弐話.とおりゃんせの調べを唄えば怪談がありんした
現代で回収できるフラグはここらへんでほぼ全て摘んで撒いて進めたいと思います。もうしばらくよろしくお願い致します。
副題:祖母と孫のほのぼの交流会
とーりゃんせ、とおりゃんせ
こーこはどーこのほそみちじゃア♪
天神さまの細道じゃ
どーかとおしてくだしゃんせ~♪
御用のないもの とうしゃせぬゥ
この子の七つのお祝いにィ おふだを おさめにまいりますぅ
いきはよいよい かえりはこわい
こわい こわいのかえりみちィ~♪
とっおっりゃんせ とおりゃんせ~♪
一度家に帰って荷物を置き、祖母の着替えなど入用のものだけ病院用のボストンバックに詰め込んだ。気配を感じたのか、晩御飯の支度をしていたエプロン姿の母が、菜箸を右手に持ったまま登場する。
「鈴子、おばあちゃんのことよろしくね? って、ちょっと鈴子! あんたその格好で行くつもり?」
「ええ、着替えるの面倒だからこのまま行くわ。おばあちゃんのことは任せて。あと母さん、火!」
居間から見える台所の様子を指摘すると、
「え、あ! いっけないっ。野菜が焦げてる! お湯が沸いて、あちちちちっ」
母は慌てて台所に戻って行った。蒸気で火傷なんてしてなければいいけど。
鈴子は心の中で心配になりつつ、ボストンバックを背負って自転車の鍵を取る。
「いってきまーっす!」
「鈴子ーーっ!! 七時には帰ってくるのよーーーっ」
「無理ぃーっ! 今日、学校で肝試し大会があるから、九時は超えるわーっ」
「えっ、今日!? あ、あっ、あーーーっ!!! ハンバーグがっっ?!」
「いってきまーっす」
「え、あ、ちょっ、気をつけていってらっしゃい。って、ぎゃーーーっ!!!」
(………大丈夫かな? 母さん―――と今日の晩御飯)
ひとまず母と晩御飯のことは考えないことにして、鈴子は制服のまま自転車に飛び乗った。
祖母が入院する病院は自宅から自転車の10分の距離にあるのだ。ちなみに病院から鈴子が通う高校までは同じ自転車で15分。今晩あるという怪談大会、頑張れば帰りに行けない距離ではない。
鈴子は田んぼ脇のコンクリートで舗装されたあぜ道を自転車で気持ち良く走り抜け、真白い壁の目立つ最新鋭の設備の整った病院に辿り着いた。
病院脇の自転車置き場に自転車を置いて、ボストンバックを背負った鈴子は改めて祖母が入院する病院を眺める。
見れば見るほど白木の積み木玩具で子供が作ったシルクハットのような外見だ。
帽子のつばにあたる部分だけ裾広がりで、真ん中から上にずどんと長い。白い壁にはぽつりぽつりと光を反射する窓が開き、ちょっとした滑稽さを感じさせる。
鈴子はシルクハットの横に置かれたマッチ箱の如き入口を見やり、意を決してひとつ頷くと中に入った。
明るい照明器具に照らされた病院独特のニオイが鼻をつく中央ホールを通り抜け、エレベーターで十階まであるうちの四階まであがる。その階のエレベーターから出て右から四番目、そこにガンで入院している鈴子の祖母、八日町 鈴江が居る個室はあった。
鈴子は期待に胸を膨らませて足早に廊下を抜け、祖母の名前が書かれたネームプレートを横目に見ながら部屋の中に入ろうとする。いきなり掴もうとしたドア扉が自動で開け放たれて内から出てきた誰かにぶつかった。
「きゃっ、ごめんなさいっ」
「おっと~。気を付けな。前をよく見て、前方注意。ついでに後方も含めて三百六十度すべての角度を注意できればいうことなしだね」
