14
飛び出す必要はなかっただろ。
夕焼け。
帰り道をぼんやりと歩き、先ほどの行動を後悔する。
『俺が面白い話書けばいいんだろ……。それでいいだろ!』
捨て台詞として吐いたあの発言――そんなことが俺にまっとうできるというのか。
後先考えない発言だった。
取り消せるものなら取り消したい。
「はぁ……。どうしよう……」
今さらあの二人になんて言ったらいい。
星海。
甘木。
二人のことを考えると頭がぐちゃぐちゃになってくる。靄がかかっているように頭が鈍り、この先どうしたらいいのかまるでわからない。
俺は何をすればいい?
どこへ向かえばいい?
「なんでこんなことになったんだろ……」
楽しそうだと思ったから、俺は小説を書きたいと思ったんだ。
実際、それでここ一週間ほどは充実しっぱなしだった。小説を書くのは楽しい。そう思える日々。
けど――今回のこれは、小説を書いたことで起きたトラブルだ。
俺の小説が元となって起きた騒動だ。
「くそ……」
こんなことになるなら、小説なんて書かなきゃよかったか? なにもせずに日常を過ごしているほうが正解だったのか?
いや。
そんなことは言いたくない。書かなきゃよかったなんて、ぜったいに言いたくない。
今までの〝楽しさ〟や〝嬉しさ〟を否定したくない。
「じゃあどうすんだよ」
小説はやめない。依然として書き続ける。
だがこのまま書いていていいものかどうか。星海と甘木の口論をなあなあに済ませて、何もなかったように努めるのか。
〝取り入れた要望の数=面白さ〟。
それを正しいと言い張り続けるのか?
あんなことが起こったのに、まだ?
「読者は一人じゃなかったってことなんだよな、要するに」
星海と甘木が言い合いとなった元は、つまりそういうこと。
読んでくれている人の全てが、同じ方向を目指しているわけではないということ。
だからああだこうだと言い合いになってしまったのだ。
「船頭多くして船山に登るだっけ」
単純なことなんだよな。
しょうがないことでもあるが。
「…………」
もう考えるのも面倒臭い。
今はただ歩こう。
落ち着く我が家へ帰ろう。
そして寝よう。
すべてを忘れて就寝しよう。
「……!」
「…………ん?」
気のせいだろうか、後ろから誰かが走ってくる。
次第に近くなってきて、声をかけられた。
「おーい! 待って!」
「っ! ……お前」
振り向いてみると、そこには息を切らした友人が走ってきていた。
こいつ、俺を追いかけてきてくれたのか?
なんてやつだ。
「お前……! ――え?」
友人を迎え入れようと俺は立ち止まった。
が、
「どーん!」
「――!?」
俺は立ち止まったというのに、友人は、走る勢いをまるで殺さずにやってきて、その勢いのまま抱きついてきた。
その衝撃をキャッチするために、俺まで抱きしめるようなポーズを取ってしまった。
ば、ばか。なにいきなり抱きついてんだ。ここ外だぞ、わかってんのか。
「はぁ、はぁ……。やっと追いついた」
「お、おい! 離れ……」
「よかったよぉ、追いついて」
胸元で顔をスリスリしてくる。さながら妹が兄に甘えるようにだ。
見る分には微笑ましい行為だが、男同士でそれをやられるのは胸がドキドキするものがある。荒い吐息が服にかかってくるのも意識してしまう。
毒気を抜かれて、離れろとも言えない。
ひとしきりスリスリすると、上目遣いをして友人は言ってくる。
「あ、アルク……!」
「……おう」
「フォローは、しておいた」
「え?」
「星海さんと甘木さんに……、ね、大丈夫だよって言っておいたから。ぼくが何とかするって」
「……そっか」
そうか。
俺が飛び出していったことであの二人がどう思うか心配だったが……、フォローを入れておいてくれたのなら心配ないな。
なんて気遣いのできるやつだ。
ほんとうにありがたい。
「はぁ……はぁ……」
「お前、ずっと走ってきたのか?」
「うん」
「長距離走苦手なくせに」
「え、へへ。追いつかなきゃって思ったから」
「ったく……。なにか自販機で奢ってやるよ」
「ん、うん。ありがと……」
「……こっちこそ、ありがとな」
「いえいえー」
友人は目を細めて、それから俺の胸から離れた。
周りを見る。
夕日時の住宅街を歩いていたことが幸いしてか、どうやら俺たちの姿を見る人は誰もいないようだった。危ない危ない。
俺は近くの自動販売機にお金を投入して、ペットボトルのポカリを購入する。
取り出し口から取り出して、それを友人に手渡す。
「ありがとうっ」
満面の笑みで受け取った。
