告白
日もとっぷりくれて、月が顔を出す。
暗がりの玄関先で、瀬尾と藤田は顔を合わせた。お互いにしっかり顔を見るのは久々の気がして、自然と笑みがこぼれる。
おかえり、とまったく同じタイミングで発した言葉に、二人は声をあげて笑った。
家に上がると一緒に食事の用意をしながら他愛のない会話して、食事中も和やかに時が過ぎていく。そう言うなんでもない時間が、ひどく愛しいのは瀬尾も藤田も同じなようだ。
この上なく幸せな空気に包まれて、時間は流れていく。
瀬尾が入浴を済ませてリビングに行くと、藤田は一人でビールを飲んでいた。テレビを見るでもなく、なにごとか思案しているようだ。
瀬尾も冷蔵庫からビールを取って隣に腰かける。藤田は突然沈み混むソファに一瞬驚いたが、恋人の姿を認めるとふわりと微笑んだ。
思えばこうして笑みをかわすのも、本当に久し振りな気がする。
もう一本とってくると言った藤田の顔は、風呂のせいか酒のせいかほんのりと色づいていた。色が白いからわずかでも目につきやすいのかもしれない。ぼんやりと考えながら呑んでいると、戻ってきた藤田が不意に真剣な声で名前を呼んだ。
わずかに驚いて振り向くと、柔らかにほほを緩めてどうしたと返してやる。
「話があるんだ。大事な話」
真剣な眼差しに思わず瀬尾はいずまいを正す。
こんなことははじめてだ。
瀬尾も藤田に話したいことがあった。すれ違っているこの生活について、これからも二人でいるための話を。明日たっぷりと時間があると思っていたから、今夜は久しぶりにゆっくりとすごそうと思っていた。
それがどんな話なのか微かな不安が過る。
目を泳がせる少し強面の男に、藤田は思わず笑い声を漏らした。
なんだよと意味がわからず困惑する瀬尾はもっとおかしくて、藤田はついにツボにはまったらしい。
「ああ、ごめんごめん。君が不安そうな顔をするから、つい。別に別れ話とかじゃないから」
「別に…そこまで心配してないから」
ばつが悪そうに顔をそらす仕草が可愛らしくて、愛しくて藤田は優しく微笑む。
やはりこの人ともっと一緒にいたいと、心からそう思う。
ビールを取りに行ったついでに持ってきた枝豆を瀬尾に勧めると、藤田は世間話でもするようにとんでもないことを言った。
「会社をね、辞めようと思うんだ」
押し出した枝豆が、瀬尾の口に入ることなく床へ落ちていく。
うまく言葉が出てこない。そもそも藤田の言っていることが頭に入ってこない。なぜ枝豆が床に落ちているかすら、瀬尾にはわからなかった。
辞めてどうするのだろう、今のままでも工夫次第で二人の時間が作れるのでは無いか、浮かんでくる疑問を紡ぐことができず、あんぐりと口を開けるしかできない。
動揺する瀬尾とは対照的に、藤田は落ち着いて枝豆を拾う。緑色の小さな粒がティッシュペーパーにくるまれてゴミ箱に放られた所で、瀬尾ははっと我にかえった。
「三秒ルールでまだ食べられるだろ」
「三秒過ぎてるしコメントするとこそこなの?」
またおかしそうに笑う藤田に、何か嫌なことがあったわけではないのだと安堵する。しかし逆に、それならばなぜ急に仕事を辞めようとなど思うのか。
頭の処理能力が追い付かずに黙りこくる瀬尾に、藤田は静かに話はじめた。
「君の話を聞いているとさ、すごく楽しそうだなって思うんだ。仕事だから大変なこともたくさんあるんだろうけどね。僕のしている味気ない仕事とはぜんぜん違って、輝いてるみたいにさ」
アルミ缶の縁を撫でながら思いを馳せるように語る恋人を、瀬尾はただ見つめていた。彼のような賢い人間にはつまらないだろうと思っていた話を、そんな風に聞いていてくれたことが嬉しい。
瀬尾自身、今の仕事にやりがいや誇りを感じていた。些細なことでも、誰かの支えになれる…そんな仕事だ。悔しいことや辛いことも含めてすべてが宝物のような時間だと思っている。
ひそかに心を感動で震わせていた瀬尾は、次いで藤田が口にした言葉にまた愕然とした。
「だから、してみたくなったんだ。便利屋」
なにを、とは今の流れからして問わずとも知れたことだ。
半ば箱入りのように優秀な人間になるべく育った彼が、そんな仕事について良いのか。そもそも彼の両親が納得するのだろうか。藤田はなんと説明するつもりなのか。込み上げる疑問のオンパレードに瀬尾の頭はパンク寸前だ。
―藤田の親にこの関係が知れたら、どうなるのだろう。
今まであまり考えたことのなかったことに考えが及ぶと、すっと体の芯から冷えていく気がした。
自分は親とは疎遠だし話したところで勝手にしろと言われるに違いない。だが藤田の家はそうはいかないはずである。息子の結婚、孫の顔を見ることを期待しているずだ。その、親として当然の楽しみを自分は奪っている。そう感じた瞬間瀬尾は言い知れぬ罪悪感に襲われた。
それでも、藤田と離れると言う選択肢は考えられない。
瀬尾は、藤田の話を聞くのが怖くなってしまった。