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 当時・中学三年生のころのあいだの俺は、いまと比べてみると――すこし〝荒れていた〟。

 たぶん思春期特有の全能感だとか受験によるストレスだとかが溜まっていたからだろう。イライラしやすい時期だったのだと認識してほしい。

 いまの俺とはちょっとキャラクターが違うけど、まあ、人間なんて年月の経過でかんたんに変わるものだ。そこらへんを突っ込まれても仕方ないだろとしか言えないから、あらかじめ了承しといてくれ。

「はぁ……。ダッルいなぁ……」

 中学校。

 放課後。

 その日、俺は忘れ物をしていたことに気付いて、教室の前にまで来ていた。

 教室の中に誰かいたらどうしようかな……、とか、もうこんな時間なんだから誰もいるわけねぇか、とか、そんなふうにちょっと憂鬱になりながら俺は扉を開ける。

 すると教室の中に一人だけ――机で眠っている女子を一人発見した。

「…………」

 西日から目を背けるように、こちらに顔を向けて眠っている女子。

 これまた気まずいときに来ちまったもんだ、と俺は思った。

 気持ちよさそうに〝そいつ〟は寝ているので、できれば起こさないように忘れ物を取りに行きたかったのだが――運の悪いことに〝そいつ〟は、俺の後ろの席にいるやつだった。

 必然的に〝そいつ〟の近くに寄ることになる。

「……誰だっけな、こいつ」

 小声でつぶやきながら自分の席へと向かう――俺はあんまりクラスの連中とつるまない質だった(ここらへんは高二になっても変わってない)ので、後ろの席にいる〝そいつ〟の名前を俺は知らない。

 顔さえロクに見たことがない。

 俺は、自分の席につく。

 それから机の中を探って、忘れ物を無事に回収する。

「…………」

 俺は席に座ったまま、後ろへ振り返った。

 そんなつもりは毛ほどもなかったのだけど、近くに来てみると〝そいつ〟の寝顔があまりに可愛かったもので――俺はすこしだけ〝そいつ〟の寝顔を観察してしまった。

 顔にかかる髪とか、閉じている目とか――見ているうちに、カワイイなぁと、胸のあたりが温かくなるのを俺は感じる。

 すー……すー……という寝息もなんだか愛くるしい。

 好きな女子とかいねぇけど、〝こいつ〟とは付き合ってみたいかもな、なんて思ってみたりもした。

 ――まあ。

 ――もうすぐ俺らは卒業するわけだから、こいつともきっと離れ離れになるんだろうけど。

「んぅ……」

「!」

 〝そいつ〟はとつぜん寝言のような声をあげて、体をもぞもぞと動かした。

 俺はびっくりして、とっさに廊下のほうへと視線を向ける。

 そうすると――

「!?」

 俺の手が、いきなり〝そいつ〟に掴まれた。

 何事かと思った。

 ――俺の手はその時、〝そいつ〟の机の上に置いていたのである。こう、後ろに体をひねって、肘を置くような感じの体勢をとっていたのだ。

 寝ぼけているらしく、〝そいつ〟は握っている俺の手をもにゅもにゅと両手で揉むようにする。

「く……! くひっ……!」

 その手の柔らかさと、それに揉まれるくすぐったさといったら、これはもう筆舌に尽くしがたい。正直にいうとこのとき俺はかなり興奮していた。当たり前だ、初対面の女子にこんなことをされたら誰だって興奮する。

 〝そいつ〟はしばらく俺の手を揉んでいたが、徐々に頭が覚醒してきたらしい。おもむろに寝ぼけ眼で俺の顔を見上げた。

「ん……。んー……?」

「く、くっ」

「あれ……?」

「よ、ようっ」

「…………」ボーっとしていたが、はたと気付いて。「――!?」

 起きたようで。

 〝そいつ〟は一瞬にして俺の手を離し、後ずさりするように体勢を整えた。

 〝そいつ〟はまだ頭が冴えていないのか現状を把握できていず、「えっ、えぇぇ……っ?」などと言葉にならない声を出す。トロンとした目で俺を見詰め、それから服の袖で垂れていたよだれをゴシゴシと拭いた。

 その仕草に俺は、顔が熱くなる。

 俺はいう。

「お、おはよう」

「……おはよ」

 会話はそれで途切れた。

 お互いにどんな話をしたらいいのかわからなかった――席が近いとはいえ、ほとんど初対面なのだ。なにを話せばいいのかなんてわかるはずもない。

 だから〝そいつ〟は――

「あ、ごめん。ぼく、帰るねっ」

 といっていそいそと席を立った。

 ん?

