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藍猫古書堂  作者: 神寺 柚子陽
帝都・東京
25/26

薬師院楓李

お久しぶりです。

話の進め方と展開の広げ方にちょいと手間取ってました。

ごめんなさい。

それでは、どうぞ。


サンタクロースのように立派な白ヒゲを蓄えた翁、有斎の経営する骨董品店〈考雲堂〉の入り口で、鈴子は外を見上げていた。


今朝の気持ちのいい五月晴れが嘘のよう。

帝都・東京の昼の空は曇り果て、ぽつぽつと雨が降り出した。夕立だ。

店の前を慌ただしく行きかう人々。悪態をつく浪人風の人達。少し先の店先まで靴を濡らしながら走る学生たち。冷静に西洋傘ことコウモリ傘を開いて帰宅する人などが見える。ちょっと小金のある上流階級の人たちは、かごや馬車を呼んで、家まで遅らせるか、街中を通っている路線バスの駅のホームに飛び込む。それらの様子がここ、〈考雲堂〉からは、よく伺うことが出来た。


「おや? 降って参りましたか」


有斎が杖をこつ、こつ……とついて、鈴子の隣に並ぶ。


「ええ。たくさん降りそうですね。あれだけ晴れていたのに……なんだか残念。」


次第に雨はその勢いを増し、すぐにざーざー振りの大雨となった。

周囲に闇が差して、視界が悪くなる。


「仕方が有りませんな。昨夜は巨椋池の“竜神”が空を遊びまわったそうですからの」


 そういって有斎は陽気に笑う。

 鈴子は視線を灰色の空から下に移して、和服が似合う初老の翁の食えない顔を見上げる。


「竜神、ですか?」

「ええ。巨椋池の竜神は、水の性質を持つ遊び好きな龍でございまして。あやつが遊んだ地には、あとで決まって水の神威が満ち、雨を降らすのでございます」


 聞きなれない言葉に、鈴子は少々首を傾げた。


「あの、性質はなんとなくわかりますけど、神威ってなんですか?」


 有斎翁は一瞬、「しまった!」という感じで目を大きくしたが、もう遅い。出してしまった言葉は元の盆には返らない。落ち着いて、さわりだけ説明することにする。


「この世界は、神と人と妖怪と()()と呼ばれる種が手を取り合い、生きております。それらの種族の力にも、様々な名称がございましてな?」


 要約すると、神は“神通力”と言われる、人々の信仰によって得られる不思議な力を持ち、その神通力を行使した結果、または神通力の及ぼす威力を“神の威”、つまり“神威”と呼ぶらしい。


 同じく、妖怪は生きた年月と込められた願い、歳月の過ごし方によって、“妖力”と呼ばれる力を得るらしい。そしてその妖力が及ぼす威力を“妖威”、または“怪異”という。


 人間は、生まれながらにして、皆、ある程度“霊力”という不思議な力を持って産まれてくるらしい。これは、神仏修行や努力次第で、ある程度は増減可能なのだとか。

この霊力の差によって、人は自分たちの世界に属する種族以外の“人外(修羅神仏、妖怪、霊)などを認知することが出来るかどうかが違ってくるらしい。

霊力が多く、人ならざるヒトを視ることが出来る者を“(けん)()”という。この見鬼というもの、実は才能なのだそうだ。だから、どんなに見鬼の才能がなくても、武道の修行を熱心に励んだり、お寺などで熱心に10年ほど修行すれば、声が聞こえたり、薄ら見えるようになることがあるらしい。

この霊力が優れている者が、『陰陽師(おんみょうじ)』、『祓い屋』、『祓魔官(エクソシスト)』、『占い師』、『魔女』になるのだとか。


()()とは、人外と契約したヒトならざるヒトたちのことである。契約した人外が求める対価を支払う代わりに、それ相応の力を得る。愛と絆の力なのだとか。恥ずかしいことを言っていた。対価の形も契約の形も、人と妖の数だけ千差万別。ちょっとしたペットの遊びの戯れから、寿命や命の減少、最悪存在ごとの消失も対価の中に含む人外も居るそうだ。なかなか大変そうであるが、因果応報説に従って、一見、よく出来ているように思う。