顔を上げて鈴子は戸惑った。目の前の女性が普段祖母を訪ねてくれる人々とあまりにも趣が違った。祖母にお見舞いに来る人の大半はきちっとした身形のお年寄りか、近所の子供が多いのだが――。毎日のように病院に通っている鈴子でも見た覚えがない人物だった。
簡潔に言うと、死んだ魚の目をした黒髪童顔の女性がいた。
年の頃は鈴子と同じくらいだろうか。若く見積もれば中学生にも見えるし、よく言えば落ち着いた、悪く言えば枯れ果てた老木のように疲れきった雰囲気から三十路過ぎのおばさんのようにも思える不思議な女性だ。胸のふくらみがなければ一瞬、男と見間違うような容姿の彼女は、ひたすらめんどくさそうに鈴子の顔を見て小首をちょこんと傾げ、欠伸を噛み殺す。とても気だるげで眠そうだ。
一見、きちんと着熟されているように見える白のワイシャツとジーパンに、地味だがお洒落なサンダルという服装も、よくみれば服に皺がより、ところどころに食べ物や墨汁らしき墨が目立ち、だらしがない。そうして気づいたら、もはや鈴子の目に映る彼女は、れっきとした社会人には見えなくなっていた。
近所に住む大学生だろうか? なんとなく、それがあたりのような気がする。
「邪魔。退いて?」
「あっ、ハイ!」
煩わしそうに少しだけ目を細めて、心底気だるげな表情を一切変えず、用件だけ言い放った彼女の言葉を理解した瞬間、鈴子は弾かれたように自分の体で塞いでいた出入り口を譲る。
「ん。ありがと」
「ど、どういたしまし……て?」
ふと鈴子は彼女が肩に担ぐようにして持つノートと筆記用具と……一冊の真っ白い表紙の本に目を奪われる。病室の中で彼女はなにをしていたのだろうか。気になる。
つい、と彼女の視線が鈴子を向いて瞬いた。
「ああ、八日町のお孫さんか。あなたの祖母には個人的なもので少し協力してもらった。助かった。だが、もうあなたの祖母には会うことはないだろう。あなたとは……また会いそうだ。じゃあな。あなたの物語が語られる日も楽しみにしている」
最後ににやりと笑みの形を作った小さな傷跡の残る唇。彼女は端的に意味深な言葉だけ残して、さっさと去って行ってしまった。なんだったのだろうか?
「―――鈴子、お入り」
「あ、はい。おばあちゃん」
春の陽だまりのように柔らかい大好きな祖母の声に促されて、鈴子は病室の中に入った。
午後の光が徐々に薄らぎ、夕暮れの気配があたりに漂っていた。最後の日差しが部屋の中を、無音のうちにこっそり移ろいつつある。カーテンの隙間から甘く光が差し、可動式ベッドの上で古いアルバムを手に眼鏡をかけて寛いでいたらしい祖母、鈴江を照らしだす。
病院の備え付けのテレビではちょうど笑点がやっていた。今日は土曜日。もうすぐ某『体は子供、頭脳は大人な名探偵』のアニメが始まる六時だなぁ……と考えつつ、鈴子は祖母に促されるままに、来客用の木の椅子にボストンバックを置き、ベットの端に腰掛けた。
「こんにちは、おばあちゃん。今日も来たよ」
「いらっしゃい、鈴子。よく来てくれたね」
柔らかく微笑んで、言の葉を真綿で包むように優しく返してくれる祖母の声音が鈴子は好きだった。鈴子は会えたことを嬉しく思いながら微笑み返す。
(良かった、まだ祖母は生きている。)
今は平成X年の六月の終わり。
鈴江は今年の春、四月初頭。鈴子が学校から帰って来た時にはもう、倒れていた。心臓が止まるかと思ったけれど、現実はもっと酷かった。
救急車で病院に搬送された先で告げられた宣告は余命一年。ガンだった。それもほぼ末期の――。