 いまこいつ、『ぼく』って言ったか?

 ――この時ようやく気付くことになるのだが、目の前にいる〝こいつ〟はどうやら男であるらしい。見てみれば制服だって男物だ。造形だけで性別を判別していた。

 そうして俺は、

「あ、おい」

 と〝そいつ〟を呼び止めた。

 〝そいつ〟は、なぜか怯えるように返事する。

「……な、なに?」

「いや、なんていうか――お前、男なのな」

「え? う、うん。男、だよ?」

「わりぃ。なんか可愛かったから、女子かなーって」

「え、あ、そうなんだ」

「わ、わりぃな」

「え? いや、いいよいいよ。……えへへ」

 よそよそしい雰囲気だった。

 だが俺は、〝そいつ〟と話をしたい気分だった――女子と勘違いしてドキドキとしていたけど、男子とわかれば話せるような気がした。なにより俺は、〝そいつ〟のことを気になり始めていたのだ。

 なんとなくだけど。

 〝こいつ〟のことをもっと知りたいと思っていた。

 俺はいう。

「……なんで教室で寝てたんだ?」

 話題作りのために俺はそういった。

 〝そいつ〟はすこし逡巡した素振りをみせて、やがて俺を話すことを良しとしたのか、ふたたび着席した。

 それから〝そいつ〟はいう。

「ぼく、掃除してて……、それでちょっと疲れちゃって……」

「あぁ。そうなんだ」

 ん?

 と、俺は納得しかけるが――しかしよくよく考えてみると、今日の掃除当番は別のやつだったと記憶している。

 俺の記憶違いかと確かめるためにそのことをいってみる。

「あれ? 今日の掃除当番って、お前じゃなくないか?」

「……その人、今日忙しいんだって。だからぼくが代わりに、ね」

 〝そいつ〟の話しぶりは、やや重苦しげだった。

 それだけで、俺は事態を悟ることができた。

 話の雲行きがあきらかに怪しい――そういえばこのクラスには有名な三人グループのDQNたちがいる。

 今日の掃除当番も、そのDQNたちが当番だったはずなのだ。

 あのDQNたちのことだ。きっともともと掃除する気なんてなくて、ほかの誰かに任せればいいと思ったに違いない。

 そしてその誰かに〝こいつ〟が選ばれた――のではないか。

 俺はいう。

「今日の掃除当番って、確かあの三人組だろ?」

「そうだね」

「お前、なんでそれ引き受けたんだ? 断れなかったのか?」

「まぁね」

「無理やりさせられたのか?」

「そうかもね」

「……もしかして、いじめられてんのか?」

「たぶんね」

 俺の推測は確信に変わる。

 そうして〝そいつ〟の話を聞いてみると、かなり長い間、しかも陰湿かつねちっこくDQNグループにいじめられていたらしいことがわかった。

 それらは悲惨の一言。

 中学に入学した当初から目をつけられていた事。

 二年生のころには登校拒否にまで発展した事。

 この三年間のあいだに受けていた数々の出来事。

 などなど。

 ほとんど面識のない俺が相手だからなのか、〝そいつ〟は今まで受けていたいじめについてすらすらと話してくれた。

 俺の気分はといえば、まさに急転直下という感じであって、

「マジかよ……」

 と、そんなふうな感想しか出てこない。

 俺たちの通うこの学び舎に、そのような凄惨ないじめが行われていたことがまず信じられなかった。

 信じたくなかった。

 そしてそれを、中学三年生の卒業間際の時期まで気付けられなかった自分の不甲斐なさに情けなさを感じた。

 もっと早くに気付けていれば……、なんて、そんなふうに強く思ったものだった。

 今になって考えると、この時の俺が抱いたその感情には、自身にたいする驕りみたいなものが含まれていたように思う。たとえ中学一年の春からいじめに気付いていたとしても、それを俺一人でどうこうできるだなんて、高二となった現在の俺にはどうしても思えない。