妖怪の半妖や、半人半神もこの区分に含むらしい。


さて、最後に“魂依り”というモノが居る。

この世界を原初に創ったのは、異世界から堕ちてきた一人の“魂依り”だったそうな。

魂依りとは、モノに命を吹き込む者のことを云う。職人や芸術家たちに多い能力者である。


「へぇ~。陰陽師と魔女って、実は同じだったんだ……」

「これこれ。正確には違います。細かいところが――」


 有斎がもっと多くの言葉を募ろうとしたとき、そこへ雨に混じって、ふんわり柔らかな女性の声が届いた。


「あらあら、有斎さん。この品の宜しい元気そうなお嬢さんはどなた?」

「これは、これは。よくいらしてくれました。(ふう)()どの」


 有斎は杖をつき、急な珍客に目礼を捧げる。

少しばかり嬉しそうに口角を上げてその女性を出迎えた。


 鈴子は“品の宜しい”なんて、生まれて初めて称された言葉に驚いた。

果敢に云わせれば、鈴子の着ているセーラー服は、ここの人達にとって“はしたない”部類の格好に入るらしい。

なのにこの女性には“品のよろしい元気なお嬢さん”なんて言われた。品の宜しい元気なお嬢さん―――いったい、この人はどこのお嬢様なのだろうか? 品の宜しいもそうだが、お嬢さんなんて言葉、鈴子は産まれて一度もこのような上品な形でかけられたことはない。

だからなおのこと、驚いた。

いったい、どっちが正しくて、どっちがここの常識なのだろう?

果敢とこの女性の、この違いはなんなのだろうか?


鈴子は自分より少し背の高い女性の姿を困惑した気持ちで見上げる。

顔は傘に隠れて見えない。


 淡いピンク色の着物を着た女性は、優しく孤を描いた口元に、ほっそりした女らしい手を上品にあてて、すっくと背筋を伸ばして立っている。

複雑に編み込まれ一旦首元で緩く結び、流れた先を前に垂らされた髪はくすんだ栗色。

もし、触ったら、茶色いうさぎの毛みたいに柔らかそうだ。

衣紋を抜いた健康的に白いうなじが、薄暗い外の曇り空と対比して、とても鮮やかに映えていた。


「すごい雨ねえ~。桜花ちゃんからの連絡で、雨が降るって聞いていたけれど、こんなに凄いとは思わなかった。あの子、ちょっと夜更かしをしていたらしいから、あとでお仕置きね。うふふ~」


弾んでしっとりした声。ふわふわ浮く浮雲みたい。

彼女は紫色の地に黒の縁取りが素敵な蛇の目傘を閉じて、考雲堂の入り口付近にある傘立てに差し入れる。

その一挙一動。

楚々として洗練されていて、些細な仕草だけでも鈴子の目を引くものがある。

少女は彼女の姿から“大和撫子”という言葉を連想した。


「桜花どのに説教ですか。()の子にそのような扱いが御出来になるのは、貴方方ご夫婦と紫楽様くらいでしょうのう」


有斎は相好を崩して好々爺の顔になる。優しそうな目尻の皺が増えた。


「紹介しましょう。楓李どの、こちら、八日町鈴子嬢。おそらくですが、異界からの客人です」


 慌てて頭を下げて、自己紹介すると、

「うふふ~。可愛い子ねえ~」

と抱きしめられた。推定Eカップはあるだろうか。メロンの如き大きな胸に顔が埋まり、柔らかいけど少し苦しい。ふわりと良い香りが漂う。お母さんを思い出した。同時に自分のBからCカップほどの胸を思い、この巨乳に敗北感を覚える。少し悔しい……!

鈴子を解放した楓李は、ふと思い立ったように翁に顔を向ける。


「―――異界からの客人? あらあら。()(がみ)には連絡したのかしら~?」


 楓李の細い目が釣り上がって真面目な顔になり、優しい声音に冷たい色を含んで確認を取る。


「万事抜かりなく」


 有斎は鋭い眼を光らせて微笑んだ。仕事が出来る人の顔だ。


(夜神……?)

 鈴子は一人、蚊帳の外で疑問符を浮かべる。


「そう。なら大丈夫ね」


(なにが大丈夫なのだろう?)

