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俺は、趣味としてネット小説をよく読む。
『小説家になろう』という大型小説投稿サイトがある――色んな小説が毎日百作くらいは投稿されていて、ピンキリとはいえ面白い作品も多い。中にはこのサイトからプロ作家になる人もいるという。
アマチュアの人が書く小説には独特なものがあって、商業とはまた違った味がある。
お金だってかからないし。
ぶっちゃけていえば、俺個人としてはネット小説のほうが面白いと感じるくらいだった。
「あー。勉強しなくちゃな」
自分の部屋に帰ってきた俺は、カバンをそこら辺に投げてそういった。
30点の答案用紙が脳裏によぎる。
今すぐにでも勉強を始めないと、次こそはほんとうに追試をくらってしまうかもしれない。
いやそれならまだ救いがある。最悪の場合、このまま何もしないでいると留年ということまでありうる。
留年……。
「うわぁぁー! 留年だけはいやだー!」
俺以外みんな年下の教室とか、死ねるわ!
頭を抱えて叫んだ俺は、焦燥感につつかれて勉強の支度を始めた。カバンから教科書とノートを取り出す。勉強机の本棚から参考書を取り出す。
机に向かって、シャーペンを握り締める。
「…………」
五分。
十分。
十五分――
「うがぁ」
俺はたちまちシャーペンを投げた。
「頭働かねぇ……。なんも考えられん……」
十五分程度で俺の頭は早くも限界を迎えていた――できたことはといえば、ノートの上部分に見出しを書くことだけなのだった。これでは一ページ無駄にしただけといわれても反論できない。
ダメだ、と思って俺は机から逃げる。こんな状態では勉強なんてできるものか。何の成果も上げていないが休憩だ。
ぼふっ。
とベッドに俯せに倒れる。
そのまま目を瞑る。
「…………」
五秒。
十秒。
十五秒――
「ぶはっ」
俺は顔を上げた。
それから、
「……現実逃避しちゃうか」
と呟いてベッドから起き上がった。
勉強したくないから、趣味に逃げるのだ。
わかっている。こんなふうに逃げてばかりいるから俺は30点なんて取ってしまったのだ。だけど今の状態で勉強したってどうせ頭は働かない。ボーっとして時間を浪費するくらいなら、趣味に時間を費やす方がまだ有意義のはずだ。
今日はもう逃げさせてくれ。そうでもしないと頭が爆発する。
「小説を読もう……」
俺はスマホを手にとって、ブックマークから『小説家になろう』へ飛ぶ。
今読んでいるお気に入りの小説――あれなら今の俺でも癒してくれるはずだ。そろそろヒロインとの仲が大詰めになる展開にきていて、楽しみなのだ。
俺は、そのお気に入りの小説のページまでやってきた。
しかし、
「……あぁ。まだか」
残念ながら今日も最新話の更新はされていなかった。
アマチュアが投稿しているわけだからしかたないといえばそれまでだが――『小説家になろう』に投稿されている小説の多くは不定期更新である。毎回決まった時間に投稿してくれる立派な作者もいるけども、その人たちでさえある日とつぜん更新が滞ることもある。
読みたいときに読めないなんていうことはザラだ。
だからとりたてて落ち込むようなことではないのだが……、俺の心が癒されないと知ると、なんというか、希望をベキリと折られたような心持ちだった。
「はぁ……」
俺はスマホを枕元に投げやる。
それから別な暇つぶしを模索する――
テレビも見ない。マンガも読まない。ゲームもしない。面白いと思えるものはもうやりつくしたから。
今から遊べる友達もいない。唯一の親友と呼べる男の娘の友人は塾だから。
彼女だっていないし。
「…………」
結局、何もなしか。
あぁ。
どうして世界はこんなにも退屈なんだろうか。
つまらない。
「……ほんと、トラックに轢かれて死んでみたいもんだよな」
