表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
藍猫古書堂  作者: 神寺 柚子陽
現代編
13/26

参.怪談。“月夜の桜の下で泣きはらす美人の花魁の幽霊”

「フンっ、あれがオマエの孫か」


 唐突に捻くれた男の高圧的な声が聞こえた。

驚いて鈴江は声のした方を見やり、久方ぶりに見る懐かしい姿にまた驚いた。

「おやおや! 空さんじゃないかいっ。いったいいつぶりだい? あんたまだそんな若い容姿で………、あたしばかり歳をくっちまったよ」


 出入り口の扉横の壁に凭れ掛かるようにして斜に構えて立つ、長身痩躯の若い男が居た。

 年の頃は二十四歳頃。整った精悍な顔つきの目つきの悪い美青年である。

 釣りあがった蒼眼。狐や猫に多い縦長の瞳孔。野良は野良でも百戦錬磨の高貴なボス猫を思わせる必要な筋肉を必要なだけ無駄なく鍛え上げられた、抜身の刃のような鋭い雰囲気と美しさを併せ持つ体躯。蒼地に白雲柄の浴衣を黒い帯で引き締めて身に纏い、少し着崩した感じで着こなしている。決然とした態度のふてぶてしさでもって、尖った雰囲気を漂わせ、彼は他を圧倒する様な王者の風格というものをもっていた。


「ざっと半世紀過ぎといったところか。前の“(あるじ)”が亡くなってからだからな。オレの容姿はどうでもいい。実年齢も五千を超えてからは忘れた。それよりもだ。アレがオマエの孫かと聞いている」

「………変わったねぇ。あんたも。前は多少なりともまだ優しさと人間味があったよ」


 じろり。男は斜に構えて腕を組んだまま、鈴江を睨みつける。

 鈴江は年月の流れを感じながら感慨深い面持ちで応えた。


「ああ、そうさ。鈴子だよ。あんたも知っている『リコお姉ちゃん』にそっくりだろう?」

「……………そうか。オマエは気づいてないか」

「なにをだい?」


「いや……」と首を横に振って、来客者の男は答えようとはせず、気だるげに鈴江を睥睨(へいげい)して宣告を告げた。


「気づいているか? オマエ、もうすぐ死ぬぞ。医者の宣告よりもっと早く。このままいくと三か月も持つまい」

「おやおや、わざわざそんなことを知らせに来てくれたのかい? 知ってるよ。もうあたしゃの体が長くイカナイことくらい――。とっくのとうに御見通しさ」

「フンっ、畳重(じょうちょう)。それすらもわからないくらい老いぼれていたら願いを聞かずに喰ってやろうと思っていた」

「おやおやっ! こわやこわや。そこまで老いぼれてなくてよかったよ。あんたがあたしゃの願いを叶えに来てくれるなんてねぇ。お礼は魚でいいかい?」

「………勘違いしているようだから言っておくが、オマエの願いは魚一つでは足らぬぞ? どうせ死ぬのだから、もっと豪勢に寄越せっ」


「じゃあタイと……季節になったら秋刀魚を大量に届けさせようかね」


 ピクリ。片眉を上げて反応を示す来客者、天津空鵺(あまつ くうや)


「だから今の現住所をお寄越し。速達で送ってあげるから」

 

 腕を組んだまま迷うそぶりを見せる空鵺。しかし誘惑を振り払うように首をふるふると振って苦渋の表情で断ろうとかなり長い間を置いて言葉を発す。


「個人的に非常に残念だが、というか好物を前にして引くのはとても惜しいが、………というかわかっててやっているのだろうが、主に食べさせてやりたいとかも思ったりしなくもなくもないかもしれないことではあるが、………ソレは妖怪としてのオレの対価ではない」


 未練たらたらな物言いで鈴江からそっと目をそらす男、いや、人外。


 腕を組み、斜に構えて恰好つけたままのくせに、口をへの字に曲げてガックリと肩を落とす。そのさまは鈴江より永く生きてきた外見詐称のジジイのクセして、こどもみたく素直過ぎるように思えて笑えた。


 鈴江は口を押えて上品に微笑み、彼に昔、よくやったように、手招きをした。


 肩を落としたままとぼとぼと鈴江の隣まで歩いてくる空鵺。

 足音は軽く、ほぼなくて彼が見た目よりずっと軽い体積で出来ていることをあらわしていた。


 鈴江は彼に椅子に座るように指示するけれども空鵺は固辞して立ったまま、情けなく鈴江を見やる。


 (………魚、本当に送ってやろうか。)


