了 夢は叶う
小説家になろうの本社である株式会社ヒナプロジェクト、その受賞者発表会場へ俺たちはやってきた。
灰色の絨毯が敷かれた大広間には、千人に及ぶであろう大人数で埋め尽くされていた。
学生服を着ていた俺たちはちょっとだけ浮いている。だが本当にちょっとだけであり、応募資格がないことから中学生、小学生くらいの子供までいる。上は白髪と白髭を蓄えたお爺さんまでいる。男女の差もほとんど五分五分だ。
作家だけばかりのこの場所は、とても賑やかな空気に包まれている。
「おおー……さすがに多いなぁ」
「みんな夢を持ってここに来たのだろう。夢を持つのに老若男女は関係ない」
「おー見てください、知ってる作者の人もちらほらいますよ」
遠井は近くにいる人物の胸元を指して言った。作品の応募者は受付でネームプレートを胸にかけており、作品名と作者名が明記されるようになっている。
「おお、『奴隷ハーレムは絶対君主』のミチテルだ。あっちには『敗軍魔王の奮闘記』の九十九一……年間ランキング上位の面々だぞ」
「わ! 『欲望のままに生きていくことが神様の役目ですから』のSIGさんって女性だったんだ!? あの作風で女性って……意外かも」
「冬子は興味のある作家はいないのかしら?」
「いないな。わたしは自分のことだけで精一杯だよ」
天宮部長はクールだな。ま、応募者のほとんどがファンタジーだし、天宮部長には興味の薄いことか。
「ねー、そこのキミ」
「ん?」
後ろから肩を叩かれた。
振り向いてみると、リクルートスーツを着た女性だった。OL然とした若いお姉さんといった外見だが、赤髪のエクステを髪につけているのが特徴的である。
胸にはネームプレートをつけていない。なろう大賞への応募者ではないようだが……
「どもっす。あーしK社の編集者の織田っていうんすけどー」
「はぁ……」
なんだ。めっちゃ軽い口調だな。
「……って、え? K社!? な、なんで!?」
K社といえば名前を聞けば誰でも知っているような超大手出版社だ。それこそ小説家になろう本社であるヒナタプロジェクトよりも数段規模の大きい会社である。ライトノベルもアニメもばんばん輩出していて今最も流行に乗っている出版社のひとつだ。
「どうしてK社の編集者がこんなとこに!? えっと、ここはなろう大賞の受賞者発表会場ですよ!?」
「んあー、なんつーかアレっすよ、ヘッドハンティング? ……じゃなくってスカウトっすか。そ、スカウトしに来たんすよ」
「スカウト!?」
「そっす。なろう大賞で受賞できなかった、けど実力があるって作家をなろう本社公認でスカウトしに来たんすよねー。もちろん仕事でっすよ。あーしが自分からこんなめんどっちーことするわけねーっすから」
ニヒヒヒヒと広角を釣り上げて織田さんは笑った。いや、俺、あんたの性格とか全然知りませんし。そんなこと言われても愛想笑いしかできねぇっすよ。
「え? じゃあもしかして俺をスカウトしに?」
「あー! そんなわけねぇっすよ! だって自分、加々崎歩さんでしょ? 『男子高校生が異世界に行ってみたらこうなった』の」
「ええ、まあ……」
「うちはそういうの間に合ってるんすよねー。あーしが欲しいのはもっと違って……」
「はあ……」
「いえ、まあ事前にリサーチはしてきてるんすよ。目当ての作家さんはいるんす。でも目当ての作家さんがぜーんぜん見つからなくってですねー。どうせならリアルで会っといた方が話速いかなーと思ったんすけど、こりゃダメだっつって」
ぺちんと額を手で叩いてみせる織田さん。どうやら甘い目論見が失敗したようで痛い目を見ている最中のようだ。
「んで、まー、どーにかして目撃情報からでも探していこっかなって思って。んでちょっち声かけさせてもらいました」
「はぁ、そうですか。でも俺が知ってる作家ですかね?」
「知らないなら知らないでいいっすよ。とりあえず作者の名前からっすけど、あ……」
あ? あから始まる人なのか? それなら俺の隣に天宮冬子という人がいるが。
と思ったが、織田さんは俺から目を離して、他の作家に目を奪われていた。あというのは、気づきのあだったらしい。
「あ……悪りっす! 他の目当てさんがいたんで失礼しまっす! じゃにー!」
「あ、ちょっと! ……行っちまった。なんだったんだ、あの人……」
変な人だったな。俺は頬をかいて消える背中を見送った。
しかし……受賞者以外にも、他社の編集者なんかも来てたりするのか。確かにこれだけ多くの作家が集まれば、大賞からは落ちても他の出版社が欲しがる人材もいるものなのだろう。プロデビューさえできれば、俺はそれでも構わないかな?