蓋を回してゴクゴクと飲む。がっつくように飲むその姿に、俺はなぜか赤面した。
ぷはぁー、と気持ちよさそうに口を離す。
「あぁ、おいしっ」
「…………」
「ん、どうしたのアルク?」
「いや……、なんか俺、お前に助けられてばかりだなって思って」
「そうかな?」
「俺と星海の仲も取り持ってくれてるし」
「あ……。ごめんね。ぼくが余計なことしなかったら今回のことは……」
「あ、いや! 皮肉じゃないんだぞ! ほんとうに嬉しいって思ってるし!」
「……そう?」
「今回の件は、不幸が重なったってだけで……。すくなくともお前は悪くない」
友人はペットボトルの蓋を閉めた。
それから友人はいってくる。
「伝えたいことがあるんだ。そのために走ってきた」
「え? ……伝えたいこと?」
「小説のこと」
「あぁ……」
「ぼくなりの意見」
「お前なりの?」
「まぁぼくもアルクの小説を読んでるから、これも一読者の意見ってことになるんだろうけど」
「え? あ、……読んでてくれてたのか」
「当たり前だよっ! アルクの小説を一番に読んだのは――ぼくだよ?」
「そうだっけ。……そうだったな」
「アルクの考え方は、〝取り入れた要望の数=面白さ〟だったよね」
友人の言葉に、俺は首肯した。
俺が読み専だったころ散々思ったことである――読者の要望を取り入れていけば、その作品は必ず面白くなると。
だが今回の件で、この考え方が正しいかどうかが揺らいでしまった。
この考えのままで書き進めていいものかどうか。
それを教えてほしい。
しかし友人は――俺が予想していなかった発言をしてくる。
「中学三年生のころ、覚えてる?」
「え?」
俺はぽかんとした。
どうして今そんな話を持ち出すんだ?
「そりゃあ覚えているが……」
「アルクがあの三人組を倒して、ぼくの家に来てくれた時のこと」
「あれか……」
あの頃の俺はほんとうに荒れていたな。素人相手に柔術を使うとかやりすぎだろう。事無きを得たからよかったようなものの。
……そういえば関係ないけど、あのとき手に入れた友人の写真、機種変するときにスマホに入れておいたんだよな。口が裂けても言えないことだけど。
友人はいう。
「ぼくね、考えたんだよ。ぼくなんかのために何かをしてくれる人がいてくれて、それがすごく嬉しくて。君のことを考えるだけで〝何かしたい〟って気持ちになって」
「…………」
「傍にいたいって思うようになったんだ」
「そうか……」
「でもぼくとアルクは、違う高校を選んだわけじゃない?」
「ああ。俺が二校で、お前が一校だった」
「離れ離れになりたくないな。どうすればいいかな――って考えて、ぼくが二校に行けばいいって結論に至った。けど」
「けど?」
「問題だったのは実はその後。だって親から反対されたんだもの」
「……そっか。そうだったんだ」
「『一校に行く』って言ったときに見せてくれた親の笑顔を、ぼくは壊したんだ。あの時の困惑した表情を思い出すと、今でも心が苦しくなる。……もともと親に頼みごとをするタイプじゃなかったからね」
「そりゃあ……親御さんも驚いただろうな」
「それでもぼくは、二校に行くって決めたんだ」
「…………」
「そして今、これで良かったって思ってる」
一歩、距離を詰めてくる。
友人は俺の目をじっと見つめ、俺も友人の目をじっと見つめる。
「あのまま親や世間体や話の流れに沿ったまま一校を選んでたら、絶対後悔してたと思う。アルクのいない高校生活を、ぼくは一生悔やんでいたと思う」
「…………」
「自分のやりたいようにする――そうしてきて良かったって、今、心から思ってる」
「…………」
「だからアルクも、自分のやりたいようにやってよ」
「……え?」
「小説、書きたいように書いてよ――それがぼくの意見だよ」
「小説……。書きたいように書く……」
俺は考え込んだ。
中学三年生のころの思い出が、脳裏を駆け巡った。
友人はいった――自分のやりたいようにする。そうしてきてよかったって思っている。と。
俺だって、そうだ。
俺だってあの時――頼まれてもないのに、三人組とケンカした。自分のやりたいようにやっただけだ。ただムカついたから、いじめを辞めさせたのだ。
それでよかったと思っている。
結果的にその行動が、俺とお前との繋がりを作ったのだから。
自分のやりたいようにして――いじめを辞めさせた。
自分のやりたいようにして――同じ高校に行くと決めた。
自分のやりたいようにしたからこそ、誇れる今がある。
小説でもそれは同じか?
