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藍猫古書堂  作者: 神寺 柚子陽
現代編
17/26

七.重なる願いと祠の怪談

遅れました。ごめんなさい。



 祠への行き路を、提灯の灯りに淡く、足下を照らされながら、鈴子は柚之木を探す。おりしも、肝試しの行程と重なっているのは、鈴子が望んでそうしているのか、はたまた偶然か。また、もしかしたら、てんてんと続く幽玄の燈が無意識に彼女を誘導した結果かもしれない。月のない新月の夜の深い暗闇に、鈴子の特徴のない平坦な女の子らしい声が響き、吸い込まれていく。


「柚之木さ~ん! いませんか~っ?………って、もう祠についちゃったし」


 鈴子は小高い森を背景(バック)にして、社と朱塗の鳥居がある場所が見える場所に来たことを確認して、微妙に苦い顔になりつつ、小川の上に掛かる、真ん中が膨らんだアーチ橋の前に立つ。ここに来るまで誰にも会わなかった。最後にと、もう一度周囲を確認するが、ひとっこひとり、人影すら見えない。おかしいなぁ? と首を傾げるが、会わなかったのならば仕方ない。落し物らしき白い本は後で交番に届けよう。


 鈴子はひとつ深呼吸をして、「よしっ!」と気持ちを切り替える。ここまで来れば、肝試しも、もう半分の行程で終わりである。後はこの肝試しのために実行委員会とお寺と神社が協力して、作成し納めた祠のお札を、橋を渡った後、手に取って踵を返し、そこからは振り返らず、橋を渡りきって、家か学校まで持って帰れば終了だ。


 鈴子は緑の稲穂がたなびく香しい、両脇の水が張られた田んぼの青臭い―――草のような、濁った水に藻が張った時の異臭のような、なんとも微妙に顔を(しか)めたくなる夏の風物詩の―――ニオイを嗅ぎながら、小川のせせらぎと、橋の少し手前で途切れた提灯の燈を頼りに、橋を渡る。


 ぽくぽく、ぽくぽく。

 ローファーの靴底が木製の橋床を蹴って響く。


 カツリ、さくっ。

 橋を渡り終えて石段を踏み、赤い朱塗の鳥居をぬけて、土の地面を雑草を避けて踏みながら、祠のある祭壇まで歩く。両脇に獣や鬼や神や仏、異形などを模った崩れかけた石像が立ち並ぶ異様な雰囲気の見慣れた参道を、真っ直ぐ前を見て、ゆるりと振り返らずに進み行く。


 風が吹き、鈴子は髪を押さえて祠の前に立った。

ざわざわと森が囁く声が聞こえる。森が今宵、最後の参拝者を歓迎しているようだ。


「あったわ。これね。よいしょと……」


 鈴子は祠の前に置かれた細長い桐の箱に手を伸ばし、蓋を開けて、中のお札に手を取ろうとした。


 ざわり。とその時、空気が一瞬、変わったような気がして、鈴子は動きを止める。

耳の奥でリー……ン、と涼やかな警告音のように響く、鈴の音の高い音が聞こえた気がした。鈴子は思わず顔を上げて、振り返ってはいけない決まりなので、前を見る。

 しめ縄がしっかり二重、三重に巻かれた古い祠の扉が見えた。観音開きの鉄と木で造られた扉はしっかり閉まっている。なにも問題はない。いつも通りだ。

鈴子は構わず、桐の箱の中の“最後の一枚のお札”を取ろうとする。


 鈴の音がまた響き、途中でぷつり、と途切れた。

音が伸びる途中でいきなり途切れたことに、鈴子は少し嫌な予感を感じつつも、気にせず、お札を取って、半分に折りたたんでポケットにおさめてから、踵を返した。


 瞬間、あわい桃色のなにかが鈴子の視界をかすめた。


 ―――あわい桃色の花びらだ。花びらが空から散り、この祠一帯に降りしきっている。


「………桜? この時期に?」


 なんども云うように今は夏。桜の盛りの春はとっくに過ぎている。季節外れの桜というわけだ。鈴子は淡い桃色の花びらに手を伸ばして掴もうとする。けれど、花びらは、鈴子の手に触れたとたん、彼女の体を手の平から、冷たい感触が落雷のように体全体を通り抜けて、鈴子の体を冷水をあびせたように竦ませ、花びらは薄く、透明に消えていく。まるで幻の花のように、幻想的に。美しく。