鈴子は再び、首を傾げた。


「鈴子どの」

と有斎の声がかかり、反射的にびくついて、

「はい!」

と大きな声で返事をする。

二人に暖かい目で音無くクスリと笑われた。


「鈴子どの。こちら、薬師院(やくしいん)(ふう)()どの。夫の(あい)杜松(ねず)どのと〈薬師院病院〉という家族経営の医院をしております女医でございます。女だてらに蘭学を治められ、また、夫の藍杜松どのの影響で、本草学にも精通している名医なのでございます」

「有斎翁、“女だてらに”の一言は余計よ。ぷんぷん」


 腰に手を当てて頬を膨らませる女医。

横から翁が「これでも一児の母なのでございますよ?」と入知恵するものだから、鈴子は三度驚いた。

穏和な顔には皺ひとつなく、肌も白くきめ細かい。外見は20代前半くらいの美女なのだ。10代後半の娘と言われてもまだ通りそう。

正直、結婚しているのも意外といえば意外だと思ったのが正直な感想だ。

そんな女性が一児の母。鈴子は不思議な気分を味わった。世の中、外見では判断できないものである。


「はじめまして~。楓李って呼んでね? カエデにスモモのリで楓李よ~? よろしくねえ~♪」


 楓李はにこやかに手を振り、鈴子の手を取った。


「え……?」

「じゃ、診察しましょうか」

「え?………ええ!?」

「うふふ~。可愛い女の子の御調べ。たまらないわ~♪ あ、そうだわ。あとで御着替えしましょ? ね? ねえ~?」


 女医は鈴子の手を引き、ずんずん奥へと進む。鈴子は赤くなるやら、青くなるやら、目を回すやら。なにやら急な展開についていけてないご様子。

 有斎翁はふぉっふぉっふぉ、と愉快に笑って、


「頼みましたよ、楓李どの。夜神に手を出させないと決めた以上、いえ、どっちみち、この診察は必要ですからのう。定期健診だと思って、甘んじて受けてくだされ。鈴子どの」


こちらです、と自ら杖をつき、片足を引きずるようにして、鈴子と楓李を奥に誘う。


「ちょっ、有斎さん!? 止めてくださいよ!! あっ、いやっ、ちょっと!? なに脱がしてっ………きゃーーー!」

「うふふ~。あばれないでくださる~? へぇ~。ここはこういう風に……ふふふ~、妖羅界で流行りの人型(ひとがた)用洋服みたい~♪ なんだか楽しいわねえ~♪ うふふのふ~♪」


