桜城にて
2016/08/30
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もげ太とエルニドは、案内を受けキヨウの町中央を縦に走る大通りを奥へと進み、正門を越え、外堀に掛かる橋へとやってきていた。
目に映るのは、大きな楓柳の本丸だ。
「うわぁ、本物のお城みたい!」
「先は通り抜けただけだから気にも掛けなかったが……こうしてまじまじと見ると相当なものだな」
橋の中央から城を見上げる。
元々は平安の都をイメージして作られ、当初はこのような城らしい構えをしていなかったとの話。
ところどころに名残を留めているとはいえ、わざわざ建て替えるほどの理由でもあったのか。
「ふふ、もげ太くんは初めてだったわね。ようこそ桜花城へ――」
評価に気を良くしたのか、にこやかに告げる白花ことスズラン。
名前の由来は、外堀と内堀の間や通りに植えられた木か――おそらくは桜の木なのだろう。
季節がズレているせいか、今は青々と茂っている。
「あ。そうかお前も居たんだったな」
「ちょっと! 案内してあげたのに、何よその言い方!」
失礼な発言に露骨に不機嫌を示すスズラン。
「すまん。別にそういう意味じゃないんだ」
「じゃあどういう意味よ?」
嘆息するエルニドも顔色が優れないままだ。
その理由は、彼ら一向の現在位置ともげ太の所属ギルドにあった。
「?」
エルニドの視線を受け、城を見上げていた少年の目がそちらを向く。
何の因果か、もげ太は今や楓柳と対立真っ只中である“神無風”の一員なのだ。
白花が気付いているにせよないにせよ、わざわざ敵陣の直中に踏み入れさせる理由もない。
「えーと、なんだ。その……白花。できれば俺たちはこの辺りで別行動をさせてもらいたいのだが……」
「それはダメよ」
エルニドの要求はあっさりと却下された。
「何故だ?」
彼女が何か企んでいるのではないかとエルニドが視線を厳しくすると、
「何故って……別に深い理由はないわよ。あなた、一応はキリュウ様の客人なんでしょう?」
「む」
正確に言うと、その客人の連れなのだが。
それは、彼女とて分かっていることだろう。
「だから、そう構えなくてもいいわ。わたしもキリュウ様から“光天様および御友人の招待”――そう伺っているのよ。でも、その御友人もてっきり【森羅万象】の方だと思ってたから驚きはしたけど……」
「それは…………まぁ、そうだろうな」
エルニドにとっても、彼女の気持ちは分からないでもない。
もし、立場が逆ならどうだろうか?
仮に自分が所属するギルドに置き換えて考えてみよう。
まず、面識のある十二天を招待する。
その十二天が友人を連れてくる。
実は、友人も十二天で合計三天になった。
しかも、それぞれ全く接点もなさそうな上に決して仲が良さそうにも見えない。
――うむ。ほぼ確実にマスターが胃痛で倒れるな。
そもそも仲の良い十二天など光天と氷天、あるいは戦天と月天もそうなのか。
その程度で、他は特に交流などなさそうだが。
その点、やはり四大ギルドである楓柳は懐が広いというか何というか。
これも戦天の器量が成せる業なのだろう。
エルニドは、そう自身の中で結論を付け、再びスズランの言葉に耳を傾ける。
「その彼――もげ太くんも、経緯を辿ればキリュウ様に招待された客人のひとりなんでしょう?」
白花がもげ太を指し示し、エルニドはそれに頷く。
むしろ光天の友人の招待ということならば、真っ先に該当するのがもげ太だろう。
「俺たちはオマケで、本来はもげ太が光天の友人だ」
「分かってるわ。それをわたしはもちろんとして、楓柳の誰であろうと独断でどうこうできると思うのかしら?」
「そりゃ……思わないな。ならばいいのだが」
彼女の言葉に、エルニドは胸を撫で下ろした。
とはいえ、結局は戦天の些事加減次第か。
結託が露見して反感を買えば対峙は免れない。
しかし、直接“少女”と相対した心象では、聞いていた話よりも随分と穏やかな性格にも思える。
「だからそんな怖い顔しないでよ。あなたがそんなだと、パートナーさんにも伝染するわよ?」
「パートナー?」
言われ、頭二つ分は低い連れの顔を見ると、雨に打たれた子犬のような少年がじーっとエルニドを見つめていた。
大太刀使いは、慌てて取り繕う。
「い、いや、なんでもないぞ? お前が心配することなんて何もないんだ」
「…………って、余計不安を煽るような台詞を吐いてどうするのよ。このうすらばか」
「うす――!?」
はぁ、と深い嘆息とともにスズランは少年の方を一瞥するが、
「あ、そうなんだ。うん、分かった!」
