか?俺の過去、知られたわけだし」

 牛丼を食べながら、彼は迷ったようにその言葉を紡いだ。蓮は一度俯いたが、彼には真実を知ってもらいたいと思い、顔を上げて簡単に話し出した。

 バイトの帰り道、男性に絡まれている女性がいたこと。

 その女性を助けようとすると、逆に性的暴行を加えられそうになったこと。

 それから逃れようと男性を突き飛ばしたら、その男性が倒れて怪我をしたこと。

 その時に警察が来て、こちらの主張を聞かず連れて行かれ、罪になってしまったこと。

 それらを話すと、彼は「ひでぇ……」と呟いた。そして、不意に顔を上げた。彼の顔を見て、蓮は内心驚いた。だって、彼が泣きそうになっていたから。

「ひでぇよ!お前、何も悪くないじゃんか!人を助けようとしただけなのに、なんでお前が悪者扱いされんだよ!」

 そんなこと、初めて言われた。両親も無罪であることは信じてくれたが、「なんでそんなことをした。令嬢としての自覚がないのか?」と責められたし、クラスメートや周囲の人達はありもしない噂ばかり囁いて、蓮を避けた。こっちでも、そんなものだと思っていた。

 でも、彼だけは違った。蓮の噂を聞いても避けず、ちゃんと自分のことを見てくれた。蓮のしたことは正しいと言ってくれた。

 良希は牛丼の残りをかきこむと、「俺達って、似た者同士だな」と言った。どういうことだろうと首を傾げる。

「なんていうか、厄介者扱いされて、居場所がないところとか?」

「……あぁ。確かにお前、周りから問題児って言われてるもんな」

「似た者同士、仲良くやっていこうぜ?明日、球技大会だったよな。さっきの話、忘れんなよ!」

 もちろんだと蓮は頷く。ニコッと彼は笑うと、蓮の牛丼が減っていないことに気付く。

「あ、全然食ってねぇじゃねえか」

「あ、いや。だって話してたし……」

 食欲がないというのもあるが、誰かと話しながら食べるということ自体初めてのことで箸が進んでいなかったのだ。すると良希が牛丼に紅ショウガを入れ始めた。

「ちょっと!?」

「遠慮すんなって。俺のおごりだ」

 いつの間にか結構盛られ、もはや紅ショウガ丼になってしまっていた。でも、残すわけにはいかないと蓮は頑張って食べきった。

(紅ショウガの味しかしなかった……)

 でも、それがどこか楽しかった。

「あ、そうだ。連絡先交換しようぜ」

 彼の提案に蓮は頷き、連絡先を交換する。

「じゃあ、また明日な!」

 駅まで送ってくれた良希に蓮は手を振った。


 ファートルに着くと、藤森が「遅かったな」と言った。

「今日はちゃんと学校に行ったようだな」

「あ、はい……」

 昨日のことがあるので何も言えない。すると藤森が蓮の顔色を見て笑った。

「今日はしっかり食べてきたみたいだな」

「え……?」

「昨日より顔色がいい」

 もしかして、知られていたのだろうか。食事をとっていないことを。

「…………」

「……なぁ、お前が俺をまだ信用出来ないのは分かる。だが、一人でため込みすぎるのもどうかと思うぞ」

 俯いていた蓮は彼の顔を見る。どこか悲しそうな顔だ。

「……すまない。俺が言える立場じゃないのにな。……じゃあ、鍵、閉めといてくれ」

 そう言って、彼は店を出た。しかしさっきの藤森の顔が忘れられず、蓮は動けなかった。


 水曜日、蓮はカバンに体育服とジャージを入れた。そして、下に降りる。

「おはよう」

「……おはようございます」

 昨日のことで少し気まずく、蓮は下を向いたまま店を出ようとした。すると「待て」と藤森に止められる。おずおずとそちらを向くと、藤森は包みを渡した。

「ほら、昼飯。……どうせ昼も食ってないんだろ?」

 中身はサンドイッチのようだ。食べやすいようにするためか小さく四角に切ってある。

「行ってらっしゃい」

 気を遣ってくれたことに胸が温かくなるのを感じながら、「行ってきます」と告げた。


 学校に着くと、狛井が廊下に立っていた。

「……………………」

 気付かないふりをして通り過ぎようとしたが、彼は蓮の腕を掴む。

「……何ですか?」

 無視出来ないと悟った蓮は狛井に聞くと、彼は「そう警戒するなよ」と笑う。その裏に非情な一面があることを、蓮は既に知っている。

「今日、球技大会だろ?俺の活躍、見ていてくれよな」

 そう言って、彼は腕を放した。活躍?お前が目立ちたいだけだろと心の中で悪態をつく。

 そのまま、蓮は教室に向かう。そして、長谷に許可を取り、空き教室で青色のジャージに着替えた。女子は赤色のジャージらしいが、バレないようにとジャージまで男子用にしたのだ。それに、犯罪者と一緒に着替えるのは嫌だろう。