 ふと思ったが、鈴江は彼の現住所を知らないままである。だから、ババはすっぱりその考えを切り捨てて柔らかく微笑んだ。


「わかっているよ。あんたの本来の対価はもっと、血生臭いものだろう?」

 

 すると彼はすっと背筋を伸ばして元の威厳ある様に戻る。―――……先の様子を見せられたあとでは、それすらも可愛らしくしか鈴江には見えないのだが。


「ああ。オレの“主”に関するナニカ。もしくは生きとし生ける者の血肉、寿命、記憶、魂。妖力、霊力、神通力などのチカラ。優れた物語などの創作物もオレの対価になり得る。“主”の願いを叶え、“主”の大事なモノとオレの“お気に入り”の願いを叶えることがこのオレ、神籍を剥奪されし長生き妖怪猫、アマツ・ソラヌエさまの至上の生き甲斐であり、長生きの秘訣だからな。隠叉オニとしての(ごう)でもある。ちなみに神だった頃の名残として“人柱”や“猫柱”などの中身のない(精神の死んだ虚ろな)器も場合によっては対価に成り得るが、すでに肉体はあるので要らん!! それでは願いを聞かせてもらおうか。鈴江殿。オレと主のお気に入り。“前の主”の最後の弟子よ!!!」


「ふふふ、そうさねぇ。あたしの願いは―――」


 鈴江は頬に手を当てて、考えるように窓の外を眺めた。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 高校には寄らず、整理券のモギリ会場である化け物屋敷と名高い武家屋敷に直接赴くと夜の八時を越えていた。あたりは月のない闇夜のこともあって真っ暗だ。鈴子は自転車を武家屋敷の周囲を取り巻く年季の入った立派な石積みの石垣の近くに止めておく。


 提灯のほのかな灯りが武家屋敷の周囲全体を照らしだす。


 緑色の蔦が絡み合う石垣の真ん中には、これまた年季の入った崩れかけた立派な門構えの入口がある。そこを抜けるといよいよ今回の《肝試し会場》のひとつである武家屋敷のご登場だ。


 屋敷は存外広く、鈴子が通う高校の運動場を含めた高校全体の敷地と同じだけの広さがある二階建ての純和風日本家屋の武家屋敷だ。噂によると季節になると様々な花が咲き乱れ、特に秋になると一斉に燃える様な赤い彼岸花が咲き誇ることから、一時期《あの世とこの世の境目に建つ化け物屋敷》、《死人の住む屋敷》などとも謂われていたらしい。


 昼間の明るい時間帯にみる屋敷はただの古びた子供たちの遊び場。されど今の如く夜に見る場合は魔物を呑みこむ化け物屋敷のように見えてかなり不気味な様相を放っていた。


 友人の千代ちゃんを探したけれど、すでに大多数が仲間内で肝試しに出発した後なのか、残っているのは実行委員となった生徒だけだ。そして彼らも多くの生徒を送り出し、暇になった後なのか、ほのかに蚊取り線香の煙漂う仮設テントの下で、電球照明の灯りを頼りにスマートフォンや携帯を弄っている。


 (こんなところで携帯弄るなんて、よっぽどヒマなのね。誰かと組んで中に入ってみればいいのに。――その方が心の底から楽しめていいかもしれないのに――)


 鈴子としてはそう思わなくもないが、最近では見慣れた光景なのでなにもいわない。例え彼らが携帯依存のコミュ症に進化(退化?)しようとも鈴子の知った事ではない。


 (千代ちゃん、どこに居るの? 先に帰ったかな?)