主治医によるとピカドン………原爆の被災を受けた影響で今まで潜伏していたがん細胞が、体力や身体機能の衰えとともに今になって活発化したらしい。
それを聞いた鈴子はショックで寝こみ、両親ともに共働きで、家庭と仕事を両立していた母は、これを機に仕事を止めた。父はザ・仕事人間だったのに、もっといっそう仕事に励み、家にいることが前よりも少なくなった。
入院の手続きや着替えなどを主に持参するために見舞いに行った初日、病気の当人は「まあ、長い人生こんなこともあるもんさ」と悠長なことをいって、“カカ”と笑って意外に元気そうだったけれども。
「アルバム、見てたの?」
「ああ、少し必要でねえ。役に立ったよ」
にこやかに微笑んで前に鈴子が頼まれて持ってきたアルバムを撫でる鈴江。思い切って祖母に一番気になっていたことを尋ねる。
「入口であったあの女の人、だれ? 普段お見舞いにいらっしゃるおばあちゃんの知り合いと毛色が違うよね? どういう知り合い?」
「彼女は柚之木眞衣さん。彼女、ああ見えてもかなりのドジでねえ、階段を踏み抜いて足をくじいた時、たまたま同室になったのが縁でよく面倒をみてたのさ。なんでも作家見習いでここいらのお話を取材して一攫千金を狙うのだとか話していたよ」
「作家、見習い……? 物書きって儲かるの?」
「さァてねぇ。一攫千金というぐらいだから当たればすごいのでしょうが、あたらなければどうとうこともないのでしょう。本人もそれをちゃーんとわかっててあたしには趣味と言い切ってた。それでも書かずにはいられないのがああいう人種さ。害はないからほっときな」
鈴江は肩をすくめた。鈴子の頭をくしゃりと撫で、後ろを向くように指示する。 細く真っ黒い髪質のポニーテイルとソレを纏める紐が少し曲がっていたのだ。鈴江は優しく孫の髪を櫛で梳き、しっかりまとめ直してから手早く赤い紐で結いあげた。蝶々結びが綺麗に出来たことを確認して満足げに頷き、孫の背中をポンと押す。鈴子は照れたような笑顔で嬉しそうにはにかんだ。
「おばあちゃんは彼女になにを話したの?」
「おや、気になるかい?」
「ん~……少し」
「たわいない話さ。今度の題材に戦争前の話を書きたいらしくてねぇ。ほら、今、戦前に産れた老人は減ってきているだろう? それに戦争のことは身内でもなかなかヒトに聞きづらいンだってさ。そこでこのババの出番だよ。多少なりとも気安くなったあたしが代わりにあの時代の事を話してあげたのさ。ピカドンやら空襲のことも含めてね。六〇年ほどは昔の話だったから少し苦労したけどサ、久しぶりに若返った気分を味わったね」
鈴子の祖母、鈴江はかくしゃくとした様子で自身の胸をドンと叩き、片目をつぶって茶目っ気たっぷりに悪戯っぽく笑う。鈴子はそんな鈴江の姿に頼もしさを感じつつ、自分にとって遠い昔の話を少しつまらなさそうに祖母を見やる。
「ふ~ん? 戦争ね、あたしもよく知らなーい」
「そりゃそうだろうね。あんたの産れる前の話だし、あんたには戦前のあたしの生活の事は話しても戦争中のことは話してないからねぇ」
「ねえおばあちゃん。今度機会があったら話してよ」
「機会があったらね。覚えておくよ。あんたにもあの時代のことは知っておいてほしいからねぇ」
「うん! 約束だよ。おばあちゃん! ねえねえ、他には?」
弾んだ声で身を乗り出す。つまらなさそうにしていたのは、自分が知らない話を見ず知らずの人間に祖母が話したことが原因か。鈴子は満面の笑みを浮かべて、鈴江に話をせがんだ。
「あんた、あたしから根掘り葉掘り聞きだす気かい? まったくしょうがない子だねぇ」