 涼やかな鈴の音が幾重にも重なり、鳴り響く。まるで鈴子に警告を発しているかのようだ。森がざわめき、休んでいたはずの鳥が一斉に飛び立った。鈴子は驚いて、上を見上げ、あたりを警戒しつつ見回し、祠を振り返る。


 すると、祠を雁字搦(がんじがら)めにしていた注連縄がすべて、おもむろに目前で解かれ落ちた。嵐の前の静けさというべき、一拍の間ののち。内心焦る鈴子を尻目に、固く閉じられていた気の扉を激しく吹き飛ばして、其れは中から解き放たれた。ナニカというべき、正体不明のソレは、“月光の光を受けて”赤黒く、凝固した血の如き獰猛なツヤを放って、暴風を撒き散らしつつ、“先陣を切った”。


 吹き荒ぶ風に吹き飛ばされて、鈴子は半分腰を抜かしたように尻餅をついた。その頭上を赤黒い物体の後を追う、色とりどりの妖気を纏ったナニカが後続として凄まじい速さで駆け抜け、通り過ぎていく。


 突風に弄ばれる髪を押さえて、鈴子はこの世ならざるモノたちの百鬼夜行を唖然と見送った。身体中から血の気がひいたように寒くて、寒くて、たまらなく寒くて、逃げ出したいほど怖い。だが、体が思うように動いてくれない。悲鳴をあげようにも声が出ず、足がガクガク震えて上手く立てないから座り込んでしまう。


 周囲が、明るい。この違和感はなんだろうか。

 “新月の晩”だというのに、なんでこんなに明るいのだろう。さっきまでは手もとも、足元も、まともに見えなかったのに、今は昼間のようにとはいかないが、それでもはっきりとすべてが見えていた。鈴子は夜空を見上げて、絶句。言葉を無くした。


「なっ………!?!?!」


 月が、出ていた。薄い雲の間から。まんまる満月の、血のように赤いお月様が夜空に煌いていた。


「どうし………て? 今日は、新月だった………はず……」


 行きに見た空は、確かに月のない、星空だけの暗い夜の闇に包まれていた。明りのほとんどない、真っ暗な新月の夜だった。


 なのに今は、欠けたところのない望月が辺りを煌々と照らしている。淡い桜の花びらが散り吹雪き、行きに鈴子の足下を照らしていた提灯の燈は全て消え、月の明かりだけが鈴子を照らしている。


 ―――異常だ。これは異常だ。


 思わず、鈴子はすがるような気持ちで開かれた祠のなかを、完全に崩れ落ちた兎や鬼、猫や人型や狐などの石像に見守られながら、震える手で地面を這ってそろそろと覗きこむ。


 三種類の遺髪と夥しい数の小さな骨壺が、誰かの血文字で書かれたお札と一緒に納められていた。目を見張る。

内訳は、藍色の髪の遺髪が一束と赤い髪の遺髪が少し、真っ黒い髪の遺髪の束がひと房、両手で包めば手の平に治まる程度の骨壺がそれはもう、びっしりと積み上げられていて、恐ろしい上に、その異様な様といったらない。


「なに、これ……コワイ。誰の、モノ………?」


 鈴子のなかで警鐘はさきほどから鳴り響きっぱなしだ。

 祖母に聞いた『ツルシインの遊女と次男の恋物語』と肝試しの直前に実行委員の男子生徒が話していた『祠の幽霊』の怪談が思い起こされ、類似を見つけて、ぞっと総毛だった。蒼白になり唇がこわばってなにも言えなくなる。


