もどかしさ
けたたましく鳴る目覚ましを手探りしていると不意に音が止まる。
突然のことに、瀬尾は一瞬何が起こったのか分からなかった。うつ伏せで枕に顔を埋めたまま、冴えない寝起きの頭で考える。ぼんやりとしていると、頭上から柔らかな声が降ってきた。
「おはよう。ほら、起きて」
はっとして勢いよく顔をあげると、すでにスーツを着こんだ藤田が枕元に屈みこんでいた。柔和な笑顔を見るのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。
寝起きでうまく頭の回らない瀬尾は、おはようと言うのが精一杯でポカンとした顔で恋人を見上げた。その様子を面白そうに眺めていた藤田は、ちょうど出掛けに目覚ましがなったことを説明してやる。もう行かなければならないとも告げられると、瀬尾の頭は寝起きの気だるさから一気に覚醒した。
「気をつけてな。頑張りすぎんなよ」
申し訳なさそうに眉を寄せる恋人を元気付けるように、とびきり明るい笑顔をむける。ごめんとこぼしてなおも曇った表情の藤田を、ベッドから離れて抱き寄せた。
久々に触れあう二人は、きつく抱き合って互いの感触を確める。体温の心地よさにそっと目を閉じて幸福な瞬間に身を委ねた。出来ることならずっとこうしていたいが、仕事を放り出してしまえるほど二人は子供ではない。
触れるだけのキスを交わし物足りなさを覚えながら、名残惜しそうに二人の体は離れていく。視線だけは、いつまでも外せないままだ。
少し乱れてしまったネクタイを直してやると、ようやく藤田は家を出ていった。結構な 時間引き止めてしまったかと思い、瀬尾はばつの悪のそうな顔で頭を乱暴にかき乱す。毎日のことならさっとすむのに、貴重な時間だからつい手放せなくなるのだ。触れあう時間が多ければ、もっと我慢もきくはずである。
こぼれ落ちたため息とともに、先程の余韻に浸る間もなく出勤準備に取りかかる。瀬尾もまた、時間に余裕がなくなっていた。
思う存分恋人との時間を満喫できない不満が胸を満たして、正直仕事に行く気などしない。しかしそんなわがままを言えるはずもなく、気持ちはどんどんと落ち込んでいく。このままではいけないと、微かに残っている藤田の感触を思いだして自身を奮い立たせたる。
そうしてなんとか自宅を出る頃には間に合うか否か微妙なところで、瀬尾は全速力で自転車をこいで職場へ向かった。