 きょろきょろ周囲を探していると、鈴子を見留めたクラスメイトの……確か今回の実行委員を任された名前のわからない男子が、馴れ馴れしく話しかけてきた。


「なあ八日町。知っとうか? “月夜の桜の下で泣き腫らす美人の花魁の幽霊”の噂」

「なにそれ? 噂? 花魁と伯爵家の息子の悲恋話なら知っているけれど……」

「はあ? ちゃうちゃう、そんな話やない。そういやおまはんは実行委員になった事も、この時間帯までここにおったことなかったな。そやったら知らんのも当たり前か」


 男子生徒はひとりごちて納得したように頷いた。彼を煩わしく思う鈴子の訝しげな視線に気づくことなく話を続ける。


「ええか? 毎年この時期の九時頃になると出るよるのや」

「何が出るっていうのよ」


 仕方なく鈴子は相槌を打ってやる。


「まあ、待ち。そんなにせかさんでも話たるさかい。これはある実行委員の体験談やねんけど、そいつは毎年開かれるこの肝試し大会が終わってから、その日だけ気紛れに自分も肝試し、してみることにしたんや」


 顎をしゃくって続きを促す。


「そいつはこの肝試しの“正規のルート”を通った。この肝試し大会では実行委員は企画、誘導と迷子の捜索をするだけや。高校に集まって皆でこの屋敷にくるようになったのはわりと最近の事やけど、武家屋敷から出発して祠にお札を取りに行き、社の鳥居をくぐって橋を通るのは代々、百年前の昔っから変わらへん肝試しの汎用ルートや。細かいルートは各々に任せて実行委員会は決めてへん。各自に任せとう。せやから“正規”のルートなんてもんなんてない。ないはずなんや。―――せやけどそいつは噂好きやったんやろうな。裏で実しやかに囁かれとったらしいルートを探り当てて試しおった。それは実行委員も知らない“怪談を呼び起こす”由緒正しい“正規のルート”やった」


 ゴクリ。生唾を呑みこんで、少し興味を引かれて真面目に聞き出す鈴子。


「詳しくは言えへんけれども、そいつは屋敷の中にあるという噂の夥しい数の墓場を見てから屋敷の裏口から外に出て、橋を渡り、祠のお札をとって踵を返したらしい。ふと、寒気がしてなぁ。そいつ、振り返りよったんや。ほら、あるやろ? “行きはよいよい、帰りはこわい”ってワラベ歌」

「とおりゃんせね。知ってる。七つの子のお祝いに天神さまのお社にお札を納めに行くんでしょう? そして、神隠しに合うお話」

「そや、よく知っとるなぁ」

「昔、お祖母ちゃんに聞いたのよ。それより続き、話してくれるのでしょう?」

「おお、続きな続き。ええと、何処まで話したかな、そやそや、振り返ったとこまでや。そいつな、振り返り寄ってん。そしたらな、祠にかかっているしめ縄が解けかけよって、慌てて持ってたタオルで縛り直した。やけどそいつが冷汗を拭いて空を眺めた時、満月が煌々と照りおったんや。その日は今日と同じ新月の晩やったってーのに!!」


 どうやらここからが大詰めらしい。身振り手振りを交えて男子生徒は力強く話し始める。鈴子は無意識の間に身を乗り出して聞き耳を立てる。


「桜がな、散りよった。夏やのに季節外れの桜や。おかしいなぁ思て手を伸ばす。桜を掴もうとした手のひらにはなにも残らん。通り抜けて消えていきおった。その代り、そいつの全身が雷に打たれでもしたように一気に寒くなったんや。まるで真冬の冷水にいきなりぶち込まれたみたいにな。言っとくけど、これ、真夏な? 本当に夏なんやで? なのに冬みたいに寒くてそいつは半袖の腕をさすって真っ白い息を吐きよった。おかしいなぁ、異常気象の連発かあ? そう思うやろ?」


 にやりと悪童のように一瞬笑った男子生徒は、そこで一拍おいて続きを語る。


「せやけどな、そいつはあんまり寒いんでさっさと帰ろうと一歩足を踏み出した。まあ、夏やし、思いっきり夏装備やったからな。防寒具なんて家に帰らなあらへんねん。そういうわけでそいつは帰ろうと足を踏み出したんや。するとな、聞こえんねん。しくしく、しくしく……すすり泣く女の声が。当然そいつは驚いて顔を上げて声の正体を探す。せやけどな、女なんてどこにも見当たらへん。聞き間違いやろか、と思ってもう一歩踏み出すと、やっぱり聞こえよる。女の声がしくしくと泣きよるねん。聞き間違いやない! そう確信してそいつは音の聞こえた方向、橋の方に向かって一歩、また一歩と踏み出した。ところでな、橋はこの世とあの世の境界線って言われとうの、知っとうか?」


 女の泣き真似から体験者の様子まで事細かに表現してみせ、話術の最後に手の平で鈴子を指して質問の答えを求める。―――この人、語りが上手い。落語好き? はたまたコミュ力が高い人気者か夏に重宝される怪談好きなのかも。と鈴子は思いつつ言葉を返す。