 俺が情けなさを感じたのは――自分一人でどうにかできると信じ込んでいたがゆえである。

 驕慢だったがゆえである。

 俺はいう。

「お前……、辛くなかったのか? ずっといじめに遭い続けて、どうにかしたいとは思わないのか?」

「どうにかしたいとは思ってる。でも一体三じゃあね……」

「それはそうだが……」

 俺は拳をギュッと握る。

 俺がそうしていると、〝そいつ〟は衝撃の事実を口にしてきた。

「一回勇気を出して『やめてよ』って言ったことはあるんだ」

「……そっか。でも……」

「うん。ダメだった――抵抗したことが気に障ったらしくて……、ね――脱がされて、写真を撮られちゃって」

「え――?」

「だからもう、抵抗できないだよね」

 照れるように〝そいつ〟は笑った。

 バカな。

 なんで笑うんだ。

 ここは泣いたっていい場面だろうが。

 それがどんなに屈辱的で、どんなに惨いことであるかなんて、話半分に聞いた俺にさえもよくわかるというのに――当の本人がそんなにへらへらしていたら、まるでそれが大したことないことのように感じるじゃないか。

 そんなわけがない。

 それは人権を蹂躙している。

 人の尊厳をこれでもかと踏みにじっている。

 ここが中学校でなければ犯罪として裁かれるべき悪事だ――いや、中学校だから犯罪にならないというのもまったくもっておかしい話なのだが……、学校側が事を隠すだろうことを考えるとやはり犯罪として取り上げられないのが現実だ。

 なんて理不尽な話。

 しかもそんな話、仮に学校側が措置を取ってくれるとしても、本人の口から言い出せるはずがない。

 いじめを受けている本人でさえも、公にしないためにはその屈辱を甘受するしかなくなる。

 まさに八方塞がり。

 弱みを握られるということは、これほどまでに生き方を制限されるものなのか。

 〝そいつ〟はなおも「へへ……」と砕けたように笑っている。

 俺にはその笑顔がただただ痛ましくて、心にどれだけの傷を負わされたのかが一目瞭然だった。

 俺は震える――怒りと憤りと、虚しさによって。

「お前……。お前……」

 掛ける言葉が見つからず、俺はぶつぶつとぼやいた。

 対照的にいじめを受けている〝そいつ〟は、なんの気負いもなく平然という。

「そんな大事ってわけでもないよ。こういうことには慣れてるし」

「…………」――慣れてることがもうすでに異常なんだよ。

「それにもうすぐで卒業だからね。もうすこしだけ我慢すれば、こんな日々からは解放されるよ」

「卒業……。そうだな」

「うん。あともうちょっとの辛抱」

 そういわれると、他人事なのに俺の気は晴れた。

 希望が見えたような心持ちだった。

 俺はいう。

「卒業か……。お互いに受験が大変だよな」

「そうだねぇ」

「つっても俺は二校にいくんだけどな。俺のレベルだとそれが限界だ。これでもかなり無理してる」

「あー、そうなんだ。二校に行くんだ。……じゃあ高校生になったらお別れだね」

「別のとこ行くのか。……なんか残念だな」

「うん。ぼくもそう思う」

「で、お前はどこの高校に行くんだ?」

「ぼくはねー……、ちょっと頑張って一校にいくことにしたんだーっ」

「一校か。へぇ、勉強できるんだな」

「そんなことないよ。……ただ、やっぱりいいとこに行かなきゃなって思うんだ。親には孝行しないとね」

「ははっ、〝高校〟だけにか?」

「……ぷふっ」

 不意打ちだったようで、〝そいつ〟は噴き出した。

 その笑顔に、俺はとても惹かれた。

 だが、

「ん?」

 と、ふと俺は引っかかりを覚える。

「一校……?」

「うんっ」

 引っかかったものがなんなのかを思い出すために、俺はすこし沈黙する。

 あれ?

 確かあのDQNグループって、質の悪いことに勉強はできてたような気がするんだが……。

 しかもつい先日、どこの高校に行くかという話をおおっぴらにしていたような……。

 俺はいう。

「えっと? ところであの三人組ってどこの高校にいくんだっけ?」

「……? さぁ。知らないけど」

「…………!?」

 徐々に記憶がよみがえっていく。

 あいつら、確か、どこの高校に行くかをかなりひけらかしていたような……。

 それってつまり、いい高校に行くからってことだよな……。

 …………。

 …………!

 あぁ! 思い出した!