「加々崎、そろそろ発表が始まるようだぞ」
「お、ようやくか」
天宮部長に言われて、俺は正面の壇上に目を向けた。
マイクを持っている社員が挨拶を始める。
「えー、皆様、今日は小説家になろう大賞へのご参加、及びヒナタプロジェクトへお足運び誠にありがとうございます――えー、では、早速ですが、代表取締役のご挨拶へと移ります。ご清聴いただくようよろしくお願いいたします」
社員がそういうと、一人の男が壇上に上がった。小説家になろう代表取締役・梅崎祐輔である。彼がマイクを手にとると、会場内は静かになり、みんなして彼の発言を待った。ネット中継をしていると思われるカメラも一斉に一点へ集中した。
「こんにちは、梅崎です。本日は本社へとお越しくださり、誠にありがとうございます。現在会場内には大勢の人がいるように、小説家になろう大賞にはたくさんの応募が送られてきました。みなさま奮ってご参加いただいたようで、主催者としてこんなに嬉しいことはありません」
一泊、間を置いて本題を展開する。
「『ログ・ホライズン』、『魔法科高校の劣等生』……小説家になろうでは設立以来、数え切れないほど多くの名作が書籍化されてきました。ですが名作を生み出すのは、特別な人間ではありません。この場にいる人間全員にその力があるのです――今日、この場で、それらに並ぶ……それらを超えうる名作を発表したいと思います」
パチパチパチパチと拍手が喝采された。俺もならって拍手をする。
梅崎社長はマイクを社員に渡して壇上から降りた。
そして社員が頭を下げた後、大きな声で発言した。
「えー、それでは長らくお待たせいたしました。第X回小説になろう大賞、受賞作品の発表に移りたいと思います」
いよいよ発表の時が来た。
小説家になろう大賞の受賞者は三名と狭き門だ。会場内にいる応募者が千名を超えると仮定すると、その確率は1%にも満たない。
受賞対象者は銀賞・金賞・大賞それぞれ一名ずつである。
受賞すると、正賞として銀賞と金賞には作品の書籍化、大賞には作品の書籍化に加え小説家になろう本社お墨付きでプロデビューの契約を贈呈される。
さらに副賞として、銀賞20万円、金賞50万円、大賞100万円が与えられる。
「…………」
俺は胸の前で拳を握った。
大丈夫だ。この日のために行ってきた努力を忘れるな。自分を信じろ、自分の作品を信じろ。
「えー、受賞した作家様は、壇上の上へ来てください。それでは、えー……」
発表が始まった。会場内の空気が一気にざわついた。
「銀賞! 作者名、ミチテルさん! 作品名『奴隷ハーレムは絶対君主』!」
会場内から歓声が聞こえた。ミチテルさんとその身内の人だ。
おおお、さっき会場内で見たミチテルさんが! やっぱり受賞したか……あの作品、面白かったもんなぁ。
壇上へとミチテルさんが登っていった。後ろのスタッフから銀賞の表彰楯を受け取り、観衆の方へ向く。
それから社員が、ミチテルさんへマイクを向けた。
「銀賞おめでとうございます! 一言どうぞ!」
「いや、すごい嬉しいですね……。まさか自分が受賞できるなんて思ってなかったんで……ありがとうございます」
すこし照れくさそうにミチテルさんはコメントした。
うはぁぁ……! 俺もあそこに立ちてぇ!
「えー、続いて金賞です――金賞! 作者名、やまよもぎさん! 作品名『勇者が魔王の世界で』!」
名前を呼ばれて、女性の人物が壇上へ上がる。マジかよ。すごい小柄な人だ。まだ中学生くらいじゃねぇのか?