 廊下に出ると、丁度良希に会った。

「おう!お前、ここで着替えたのか?」

「あぁ。さすがにいろいろとやばいからな……」

 その言葉に彼は「あぁ、確かにな……」とため息をついた。

「まぁ、今日はよろしくな!」

「あぁ、分かってる」

 そう言って、それぞれ教室に戻った。


 教室で今日の日程を聞いた後、体育館に向かう。そこで良希と合流し、一緒に見学することにした。今回はバレーのようだ。

「お前、意外と運動出来んだな……」

「出来ないと思ったか?」

「だって、城ん中の狛井がお前のことお嬢様って言うから……イメージと違ってよ。お前、本当にお嬢様か?」

「嘘ではないな。結構な名家の令嬢だぞ?一応」

「マジで?俺そんな奴と友達になってたのかよ……」

「嫌だったか?」

「いやいいけどよ……」

 先程の試合を見て、二人はひそひそと話をしていた。今はバレー部員と教師の対決のようだ。あの痣だらけの男子生徒もいる。

 不意に見ると、狛井がサーブを打つところだった。蓮がそれを見つめていると、そのサーブがその痣だかけの男子生徒に当たった。

「!ちょっと……!」

 当たった衝撃で倒れ込んだその男子生徒に蓮は駆け寄る。そして、状態を見る。意識は失っていないが、朦朧としている。この状態では続けられないだろう。

「……仕方ない」

 蓮が彼を背負う。その男子生徒は「ちょ……!」と言葉をこぼすが、「怪我人は静かにしていてください」と言った。

「大丈夫、保健室に連れて行くだけですから」

 他の人達の目を気にせず、蓮はそのまま保健室に向かった。


 保健室に着くと、その男子生徒をベッドの上に寝かせる。

「……大丈夫ですか?すみません。さすがに勝手に処置することは出来ないので……」

「あぁ……大丈夫……」

 どうやらある程度回復したようだ。さっきよりも意識がはっきりしていた。それにしても、気になったことがある。

「……あなた、その痣……何があったんですか?」

「え……?」

 急に聞かれ、男子生徒は戸惑った声を出した。

「その痣、部活をしているだけにしては多すぎます。まさか、体罰を受けている、とかではないですよね」

 確信はあったが、あの城の情報だけでは何も出来ない。そう思って聞いたのだが、

「……君、転校生だろ?そんなこと聞いてどうするつもりだよ?」

「……別に。話したくないなら、それでもいいです。ただ、ボクでいいなら相談くらい乗りますけど」

 特に期待はしていなかったので、蓮は立ち上がる。

「無理、しないようにしてくださいね。では」

 そう言い残して、蓮は保健室から出た。一人残されたその男子生徒は俯く。

「……相談……」

 彼女に言われたその言葉を呟きながら。


「大丈夫だったか?」

 体育館に戻ると、良希が蓮のところに来た。その質問に蓮は頷く。今は昼休みで、彼以外はいなかった。二人は自動販売機があるところに向かう。

「一応よ、何人かに聞いてみたんだが……誰も話したがらねぇ」

「ボクも、さっきの子に聞いてみたけど話してくれなかった」

 ベンチに座り、どうしようか悩んでいると、テーブルの上に黒ネコが乗った。

「どうしたんだ?」

 黒ネコが口を開くと、人間の言葉を話した……気がした。

「なぁ、お前、今しゃべった?」

「いや……」

 蓮が首を横に振ると、

「ワガハイだ!」

 再びネコが口を開いて人間の言葉を話す。どこかで聞いたことのある声だ。良希は「はぁあ!?」と声をあげる。

「ネコがしゃべったー!?」

「その声……ヨッシー?」

 蓮が冷静に聞くと、「あぁ」とネコが頷いた。

「それからネコじゃねぇ!こっちに来たらこうなったんだ」

「どうやって来たんですか?」

 疑問を投げかけると、黒ネコ――ヨッシーは「自力で来た」と何でもないように言ってのけた。自力で来たって、結構すごいと思うのだが。

「それはそうと、何の話をしているんだ?」

 ヨッシーの質問に蓮は「実は……」と話し出した。聞き終えると、ヨッシーは「なるほどな」と呟いた。

「つまり、そのコマイとやらの罪を暴きたいというわけか」

「あぁ。これ以上あいつの好き勝手にはさせたくねぇ」

 良希が頷くと、ヨッシーはそれならと提案した。

「お前ら、ワガハイと協力する気はないか?」

「協力?何を?」

 蓮が尋ねると黒ネコはニヤリと笑った。