あっさりと納得する少年。
その返答に、白花はずるっと一瞬滑るようなリアクションを見せる。
人の言――特に友人を疑わないのが、もげ太の良いところであり可愛いところでもあるのだ。
それゆえに、少々トラブルにも巻き込まれやすいのかもしれない。
「…………」
そんな三人のやり取りが聞こえた――というわけではないのだろう。
「じー……」
とも否定のし切れない怪しい少女が、門の中からちらりと擬音付きで顔を覗かせている。
「――ややっ! これはっ!」
やがて闖入のタイミング――会話の切れ目を見つけたのか、わざとらしい声を上げて影から飛び出す。
薄ピンクのリボンに、白を基調としたゆったりローブと羽付きの両手杖――光天ことリリルだ。
彼女は、いかつい男の隣にちょこんと立っているチワワのような少年の姿を見つけると、
「もーげー太ーさあぁぁぁぁんっ――――でゅわっ!(←最後だけ微低音)」
両手を広げて駆け寄り、そのまま飛び付いた。
そのままぎゅうっと抱きしめ、少年のふわふわな髪に頬ずりをする。
「心配しましたよー! 大丈夫でしたかっ?」
「だ、だだっ、だいじょう……ぶですっ!」
両肩を掴んで引き離し、ガクガクと身体を揺さぶるともげ太の返事に妙なエフェクトが掛かった。
少女の行動は、些かわざとらしいようにも見えるが……彼女なりに心配していたという気持ちに嘘はないのだろう。
「むしろ、今の方が危機に陥ってないかしら?」
「うむ……まぁ、加減くらいしてくれるだろう」
それも、こうして四大ギルドのひとつである“森羅万象”のマスター(?)である光天が、毎日初心者と行動を共にしているのだ。
彼女の中では、ギルドより少年の方に天秤が傾いてるのか。
いくらギルドメンバーが優秀にせよサブの氷天がいるにせよ、マスターとして見れば決して褒められた行動とは言えないが。
「あわわ、もげ太さん。ちょっと痩せたんじゃないですか?」
「そ、そうですか? あんまり変わってないと思うんですけど……」
鞄から携帯食――と言っても見た目的にはかなり豪勢な食事だが――を取り出そうとする光天をそっと遮る焔天。
「別行動してから数時間しか経ってないだろう」
「わたしの愛は無限大なのですー♪」
「はぁ……どこまでが本気なのやら」
そんな三人のやり取りを見ていた白花がかろうじて聞き取れる程度の小声で呟く。
「聞いてはいたけど……本当に光天とまで接点があるのね」
彼女の顔に浮かんでいる心境は、関心を通り越してもはや呆れだろうか。
「接点――なんて生優しいものか怪しいがな。ま、ある意味じゃ、こいつは本当に十二天殺しだよ」
エルニドが苦笑を浮かべながら少年を差し示す。
話に聞いているだけだが、氷天も含めれば既に四天殺しの達成だ。
自分たち十二天であっても得ようと思って得られる称号ではない。
「そうね。……これは、キリュウ様にも気を付けていただいた方が良いのかしら?」
そう、ぼそりと付け加えながら、スズランは城内へと歩いていった。
「はい?」
抱きかかえられるまま首を傾げるもげ太。
そんな少年を横目にリリルは、しばし考えた。
「えーと、もげ太さんなら?」
「……いや、まさか」
エルニドは首を振って想像を否定する。
しかし、言い聞かせないと否定し切れないのは、やはり長年の付き合いが何かを感じさせているのだろうか。
もげ太ならやり兼ねない――と。
◇
再びキヨウの都――西。
もうもうと立ち込める黒煙が風でゆっくりと流れていく。
戦場となった周囲一帯は、瓦礫の山と化していた。
残されたのは、かつて建物であったものの残骸。
それ以外は、木っ端微塵に吹き飛んでいた。
神無風のメンバーはもちろん、雪組のメンバーとて立っていられる者など存在しなかった。
――いや。
倒壊した家屋の下、折れた柱と崩れた屋根から這い出、よろめきながらも立ち上がろうとする者がいた。
ところどころ炭化してボロボロになった外套をゆっくりと剥がし、震える膝に鞭を打ち、二本の足をゆっくりと地に着ける。
「ぐっ……」
呻き声を上げるのは、深雪――ベリガだ。
残りHPは一割未満のレッドゾーン域。
かろうじて生きている状態で、システムからはニアデス判定を受けていた。
崩れ落ちそうになる上半身を腕と膝で支えている。
「ほ、崩月めが……よくもわたしを……こんな目に……」
怒りで震える声。
しかり、それをぶつける対象を視覚内に捉えられず、固く握り締めた拳をひび割れた外壁へ叩き着けた。
かろうじて壁の形を残していたオブジェクトが粉砕する。
「ちっ……この手で処断を行うことができなかったのは遺憾だが……止むを得まい」
