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放課後。
俺は、友人といっしょに帰るために下駄箱で靴を履き替えていた。
友人はいう。
「ねえ、アルク」
「あん?」
「やっぱりぼく達がずっといっしょだと、星海さん、声かけづらいんじゃ……」
「まだそんなこと気にしてたのかよ」
「だって……、せっかく彼女ができたのにこれじゃあ申し訳ないよ……」
「いいんだって――星海よりも、お前のほうが大事なんだから」
「あぅ……」
そんなやり取りをしつつ靴を履き替え、校舎を出る。
今日も今日とて学校は疲れた。最後の六時限目では体育教師に腕を壊されそうになったし、やれやれという感じだ――作家にとって腕は生命線なのだから、大事に扱ってほしいものである。
グラウンドを歩く。
緊張が弛緩する。
リラックスの溜息を吐く。
「はぁ……」
すると。
突如として、いいネタが思い浮かんだ。
「お、メモメモ」
俺はポケットを探って、メモ帳を取り出す。
――この三日間で発見した事実。それは……アイディアは、リラックスしている時ほど出やすいものだということだ。
考えに行き詰まっているときはいくら考えてもダメ。
諦めてほかのことをしだしたら、ふとアイディアが思いつく。
そういうことが多い。
これは俺の経験則かもしれないが、なにも考えないでいるときほど、ポンとなにかが思い浮かぶものだ。とくにトイレにいったときなんかは八割の確率でアイディアが出たりする。お風呂でもよくアイディアが浮かぶ。
今回の場合も、学校が終わったということで緊張が弛緩し、リラックスしたからアイディアが出たのかもしれない――
いいアイディアがでたら早急にメモ! ネタは鮮度が命! 大きい獲物を撮り逃すな!
「ええっと」
俺はポケットをまさぐる。
しかし、
「あれ?」
無い。
メモ帳がポケットに入ってない。
「え? あれ、あれ!?」
俺はやにわにパニックになって、全身を手で確かめる。いつもと違うところに入れたのかもしれないと思ったが、どこにもない。
俺の不審な動きに、友人は訝しむ。
「アルク? どうしたの?」
「ない! メモ帳がない!」
「えぇっ!?」
「ヤバい! どっかに落としたのかも……」
「た、大変!」
「大変なんてもんじゃねぇ! あれがないと小説のネタが漏洩しちまう……! 軽く作家生命の危機だぞ!」
「あっ、もしかして体育のときに落としたんじゃ……!?」
「――! それかもしれない! 急いで取りに行かねーと!」
「うんっ! 中身を見られたらまずいもんねっ!」
「ああ、企業秘密だぜ!」
「二人だけの秘密だよね!」
俺と友人は急いで、体育館へと走っていく。
まずい……。この時間帯の体育館というと、どこかの部活が使っているかもしれない。もしその人たちに中身を見られたら――作家生命の危機だ。
あれはぜったいに見られちゃいけない代物なんだ。
「はっ……! はっ……!」
必死に走り、俺は体育館に到着する。
扉は開いていたので、そのまま中の様子を見てみる――すると、
「……なんだ? 人だかりができてるな……」
体育館にいたのは、チアリーディング部の部員たちだった。
女子部員だけの体育館内――非常に入りづらい雰囲気。いやそんなこといっている場合じゃない。白い目で見られようともメモ帳を手に入れなければ。
しかし、なんだ?