「コマイを何とかしたいんだろ?なら、あの城の方のコマイに仕掛ければいい」

「城の方って……あ……」

 そういうことかと蓮は納得する。

「分かったか?あっちとこっちは心の奥底で繋がってるんだ。なら、あの城がなくなったらどうなる?」

「……少なくとも、かなりの変化はあるでしょうね」

「よく分かってるな。やっぱりお前、センスがあるぜ」

 あの世界は「幻想世界」であり「欲望認知の世界」だ。それがなくなれば、大きく変化することだろう。

「ただし、かなりのリスクを背負うことになるぜ」

「……聞かせて」

 続きを促すと、「分かった」と続きを話した。

「あの城の中心には心を歪ませた核があるんだ。ワガハイはそれを「オタカラ」と呼んでいる。それを取ると、奴は改心する。罪に耐えられなくなって自白するだろう。ただ、「オタカラ」以外の欲望も取ってしまうと食事も出来ない廃人になってしまう可能性もある」

「はぁ!?それって、殺してしまうかもって意味か!?」

 その言葉に、ヨッシーは頷く。良希と蓮は顔を見合わせる。

「……すみません。少し、考えさせてくれませんか?」

 蓮が言うと、「いいぜ」とヨッシーは言った。

「ただ、改心させるならこれしか方法はないと思うぜ」

 返事、待ってるからなとヨッシーは立ち去って行った。良希はベンチに座ると大きなため息をつく。

「振り出しに戻る、か……他の方法、考えねぇとな」

「そうだな……」

 でも、他に方法なんてあるのだろうか?そう思いながら、二人は昼を食べようとそれぞれの教室に戻った。

 教室に戻り、朝受け取った包みを持って裏庭に来た。ベンチに座ると、包みを開く。そして、サンドイッチを口に入れた。

「……おいしい」

 想像よりかなりおいしくて、いつの間にか全部なくなっていた。帰ったらお礼を言おうと心に誓う。


 放課後、狛井のサーブに当たってしまった男子生徒と玄関で会った。同じクラスだというのは覚えているが、教室にいなかったことを考えるとつい先程やっと回復したのだろう。

「あ、君は……」

 彼を見つけると、蓮は頭を下げる。そのまま行こうとすると、「あの」と呼び止められた。

「えっと……さっきはありがとう……」

「別に、当然のことでしょう」

 用件はそれだけかと蓮は去ろうとする。すると「待って」とまた呼び止められた。

「えっと……実は」

 彼が何か話そうとすると、「島田」と声が聞こえた。狛井だ。

「お前、部活はどうした?」

「あ、えっと……」

 彼が戸惑ったように俯いた。

「このままだと大会行けないぞ」

「あの、先生。彼はさっき怪我をして倒れたんですよ?無理して動かすのはやめた方がいいかと……」

 このままでは彼が無理して大怪我に繋がってしまう可能性があると蓮が助け舟を出すと、「そう言われちゃ仕方ないな」と引いてくれた。しかし蓮の傍に寄ると、

「お前、今度俺の相手しろよ」

 と言ってきた。バッと距離を取ると、一瞬だけ狛井の別の顔が見えた。しかしすぐにいつもの教師の顔に戻る。

「じゃあな」

 そう言って、狛井は去っていった。あの男……。

「あ、ありがとう。助けてくれて……」

「いいですよ、あれくらい。あなたも身体、ちゃんと休めてくださいね」

 お礼を言う彼にそれだけ告げると、今度こそ蓮は立ち去った。


 診療所に行こうと考えていたことを思い出し、蓮は帰りに寄った。「敷井診療所」……ファートルからかなり近いところだ。

「すみません……」

 診療所に入ると、声をかけた。すると女性が出てきた。

「……なんか用?」

「えっと……実は」

 蓮が事情を話すと、その女性は「そう……」と処方箋を見た。

「一応、精神科の薬はあるわ。あなたが飲んでいるものもちゃんとある。……それにしても、その年齢の割に結構飲んでるわね」

「……はい」

 事実なので何も言い返せない。

「本当は心理療法も入れた方がいいのでしょうけど、私に出来るのは診察と薬を出すぐらいよ。それでもいい?」

「はい」

 もちろん、そのつもりで来たのだ。誰にも知られたくはない。

「私は敷井 結子。これからよろしくね」

「ボクは成雲 蓮です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 早めに来てよかったと蓮はホッとする。