壇上へ上がったよもやまぎさんは小走りするように歩き、スタッフから金賞の表彰楯を受け取った。
「よもやまぎさん、金賞おめでとうございます! なにか一言あれば」
「すぅぅー……やったぁぁああぁぁぁあぁぁーーーーっ!!!!」
マイクに向かって大声で叫んだ。喜びを全力で表した咆哮だった。
千人もいるなかで金賞に輝いたんだ。よもやまぎさんの気持ちはすごいよくわかる。
「……残り一人だな」
隣にいる天宮部長は、腕を組んで壇上の方を見上げていた。
「ええ、そうですね」
「……大賞か。この大勢の参加者の中にいて、そしてあの二人を見て、まだ自分が受賞すると本気で思っているか?」
「…………ええ、本気で思ってますよ」
「フッ……わたしもだ」
社員の人が、観衆の方を向いた。
「えー、それでは最後の方です」
俺は目を閉じた。
頭の中でこれまでのことがグルグルと目まぐるしく回る。緊張で脳が爆発してしまいそうだ。選ばれたらどうしよう、選ばれなかったらどうしよう――ああもう、わかんねぇ、わかんねぇ。死んじまいそうだ。
待つだけだ。俺ができるのは、待つことだけ。
覚悟するだけ。
「大賞!」
俺は心して待った。
――星海。
信じさせてくれ。
「作者名――加々崎歩さん!」
目がひとりでに開いた。
心臓がドクンと飛び跳ねた。
あ、あ。
あ。
「作品名『男子高校生が異世界に行ってみたらこうなった』!!」
俺。
俺だ。
俺が、俺が、俺が――
「うぉおおぉおおおぉわああああぁああぁああぁぁああぁぁーーーーッ!!」
魂のままに叫んだ。
嘘、嘘だろ……お、俺。俺だ。
俺なんだ。
「うおおおっ!? 俺!? 俺!? 俺だああぁあぁーー!?」
受賞した。受賞した。受賞した。
俺が、小説家になろう大賞で、受賞した。
――大賞を、とったんだ。
「マジか……マジか! マ、マジで……うわあぁぁ!!」
俺は歓喜に狂いつつ、壇上の方へ足を運んだ。
ヤバイ。心臓が止まりそうだ。大賞……大賞! 大賞――!!
「加々崎歩さん、あちらへ……表彰楯を後ろのスタッフからお受け取りください」
「は……はいっ!!」
壇上に登った。
スタッフの元へと歩いていき、表彰楯を受け取る。……ははっ、やっべぇ。重てぇ。表彰楯なんて初めてもらったけど……重てぇよ、くっそ重てぇなぁ!!
あああ……あああ……!
「大賞おめでとうございます! 加々崎歩さん、一言!」
「う、嬉しい……嬉しいです! 最高に嬉しいですッ!」
拍手が喝采された。
会場内が、歓声に包まれた。
やっべぇ……もう、夢のようだ。なんだこれ。全身がふわふわしちゃってる。嬉しすぎて嗚咽しそうだ。ああ、もうダメだ。これ。これ――
「や……ったぁああああぁああぁぁああぁぁぁーーーーーーーーッ!!!!!」
夢が叶ったんだ。
「おめでとうございます――加々崎歩さん」
梅崎社長が、俺に話しかけていた。
うわ、すっげぇ……こんな偉い人が、俺に話しかけてる!? ――ここにいる現実も、今見ている光景も、すべてが夢のよう、夢のようとしかたとえようがない。
「お若いですね。『男子高校生が異世界に入ってみたらこうなった』は、本当に素晴らしい作品です。あなたのような若い才能を輩出することができて、私まで胸が込み上げるようです」
「い、いえ、そんな……!」
「これからも頑張っていってください」
梅崎社長が手を差し出した。
俺は、恐る恐る手を伸ばし、握手をする。
「はい、頑張ります、俺、俺――」
俺は言った。
「プロとして、頑張っていきます!!」
拍手の音が世界中に響き渡る。
俺は泣きながら、笑った。
*
表彰が終わると、会場内はパーティ会場と化した。
受賞した作者の元には、たくさんの人が押し寄せてきている。
俺のところにも。
「おめでとうございます、加々崎歩さん!」
「い、いやいやぁぁ……!」
「一昨日上がった最終話本当に面白かったです!! 悔しいけど……完敗です!!」
「そ、そんな……! ハハ……!」
「あ、私ファンだったんですよ! よければサインもらえませんかー?」
「えー? サインかぁ……実は練習してたし、いいぜぇー!」
俺のもとに、ひっきりなしに人がやってくる。
ダメだなぁ。これじゃせっかくの料理がぜんぜん食べられないぜ。あーあ。笑いが止まんねぇや! ははははは!
