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011



 夏の朝は一日を通して比較的過ごしやすい時間帯だ。

 日の高い日中はもちろん、夜は日中の暑さが霧散するまで少し時間がかかる。湿度が高い日は尚更だ。


 だから、俺は朝が好きだ。

 日が上がって間もない涼しげな時間、人通りの少ない道を選んで、俺は通学路に自転車を走らせるんだ。

 毎朝同じ時間に同じ道を通って俺は誰もいない教室にたどり着く。それが俺の日課で、一日で一番好きな時間だった。


 けれど、その日は少し違っていた。


 同じ時間に家を出て、同じ道を通る。その最中に気の赴くままに空を見上げて、その青さに取りつかれた。……それはきっと、俺が彼女と出会う運命を告げていた。


 いつもの教室の扉を開けて、息をのんだんだ。

 誰もいないと思っていた教室に、その日の青空のような瞳をした彼女が居たから。


「はじめまして、わたし、エマデス!」


 まだ拙い日本語で挨拶し、金色の髪をなびかせて微笑んだ彼女に俺は心を奪われていた。

 天使だ、比喩じゃなくそう思ったんだ。


 明らかに日本人ではない彼女の容姿を見て思い出した。

 昨日の朝会で校長が言っていた、明日から一か月交換留学生がうちの高校に来るんだと。

 つまらない長い話の合間に話すものだからすっかり忘れていた。そうか、うちのクラスだったのか。


「よろしく、エマ。俺はハルイチ。ハルでいいよ」


「よろしくデス、ハル!」


 彼女は喜びを全身で表す人間らしい。俺の挨拶に喜んで席から立ちあがると、高校生には不釣り合いな豊満な胸が文字通り躍った。薄手の夏服から水色の下着が顔を覗かせいて、それが殊更俺の欲情を煽った。


 だからつい、あんなことを言ってしまったんだ。


「なあエマ、知ってるか? 日本では誰かと友達になりたい時、その人とまずキスをしなくちゃいけないんだ」


 咄嗟に出た嘘。でもそれは不思議とスラスラと口に出て、罪悪感と興奮で胸を高鳴らせた。


 エマは目を見開いて驚きを露にした。


「そんなこと、きいたコトありません……」


「……そうなんだ。じゃあエマは今まで、友達になってくれた人はいなかったんだね」


「ち、ちがいマス! エミちゃんも、ユウコも、エマの友達デス!」


 でも、その可能性がまったく無いと言い切れない。

 まだ訪れて間もない異国の地、異なる文化、異なる言葉。

 本当に名前を呼んだ少女たちと心から許し合えているのだろうか。


 そんな弱味を、俺は卑怯にも利用するのだ。


「キスをするってのは、心を許してる証拠だ。エマだって、家族とキスするだろ? 日本では家族と同じくらい友達を大事に思うんだ。……だから、俺はエマと――キスがしたいな」


 エマの視線が揺らぐ。見知らぬ土地で揺らいだ精神、揺るがない信頼を求める俺の存在は、エマにとって特別になりえるはずだ。


「……えっと、ハイ。それでハルとトモダチになれるなら」


 エマは頬を赤く染めながら、おもむろに瞳を閉じた。


 こんな事していいのか、最悪退学になる可能性だってある、冷静になって考えればこの不安に従うべきなんだ。

 罪悪感が激しく胸を打つ。この痛みは、この先に進めば身を滅ぼすという危険信号。


 でも、そんな理性は彼女の桃色の唇を見て、霧散した。


 気が付いた時には、俺は彼女の唇を貪っていた。熱く硬く大きく、血の流れていく欲望の塊を、俺は止める術を知らなかった。


 ~神童春明 作 『彼女の瞳は青空だった』~  一章より一部抜粋


 □□


「これは中々。中学生らしい瑞々しい筆致や視点、何よりヒロインの少女を騙す罪悪感の在り方の変遷が細かく描かれていますね。7点」

「ヒロインに作者の性癖が詰め込まれ過ぎ。……でもまあ、つまらなくはないかな。純愛エンドだけじゃなくて服従エンドも読んでみたい。7点」

「……読んでよかった。5点」

「はわわわ、新堂さん。これ、後で売っていただけますか?」

「あ、それ良いわね友。私にも売ってちょうだい」

「俺の家にあと三冊あるからやるよ、今度持ってくる」


「やめろハル! 俺の黒歴史を流通させようとするなぁぁぁ!!」


 一字一句とは言わないまでも各々がある程度目を通した後、また思い思いに感想を言いあった。雪野だけは弱味を握るためだけに小説を求めているが。まあ、雪野らしいと言えばらしい。


 俺の詩よりも話が弾んだのは悔しいが、当の本人はオイルの差し忘れたロボットのように奇怪な動きで呻いている。それが見られただけで満足だ。


「キサマ、イツカ、コロス」


 口調までもロボットのようになっているのはどうしてだろうか。

 普段は見られない取り乱した秋人を見て、思わず笑みが溢れた。


 さて、これで帰宅部は二連敗。名目上の部長と副部長は立ち直れないレベルの致命傷を負ってしまったが、どちらも本命ではない。醜い足の引っ張り合いは終わりにして、部総戦に終止符を打とう。


「それでは帰宅部。三人目の作品を提出してください」


「タノムゾ、ハナミヤ」


「この戦いを終わらせてくれ、花宮」


「はい! お二人のおかげでハードルは下がりましたし、絶対に勝ちます!」


「…………」

「…………」


 なんだろう、今すっごく鋭利な刃物で心を一突きされた気がする。


「ただ一つ、審査に入る前に文芸部の皆さんに伝えておきたいです。この小説は私の愛から生まれたもので子供のようなものです。……皆さんには理解できないかもしれませんが」


「何が言いたいのか分かりかねます。ハッキリと言っていただけますか?」


「……この子を、正面から受け止めてあげてください。今一度偏見や先入観を取り払って、見てあげてください」


 花宮はそれだけ伝えると席に腰を下ろした。普段の花宮からは感じられない強い意志のようなものが、今の彼女からは感じられていた。


 実を言うと、俺もまだ読んだことがないのだ。

 秋人が勝算を見出だしたほどの作品、花宮が子供と同義だというほどの作品。俺たち帰宅部を勝利に導く、その作品を。


「それでは、拝見致します」


 少しの不安と大きな期待を抱いて、俺は原稿用紙の束をめくるのだった。



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