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「〝金こそ全て〟――それが私の価値観であり、この世のありかただと思うのよ」

 星海の思想は、この上なくシンプルなものだった。

 机に手を置いて、自身の思想を星海は語る。

「だから私の夢は、お金持ちのお嫁さんになること――お金さえあればなんでも買うことができる。そしてなんでも買うことができれば、なんでもできるってことなんだから」

「…………」

「お金って、素敵よね」

「……そうかもな」

「要するに私はお金が欲しいの。それも莫大な、一生遊んで暮らせるような大金がね」

 星海はとうとうと語った。欲望の塊であることを暴露しているはずなのに、その語り様はどこか誇らしげにさえ見えた。

 星海は、机の上に尻を置く。

 いくら今は使われていない机とはいえ、その上に座るというのは……、はっきりいって品がない。いつもの星海、あのクールでミステリアスな雰囲気は仮面だったのか?

 星海は、俺に指を差す。

「だから加々崎くんと結婚したいの」

「俺と?」

「うん」

「待てよ。それでどうして俺と結婚したいって話になるんだ? 俺、べつにそんな裕福ってわけじゃねーぞ」

「なに言ってるの。これから稼ぐんだよ」

「は?」

「加々崎くん、小説家になるんでしょ? で、私はそれを玉の輿する」

「はぁ!?」

「そういうわけだから頑張ってくださいね、未来の大先生」

 ニコリと星海は笑った。自分の責任をすべて他人に押し付けるような投げやりさがその笑顔からは感じられた。

 こいつ……、本気でそんなことを考えているのか? 利口なのか破天荒なのかわからないやつだ……。

 そもそも俺はべつに小説家になりたいわけではない。そこのところを星海は勘違いしている。

 俺は言う。

「……小説家って、そんなかんたんになれるもんじゃねぇだろ」

「そうだね。私もそう思う」

「じゃあなんで俺に期待してるんだよ?」

「初投稿でランキング一位を取ったから」

「……あっさり言うな」

「事実じゃない」

 事実には違いないのだが。

 しかしなるほど。おかげでようやく話が見えてきた。

 星海るみ、こいつの狙いは玉の輿だ。初投稿でランキング一位を取ったことを根拠にし、俺が売れっ子作家になるものと踏んでいる。

 そういう魂胆で結婚だのと言ってきたわけだ。

「印税生活……。素敵な響き……」

 お金のために結婚する。

 俺はそれ自体を否定するつもりはない。星海の言い方は極端だが、幸せな生活のためにはお金が必要だと思う。そこは星海と同意見。だからお金のために結婚するという考え方を否定するつもりはない。玉の輿したってべつにいい。

 それを理由に結婚を迫られるというのはちょっとあれだが……、まあ、星海って容姿はいいし、それにこういう強気に出る性格もわりと好みだ。上から目線でいうと怒られそうだが、付き合いたいとは思う。

「ん? どこ見てるの?」

 付き合うことなら歓迎だ。他のやつに自慢できるかもしれないし、けっこう相性もよさそうである。

「もしかしてパンツ見ようとしてるの?」

 たとえ金がきっかけの付き合いでも、付き合っていくうちに愛が芽生えることだってあるだろう。どうしても愛が芽生えなければ、その時に別れればいい。星海が俺にそうするように、俺が星海に唾をつけておくということにも一考の余地はある。……下衆な考えだが。

「五千円で見せてあげてもいいよ」とニヤニヤしながらスカートをひらひらさせる。

 ……だって星海ってけっこういい体してるんだもんな。むっちりしてるというか、ふつうにオンナの体だ。今だって冗談交じりにスカートの中身を見せてくれるといったが、そんなもの、五万円払ってでも見たい。あのミニスカの中身を独り占めするためだけにも付き合ってみる価値はあるんじゃないだろうか?