「加々崎くんチヤホヤされっぱなしねー。あたしたち全然近寄れないしー」
「うううう……っ! 教師としてこんなに嬉しいことはないわっ! ああんっ、涙と鼻水が止まらないのぉぉ~~!」
人の輪の外で遠井と大塚先生がこっちを向いて話をしていた。あー、あとで受賞したこと色んな人に伝えなくちゃなー、なんて考えたりして。
色紙にサインを終えると、人の輪の外からふたりの人物がやってきた。
「こんにちは、加々崎歩さんっ! 大賞おめでとうございますっ!」
「おめでとうございます」
「うおぉっ!? ミチテルさん! よもやまぎさん!」
銀賞のミチテルさんと金賞のよもやまぎさんだ。
壇上でも隣にいたが、近くで見るとやはりオーラを感じる。わざわざ挨拶をしに来てくださったのか。俺もしっかりしなきゃ。
「いえいえ、お二人も受賞おめでとうございます!」
「やはり嬉しいものですよね、自分の作品が選ばれたという事実は」
「ええ、もう夢のようです! っていうか夢が叶ったんです!」
「いいねー! 制服ってことは学生さんかな? 若いのにすごいなー!」
「えー? よもやまぎさんこそ若く見えますよ?」
「うふふふっ、これでも大学出てるんだよ?」
「え、マジすか!?」
しばらく受賞者同士で談笑をした。
ああ、やっぱり俺って受賞したんだなと再確認できた時間だった。
そうしてミチテルさんとよもやまぎさんが身内のところへ帰っていくと、人の波も収まったようですこし落ち着いた。
さてそれでは料理をいただきますかねー、とテーブルの方へ歩いて行ったその一歩目。
正面に、天宮部長がいた。
「あ、天宮部長」
「加々崎……」
天宮部長は腕を組んで、横を向いていた。髪がかかっていて表情がよく伺えない。
「決着はついたな」
「あ、えっと……」
天宮部長は俺の方へ歩んできた。
髪をかきあげて、顔を見せる。思いのほか普段通りの表情をしていた。
「お前の勝ちだ、加々崎。わたしなんか遠く及ばなかったな」
「え、いや、そんな……!」
「謙遜するな。胸を張れ」
胸を拳で叩かれた。すこし押したくらいの弱々しい力だったが、俺はコクリと頷いた。
そうだ。天宮部長は、結局受賞できなかったんだ。俺と同じように大変な努力をしてきたのに……俺以上に立派な努力をしてきたってのに、それでもやっぱり受賞できなかったんだ。
天宮部長は、今どんな思いで俺と向き合っているのだろう。
俺がそんなことを考えていると、心配している様子が伝わったのだろう、天宮部長は口の端を釣り上げて言った。
「フッ。お前に心配されるまでもないよ。今回がダメでも、次がある。小説家になろう大賞で受賞できなくとも――」
天宮部長は俺の横を通り過ぎた。
俺が振り返って天宮部長を見ると、天宮部長も俺の方を振り返っていた。
そして言う。
「それでもわたしは諦めない」
――やっぱり強い人だな。
信じてますよ。あんたなら必ずプロになれる。俺がなれたんだ、あんたがなれないわけがない。
おかしなことに、逆に勇気を貰ったような心境だった。むしろ俺のほうが天宮部長を元気づけてあげなければならない場面だったろうに。本当に本当に強いお人だ。
会場の外へと向かっていく天宮部長。その横に、遠井が寄っていった。
「あ、あの、天宮部長……どこへ行くんですか?」
「喧騒は好きではない。風に当たってくるよ」
「あ、じゃああたしもいっしょに……」
「すまない、千夏。一人になりたいんだ」
「……はい」
天宮部長の背中を見送った――頑張ってくれ。心の中でエールを送る。
よし! とひとり呟いて、俺は心機一転するように前を向き直した。
そうすると、目の前に女の人が立っていた。その距離5cm。
「え?」
「あ、あああああーーっ!!」
女の人は俺の目の前で叫びやがった。
「あ、あれ!? なんすか!? マジすか!?」