 コワイのに、ニゲダシタイのに、すぐにでも立ち去りたいのに、目は自然と骨壺の表面に彫られた名前を読み取る。


 ―――中央から『風間』、『文月』、『四十九院』、『薬師院』、『鬼龍院』、『志木』、『水無瀬』、『相良』、『双葉』、そして、『八日町』………―――。


 古すぎて文字が読み取りきれない壺もあったが、確かに鈴子は連なる骨壺のなかに自分の家の家名が入っているのを目撃した。


 ごくり、と恐怖に喉が為る。

 手足の感覚がなくなるほど、異様に寒い。寒くてたまらない。真っ白い半袖制服なんて着てくるんじゃなかった。夏用の薄い紺のスカートなんて履いてくるんじゃなかった。スカーフなんて、リボン替わりで防寒をなにひとつ手伝いやしない。母さんの言うとおり、ちゃんと着替えて出てくるんだった。


 されど、後悔しても、もう遅い。


 鈴子は背筋が寒くなってしまい、両腕に出た鳥肌をさすって、少しでも温かくなろうとする。もう、帰りたい。しかし、足が未だ動かない。相変わらず、桜もどきは優雅に舞って、鈴子の肌にふれるたび、じりじりと体温を奪って数と勢いを増していく。


「うごけ、うごけ、動けぇぇぇええええっっ!!」


 鈴子は覚悟を決めて思い切り、足を地面について立ち上がった。


「やった。帰れる」


 鈴子は半泣きの涙目で少し安堵した。


 ―――と、そこへ、女のすすり泣きが聞こえて来た。


「え、なに? まだなにかあるの!?」


 鈴子は不安げな表情で驚いて、声の主を探す。だけど、そんな人物は誰も見当たらない。しくしく、しくしく……すすり泣く女の声がそんなに遠くないところで聞こえる……気がする。


 ああ、まるで実行委員の男子学生から聞いた怪談そのままだ。聞き間違いにしたかった。されど、この一歩を踏み出せば――………さめざめとすすり泣く女の声がほら、やっぱり聞こえる。聞き間違いではない。涙が零れた。


 ―――ああ、もう、逃げられない。


 ついでに、震えて引き攣る口角の端も、歪んだ弧を描いてニィっと持ちあがり、壊れた笑いを鈴子の顔に浮かべさせる。


 後ろは祠。前は橋。上からは寒さと恐怖を与える桜の花と紅い満月の光。


 ―――………ああ、逃げられないならば、………進むしか、ない……――。


 音の聞こえた方向、橋の方に向かって鈴子は一歩、また一歩と近づいて行く。


 “橋は……異界とこの世の出入り口。あの世と繋がり易い………――”


 “鈴子ぉ、振り向いちゃいけないよ? 行きはよいよい、帰りはこわい、なんだからね。帰り道はけっして振り返らずに帰らなきゃいけないんだよ。じゃないと、帰れなくなるからね。鈴子、わかったかい? 振り返らないでおくれ。ババとの約束だよ?”


 不意に実行委員の男子生徒の言葉と、祖母、鈴江の忠告が蘇る。


「(おばあちゃん………あたし、もう、遅いみたい……)」


 彼女の頬を涙がひとしずく、厳かに悲しくつたった。


 鈴子は祖母やあの男子生徒、柚之木の忠告を聞かず、結局は振り返ってしまった。祠の封印は解け、怪談の主たちが連続して鈴子を襲っている。



 忠告は、もう、遅いのだ。



 橋の上まで来るとな、すぅっと透き通るように透明な、真っ白い女が泣き腫らしていた。


 やはり、と思うと同時に月の光で白く透明に発行する女の退廃的な美しさに息をのむ。


 リリーン、シャララララン……。タスケ……て……。リリーーン、シャララララン。


 鈴の音に重なるようにして昼間聞いた声が脳内に直接響く。彼女の、声だった。孤高なまでに誇り高く、悲痛なまでに切実な、彼女の、退廃的に美しい声だった。

幽霊であるはずの彼女は、水に濡れぼそった絢爛豪華な衣装を着ていた。黄色い髪飾りを差して、髪を日本髪(?)に結上げて、黒い重そうな着物を身にまとっている。帯が前にあるのは遊女の証。現代でいう水商売を主とする女性の証だと。昔、誰かからそう習った。あれは祖母だったろうか。それとも父だっただろうか。思い出せない。