もし、これが相手の狙い通りである道連れになっていたら許容もできないが、こうして瀕死とはいえ生き残った以上は敵の無駄死にだ。
そう考えようとして否定をする。
――そうでもないな。
「……失った部下の数は大違い、か。今頃は草葉の影で大笑いしているな」
両者の被害でいえば、神無風が30強に対し雪組が推定で130ほど。
このような戦果を持ち帰ったところで、白花には侮蔑され――いや、キリュウ様にお合わせする顔がない。
身を焦がす怒りに任せ、ベリガが倒れていた木柱を蹴り上げた。
耐久を失った柱が折れ、一時的に残存する破片が放物線を描いて空を飛んでいく。
それを片手で受け止める人物がいた。
「オイ。そんなになっても一応はウチのアジトなんだ。もちっと大事に扱ってくれねぇか?」
「……は?」
何とも微妙な面持ちで掛けられた声に、ベリガが我が耳を疑った。
首だけの動作で、自身からやや上方を仰ぎ見る。
崩れた瓦屋根の上に腰掛けながら頬を掻いている男がいた。
「まぁ、俺様も生き残っちまったってわけだ」
敵の棟梁――ゲンマだ。
理由は不明だが、生き残ったことを申し訳なさそうに呟く。
やはりボロボロにはなっているが、煤だらけの法被に鉢巻姿を見紛うはずもない。
「は……ははは……! 生きていたのか…………崩月ぅっ!!」
対して、ベリガは忌むべき敵の生存を確認し、歓喜に身を震わせた。
両手を横に大きく広げ、天を仰ぐように高らかな笑い声を上げる。
これで……これで汚辱を濯ぐことができる――と!
――と、そんな場面に。
「うるせぇ」
目にも留まらぬ速さで接近した何かが無感情に攻撃を放った。
かろうじて捉えたのは踵――回し蹴りだ。
「うぼあっ――!?」
予期せぬ方向からの攻撃を受け、為す術なく吹き飛ぶベリガ。
そのまま、大きな物音を立てて崩れた家屋へと頭から突っ込んだ。
外套の防御機能が辛うじて生きていたようで、HPバーはぎりぎりのドット単位で残っていた。
「な…………何が……起き――っ!? な、何者だ貴様は――!」
ますますフラフラになった身体で瓦礫の中から這い上がる。
そこで、ゲンマではない別の人物が現れたことに気が付いた。
蹴りを顔面に受けたことで一時的に視界を奪われたのか、声を荒げその正体を問う。
「何者って……言われてもな」
問われた者は、つまらなそうに答えた。
「影天だよ」
律儀に答える必要もないのだが、追求を受けるくらいならさっさと名乗った方が手っ取り早い。
そういう考えから、彼は尋ねられれば即座に答えるようにしている。
その結果、たったひと言で場の空気はカチカチに凍りついた。
「え……影天だと……?」
やがて、ベリガがわなわなと震える唇で問う。
徐々に視力も回復してきたのだろう、頭上に浮かぶ“ネームレス”と文字を幻でも見たかのように凝視した。
「まぁ……当然そうなるわなぁ」
ゲンマは、頬を指で掻いた。
先んじて影天と接触していたせいか大きなリアクションこそ見せなかったが、突然の乱入者への対応に困っているのは彼とて同じだった。
「そういうわけで、引っ込んでろ三下」
影天の表情は変わらない。
ベリガに向ける目は、まるで無機物でも見るかのような視線だ。
「さ、三下だと……わたしが……? 深雪の二つ名で呼ばれるこのわたしが……三下だと……?」
ベリガは唖然とした。
それもそのはず、そんな暴言などこれまで一度も吐かれたことはない。
「じゃあ二つ名だけにニ下にしといてやる。俺はコイツに聞きたいことがあるんだ。少し黙ってろ」
それで“もう用件は終わった”とでもいうように、影天は深雪に背中を向けた。
その無警戒さは、深雪を全く歯牙にかけていない事実を示している。
「その……コイツてのぁ、やっぱぁ俺様のことか?」
影天のいうコイツと思しき人物――ゲンマが、何とも困ったように声を絞った。
「じゃなかったら、わざわざ爆発から助ける義理もねぇだろうが? つか、何だったんだありゃ」
ゲンマが、突如現れた不機嫌そうな最凶の赤ネームを前に尻込みをする。
【千人斬】といえば、もはや都市伝説を通り越し、怪奇、怪談レベルのPKerだ。
“闇天”に並び、UWOで最も遭遇しなくないプレイヤーランキングのトップタイである。
「お……おう、いい花火だったろ? つか、誰も助けてくれなんで頼んじゃ――」
「あぁ? なんか言ったか?」
「いや、助かったぜ。ユーアーソークール!」
びっ、と親指を上に立てる。
ゲンマとて凄まじい数の修羅場を潜り抜け二つ名を授かり、若かりし時などはヤンチャまで通り越した身の上ではあるのだが。
――こいつ、目がマジだぜぇ?