周りの意見に逆らってでも、自分の意志を選択すべきか?
「アルク」
「ん?」
「アルクの作品は、アルクが作者だよ」
「なに当たり前のことを……」
「アルクが、作る人なんだよ」
「……っ」
そうだな。
その通りだ。
読む人が作るのではない。
作るのは俺なのだ。
俺が作らなくちゃならない。
それに――周りに流されてたどり着いた未来なんて、絶対つまらねぇよ。そんな未来に、行きたくねぇよ。
楽しそうだと思った。そこが自由だと思った。だから俺は――小説を書いた。
だったら、俺は俺を選ぶんだ。
読者だって大事だけど、今の俺にはもっと大事なものがあるんだ。
楽しみたいって気持ちが、あるんだ。
俺は笑う。
「ふっ。はは――ほんと、お前には助けられてばかりだな」
「そんなことないよ」
「そんなことあるさ」
「かな。えへへ」
「ありがとう――」
「――へ?」
俺は。
感極まってしまい、思わず友人を抱きしめてしまった。
感謝の意をどうしても伝えたくて、体が勝手に動いてしまったのだ。
それはまるで――あの日の放課後、俺の手を握り返した友人のごとく。
むぎゅ。
「わわ、アルク! アルク! ここ外だよ!? ねぇ、ねぇ!」
「わかってるよ……。けどもう少しこうさせろ……」
「な、ななな!? う、あ、あううぅ」
「はぁ……。大好き……」
「え!? えぇぇっ!? な、なにいってんの!? 彼女いるでしょ!?」
「友達としてだよ……」
「ぜんぜんそう聞こえなかったよ!」
くっそ。
かわいい。
抱きしめる力が強くなる。
ぎゅぅぅ。
いい匂いだし。
ずっとこうしていたい。
「アルク! アルクっ!」
「なんだよ……。わかったってば」
俺は友人から離れた。
夕日のせいとは言い訳できないほど、お互いの顔は真っ赤っか。
「こほん」
俺はわざとらしく咳払いした。
それから俺はいう。
「自分のやりたいようにする――って、こういうことだろ?」
「も、もぉぉ……!」
「はは。確かに……すげぇ幸せな気持ちになるな」
「……ぼくもだけどさ」
「教えられたよ。吹っ切れたような気がするぜ」
友人の助言を受けて、なにかがわかった気がした。
自分のやりたいようにする。
それで得た未来なら、きっと誇れる。
ならば。
「要望ってやつには悪いけど……次の話は、思いっきり好き放題する話を書いてやるか」
「アルク……!」
俺が元気になったのを見て、友人は嬉しそうに微笑む。
その笑顔はこれ以上なく可愛らしい。
「それじゃあ頑張ってくるぜ!」
「うんっ!」
いてもたってもいられなくなった俺は、走って家へと向かっていく。
憂鬱な気持ちは吹き飛んだ。
書きたい気持ちで、いっぱいだった。




