“ジジイの早起きに若者の朝寝坊”
「………知らない天井だ」
目を覚ますと梁のつきだした立派な天井が木の天井が見えた。手触りの少し悪い布団―――鈴子から見たら骨董品だけれども、昨日、わざわざ有斎翁が押入れの奥から出してきた新品―――を押しのけて、畳の上を窓まで匍匐前進で進む。
「………ええと、たしか、昨日は……ってあたし、明治の世で死にかけて、殺されかけて、白ひげたくわえたおじいさんのお世話になったんだった」
窓の前にはめ込まれた障子を開けて、外を見ると明るい陽射しが眩しかった。鈴子は手で日差しを避けて外を眺める。景色が低い。ビルやタワーの類などはほぼ一切といっていいほどなく、近くの日本橋まで一望できた。その景色は鈴子が知っている現代日本とあまりにも違い、目を擦ってみてもやはり見える景色は同じで………思い立って頬を思いっきりつねってみた。痛い……。
「……夢じゃ、なかった………」
がっくりとうなだれて窓の外の遠くを見る。夏の雲が所在無く揺蕩っていた。今日は少し、暑くなりそうだ。なんとなく鈴子はそう感じたあと、ふと思う。
「そういえば“こっち”の季節も夏なのね。かき氷やアイスでも食べたいわ」
「かきごおぉりとあいす、ですかな? なんですかなそれは。夏の食べ物でございましょうか?」
「そうそう、冷たくて美味しいの。夏にぴったりで、氷を……って有斎さん!? いつのまに入っていらしたんですか!?」
自然に会話に溶け込んできた有斎に鈴子は驚いて声のした方をみる。すると部屋の入口近くで相変わらず杖をついた有斎が、立派な白い顎ひげを扱きつつ、興味深そうにこちらを窺っていた。有斎は鈴子が自分の存在に気付くと「ふぉっふぉっふぉ」とほがらかに笑って、
「つい先程でございます。小生の朝餉は済みましたからのう、昼餉の用意が出来ましたので、呼びに参った次第」
「わわわっ、あ、あたし昼まで寝ていたのですか!? 大変っ、寝過ごしちゃった」
「いえいえ、小生の“朝”が早いというだけでして。なにせ朝4時に起床して“朝飯前の仕事”をこなし、朝食を済ませましてもだいたいの方はまだ夢の中、眠っておられますからのう。鈴子殿もよく眠っておられましたので、起こすのは忍びないと畏れながら遠慮させていただきました。ふぉっふぉっふぉ。これからの小生の昼餉が世間一般の方々の朝食ですじゃ。“ジジイの早起きに若者の朝寝坊”とも申しますからのう。ふぉっふぉっふぉ」
「………それ、ぜったい今作った言葉でしょう。ていうか、朝餉とか昼餉とかってなんですか?」
「おや? 鈴子殿は“朝餉”と“昼餉”をご存じない? 朝ごはんと昼ごはん、と言い換えました方がお分かり頂けましょうか?」
「あ! 有斎さんは朝ごはんを食べ終えたから、昼食をいっしょにとろうというお誘い、ということですか? ちょうどお腹が空いてたんです。ぜひご一緒させてくださいっ」
「ふぉっふぉっふぉ、では、着替えて準備ができましたら降りてきてださい。着替えは枕元に置いておきましたからのう」
その格好ではこの枯れ果てたジジイはともかくとして、ちと、若者に刺激的すぎますからなぁ、と有斎はしげしげと鈴子の寝起き姿を眺めて呟くように云い、次に昨日の高校女子制服を眺めて首を横に振り、また“ふぉっふぉっふぉ”と心底陽気かつ愉快そうに笑いながら部屋を出ていった。
鈴子ははっとして自分の姿を確かめ、顔を羞恥に赤く染める。鈴子の現在の格好は、昨晩、湯浴み――部屋の中で体を濡らした布で拭いただけ――をしたあと、寝間着にと渡された白い浴衣一枚。その浴衣も寝起きで着崩れて、汗にまみれ、申し訳程度にしかない胸の胸元が見えていた。髪の毛も解けてぼさぼさだ。顔も洗っていない。
「(見られた!? 見られたよね!? 知り合って間もないおじいさんにこんな格好を見られたんなんて……!!)
恥ずかしい、という思いを抱いたのはほんの少し。すぐに有斎の「枯れ果てたジジイ」発言を思い出して、おじいさん相手なら、まあ、なんてことないよね。ないない。慌てて損した。それより―――……。
「これをどうやって着るのかが問題よね………」
鈴子は着替えにと枕元に置いてあった淡い色合いの絣の着物と袴一式を広げて考え込んだ。
〝朝飯前”は、朝ごはんを食べる前に家の周りやご近所を掃除したり、祠を直したり、ちょっとした仕事をこなしてから、朝ごはんを食べるから〝朝飯前”。by、江戸の町事情ブック(仮)。
かき氷は削り氷で古代、平安時代あたりから定着してる……はず。
アイスはまだないの。アイスが出来るのは確か、明治が大正。『アイスクリン』という名で売り出されていた……はず。
鈴子が困惑した理由、現代人で成人していないのに、袴と着物を自分で着付け出来る人はあまり居ないと思います。楽なんだけどね、襦袢(白いあれ)に袴姿って。(普通はもう一枚、上に着物を着るが。巫女服は襦袢に赤袴)
浴衣は普通の小袖とか、振袖よりは帯と着こなしの面で楽。そして、浴衣はもともと、素肌に一枚、ぺろりと着るものだったらしいです。
学校の先生とか、親戚とか、母などが言ってました。あとは書物知識とインターネッツ。
有斎ジジイの「ふぉっふぉっふぉ」、明るくなるから気に入ってたりします。(笑)
お次はどうしようかな。有斎爺との会話です。多分。(笑)