「そうなの? 鳥居が聖なる者と邪を隔てているのは知っていたけれど、そっちは知らないわ」

「“京の橋姫”とか、“賽の河原”とか有名なんやけどなぁ。まあ、それはおいおいってぇことで。要は民俗学や怪談の世界では、此の世ならぬ異界の出入り口と云われとって、あの世とこの世が繋がりやすいんや。そういう説があるってーこと、覚えといて? ほな、続きを話そか」


 “橋は……異界とこの世の出入り口。あの世と繋がり易い………――”


「橋の上まで来るとな、すぅっと真っ白い女が泣き腫らしとった。いや、女が真っ白いんやない。透明ですけて月の光で発光しよんのや。女は黄色い髪飾りを差して黒い重そうな着物を着た、ああ……なんやアレ、あれ、そうっ、花魁姿やったんや! 江戸でいう遊女、花魁さんやな。絢爛豪華な高嶺の華や。 その花魁さんの幽霊な、髪を乱してしくしくと泣きよるねん。衣服が濡れていることから入水自殺……水に浸かって溺れ死んだゆうことをソイツは理解したんやけど、なだめてもすかしても、一向に泣き止まへん。困ったそいつはその遊女はんに聞いた。―――『どうしたんですか? どうやったら泣き止んでくれますか?』って。勇気のある御人やな。まあ、花魁ゆうさかい、美人やったのは間違いないやろうけれど。幽霊に話しかけるなんて勇気のある御人やとわいは思う」

「いいから続きっ! で、どうなったの?」

「せかすなや。“急がば回れ”ともゆうやろう?」

「関係ないし。次、続き続きっ」

「はぁ……。幽霊にそいつは話しかけた。するとな、遊女はんは初めてその桜唇を開いたんや。『助けてください。助けて、くだ…サイ。どうか、わっちの願いを、叶え、て………』いきなりやった。ソイツはガバっと遊女に抱きつかれて、気づけば橋の反対側、鳥居のある方と違う町の在る方の道で寝取ったんや。日は中ほどまで昇ってる。時計を探り出してみるともう12時や。服は何故か濡れとった。慌てて家に帰ってまた驚く。家族がな、涙流して『あんた、生きとったんか!』って嬉しそうに言いよるねん。聞けばそいつ、一ヶ月ほど行方不明になっとったらしい。肝試ししとったはずやのに目が覚めれば一ヶ月が過ぎとった。こりゃ驚くで~」


(神隠し伝説、か。よくある話だけど、こんな話がここにもあったのね。)


 終わりかと思って礼を言おうと口を開きかけると、怪談の語り手は興奮したように次の言葉を発した。まだ終わりではないらしい。


「しかもな、これは余談やねんけど、そいつには病気の姉さんがおった。それが不治の大病わずらっとってなあ。もう一年ももたへんっていわれとった。やのに、そいつが行方不明になった次の日からどんどん快方に向かってな、なんとそいつが見つかる前日には再発の見込みもなくキレイに完治して病院を退院しおった。やから家族もそいつが見つからずやきもきしとったんやろな。以来、この話は病気が治る、願いが叶う話として、代々の実行委員会に実しやかに語り継がれとる、ゆー話や。どや? おもろかったやろ?」

「ええ、ありがとう。語り、上手いのね」

「へへんっ、これでも学校の落語同好会に属しとうからのう。御清聴、ありがとうございました。長い間引き留めてすまんかったな」

「楽しかったからいいわ。ちょっと背筋が氷っちゃった。それで、その花魁さんの幽霊の願いは叶ったの?」

「いや? 真偽のほどはわからんけど、それからも出よるゆー話はなんどかあったから、結局叶ってないんちゃうか?ってのが、ウチら実行委員らの間での噂や。まあ、気になるんやったら自分で確かめて来たらええんとちゃうか? もう、八時半回っとうし、回りきるころには九時過ぎるやろ?」

「わかった。ありがとう。あ、整理券のもぎり仕事は?」

「そんなんいらんやろ? 八日町で今日は最後。店仕舞いや」


 鈴子は今度こそ語り部の男子生徒と別れて、武家屋敷に突入した。



 肝試しの始まり、始まり―――対価はあなたのお気持ちばかりなり。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