俺の視界に入るチア部の女子部員たちは、練習しているわけではなかった。なにかわからないが、数人の部員が集まって円形になっている。そしてときどき女子特有の甲高い笑い声が――
「あ、アルク!」
「おお、どうした?」
「あそこに集まってる人たち、もしかしてアルクのメモ帳を見てるんじゃ……」
「――ッ!?」
友人に指摘され、俺は再度その人だかりを見る。
いわれてみれば、そんな気がしてきた――集まって俺のメモ帳を見ていて、その中身を笑っている……、そんな図に見える。
額に汗がたらりと落ちる。
「っ!」
考える余裕さえ失い、俺は外靴のままで、その女子の人だかりに走っていく。
俺は叫ぶようにいう。
「あ、あの! ここら辺でメモ帳落ちてませんでしたかッ!?」
確認するように問うてみると、ざわざわとしていた女子部員たちがいっせいに俺の方を向いた。
――うちの学校のチアリーディング部は、ギャル率が凄まじく多い。大人しめの女子は数少なく、揃いも揃ってノリが良すぎる人たちだ。チアガールの衣装を着ても、ヘソが見えることになんら恥じらいを感じない、むしろ自分から見せてくるような人たち、そんな女子で占めている。
一部男子からは熱狂的な人気があるが……、俺はちょっと彼女らが苦手である。
人だかりを作っていた――七人のチア部員。
一人の例外を除いて――すべてギャルっぽいなりをしていた。
その全員が、いっせいに、らんらんとした目つきで俺のほうを向く。
「え、誰ー?」
「知らねー」
「メモ帳って言った?」
「あ! もしかして……」
「おー! 先生のご登場じゃねー!?」
「マヂで!? うっはサイン貰っとこ!」
「うぇぇぇーいっ!」
振り向いた女子たち、そのうちの一人の手に、メモ帳があった。
表紙に『男子高校生が異世界に行ってみたらこうなった ネタ』と書かれたネタ帳。
つまり俺のネタ帳――
それが、開かれていた――
ぎゃあぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁーッ!
中身見られてたぁぁぁあぁぁぁぁぁぁーッ!
「そ、そ、そ、それです!」
しどろもどろになりながら言った。
いったいどこまで見られたんだ……? もしかして全部見られたのか!?
勘弁してくれよぉぉぉおっ!
俺は恐る恐る言う。
「あの、すみません。それ俺のなんで……返してください」
「ん、いいよー。あげるー」
といって、それを持っていた女子が俺の前にメモ帳を差し出した。
ホッと一息ついてメモ帳を手にしようとする。
と、
「うぃぃー! 上にあーげたっ!」
「あはははははっ!」
「ちょ、かわいそうじゃーん! 返してあげなよー!」
「えー?」
「ごめんねー、この子たちバカだからっ。許してあげてっ」
「バカじゃないですー!」
「めっちゃバカっぽいしっ!」
いじわるされた。
……こういう空気が苦手なんだってば。たいして仲良くもない間柄でそういうことをしてくるノリについていけない。
というか男のプライドを粉々にされる心持ちがするのだ。俺はリードしてくれる女子は好きだが、弄ばれるのは好きじゃない。そんなにメンタルは強くない。
俺は頑として無表情を保ち、手を差し伸べる。
「あの……、はやく返してください」
「えー? ノリわっるー」
「さげぽよー」
「どうしよっかなー? 返そっかな? 返さないでおこっかな?」
「もー! この子顔赤くなってるじゃんかー! 返してあげなよー!」
「とかいいつつアンタもクスクス笑ってるじゃんっ!」
「キャハハハハハ!」
「ウ~ケ~る~!」
…………。
……………………。
胃が蜂の巣になりそうだ……。
どうしたら返してもらえるんだろう……。
俺がいたたまれない気持ちになっていると、隣で見ていた友人が、一歩前に出た。
それから友人は言う。
「あの――すみません、そろそろそれ返してあげてください、ね?」
「えー? どうしよっかなー?」
「それにそのメモ帳……、実は、一回トイレで落としたやつなんですよ」
「えぇぇぇぇぇっ!?」
メモ帳を持っていた女子は金切り声を上げ、瞬く間に手を引いてメモ帳を落っことした。
「うわ、ちょー!? めっちゃ触っちゃってたし……うぁぁー……」
「うっそ、アタシもちょっと触っちゃってたし!?」
「アタシは触ってないからセーフ!」
「……お前も汚くしてやろうかー!」
「ぎゃー! やーめーてーっ! 来ーなーいーでーっ!」
「汚物は消毒だぁぁー!」
「いやぁぁーっ!」
チア部の女子が鬼ごっこを始めていた。
ほんと自由だな、ここの女子たち。
喧騒しているその隙に、友人はメモ帳を拾った。
「はい、はやく仕舞って」
「お、おう。サンキュ」
「えへ。どういたしまして」
友人はニコとはにかんだ。
……こいつ、女らしい外見とは裏腹にけっこう頼りになるな。感謝しなければ。今回の件は、後日なにかを奢ってチャラにさせてもらおう。
――ほんと。
――中学生のころから、ずいぶんと成長したものだ。
ともあれ。
なんとか目的のメモ帳を奪還できた。
……あまりこの場に長居していると、女子たちの空気に呑まれてしまいそうだ。
俺は体育館を出ようとする。
すると出ていこうとする俺に気付いた女子の一人が、「あ、待ってください!」と呼び止めてきた。
なんだ?