「……つつっ。誰だよ……つーか目の前で叫ぶな……」
「あっれ!? 加々崎歩さん!? ちょっと、あーしのこと忘れちゃったんすか!?」
「え? あ、あんた確か……K社の編集者の」
そうだ。発表が始まる前にすこし話をした、赤いエクステが特徴のOL風編集者だ。
名前は確か……
「織田っすよ! 織・田! んもー! マジびっくりっすわー!」
「いや、目の前で叫ばれた俺のほうがびっくりですよ」
「ん? あぁ、そういやあ加々崎歩さん、大賞おめでとっす」
「ん、ああ、ありがとうございます」
なんだその取ってつけたような言い方は。他に本題があるかのような口ぶりだが?
織田さんは俺の肩を叩いて、必死の剣幕で言う。
「いや、っていうかですねー……知り合いだったら先に言っといてくださいよー!」
「あの……さっきから何のことですか? 要領を得ないんですけど」
「あー! ……まぁいいっす! あーしが用あんのはあの人っすから!」
タッタッタと織田さんは走っていった。
誰のもとへ走っていくのだろうと見ていると、織田さんは、天宮部長に声をかけた――え? 織田さんのいう用がある人物って天宮部長なのか?
俺も気になったので織田さんを追っていく。
「……わたしに用だと? 何の話だ」
「い、いやー……はぁ、はぁ……すんません、ずーっと探してたもんで、ちょっち息切れしちゃって……今落ち着くんで待ってください……はぁ、はぁ」
「お、織田さん! 用があるって、天宮部長になんですか!?」
「そ、そうっすよ……この人、天宮冬子さんをずっと探してたんすよ……! いやー! 見つかってよかったー!」
「?」
天宮部長はなんのことかわからず疑問符を浮かべたような顔をしている。
肩で息している織田さん(そんな距離なかっただろ)はハンカチで額の汗をぬぐい、それから体制を正して胸ポケットから名刺を取り出す。
「いえ、あーし実はこういう者でして……」
「……? っ! K社の編集者!?」
「えっ、天宮部長、K社って……!? あの!?」
恐らく生まれて初めて名刺というものをもらったであろう天宮部長は、記されているその内容を目にして驚いた。隣にいる遠井も同じく驚いた。
「申し遅れました、あーしK社で編集者を務めさせてもらってる織田っていいます。天宮冬子さんが小説家になろうに投稿していらっしゃる『それでも僕らは諦めない』を拝見して、お声がけさせていただいた次第っす」
織田さんのセリフに、天宮部長は動揺一歩手前の様子を呈した。隣にいる遠井も、天宮部長の裾を掴んでおずおずとしている。
天宮部長はおっかなびっくり言う。
「K社の編集者がわたしに何の用だと……?」
「ええ。本社から『それでも僕らは諦めない』を書籍化してみないかっつー話が来てまして」
「――!!」
「で、差し支えなければその話を検討してもらえないかなと。まぁそういった訳です」
天宮部長は、まるで落雷に打たれたかのような衝撃に見舞われた。
織田さんの後ろで見ていた俺も、同じように衝撃を受けている。
「や、やった……」
遠井が真っ先に事態を呑み込んだようだ、花を咲かせたような表情をして天宮部長に言う。
「やった! やりましたよ、天宮部長! 書籍化! 書籍化ですって! ね、念願の……書籍化!」
「……い、いや……何かの間違いではないのか? わたしの小説が書籍化など、そんな話が本当にあるわけ」
「う、嘘じゃないですよね! 織田さん!」
「嘘なわけねーじゃねーですか。本社でも天宮さんの小説すっげー評判だったんすよ? 小説家になろうで埋もれさせておくにはもったいない人材だっつって……上層部のなんか芥川賞さえ狙えるレベルだって言ってましたよ」
「う、あ……いや、でも……」
天宮部長はまだ信じきれていない様子だ。なろう大賞を逃した直後に、他社から書籍化の話が来たのだ。急転直下の真逆ともいうべき怒涛の展開に、頭の処理が追いついていない。