「えへへへへ~」
鈴江に抱きつくような恰好で笑うと祖母は軽く鈴子の頭をこづいて慈愛に満ちた笑みを浮かべ口を開いた。
「そうだねぇ。あとはここいらの昔話を幾つかと。彼女、熱心な聞き上手のせいか、口がよく滑ってしまいましたねぇ。特に『武家屋敷』と『祠』の話にはよく食いついてきて……そういえば鈴子、あんたが通っている高校で開催される毎年恒例の肝試し大会って今晩の新月の夜だったかい?」
鈴江は声を気張った様子で肝試し大会の日取りを確かめる。
鈴子は面食らいながら順序立てて毎年恒例のルートを説明した。
「え、うん、そうだよ。今日の七時に高校に集合してクジを引いて順番を決めた後、みんなで武家屋敷までいき、一階から二階を通って裏口から外に出て、橋を渡り、森の中の祠にお札を取りに云ったあと、高校まで帰ってくるの」
「そうかい。今日だったのかい」
一寸、息をのんで俯く鈴江。
声をかけようとしたら、毅然とした態度で鈴子の肩をつかんで口火を切った。
「よくお聞き鈴子。あの武家屋敷と祠は本来、ある特殊な家系の者とその縁者のために作られた“アルモノ”を封じるための施設なのよ」
「あ、アルモノ……? 急にどうしたのおばあちゃん……?」
「あたしゃも詳しくは知らないけれど、昔はね、あの屋敷に鬼子が閉じ込められていたらしいのさ」
「おに、お、お、鬼子!? そ、それって本当に鬼?」
狼狽えて目を白黒させる鈴子に祖母は言い聞かせるように自分の知っている話を語る。
「さてね。昔の鬼子は双子という説もあって地下牢に片方だけ閉じ込められたり、片方だけ里子に出されてたりしていたらしいよ。まあ、あの武家屋敷に閉じ込められていたモノの正体を知らないあたしからはなんともいえないけれど。確かにナニカが封じられていて、屋敷の奥には妙な仕掛けが満載されていたことをあたしゃは知っているのさ。だからあたしゃ、あんたのことが心配なんだよ、鈴子」
「双子は鬼子……酷いね、それ。心配しなくても大丈夫。だけど、おばあちゃんはなんでそんなことを知っているの?」
「あたしは屋敷の持ち主とは知り合いだったんだよ。よくしてもらった。ずっと昔のことだけどね。もう、あたし以外だーれも覚えちゃいない昔のことだよ」
鈴江の目が懐かしい過去に思いを馳せ、遠くを見る。
されどすぐに鈴子とまた目を合わして力強く、
「いいかい? 屋敷に入ったら決して振り向いてはいけないよ。妖怪や霊が出るというのもおそらく本当だろう。ほら、火のないところに噂はたたないっていうじゃないのさ。だからあたしは鈴子が心配で心配で……だから、帰りは決して振り返ってはいけないよ」
わかったね? ババとの約束だよ?――と念を押されて鈴子はわけがわからないまま、頷いた。すると鈴江は安心したように鈴子の肩を離してベットの背もたれにもたれかかる。
それからは鈴子がねだったわけでもないのに、ついでだからとこの地に伝わる屋敷と祠に関する伝説と伝承を幾つか話してくれた。
曰く、あの屋敷の本来の持ち主は『ツルシイン』というお武家さまだったこと。
「ツルシイン? なんだか物騒な響きね。吊るし首のツルシインみたい」
「あんたの思考の方が少々物騒な気がするねぇ。まあ、あたしも六十年ほど前にその名字を初めて聞いた時は似たようなことも思ったけれど、確か昔聞いた名前の由来は、お寺の………灯篭だかなんだかの仏教に関係あることと、水子伝説からきていたらしいよ。詳しくは知らないけどね」
「へえ~……」
肩をすくめて語る祖母に鈴子は感心の声をあげる。