思ったのは、単純にそれだけだった。
逆らってもロクなことにならない、という直感がもたらす経験論。
しかも、物理的な恐怖でいえば――ベリガだ。
ギルドが散々苦労した敵を、奥の手を使っても殺しきれなかった相手を、瀕死状態とはいえ文字通り一蹴した。
そんなゲンマの内心など余所に、ざりっと木片を踏みながら側へとやって来る死神。
生唾で喉を鳴らして迎えると、死神は単刀直入に問い掛けてきた。
「お前が、“神無風”とかいうギルドのマスターで間違いはねぇか?」
「お……おう? おぉ、俺様が神無風のマスター、ゲンマ様だ」
「………………」
ゲンマが居丈高に腕を組んで答えると、影天は無言で睨み付けた。
無機物どころか、虫を眺めるような眼つきだ。
「――ち、ちきしょう! そんなちょろっと睨んだくらいで、このゲンマ様が簡単に引くとでも思ってんのか、あぁ!?」
「………………」
ゲンマは、気合を振り絞って声を張り上げた。
しかし、影天は答えない。
「っ……あぁ、くそっ! 分かったよ、分かりゃあいいんだろ! ゲンマだよ、俺がただのゲンマだ!! これでいいかぁ!?」
「………………」
この沈黙が痛い、そして苦しい。
おそらく、多少ヒャッハーな人種が居たとしても、殺人鬼を目前にしたらこういった心境にでもなるのではないか?
ゲンマは更なる開き直りを見せる。
「だあぁ、それすらも許さねぇっていうのか、テメェは――!? じゃあ、俺はなんだ――!? 犬か豚か――!? それで満足なのか、オウこら――!?」
「………………」
しかし、影天の表情は全く変わらない。
ややって動いたのは、瞳の位置だ。
ようやく焦点が定まったかのように、死神がゲンマに告げる。
「………………ん? あぁ、悪ぃ。途中から聞いてなかった」
しれっした様子からは、欠片ほどの悪びれも感じられない。
「おっ――俺はぁぁ、お前がぁ、泣いても許さないぃぃぃーーっ!!」
涙ながらのゲンマの慟哭が辺りに木霊した。
双方の死角で深雪が影天に向かってさりげなく親指を立てていたことには、誰も気が付いていない。
◇
エルニドは、もげ太の手を引きながら光天の後を付いて行った。
玄関で靴を脱いで桜城の廊下を奥へ奥へと進み、辿り着いた和室――からの襖の先。
茶の間で腰を降ろすのかとでも思いきや、
「影天さーん、もげ太さん来ましたよー。ちゃんと大人しくしてましたかー?」
リリルは、訪れた茶室の押入れを無遠慮にがらりと開け放った。
「あれれ?」
しかし、中はもぬけの空だった。
中には鋭利に切断されたロープの切れ端がいくつも散らばっている。
「あは、りるさん。ななさんがそんなところにいるわけじゃないじゃないですか」
「ですよねー。いやいや、わたしとしたことがついうっかりですー♪」
彼女の冗談と笑うもげ太だが、エルニドは少女が後ろ手に隠したロープを見逃さなかった。
「こ、光天……?」
「いやはや。お姉さん作戦失敗なのです。てへぺろ」
言って、小さな舌を出すリリル。
冗談のつもりはないのだろう。
エルニドは、『そっちのうっかりか!』なんて突っ込みたくなる衝動を必死に堪えた。
「あ。お茶を入れてくるので、ちょっと待っててくださいねー?」
普段はやらないだろう作法を率先するのは、この場を離れたいがためか否か。
まぁ、そんな細かいことを気に掛けるような人間でもなかろう――というのはある男の内心だ。
「あ、僕がやりますよー」
案の定、少年がとてとてと少女の後を追っていった。
だが、もげ太とて家事ができるなどという話も聞いたことはない。
二人寄れば文殊の知恵に一歩でも近付けるのだろうか。
猫――いや、虎に子犬が加わったところで満足にお茶が入れられるとも思わないが。
……さて、どうしたものか。
ひとり残されたエルニドは、状況を考察をした。
彼女の発言から、どうやらネームレスはここに捕まっていたらしい。
それが彼女の言う作戦とどう関係あるのか。
……そういえば、先ほどネームレスに遭遇した時も縛られていたような形跡があったな。
その後にまた捕まったとなると、光天も相当の手管だ。
それゆえに逃げられるような甘い措置は取らないだろう。
となると、
……スキルやアビリティか?