 男子高校生の俺なんだ。性欲を理由に付き合ってもいいはずだ。

 ――いや、結婚だって視野に入れていいはずだ。

 目の前にある大きなチャンス、これを逃せば必ず俺は後悔する。

 そうだな。

「星海」

「ん? 考えがまとまったの?」

「ああ」

 俺は言う。

 考えた末の、結論を。

「悪いが、俺はお前とは付き合えない。諦めてくれ」

「えぇぇっ!?」

 星海は驚いて、机から転げ落ちた。怪我はしてないようで、よろよろと立ち上がる。

 納得できないらしく、星海は俺に噛み付いてくる。

「な、なんで断るの!?」

「なんでって……、そんなの、俺が小説家にならないからに決まってるだろ」

「え? ……ならないの?」

「ならない」

 もともと俺は小説家になるつもりはないのだ。

 そこの考えは揺らがない。

「どうして!? もしかして自信がないの!? だったら大丈夫だって! 加々崎くんには才能があるから! 私、加々崎くんの才能を信じてるから! だから――」

「いや、そうじゃなくて、単に俺が小説家になろうとしないだけ」

「え……?」

「だって、俺の夢、ふつうに保育士になることだし」

「えええええぇぇぇええぇえぇっ!? 保育士!? 加々崎くん、保育士になりたいの!?」

「うん」

「似合わねぇぇぇぇええぇぇぇえーっ!!」

 大ウケしたようで、星海はゲラゲラと大笑いをかました。

 こいつ、ほんと下品なやつだな。こんなやつだとは思ってなかったぞ。

 俺はいう。

「人の夢を笑ってんじゃねーよ。保育士でもべつにいいじゃねーかよ」

「いいんだけどさっ! なんか、意外だなって!」

「いいだろ?」

「へぇぇ、保育士ねぇ。んー、いい夢だよね。うん。いい夢いい夢」

「バカにしてんのか?」

「いやしてないっ! 私も幼稚園児のころは先生のことカッコいいなーとか思ってたし、すなおに立派な職業だと思うよ!」

「ふーん……」

 どうやらその言葉に嘘はないらしいな。言い方が若干癪に障るが、蔑ろにしているわけではない。

「とりあえず俺が保育士になりたいってことは誰にも言うなよ?」

「あはは、バラされなくたかったら結婚して」

「ぶっ殺すぞ」

「冗談冗談っ」

 笑いが収まったようで、再び星海は真面目な顔付きになる。

「ふぅん。なるほど。つまり加々崎くんは、保育士にならないから小説家にならないと?」

「そうだ」

「小説家のほうが儲かるかもしれないのに?」

「イチかバチかだろ。それなら堅実に保育士になりたい。子供も好きだしな」

「せっかくあるのに、小説の才能を手放しちゃうんだ?」

「…………」

「私、加々崎くんのこと――〝天才〟だって思ってるのになぁ」

「…………天才?」

 あ。

 ヤバい。

 天才という言葉に今一瞬だけ心がぐらついた。

 ……いかんいかん。俺は保育士になるんだ。志した夢をそうかんたんに捨てられるか。

 俺は言う。

「……たとえ俺に小説の才能があったとしても、保育士を諦めるわけにはいかない」

「大した熱意だね。だったら両立すればいいんじゃない? 本業は保育士、副業は小説家って」

「あ」

 その手があったか。

 俺はちょっと考える。

「……いや、でも、そんな暇ないかもしれないし。二兎を追うもの一兎をも得ずっていうし」

「なにいってんの。小説家なんて基本的に本業ありきでやるものだよ。小説家の人って、たいてい他にもなにか仕事してるもんなんだよ」

「そうなのか?」

「そう。大抵の人がそうなんだから、両立できないことはないじゃない」

「んっ……。でもそれってさ、小説だけで食っていくのが難しいってことなんじゃないのか? だとしたら星海のいう印税生活はできないと思うぞ?」

「そこは大丈夫。加々崎くんは天才だから」

「…………」

「私、加々崎くんを信じてる」

 無責任すぎる。

 しかし――天才か。

 そんな言葉をいわれたのは生まれて初めてだ。

 なにをやっても平均程度を抜け出せないこの俺にとって、天才、その言葉は憧れの対象だった。

 何か一つでもいいから誰にも負けない特技が欲しい。いつもそう思っていた。

 『私、加々崎くんのこと――〝天才〟だって思ってるのになぁ』。

 とはいえ。

 ……ランキング一位をたまたま取れたからって、買いかぶり過ぎだよなぁ。

 一位を取ったのはほんとうにたまたまなのだ。どうして一位になったのか俺にもわからない。わからないまま取ったせいで、いまいち自信が湧いてない。

 こんなふわふわした心持ちで結婚を約束してしまっていいのだろうか? ……いや断じてダメだ。

 だけど星海のいうように副業としてやっていくのはアリなんじゃないだろうか。本業という頼みの綱があれば、小説で失敗してもなんとか食いつないでいける。

 ん? 失敗?