 あいつらも一校に行くとかいってたんだ! ……そうだ! 間違いない!

 ってことは……。

 〝こいつ〟……。

「高校生になったら、もうちょっと積極的に友達作らなきゃなー。恋愛とかもしてみたいしっ。……でも勉強追いつくかなぁ」

 ああ。

 知らないんだ。

 あいつらも同じく一校を志望しているということを――〝こいつ〟は知らないんだ。

 ……なんてことだ。

 じゃあ高校にいっても、〝こいつ〟の境遇はなにも変わらないってことじゃないか。

 中学三年間で受けていた痛ましいそれぞれを――高校三年間でふたたび繰り返すことになるだけだ。

 何も変わらない。

 高校にいってもいじめから逃げられない。

 それを〝こいつ〟は――知らないのだ。

「…………」

 知っている俺からすれば、それはまさに絶望の二文字。

 終わると思っていた地獄の日々が、まったく同じように繰り返される。

 それはどれだけ辛いことだ?

 逃げ果せたと思ったのに、最初からもう一度――

 なんて。

 なんてことだ。

 こんな話があるか……。

 中学に入学した当初から目をつけられていた事。

 二年生のころには登校拒否にまで発展した事。

 この三年間のあいだに受けていた悲惨な出来事。

 さらに、抵抗しようとしたら脱がされて裸の写真を撮られた事件。

 せっかくここまで我慢してきたというのに、それをすべてもう一度だなんて……。

 今度こそ、心が折れるかもしれないぞ……。

「ふふっ」

 〝そいつ〟は、はにかむ。

 目を細め、ニコリとして。

 心の底から希望を信じるように――

「高校生になったら、今度こそ楽しくやっていきたいなっ」

 純真無垢な笑顔だった。

 なんの濁りもなく、どこまでも純粋な微笑みだった。

 だからこそ――

「…………」

 俺の心は張り裂けた。

 もう黙っていられない。

 俺は。

 机の上で組まれていた〝そいつ〟の手を、両手でギュっと握る。

「えっ!? ……な、なに?」

 俺は俯く。

 顔を合わせようとはしない。

 その笑顔を正面から見据えることがどうしてもできないから。

 俺はいう。

「大丈夫だ……。安心しろ。ぜったい楽しくなるよ、高校生活は」

「う、うん? そうしたいよねっ」

 焦ったような声で〝そいつ〟はいった。

 俺は椅子から立ち上がる。

 そうして俺はいう。

「きっと大丈夫だ。俺が、なんとかするから」

「……?」

 俺は扉へと歩いた。

 キョトンとした顔を尻目にし、そのまま教室を出て行った。

 なにがなんだが〝あいつ〟にはわからないだろう。

 さぞ俺を変なやつだと思ったことだろう。

 それでいい。

 わからないままでいい。

 なにもわからないまま――俺がなんとかしておくから。

「……あー、くっそ。あいつ可愛いわ」

 廊下を歩く。

 イライラしていて、わけのわからないことを俺は呟く。

 そうして思う。

 ――あの笑顔を壊したくない。

 わかっている。

 べつに〝あいつ〟を助けてやる義理なんてないし。

 どころかこんなのは余計なお世話でしかない。

 こんなことをしたってなんの得もない。

 見返りだってあるはずない。

 だけど。

「ムカつくんだよな……」

 単純にイライラする。

 あんなイイ奴がこぞって損をするこの世の中に、心底イライラする。

 俺にあるのは怒りだけだ。

 思春期特有の全能感だとか受験によるストレスだとかも重なって、俺の怒りは人生史上最高潮だ。

 だから。

「クソが。あいつら、前々から気に入らなかったけど――いい機会だ、決着をつけてやる」

 義理じゃない。余計なお世話でもない。

 感謝なんてされなくてもいい。

 これは俺の個人的な感情だ。

 憂さ晴らしとして、八つ当たりとして――俺は、

「潰してやる」

 心に決めた。

 今晩中に、あのDQNグループを叩きのめす。

 そう心に決めた。

 もう止めることなどできない。

 誰にも俺を止めさせない。

 そして誓わせてやる――高校に行ったら、二度と〝あいつ〟をいじめるな、と。

「今に見てろよ、あのクソ野郎共」

 俺はケンカをするだけだ。

 つまり――やりたいようにやるだけだ。

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