それがどういった能力なのかは不明だが、影の名を冠する男だ。
自身が焔天――火や炎を扱うように、彼もまた影を使用するのだろうか。
対人戦で不利になる情報は、極力本人が隠蔽するため大した情報はない。
「粗茶です」
「粗茶だよー」
戻ってきた二人が、目の前に湯呑を二つ並べた。
最低限の作法はあるようだが、他人の家で勝手にお茶を使って粗茶というのは如何なものか。
もげ太は、ただ彼女を真似ているだけだろうが。
――と、その前にだ。
「ありがとう。……しかし、何故俺の前に二つとも並べた?」
「エルニドに煎れたかったからだよ?」
「焔天さんに煎れたかったからですー♪」
真似という行為が逆になっただけで、やや不愉快になるのは己がまだ未熟なせいだろうか。
だが、もげ太が可愛いから忘れよう。
「大丈夫です、毒なんて入っていませんよー?」
「余計不安になるわ!」
この女ならば、目撃者の抹殺くらい本気でやり兼ねない。
「ここでマジカルの耳より情報! 育毛成分ばっちり。カプサイシンにノコギリヤシに亜鉛にビタミンC入りですー」
「それのどこがお茶なのか疑問だが、いただくぞ。――まぁ、俺には特に縁のない成分だがな」
エルニドは、手前にあった湯飲み――もげ太のものだ――を手に取り、温度を確かめながら口へと運ぶ。
「その前にまずはこちらからだな。どれ、んっ………………っぶふぅあーーーーーっ!!!!」
それを含んだ瞬間、天井へ向けて緑の飛沫が上がった。
噴水というよりもその色合いは完全に毒霧だ。
「ななななななな、なんだこれはっ…………!?」
何が起きたか分からずに動転する。
湯呑に残ったそれをひっくり返すと、かつて流行った妙に粘度の高い液体がデロリと下に零れ落ちた。
べちょり、という音を立てて畳に落下する抹茶(?)。
どう淹れたらこうなるのか、指でつつくとにゅぷっと指が沈みこむ。
「す、すらいみー……?」
他に形容しがたい物体だった。
抹茶という以前にもはや飲み物ですらない。
「ダメですよー、焔天さん。床を汚しちゃ。めっ!」
それを光天が丁寧に拭いていく。
どうも、家事スキルが全くのゼロというわけではないらしい。
これならば現実世界でも染みが残らないだろう。
文句の言い難い見事な手際だ。
「では。こちらをどうぞ。【緑成す漢の黒髪抹茶】ですー」
「……む? あぁ、すまん」
光天が差し出した湯飲みを受け取る。
……なるほど。
ここで、ようやく湯飲みが二つ用意されていた理由を悟った。
先ほどとは異なる、さらりとした液体をぐいっと喉へと運んでいく。
――いや、無理だ。
「っぶふぅあーーーーーーーっ!!!!」
二回目の飛沫が上がった。
飛距離は抜群だ!
「なななななななななぁーーーー!?」
口をぱくぱくさせていると、ケラケラと笑い出す少女。
そして、不思議そうな顔をする少年にイェーイとハイタッチを交わす。
――お前のは、わざとか!!
「も・げ・太・に! 妙な真似を吹き込ませようとするなあぁぁーーっ!!!!」
「きゃーっ。もげ太さんのは天然ですよーぅ」
棒読みで逃げる少女を追いかける巨漢。
おそらくは意図的に影天をハメた――というより試したのであろう光天の所業は、ここでは結局うやむやにされてしまった。