「このこと、誰にも話さない方がいいのよね?」

「そうしてくれるとありがたいです」

「分かったわ。あと、その腕の傷にちゃんとこの塗り薬を塗りなさいね。これ出しとくから。それから、出来るだけそんな行為はしないこと。いいね?」

「……気をつけます。我慢出来るか分かりませんが」

 蓮は頭を下げると、塗り薬をもらい、支払いを済ませ診療所を出た。


 ファートルに戻ると、藤森が出迎えた。

「ただいま、藤森さん。サンドイッチ、おいしかったです」

 そう言うと、藤森は「それはよかった」と笑った。

「じゃ、俺は帰るからよ。鍵、閉めといてくれな」

 藤森が出ていくと、蓮は鍵を閉める。そして二階に上がる。

「……はぁ」

 ベッドに座ると、蓮はため息をついた。狛井をどうしたらいいか……それを考えていたのだ。するとチャットが入った。見ると、良希からだった。

『なぁ、どうするべきだと思う?やっぱり思いつかなくてよ……』

『確かに、改心はさせたいな。だが、廃人化になるかもしれないのはな……』

『それな。確かに許せねぇけど、殺したいわけじゃねぇ……』

『だが、警察に通報しようにも証拠がない。それに、仮にあったとしても口止めされていて本人達が否定すればそれまでだし……』

『そうだよな……』

『まぁ、もう少し考えてみるよ』

『分かった』

 そこでチャットは終わり、蓮はスマホを置いた。そして、シャワーを浴びて寝間着に着替え、横になった。狛井はどうしたらいいか考えていると、いつの間にか眠りについていた。


 木曜日、いつも通り制服に着替え、藤森に挨拶して学校に向かう。電車に乗ると、今日は珍しく座ることが出来た。時間がもったいないと蓮は本を読み出す。

 駅に着いたことを確認すると、蓮は本をカバンの中に入れ、電車から出た。そして、学校に向かう。

 教室に着くと、やはり影口を叩かれる。それを無視して自分の席に座った。

「…………」

 春鳴は何か言いたげだったが、蓮は気にしなかった。


 昼休み、裏庭で過ごしていると見覚えのある黒ネコの姿が見えた。

「ヨッシー……」

「レンか。どうだ?決心はついたのか?」

 その質問に蓮は首を横に振った。それを見たヨッシーは「ゆっくりでいいぜ。いい答えを待っている」と言った。

「それにしてもお前、こんな暗いところで食べているのか?一人で?」

「いろいろと複雑な事情がありまして……どうしても教室では食べれないんですよ」

「そうか……理由、聞いてもいいか?」

 蓮は頷いて、簡単に説明した。それを聞き終わったヨッシーは「ひでぇな……」と苦い顔をした。

「そうだったんだな……そりゃあ、学校に居場所なんてないよな」

「でも、良希は信じてくれたから。……話、聞いてくれてありがとうございます」

「いいぜ。ワガハイが聞いたことだしな。……それから、敬語は必要ない。仲良くしようぜ」

「……そうか。分かった」

 ヨッシーと話していると、チャイムが鳴った。蓮はヨッシーに「また今度」と言い、教室に戻っていった。

「……辛い過去を持っているんだな」

 一人、その後ろ姿を見送りながら呟いた。


 教室に戻る途中、怪我だらけの女子生徒がいることに気付いた。

「あれ?あなたは……転校生?」

 その子が虚ろな目で蓮を見ると、そう聞いてきた。頷くと「噂、あまり気にしない方がいいよ」と言ってきた。

「……別に。前の高校でもこんな感じでしたし」

 まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。前歴者より自分のことを気にした方がいいのに。

「……酷い怪我ですね。大丈夫ですか?」

 蓮が尋ねると、彼女は「……部活で怪我しただけだから」と答えた。何かを隠しているようにも見える。恐らく、彼女はバレー部なのだろう。どうせ聞いても意味ないから、体罰のことは聞かなかった。