と思って俺は足を止めた。……この空気からはやくおさらばしたいのだが、声をかけられたら無視するわけにもいくまい。
「なに?」
といって振り向いてみる。
声をかけてきた女子は、身長の高い女子だった。
その女子は、俺のメモ帳を指差していう。
「その小説、ネットに上げてるやつですよね?」
「え?」
「『男子高校生が異世界に行ってみたらこうなった』って小説」
「あ、うん……。そうだけど」
「私、それ読んでるんですよぉ」
「え――?」
不意にいわれたその言葉に。
俺は一瞬にして緊張した。
間。
体育館で響く女子たちの喧騒が聞こえなくなるような。
まるでこの空間だけ外部から切り離されたかのような。
周囲が静寂したような。
間。
俺は目の前の女子に釘付けになる。
――俺の小説を読んでいる?
え、今目の前にいる、この女子がか――?
その女子は――七人の女子部員たちのなかで唯一ギャルっぽさのない女子だった。
俺よりも身長が高く、スタイルのいい体つき。いかにも運動が得意そうという印象のほかに、その大きな体躯には、すこしばかりの迫力があった。
「私、甘木若菜っていいます」
「あ、はい」
「そんな丁寧にならなくていいですよ。私、一年なので」
「え? 一年?」
「はい」
驚いた。
俺よりも拳一つ分身長が高いのに、後輩なのか。
……身長もそうだが、全体的に体つきがいい。いうなれば乳や尻がデカい。グラマラスといってもいい。
こんな体つきで一年生、しかもチア部所属って――ちょっと犯罪的だ。
マジで後輩なのか?
留年生とかじゃないのか?
俺は、とりあえず自己紹介を返す。
「あぁ、俺は加々崎歩。二年生な」
「知ってますよぉ。先生のプロフィールのところに書いてありましたから」
「そっか――え? 今、先生って言った?」
「言いましたよぉ」
「俺が先生?」
「はい」
「……お、おう。そっか」
「どうしたんですか、先生?」
「いや、なんでも……」
うわぁぁ……。
先生って呼ばれちゃった……。
なんか、尊敬されてるって気がして、胸が熱くなるじゃねぇかオイ。
っていうかプロフィールを見てくれるとか、そんな細かいところも見てくれているなんて……嬉しすぎるぞこの野郎。
なんていい読者なんだ。
甘木はいう。
「先生の作品とっても面白いですよぉ」
「そ、そっかな」
「はい。もう何回も読み返してます」
「そっか。そりゃありがたいな」
「感想も送ってるんですよー?」
「そかそか――え? 感想?」
「はい。『わか』っていう名前で」
「『わか』――!?」
その名前を聞いて、瞬時に思い出される。
今朝送られてきた感想――その一つの内に『わか』というユーザーから感想が来ていたことを。
この女子が。
今この目の前にいる女子が。
俺の作品に4件も感想を送ってきて、要望を出してくる――『わか』だったのか!?
「先生って、他の作者と違って、読者の言うことをよく聞いてくれるますよねぇ? そういうところ、好きですよぉ。いい作者さんですよねぇ」
「お、おう……。俺も読者の要望にはできるだけ応えていきたいと思ってるから……」
「ほんとですかー!? じゃあ今までちょっと我慢してたんですけど、まだまだいっぱいお願いがあるので聞いてくれますかっ?」
「えっ……」
4件も要望の感想を送ってきたのに、まだまだたくさんあるっていうのか?
甘木はにへらと笑う。
そして――あくまでも無邪気そうに、純粋であろう善意によって、甘木は言った。
「この作品にはもっと面白くなってほしいと願ってるので、一読者の意見として――私の言うこと、いっぱい聞いてくださいね♪」