「あたしもよく覚えてるもんだねェ。こんなこと」
曰く、『ツルシイン』は江戸時代前期から続く知る人ぞ知る名家だったが、今は没落して闇に消えたお家柄だそうだ。約60年前の戦争――第二次世界大戦――で跡継ぎとなる男子を総じて亡くしたらしく、今の所有者は大学生の女の子らしいとのことだが真実はわからないとのこと。
「女の子が当主なの?」
「ああ、多分そうなんだろうね。鈴子が今日行く気かもしれない武家屋敷と祠の管理人が女の子なのは間違いないんだけどね、当主かどうかをあたしは知らないのさ」
「ふ~ん………。ねえねえ、他に面白い話はないの? どうせなら皆に話して話のタネにしてみたいの」
「そうだねぇ……。あのお家はなんだかんだ云って話には事欠かなかったからねぇ」
「あ、じゃあ恋物語とか? 千代ちゃんもちょっとは食いつくかな?」
「あの子は鈴子の友人だったね。食いつくかどうかはわからないが、女の子が好きそうな悲恋はひとつあるよ。それは明治の世のことでした―――」
曰く、この町に一組の幼い男女が居た。少年の方は兄と揃って鬼子と謳われるここらのガキ大将で纏め役の片割れ。武家屋敷に閉じ込められていた鬼子たちだった。一方、少女は貧しい農村の生まれで口減らしのため、売られていく身だった。三人が出会ったのは偶然であり必然。少女はほどなくして東京に遊女として売られていくことになる。
成長して東京で再会した二人は恋に落ちる。実は少年たちの方は伯爵家のご落胤で『ツルシイン』の縁者だったのだ。兄の方は家を継いでいっぱしの政治家になり、弟の方は爵位持ちの大商人になっていた。遊女と伯爵家のご落胤。いうなれば身分違いの道ならぬ恋である。それでもめげずに男は女のもとに通い続けて結婚の約束まで取り付けたのだが………その兄弟は結局ふたりとも、戦争で亡くなってしまったらしい。嘆き悲しんだ遊女は衰弱し、挙句の果ては、腹の子ともども後を追ったとかいう悲恋の物語。それを悼んだ男の友人や仲間、弟子たちは所縁の寺に祠を立てて、自分も戦争で討ち死にしたら、亡くなったものたちが寂しくないように骨をそこに埋めて貰ったという始まりの話。
「シンデレラストーリー系の悲恋物ね………。確かに女の子は好きそう。というか、日本人がこういうの好きよね。勧善懲悪とか、曽根崎心中とか、忠臣蔵とか」
「おや、鈴子は落語や浄瑠璃なんかにも関心があるのかい?」
「授業で触りだけ少しならうのよ。嫌いではないわ」
「そうかいそうかい。ババは好きだよ。浄瑠璃も歌舞伎も落語も能も狂言も、日本の誇るべき文学だからねぇ。ただ、国技となっている相撲だけは未だに好かないけれどね」
「おばあちゃん、だったらなんであたしが来た時、時々相撲を熱心に見てるの?」
「ここで知り合った入院仲間の爺が相撲好きなんでね、話を合わせるために見てるのさ。これはあたしの恩人とあたしの母、鈴子の曾祖母からの受け売りなんだけどね、“見分を広めるのは大事だよ?” 鈴子」
「そうね。おばあちゃん」
「見聞を広めるついでに、大昔から実しやかに囁かれている嘘みたいな復讐譚と祠のもうひとつの由来を語って聞かせようかね」
曰く、江戸時代初期に一度、徳川家の家督争いがあり、それに巻き込まれた家族がいた。そして徳川幕府とその血筋があるひとりの女の復讐によって、なにもしらない無垢な子供を除いて幕府が潰されたことがあり、その女と縁者の者を畏れて屋敷と祠が建てられたのが始まりだとか、そんな冗談のような話も聞いた。
「徳川幕府が一旦潰されたことは冗談でしょ? ありえないもの」