「無理はしないでくださいね」

 それだけ言うと、彼女は薄く微笑んだ。

「うん、ありがとう。あなた、噂とは違うね。……私、川口 あい。えっと、あなたは……」

「あい!ダメだよ、そんな人と関わっちゃ!」

 二人の間に春鳴が割り込んでくる。そして有無を言わさず川口の手を引っ張った。

「あ、ちょっと……」

「あいに何かやったら承知しないからね!「犯罪者」!」

 遠くからそう言われ、蓮は立ちすくんだ。

 ――犯罪者……。

 言われる覚悟はしていたハズなのに、こうもはっきり言われてしまうとかなり辛いものだと蓮は思った。

 そのまま体調が悪くなり、次の授業は保健室で休むことにした。


 放課後、本屋に寄ろうと一つ前の駅で降りて広場に出ると、春鳴が誰かと電話している声が聞こえてきた。かなり大きな声だが、誰も気にしている様子はない。

「だから忙しいんですって!……は?話が違うじゃないですか、先生!あいは関係ない!あっ……」

 一方的に切られたのか、春鳴はスマホを見て呆然としている。

「なんで……」

「……どうしました?春鳴さん」

 ただ事ではないと悟った蓮は彼女に話しかける。すると春鳴は驚いたように蓮を見た。

「あんた……転校生……今の、聞いてたの?」

 その言葉に頷く。故意的ではないとはいえ、聞いてしまったのは事実だ。

「趣味わる……」

「すみません、聞くつもりはなかったのですが……あの、ボクで良ければ、話ぐらいは聞きますよ」

 素直に謝り、蓮はそう申し出る。春鳴は「えっ……?」と驚き、目を伏せる。

「…………あんたには、関係ないでしょ……。でも、ちょっと話、聞いてもらいたい、かも……」

 昼間とは打って変わって今にも泣きそうな彼女を見て、落ち着ける場所で話した方がいいと判断した蓮は近くのカフェに連れて行った。僅かに頭が痛くなるが、そんなこと考えている余裕がなかった。


「飲み物、何がいいですか?」

「……ココア」

「分かりました」

 店員を呼び、コーヒーとココアを注文した蓮は春鳴に向き合う。

「あ、お代……」

「気にしなくていいですよ。ボクが呼び止めたようなものなので」

 顔は相変わらず無表情のまま。しかし、静かに春鳴が話し出すのを待つ。

 コーヒーとココアが来ると、春鳴はポツポツと話し出した。

「……あたしが狛井とデキてるって噂、聞いたことある?」

 蓮は首を横に振る。正確には良希から聞いているが、蓮はそう思っていない。狛井の車に乗った時、とても寂しそうな顔をしていたから。彼女自身も、その噂を否定した。

「でも、そんなわけない!誰が、あんな男と……!あいつが勝手に詰め寄ってきているだけ!それなのに、なんで周りからあんなこと言われないといけないの……?」

 泣き出してしまう彼女を、蓮は見ていることしか出来ない。

 ――狛井が彼女を、性的な目で見ていると知ったらどう思うだろう。

 結構傷つくに違いない。

 ある程度泣き止むと、彼女は言葉を続けた。

「……あの、ね。後で体育教官室に来いって言われた……つまり、そういうことなんだと思う……あいつ、あいを盾にして……!」

「…………」

「断ったら、あいをバレー部のスタメンから外すって言ってきたの!あいは関係ないのに……!」

 蓮は黙って、彼女の怒りと嘆きを聞くしか出来ない。

「ねぇ、あたしが我慢すればいいの?そしたらあいは……」

「それは駄目です」

 しかし、ヤケになりかけている彼女を止めることは忘れていない。

「そんなことしたら、後悔することになりますよ。それでもいいんですか?確かに、あなたの親友を思う気持ちは分かります。だけど、あなたの親友は本当にそれを望んでいますか?あなたが傷つくことを、本当に願っているんですか?」

「……っ」

 蓮は彼女に言い聞かせる。川口は前歴者の蓮ですら気遣ってくれたのだ。目の前の彼女が傷つくことはもっと望んでいないだろう。

「……ありがとう。話したら、ちょっとすっきりした。今まで、誰にも話したことなんてなかったのに……よく知らない人だからかな?……誰にも、言わないでね」

 それから、狛井には断りの電話をかけるよ、と春鳴は言った。どこか振り切れたようだ。

「じゃあ、あたし、帰るね……聞いてくれて、本当にありがとう」

 ココアを飲み切り、春鳴は立ち上がった。そして、カフェから出た。

「……………………」

 一人残された蓮は、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲む。コーヒーは好きなのだが、いつもよりどこか苦い。