それだけではない。もしかすると今まで小説家になろうで不遇な時期を過ごしていたから、自分がそこまでの作家だと思っていなかったのかもしれない。イヤミを含んだ強気な口調も、己を叱咤激励するための強がりだったのかも。
そう感じさせるほど、今の天宮部長は多大なショックを受けていた。全身が震えてしまっている。メッキが剥がれたというか、ありのままの姿が現れたというか――本当の天宮冬子があらわになった瞬間だった。
「本当の話ですよ」
だが俺は知っている。天宮部長が、実力を持っている作家だということを。賞の一つや二つをとってもおかしくないレベルの実力者だと、俺は知っている。
俺が、思ったんだ。『それでも僕らは諦めない』を面白いと、思ったんだ。
「天宮部長がすごい作家だってこと、『それでも僕らは諦めない』が書籍化するに値するほど面白い作品だってこと、俺は知っています」
「加々崎……」
「なろう大賞の大賞受賞者が言うセリフじゃないかもしれないけど――小説家になろうでの評価が、すべてじゃないんですよ」
「……っ!」
そうだ。俺と天宮部長は、文芸部で長い時間を共に過ごしてきたライバル作家同士なのだ。
お互いがお互いを認め合い、競い合い、高め合った同志。天宮部長のことなんて本人以上に把握している。
青春モノが素晴らしいものだって、俺は文芸部で知ったんだ。ファンタジーだけが小説じゃないって教えてもらったんだ。
だから俺の言葉を信じてくれ、天宮部長。
天宮冬子――
「わ、わたしが……『それでも僕らは諦めない』が、書籍化? ほ、本当に……?」
「ええ。本当の話っすよ」
「わたしの小説は……小説は……」
「天宮部長の小説は――面白い、です。俺が保証します」
「う、あ、ああ……っ!」
天宮部長は膝をついた。
自身の体を支えきれなくなり、その場にうずくまってしまった。
そうしてついに、天を仰いで泣き喚く。
「あああぁああぁぁあぁーーっ! あ、あああぁああぁ……っ! ありがとうございます……! あ、あり……ありがとう、ございます……う、ううぅううぅぅぅ……っ!」
「天宮部長……!!」
隣にいる遠井までも号泣していた。天宮部長の肩を寄せて、がっしりと掴んでいた。
さっき自分のことで泣いたばかりなのに、今度は天宮部長のことで泣いてしまいそうになった。
俺は涙をこらえて、天宮部長に伝える。
「おめでとうございます、天宮部長」
「ああ、ぐ、ううぅ……うううぅうぅ……! ひ、ぐ、あ、うああぁああぁぁあぁ……!」
努力は無駄にならなかった。
書籍化という最終的な目標に天宮部長はたどり着いた。
「わ、わたし……わたし……しょ、小説家、小説家にぃぃ……!」
小説家になったんだ。
「小説家に、なれたんだぁぁあぁ……っ!! ああぁあぁ……! 嬉しい……っ! 嬉しいぃぃ……! 嬉しいぃぃぃ……っ!」
俺は拍手を送った。遠井も拍手した。織田さんも拍手した。次第にその場にいる人たちも拍手した。
天宮冬子は、そして言った。
「書いてきて、本当によかった」
諦めのその先で夢が叶った。
天宮部長は笑いながら、泣いた。
*
「どんな辛い時でも諦めずに進んでいく、そんな人間がプロの作家になると思うんだよ」
なろう大賞の作品発表が終わり、地元に帰るころには夕方になっていた。
俺はいつものような帰り道を、いつものように友人と帰っていた。
まったく、一昨日あんなことがあったってのに俺が帰ってくるのを待ってたなんて、本当にいいやつだよなお前。
「アルクも天宮さんも小説をエタらせることなく最後まで書くことができたんだよね」
「ああ。最後の見せ場を書ききることができなかったらお互い書籍化はできなかっただろう。それだけじゃなく、諦めずに進んでいけたってことは今後俺たちの勇気になっていくだろうさ」