「さてね。歴史ってのは権力者が自分の良い様に作り出すもんだよ。真実は得てして一部の者しかしらないもんさ」
「う~ん……だけど悲しいお話ね。“愛する夫と子供を亡くした女は鬼女になって、残した子を守りました。その命と引き換えに”なんて。というかおばあちゃん、そういう話、誰から聞いたの?」
鈴江はアルバムを撫でて微笑みます。
「あたしの恩人さ。戦争で死んだ四十九院家の次男坊だった人だよ。八日町家と四十九院家は戦前、とても親しくさせて頂いていたのさ。同じ戦争の後遺症がもとで亡くなった、鈴子のお祖父さんとも彼の縁で出会った。子供のあたしとよく遊んでくれて、優しくて、とても綺麗な人だったよ。懐かしいねェ――」
「ふ~ん……。恰好良かったっていうお祖父ちゃんとどっちが綺麗だった?」
「馬鹿な子だねェ。ジジとあの方では“たいぷ”が違うよ。男らしさではジジが勝つけれど、綺麗さでは断然次男坊さんの方だったね! 眼福ものだよ」
「じゃあさ、アルバムに写真ある?」
きょとり。鈴江は瞼を瞬かせる。次いで大きく笑いだした。
「アッハッハハハハ! 残念ながらこれがね、ないんだよ。ジジの写真ならかろうじて一、二枚あるんだけどね。空襲でアルバムの大半は焼けちまったのさ。だけど、ジジのだけでも見るかい? あの人もそこそこ綺麗だったよ」
「う~ん………とりあえず、いい。また今度」
「そうかい、楽しみにしてるよ。じゃあ、また今度」
そうこうしているうちに大分日が傾いていたようだ。すっかり日が暮れて窓から吹き込む風が少し冷たくなっている。
「夏の夜は急に冷えるねぇ。鈴子、窓を閉めてくれるかい?」
「はい、おばあちゃん」
「あら? おやおや、もう7時を過ぎてるねぇ。鈴子、時間は大丈夫なのかい?」
鈴江の言葉につられて時計を見ると針は七時三十分を指していた。やばいっ!! 門限を過ぎているっ! けれど、今日は肝試しの方に行くって言っておいたから、心配なのはそっちじゃなくて、待っているといっていた友人の千代ちゃんの方。痺れ切らして縁を切られないか心配だ。
「たいへんっ!! もう帰らないとっ。おばあちゃん、また来るね」
「ああ、いつも来てくれてありがとうね。気をつけて帰りな」
「うん! またねっ、おばあちゃん」
祖母に向かって手を振り、勢いよく個室の扉を開け放して駆けて行く鈴子。その背中を鈴江は可動式ベットの上から慈愛に満ちた優しい顔で見送って、まるでどこかの上流階級の奥様の如く控えめに手を振りかえす。
看護婦ステーションのあたりを通り過ぎただろう。元気よく廊下を駆けて病院の看護婦さんに叱られる孫の声が遠くから反響して聞こえた。
鈴江はふふふ…と口元に軽く右手をやり、こみあげる笑いを押さえて楽しくなる。これだからまだ死ねない。あの娘が一人前になるまでは頑張らないとね。
テレビを消して一息つく。孫の声はもう聞こえない。
鈴江は満ち足りた表情をしてポツリとつぶやいた。
「あたしゃいい孫を持って幸せだ」
開けっ放しにされていた個室の扉がひとりでに閉まる。薄暗い部屋に照明の燈が灯った。
「フンっ、あれがオマエの孫か」
捻くれた男の高圧的な声が唐突に鈴江の病室に響いた。
鈴江ばあちゃんの性格が迷子。
まだ飛べません。二話で飛ばすはずだったのに、まだ飛べません。あれ~?
次回、肝試し大会。前座はまだあと一、二話だけ続きそうです。
祖母、鈴江の願いとは!?
※七月九日、微妙に大幅改稿致しました。
一万字を越えたので、半分に分けました。申し訳ありません。