 窓の外を見ると、曇り空になっていた。


 同時刻、学校にて。

「川口、狛井先生が呼んでる。体育教官室だ」

 あの痣だらけの男子生徒――島田が川口に伝える。

「私?」

「あぁ。……ちゃんと伝えたから」

 そう言って島田は立ち去った。

「何の用だろう……?」

 今日は何もしていないハズだ。疑問に思いながら川口は体育教官室に向かう。

「失礼します……」

「川口、来てくれたか」

 体育教官室には狛井と川口の二人だけだった。

「早速で悪いんだが、お前をスタメンから外そうと思う」

「えっ!?なんでですか!?」

「最近怪我ばかりして力が出せていないだろう。無理しない方がいいと思ってな」

「そんな……怪我は試合までに治します!何でもしますから……!」

 川口は必死になって懇願する。

「本当に何でもするのか?」

「は、はい!」

「そうか。なら……」

 狛井は歪んだ笑みを浮かべ、川口の手首を掴む。

「えっ……?」

「おとなしくしてろ。すぐ終わるからよ……」

 川口のスマホから電話が鳴ったが、それに出ることは叶わなかった。


 遅い時間になってしまったため本屋には寄らず、そのままファートルに帰ってくる。

「おぉ、おかえり。ちょっといいか?」

「はい、いいですけど」

 藤森に呼ばれ、蓮は彼のところに行く。

「ほらよ」

「……鍵?」

「お前、よく遅くなるだろ。俺も何時間も待っているわけにはいかないからよ。夜は出歩いてもいいから、ちゃんと鍵閉めとけよ」

 じゃあな、と藤森は店から出る。鍵を閉めると、蓮は二階に上がって勉強を始める。

 ――それにしても、本当に大丈夫だったのだろうか?

 春鳴がちゃんと断れたか、それが心配だった。

 ――次の日、あんなことになるなんて思っていなかった。


 次の日、授業を受けているとクラスメートの一人が校舎側の窓の外を見て声をあげた。

「おい!あれ……飛び降りるんじゃないか!?」

 それに教室中が大騒ぎになる。蓮がそちらを見ると、屋上には川口の姿。しかも、フェンスの外側にいて今にも飛び降りてしまいそうだ。蓮はすぐに廊下に出た。周囲の人達も廊下に出てくる。

「ダメ!あい!戻ってきて!」

 春鳴の声が響く。その声に気付いたのか、こちらを見て川口は口を動かす。

 ごめんね。

 見えたと同時に彼女は飛び降りた。蓮はすぐに階段を駆け下りる。途中、良希と合流した。

「おい!見たか!?」

「あぁ、早く行くぞ!」

 二人が中庭に行くと、既に大勢の人が集まっていた。中には物珍しさからか写真を撮っている人までいる。

 ――最低だな……。

 人が屋上から飛び降りたというのに。

 春鳴が川口に駆け寄る。救急隊員が来て、川口を担架に乗せていた。

「誰か、教師はいないんですか!?ついてきてください!」

 その呼びかけにその場にいた教師はしどろもどろになった。教師もクズか……と蓮が思っていると、「あたしが行きます!」と春鳴が手をあげた。

「君が?分かった」

 春鳴が川口に近付くと、何か言っているのか耳を傾けた。

「えっ?そんな……狛井が?」

 狛井、という言葉に蓮はピクッとなる。春鳴がもう少し聞こうとする前に、川口が目を閉ざす。蓮は彼女にとっさに駆け寄った。

「君は……?」

「すみません。少し離れてください」

 有無を言わさずそのまま川口の手を握ると、精神を集中させた。すると蓮の手から黄色の光が放たれた。みるみるうちに川口の怪我が治っていく。

「これは……!?」

「何が起こってるの!?」

「……っ、駄目だ!意識が戻らない!」

 周囲が騒いでいる中、蓮は悔しそうな声を出す。外傷はすっかり治ったものの、恐らく心の傷が深すぎて、蓮の力でもどうにもならなかったのかもしれない。

「その力……君、もしかして……成雲家のご令嬢か!?」

 その様子を見ていた救急隊員が驚いた声を出す。蓮はこの力を使うと成雲家の人間であることが知られると分かっていた。だからここではこの力を使おうとは思わなかったのだが、非常事態だ、仕方ないと割り切る。