「勇気かぁ。一番自信を与えてくれるのは、過去の自分だってことかな?」
「そんな話だ」
俺が今回で成し遂げた経験は、大きな自信として俺を支えてくれるだろう。自分がすごい人物だってことを、自分が知っているんだから。
俺は言う。
「書いてる時は一人だけどさ、読んでる人は一人じゃねぇんだ。誰か一人がつまらないって評価でも、他の一人は面白いって言ってくれる。そして書き続けていけば、読んでくれる人は増えていくんだ」
「そうだね。面白いって人は続けて読んでくれるもんね」
最初から読者数が多いのも、続けていくうちに増えていくのも、本当は同じことなんだ。小説ってのは書けば書くほど面白くなっていく。いつかは誰もが読みたくなる小説を書けるようになる。
継続は力なり。プロになるために一番必要なのものは、やっぱり諦めない心なんだろうな。
諦めなければ夢は叶う。
それとも天宮部長ならこう言うのだろうか? 「途中で諦めてしまってもいい。最後にもう一度歩き出せたら」と。
友人は言う。
「それでさ、アルクはプロとしてどう生きていくの?」
「そうだな……俺はなろうで評価された人間だからな。なろうの枠を超えて活動するとなると、まだ上手くいかないこともあるだろう」
「天宮さんとは逆のパターンだね」
「だな。天宮部長は逆にどんどん羽ばたいていくと思うよ。不利な場所で実力が認められたんだ、商業でウケないわけがない」
天宮部長は、結果として読者に希望を与えることができた。なろう大賞には受賞できなかったものの、作者の目標は一律してプロになることなのだから。書籍化の話が来たことは、彼らにとって大きな希望となった。
俺は天宮部長のようになれるだろうか? なろうで書籍化した物語は、商業に、世間に受け入れられるだろうか?
「どちらにせよ、書いていくことには代わりねぇけどな。天宮部長は、青春モノでなろうを戦ってきたんだ。俺がファンタジーで商業を諦めるわけにはいかねぇよ」
「だね」
夢は叶っても、現実は続く。俺はただスタートラインに立ったに過ぎない。真の戦いはきっとこれからなのだろう。
でも、俺の物語はひとまず完結したということにしておこう。途中つまずいたこともたくさんあったけど、それら全部を引っ括めての最後。そう――なろう作家が、プロの作家になるまでの物語は、ハッピーエンドで完成だ。
「それじゃあな。もうあいつの家が目の前だ。お前とは、ここで別れなきゃ」
「うん……なんだか寂しくなるね」
「よせよ。俺がどこかへ行ったって、俺は生き続けてるんだぜ」
「うん。決して忘れないよ」
じゃあな、と俺と友人はその場で別れた。ありがとう。大好きだった友よ。俺こそ生涯お前のことを忘れない。
そうして俺は家の前にまで来て、インターホンを押した。
瞬く間に彼女は――星海は、扉を開いた。
「おー、おめでとう加々崎くん」
「ああ。ありがとう、星海」
「見てたよ、大賞を受賞した瞬間のこと。私も感激しちゃった」
「そりゃよかった」
「ねえ、確か大賞受賞者って、副賞に100万円もらってるはずだよね?」
「おいおい、お前は相変わらず金にしか目がねぇのな……そりゃもらったけどさ、何か使うアテとかあるのかよ?」
「あるに決まってるじゃない。私と加々崎くん結婚費用よ」
「……だからそういう不意打ちやめろって」
俺は顔を赤らめた。そういえば星海に告白されたのも、こんな夕方の日だったっけ。
星海は言う。
「じゃあ加々崎くん。せっかくだし、小説家になった記念になにか一言いってよ」
「一言? んなこといわれたって――」
俺が言うべきセリフなんて、ひとつしかねぇよな。
星海もその言葉を待っているのだろう。ワクワクしたような目で俺を見ている。
期待には答えなければならないな。
俺は笑顔になる。
それじゃあ、いざ――
「小説家になりました!」