 ああ。そうか。

 俺が恐れているのは、失敗なのか。星海の期待に応えられないという失敗――それを恐れているから、俺はすなおにオーケーと言えないわけか。

 俺だって小説は好きだ。書くことの楽しさを知ってしまった。趣味としてなら、飽きるまで書き続けていきたいと思う。

 だが、仕事として、プロとして、小説をやっていけるか。

 その覚悟があったとして、それに向かって努力し続けることができるのか。

 どうだろう。

 …………。

 くそ。答えが出ない。

 つーかなんで俺だけが悩んでんだ。元はといえば星海がとんでもないことを言い出してきたのが発端だろ。なら俺よりも星海のほうが悩むべきだ。

 俺はいう。

「お前、俺を信じてるのか?」

「うんっ。売れるって信じてるよ」

「じゃあ訊くけど、もし俺が小説家になれなかった場合、小説家になれたとしても売れなかった場合は――どうするんだよ?」

「売れなかった場合?」

「そうだ。言っておくが『売れなかった場合なんて考えてないよ! だって売れるって心の底から信じてるんだもん☆』とか吐かすんだったら断らせてもらうからな」――そんなふうに期待されたら、その分の期待を俺が背負わなければならない。そいつはごめんだ。

「そんなことはいわないよ。売れるとは信じてるけど、この世に絶対はないからね、売れなかった時のことも考えてる」

「……そうか。ならいいんだ」

「あんまりバカにしないでよね。ちゃんと考えてから、こうして加々崎くんにアプローチかけてるんだから」

「悪い。で、その場合、お前、いったいどうするんだ?」

「――妻として、あなたを支えます」と微笑む。

「…………っ!?」

「そして次回作の制作へ向けてあなたを奮起させます」

「…………そ、そっか」

 うわ。

 なんかいまちょっとドキッときた。

 いきなり色っぽい顔になるし。

 てっきり、「売れなかった場合は容赦なく切り捨てます♪」とかふざけたことを抜かすかと思っていたから……こいつは不意打ちだ。

 くそ。

 俺、顔赤くなってたりしてねぇだろうな?

「…………」

「…………」

 沈黙が流れる。

 俺は。

 ――恥ずかしかった。

 星海のいった良妻宣言が――ではない。

 俺が恥ずかしいのは、ここまで本気で想っている星海にたいして、未だ決断できずにいる己の無力さにだ。ここまでいわせないと真剣だとわからない己の鈍感さにだ。

 星海、こいつの思いは本物だ。

 それにここまで気づかないなんて情けない。男として情けない。

 ……据え膳食わぬは男の恥というし。

 ……女子からの告白なんてずっと待っていたわけだし。

 ――オーケーしちゃおうか。

 いや。

「星海」

「うん?」

「お前の気持ちはよくわかった。副業としてだが小説家になることを頑張ってみてもいいと思う」

「――! じゃあ……」

「だが俺には自信がない。自分に才能があるとはどうしても思えないんだ」

「え?」

「俺はお前と付き合いたい!」――うわ、いっちゃったよ――「だけどあんまり自信がない! ……そこでなんだが」

「な、なに?」

「今日ランキングで一位を取ったのが偶然じゃないと確信するために今日新しい話を書かせてくれ。その話を読んだあとでもまだ俺を〝天才〟だといえるのなら……俺は自分に自信が持てると思う」

「……ふーん」

「昨日だけの偶然じゃないと信じるためにそうしたい。ダメか?」

「いや、べつにいいけど……。っていうか加々崎くんこそそれでいいの?」

「いいって?」

「ふつうそんな面倒なことしなくてもてきとうにオーケーしちゃうものだと思うよ?」

 星海は肩をすくめてそういった。

 俺は思う

 それは違う、と。

「付き合う、それも結婚を前提に付き合うってなったら、俺はお前を幸せにする義務がある。それも果たせないのに付き合うなんて、そんなてきとうなことしちゃダメだ」

 妻が夫を支えるなら。

 夫は妻を幸せにするものだ。

 それができなくてなにが結婚だ。

 やるからには、とことんだ。

「……」

 星海は窓のほうを向いた。表情が窺えなくなり、どんな顔をしているのかわからなくなる。

「……ま、好きにすればいいと思うよ。それでこそ期待できるってものだし」

「ありがとう。頑張ってみる」

 差し込む夕日がいっそう赤くなる。

 俺は振り返って扉を開け、そうして旧二年五組の教室を後にした。

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