 ちらっと後ろを振り返ったら、怯えた鈴子を弄ぶ楓李という構図が見えた。

 真っ赤になった鈴子の着衣が乱れ、楓李が楽しそうに研究者の目で彼女の服を弄っている。百合百合しい目の毒な光景に、酸いも甘いも噛分けた翁、有斎の目元にも朱が昇る。


「小生は何も見ておりません。何も見ておりませんぞ」


有斎は目頭を押さえて、頭を振った。

二人を医者の診療のための道具がある奥の部屋に放り込み、木の扉を閉じる。

住居部分から店内に戻ろうとして止まる足。中から引き続き聞こえてくる声。


「いやっ、ちょ、ちょっと! あっ、そこはちがっ……って、スカートの下から手を入れないでっ。そこはフックを、フックを外してって、きゃーーー!」


 楽しげな声を上げながら黙々と作業する楓李の声。衣擦れの音。鈴子の悲鳴。

 時々、診療道具を弄る音以外は、酷く艶っぽい女たちのやり取り。

 中でどんなことが起こっているのだろうか? 少し気になる。

 やはり続くは鈴子嬢の悲鳴。


「もうっ、どこ触ってんですか!? そこっ、診察関係ない場所でしょ!? え、裸に? い、いえっ、ちょ、ちょっとここでは………え? 楓李さん? な、なにを…………」


 ガラッと背後の扉が細く開いて、般若が顔を覗かせた。

 翁は後ろに転びそうになる体を支えて、驚きに目を見開く。

 地の底から響く女の冷たい声が警告音の如く囁いた。


「有斎翁さん~? 盗み聞きはいけませんよ~?」


 楓李の細い目がカッと見開き、赤く染まっている幻が見える。

 背後に包丁を研ぐ鬼女の幻覚を出現させ、シュッ、シュッ……と刃物を研ぐ幻聴まで耳に届いた。有斎は縮み上がって、扉の向こうに居るであろう鈴子に断りを入れた。


「鈴子どの、強気生きてくだされっ。小生は店番がありますので! 失敬しますれば!」


 素早く杖をつき、店内に戻っていく翁。

それを見て、楓李は怒りを納め、扉を閉めた。

再び上がる鈴子の艶のある悲鳴。楓李の楽しそうな診察の声と可愛い娘に服を選んでやるような喜びの鼻歌。

怯えた有斎は〈考雲堂〉のカウンターに座り、ひたすら骨董品の皿を磨き続けるのであった。



数時間後。日の暮れる頃。

鈴子はやっとのことで解放され、ぐったりと居間に横たわる。

部屋を埋め尽くさんばかりに広げられていた、色彩々の着物。それらは全て、元をたどれば楓李の物であり、有斎が最初に用意した桜色の着物も彼女のものだった。

だが、衣装は寸法直しが必要ということで、今の鈴子は元のセーラー服のままだ。

着物の着方も、帯の結び方も、楓李に遊ばれているうちに突貫で覚えさせられた。

御調べもそうだが、何時間にも渡って着せ替え人形にさせられた鈴子は、ただいま、人生で一番疲れているといっても過言ではないくらい、疲れているのである。


その横で、肌艶の良くなった楓李が鼻歌を歌いながら、裁縫箱を傍らに置き、着物の裾上げをしている。なかなか楽しそうなご様子だ。


有斎は晩御飯の支度をしながら、ため息をついた。


「ああ、そうだわ。有斎翁~」

「なんですかな? 楓李どの」

「わたし、今日ね~? ここ、泊まっていくから~。明日の朝食もよろしくねえ~?」

(あい)杜松(ねず)どのと小梅(こうめ)どの、医院のお弟子さんたちや患者さん方はよろしいのでございましょうか?」

「うふふ~。いいのよ。藍さんがなんとかするから。小梅もお父さんの方が好きらしいわ。弟子たちも、いい加減、一人前の子たちの方が多くなってきているし、一日くらい大丈夫よ~」

「藍杜松さんは承知なのでございましょうか?」

「知らないわよ。あんな人………。一日くらい、困ればいいんだわ」


 拗ねた口調。憤懣(ふんまん)やるかない様子。

心なしか縫う針の目が苛立ちっぽく荒れ始める。


 床に懐いて話を聞いていた鈴子と野菜を切っていた有斎は感づいた。

 ああ、夫婦喧嘩で怒って出てきてしまったのか、と。


「明日になったら、雨も上がりますでしょう。帰るなら、それからでも遅くはありません。今宵はごゆるりと御寛ぎください」

「ええ、明日になったら、雨もあがるわねえ~。雨が上がったら、虹は見えるかしら~?」


 二人は手を止めず、言葉を交わす。

 鈴子はうつ伏せに寝ていた体を返して、意識が遠のく中でそれをきいていた。


「見えますとも。大丈夫でございます。晴れない雲などございません。きっと良い虹が見えます」

「そ~う。なら、明日は鈴子ちゃんと一緒に〈藍猫堂〉に寄ってから帰りましょう。小梅に絵本を借りて帰ってやりたいの~」


 ちくちく縫っていた糸を切る。

 楓李は糸を丸めて玉留し、糸を歯で噛み千切る。

 ぱっと広げてみたら、それは若草色の着物。

 深緑の緑豊かな山々に川が一筋、流れていた。

足元の山には雁が舞う。雁の群れが舞う。

一目見て、上等そうな着物だった。

他にも紫の袴、矢羽絣模様の赤の着物。毬模様の赤に桃色の差し色をした着物。紺の袴。モダン柄。古典柄。帰蝶の紫の着物。色無地数枚。たくさんの着物が鈴子に下げ渡された。

それもタダで。

鈴子も最初は断ったが、

「売りとばすのが勿体ないから使って。わたし、今、もう一人娘が出来たみたいな気分で浮かれているの~。うふふ~。貰っておかないと損よ~? こんな良い着物、庶民には早々手に入らないし、長以外の男どもはこういうの、(うと)いから~」

とか、言われてしまったら、断るに断れない。


(しかし、おさって人。何者なんだろう……? オウカという人物も気になるし………ふあ~あ、ダメね。疲れて眠いわ。考えるのは明日にしましょう)


晩御飯のいい匂いが漂う頃には、すぅすぅと健やかな寝息を立てて、眠ってしまっていた鈴子でした。

彼女はこの後、楓李にもう一度、裾上げした着物の確認のため、着せ替え人形にされ、ぐったり疲れ果てながら、ご飯を食べさせられることになろうとは、露とも思わなかった。


蘭学、本草学の説明は後ほど。


先に書いておきますと、蘭学は西洋医学。本草学は漢方みたいです。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

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