 実行委員の彼と祖母は彼女のことをこう称していた。

 江戸時代でいう花魁や遊女の類、と。婚約者と子を亡くして泣きはらす、水に身を投げて水死した女の幽霊である、と。


 鈴子は勇気を振り絞って、というか、自棄になったのもあるけれど、泣き腫らす遊女の霊にか細く声をかけた。


「…………どうしたんですか? どうやったら泣き止んでくれますか?」


 すると、話のとおり、彼女は泣き腫らす手を下げて、桜唇を少し、動かした。


『《助けて……ください。助けて、くだ…サイ。どうか、わっちの願いを、叶え、て………》』


「あなたの願いって、なに? 助けてって、誰を? あたしは、叶えられる?」


 コクリ、と頷いた彼女。


『《勇気と知恵と廻りあわせが合えば………そちでも、いいえ、そちだからこそ、できる……かも、しれない。わっちの願いを、かなえ、て……。わっちの愛しい人を、わっちの愛したセカイを、わっちを………タスケ……テ……》』


「どうやったら、この怪奇現象は終わって、あたしは帰れますか?」


『《………鍵は、わっちの愛しい人。そのヒトを助ければ、みなが助かり、わっちの間夫が身罷れば、みな、あとを追って、ひとり以外はみな、死に場所を求めて、儚く消えんした。鍵は……嘘もある。真もある。嘘は多く、真は、ひとつだけ。わっちの願いは、この今ある結末を変えること、でありんす。わっちは、とらわれ……て、しまい……した。わっちの愛しいあの方を、救うことなど、とうてい、できやしありんせん。あの時代……で、わっちの願いを……叶え、て……あなたなら、きっと、できる……か……ら………》』


 切なげな懇願を聞き終えた瞬間、橋の上にて彼女にガバっと抱きつかれた。

気持ち悪い。寒い。冷たい。体が回る。鈴子は思わずぎゅっと目を閉じた。


 ふと、祖母の真っ白くて暖かい病室がみえた。

 祖母は楽しそうに誰かに笑いかけて、その誰かをからかい、愉快に笑っている。

 相手はだれ? だれなのおばあちゃん。


 願い? 願いを叶えよ? お祖母ちゃんの諦めきれない願いって、なに―――?


 あなたは誰? どうしてお祖母ちゃんと親しそうに話しているの? 見たコトない長身の浴衣の人―――。おばあちゃん、なんで、なんでそんな覚悟を決めた顔をして、その人をみるの? ねえ、なんで? 


「―――そうかい、鈴子が。………よし。あたしゃも覚悟を決めたよ。ふふふ、これで最後だ。叶えるものなら叶えて貰おうじゃないのさ」


 どうして………あたしなら大丈夫だよ? だから、そんな顔しないで。覚悟なんて、決めなくていいから。


「もしも願いが叶うなら、きっと、あの人を助けに走るのに」


 やめて、おねがい。やめて。


「あの人たちの運命を、歴史の改変を、あの子とあたしの人生もろとも変えに走ってやるのに」


 おばあちゃん、そんなコワイ顔してそんなこと言わないで。幸せなんじゃなかったの? 


「神籍を剥奪されし(いにしえ)隠叉オニよ」


 おばあちゃん、おばあちゃん、そんな顏、あたし見たくない……っ!!


「どうかあの人たちのクソッタレな運命を変える手助けをしてちょうだいっ!!!」


 まるでこれから、死ににいくみたいに。



(おばあちゃん……っ!!)



視界が暗転する。そうして鈴子は、時代の波に呑みこまれていった。




―――ここは、どこ?




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