「成雲家のご令嬢?」

「知らないのか?成雲家は世界的有名な名家で不思議な力を使えるんだ。次期当主は女だと聞いている」

「マジか!そんな子がなんでこんなところに……それに、男子制服……」

「そういや、成雲家には女は結婚するまで男子として育てないといけないという掟があった気が……」

 救急隊員がそんな話をしている中、蓮はもう一度精神を集中させる。しかし、やはり川口の意識は戻らなかった。

「……すみません。この子、お願いします。ボクではどうにもならなかった」

 これ以上やっても無駄だと判断した蓮は、あとは救急隊員に任せようとそう言った。

「ご令嬢に言われちゃあ、頑張るしかないね。任せて」

 ニコッと笑うと、救急隊員は川口を救急車に乗せた。

「今の力……」

「説明は今度。あなたは彼女について行ってください。きっと、彼女はボクの力よりあなたを必要としている。それに、ボクは……やることがあるから」

 春鳴の言葉をさえぎって、蓮は立ち上がる。そして、校舎の中へ戻っていく。

 良希を探していると、廊下の隅で誰かと言い合っていた。

「お前、何か知ってんじゃねえのか!?」

「君には関係ないだろ」

「おい、良希」

 強い口調で彼の名前を呼んだ。どうやら島田と言い合っていたようだ。

「君は……」

「すみません。ちょっとこいつ、借りていきますね」

 そう言って良希を連れて行こうとすると、彼は「あ、あの!」とれんを止めた。

「あの、さ。言って、いいんだよね?成雲、さん」

「?何を、ですか?」

 蓮が尋ねると、彼は意を決したように言葉を紡いだ。

「ぼく、島田 ひびき。実は……狛井から、体罰を受けているんだ。川口も、昨日狛井に呼び出されて……」

「……っ」

「お願い、助けて……」

 ようやく聞けた被害者の声。それに、川口が飛び降りた原因であろう証言。二人は顔を見合わせ、頷く。

「おい、今から問い詰めようぜ」

「分かった。……島田君、あなたも来ますか?」

「もちろん。君達みたいな第三者の意見なんて、聞かないだろうし」

 三人は狛井がいるであろう体育教官室に向かった。


 三人が押し掛けると、狛井は驚いたように見た。

「お前達、何しに来た?」

「何って、お前に事情を聞きに来たんだよ」

 良希が一歩踏み出した。今にも殴りかかりそうだ。

「お前、あいつに何をした?」

「何、とは?」

「とぼけんじゃねぇ!お前が何かやったからあいつは飛び降りたんだろ!」

 しかし、いくら問い詰めても「何のことだ?」ととぼけられるばかり。意識が戻らなかったのは分かっているので、川口に直接聞くことも出来ない。押し問答についに耐えられなくなったのか、良希は狛井に殴りかかろうとする。それを、蓮が止める。

「蓮!とめるな!」

「我慢しろ。……今殴っても意味がない」

 その言葉に良希は悔しそうに舌打ちをする。

「お前ら、俺に歯向かうとはいい度胸だな」

 とうとうキレたのか、不意に狛井が立ちあがると、島田を殴った。

「島田君!」

「くっ……!」

 蓮が島田に近付く。そして、殴られたところを見る。酷く腫れていた。口の端から血が流れている。

「教えてやろうか?そいつがお前の前歴をバラしたんだ!」

 狛井の言葉に、蓮は目を見開く。しかしお構いなしに言葉を続けた。

「そいつがな、ネットやチャットに「今度来る転校生は前歴を持っている」と書いたんだよ。あることないこと、全てな!」

「……そう」

「ち、違う!ぼくは、狛井先生に言われて……!」

 島田が、前歴をバラした本人。だが、島田の言葉でそれは狛井に逆らえなくてやったのだと分かった。分かってしまえば、島田を責める気持ちにはならなかった。

「……それで?ボクがその程度で怯むとでも?」

 蓮がそう言うと、狛井は舌打ちをした。そして、とんでもないことを告げる。

「風谷に島田。お前ら二人は退学だ。次の理事会で「俺を殴った」と話してやる。成雲、お前はバレー部に入れ。強制だ」

「あんたが殴ったんだろ!」

 身勝手な発言に思わず口が悪くなる。あんた、と言っているだけまだましと言ったところだ。しかし、

「お前らがいきなり暴力を振るおうとしたと言えば、学校が正当防衛として処理してくれる。陸上部の時と同じようにな。ここは俺の城なんだ、逆らえばどうなるか思い知れ。……お前達は終わりだ」