俺はそう独白した――その文言は友人の前で吐いたものと同じものだった。
だがこの文言は、決して死にたいという意味ではない。友人には伝わらなかったものの、これは、生まれ変わりたいという意味で言った言葉なのだ。
俺の読んでいるお気に入りの小説――その最初の部分が、まさにトラックに轢かれて死ぬという始まり方なのである。信じられるか? 最初の最初で主人公が死ぬだなんて、ふつうの小説ではまずみない始まり方だ。
死んだ主人公は、そこから生まれ変わって別の世界にいき第二の人生を始める。そこは中世ヨーロッパのような異世界であり、俺らのいる現代日本とはまったく違った楽しい世界だ。
俺らみたいな一般人が、トラックに轢かれて死んで、別の楽しい世界へいくのだ。
憧れないわけがない。こんな退屈な世界で生きている俺なんだから、それに憧れないわけがない。
俺も生まれ変わってみたい……。
「……でも死んだら、やっぱ周りの人が悲しむよなぁ」
俺が死んだら、まず家族が悲しむだろう。学校のやつらも俺の机に菊を供えたりするだろう。
そしてなにより……、あの友人だ。
もしかしたら泣くかもしれないよな。
あいつが泣くところは見たくない。
そう思うと、俺は死ぬわけにはいかない。
絶対にだ。
「…………」
それでも俺はこの退屈な世界で生きることに苦痛を感じている。
この退屈を塗り替えてしまいたい。
なにかないものか。
死なずに生まれ変わる方法――そんな都合のいいものが、なにかあれば……。
「あ」
と、俺は閃いて、立ち上がった。
そうだ。
「――俺が自分で小説を書けばいいんじゃないか?」
口にしてみて、不意に体が震えた。
気付いていみて、どうして今までそうしてこなかったのか不思議なくらいの名案だった。
小説の世界に身を投じる。
楽しそう。
一度その考えに意識がいくと、俺の心がどんどん高揚していった。殻を破るような感覚。熱が上り詰めるような衝動。そんな情熱めいたものが俺の体の中で渦巻いていた。
ヤベぇ。
めちゃくちゃ楽しそうじゃんか。
「いいじゃん……。すげぇいいじゃん……っ!」
どうしようか。
ほんとうに書いてみるか?
「…………」
顎に手をやって思案する。
すると、一つの不安要素が浮かび上がる。
「でも……書き方がよくわからないんだよな……」
俺は小説を書いたことがない。どうやって小説を書けばいいのかがよくわからない。いつもネット小説を読んでいるからある程度の書き方はわかるけど――厳密なルールは何も知らない。
ルールは調べなくちゃいけないか。
なんか。
面倒くさいな……。
「あ、いや」
俺はその瞬間、別れ際にいわれた友人の言葉を思い出した。
友人はこういっていた――「あ、あんまり固く考えることはないと思うから……」と。
その言葉の意味が今になってようやくわかった。
そうだ。
固く考えることなんてないんだ。
確かに学校とか社会とかではそういう固さは必要なものかもしれないけれど――なんで趣味でまでそんな堅苦しくならなくちゃならないんだ?
好きなことくらい、好きにしたっていいじゃないか。
ルールとかよくわかんなくても、書いちゃっていいじゃないか。
細かいことなんて、後から憶えればいい。
書いてみたいという理由だけで書いたっていい。
ああ。
それをダメだと思うから、自由があるのに気付けないんだ。
ああ。
とりあえず書いて、そこから考えればいいんだ。
ああ。
そうだ。
「よっし……、じゃあ、いっちょ――やらかしてみるか!」
落ち込んでいたテンションが一気に昂った。
それはまるで死んだ人間が生まれ変わったかのようだった。
楽しそうな未来――それに向かって俺の体は、嬉々として動いていく。
書こう。
好きなように書いてしまおう。
今まで読むばかりだった――いわゆる読み専だったけど、俺も、今こそ、書いてやろう。
それじゃあ、いざ――
「小説を書こう!」