 その言葉に蓮は歯ぎしりした。そして、島田の手を取ると、先程殴られた頬の怪我を癒す。

「これ、さっきの……」

「なんだぁ?その力は。化け物か?」

「成雲家に伝わる秘術、「癒しの力」だ。……大抵の傷は治る」

 島田は目を見開き、狛井は変なものを見たような顔をする。しかし、それすらどうでもよかった。

「お前の罪をその口で全て吐かせてやる。首を洗って待っていろ」

 そう宣言して、蓮は島田の手を引き、先に出ていた良希の後ろを追うように体育教官室から出た。

「お、おい。大丈夫かよ?理事会って……五月一日だろ?それまでに何とかなるかよ」

 島田が戸惑ったように聞いてきた。しかし、蓮は「えぇ」と自信たっぷりに答えた。

「あなたを退学なんてさせない。心配しないでください」

「蓮の言う通りだぜ!俺達が何とかしてやるから」

 そう言って二人は顔を見合わせ、頷き合った。どういう意味か、島田には分からなかった。

「あ、あと、ごめん……前歴、バラして」

「いいですよ。あいつに逆らえなかったのでしょう?」

 蓮は島田を怒るわけでもなく言った。それがさらに島田の胸を締め付ける。

 ――本当はこんなことに巻き込まれず過ごしたかったハズなのに……。

 自分があの噂を流さなければ、蓮は周囲から冷たい目で見られることはなかったハズだ。でも、それを責めずに許してくれた。

 何か、力になれたら……。

 そう思っても、自分には何も出来ないと島田は下を向いた。


 放課後、二人は自動販売機のあるベンチに向かう。そこにはヨッシーの姿があった。

「覚悟、決まったんだな」

「あぁ!廃人化とかどうでもいい!もうあいつの思い通りになんてさせねぇよ!」

 その通りだと蓮は頷く。あんなクズみたいな奴の思い通りなんて、考えただけでムカつく。それに、自分達の退学と強制入部がかかっているのだ、早く何とかしないといけない。そう思ってナビを起動しようとする。ふと良希のスマホを覗き込むと、彼のスマホにもあのナビがあることに気付いた。

「おい、そのアプリ……」

「ん?あぁ、気付いたら入ってたんだ」

「……一人で勝手にあの世界に入るなよ」

 自分も勝手に入っていたからというのとこれから狛井のデザイアに入るということから特に気にすることもなく、ただそれだけ言った。

 早速起動させよう……というところで声をかけられた。

「待って」

「春鳴?どうしたんだ、用がないならとっととどっか行け」

 後ろを振り返ると病院に付き添っていたハズの春鳴の姿があった。良希は邪険に扱うが、それを臆にもせず蓮に詰め寄った。

「狛井、やるんでしょ?聞いてたの。なら、あたしにもやらせて」

「……駄目です。これからやるのは、危険なことですから」

 デザイアには敵も出てくる。彼女が戦えるハズがないと蓮は首を横に振ったが、「お願い!」と頼み込まれた。

「あいをあんな目にあわせたあいつだけは許せないの!だから」

「ダメだってんだろ!危険なんだよ!」

 良希が声を荒げる。そして、「分かったらとっとと行け!」と言った。蓮は良希があえて憎まれ役を買ってくれたのだと気付き、心の中で感謝する。

 だが、同時に立ち去った春鳴に申し訳ないとも思った。彼女にとって狛井は親友をあそこまで追い詰めた元凶で、ある意味復讐の対象だ、一緒にやりたかっただろう。

 ――彼女にもアルターがあったら……。

 もしかしたら連れて行けたかもしれないのに。人一人守りながら戦うのはきついということは身をもって知っている。

 ここにはいられないと三人は学校の外に出て、裏路地に入る。

「これでよかったのか?あの子、ついて行きたがっていたぞ」

 ヨッシーの言葉に良希は「あぁ。あいつまで巻き込む必要はねぇよ」と答えた。

「だが、いざという時に女は強いと思うぞ」

「まぁ、そうだな」

「なぜボクを見て言う?」

 なぜか自分の方を見ながら意味不明なことを言う二人に蓮は聞く。確かに女ではあるけれど。

「な、何でもねぇよ!ほら、早く行こうぜ!」

 その言葉に頷き、蓮はナビを起動する。景色が歪んでくるのが分かった。


 一方、まだ諦めきれない春鳴はバレないようについてきていた。

「行くってどこに……?」

 蓮がスマホをいじっているだけにしか見えない。だが、急に景色が歪み、学校は狛井の認識――城になっていた。

「なっ……!」

 大きな声が出そうになったが、慌てて口を押さえる。幸い、二人はまだ気付いていない。

 彼女達が城の中に入るのを確認して、春鳴は動き出す。しかし、入る前に鎧達に捕まった。

「ちょ、何!?」

「なぜ姫様がこんなところに?しかも、服がいつもと違う」

「とにかく狛井様にお連れしなければ!」

 何が何だか分からない春鳴は両腕を掴まれ暴れるが、鎧達はそんなことお構いなしに彼女を連れて行った。

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