#002
避難ポッドと船を繋いで暫くすると、壁面に設けられていたディスプレイに明かりが点った。そして表示される文字。
〈妹が迷惑をかけたみたいね。助けてくれたこと、感謝するわ〉
少女は「姉様」と声をあげ、避難ポッドに抱き付いた。
意味が理解出来ずジィオがヒューイに視線を向けると、ヒューイは難しい顔をして押し黙っている。
〈音声会話で使用する声紋データは廃棄してしまったの。必要度の低いものから切り捨てていったから。
だから申し訳ないけど、再構築できるまでもう暫く筆談に付き合ってちょうだい〉
「それは構わない。こちらの質問に答えてくれるなら手段は問わない。
――なぜ、〈聖女〉がこんな場所にいる」
それは詰問するような口調だった。
避難ポッドに抱き付いていた少女が怯えるように体を強張らせたが、映し出される文字はなんて事がないかの様に紡ぎ出される。
〈わたしの事、知っていたのね。さすがはレディ・ブラックジャックと褒めるべきかしら? 貴女の評判はわたしの耳にも届いていたわ、素晴らしい腕だそうね〉
「褒めてくれるのは嬉しいが、先に質問に答えてくれるか」
『まァ、気を悪くしたのなら謝るわ。
やっぱり会話のほうがいいかと思って、やっつけだけどデータの構築していたの。味気ないけど、このほうがやっぱりいいわね。
それでわたしがここにいる理由だったかしら。理由は簡単よ。あの変態共、ついにわたし達に見切りをつけたの。それ自体は願ったり叶ったりなのだけど、証拠隠滅とばかりにわたし達は愚か、妹まで処分すると言い出したのよ。
冗談じゃないわ。だからね、こうして逃げ出してきたってわけ』
それは電子音声ではあったが感情豊かで、年若い女性がぷりぷりと怒っている様を想像させるに容易いものだった。
返答代わりにレディ・ブラックジャックは深いため息をつくと、遣る瀬無いとばかりに頭を掻きまわした。
「話の大筋は理解出来た。いつかはやると思ったが、まさかアタシが生きている間にやらかすとは思わなんだよ。まァ、アタシが手を貸すことが出来るんだ、今で良かったというべきかも知れんね。
アタシはアンタたちを支持するよ。
アンタ、そこのお嬢さんの環境を整えてやってくれるかい? アタシはそこのお子様を調べてくるから」
「わかった」
手早く話をまとめたかと思うと、ついていけずに茫然と立ち尽くしていたジィオをレディ・ブラックジャックは見、にやりと笑う。
悪寒が走り、思わず背筋が伸びた。
「ジィオ、そこのお子様を担いでさっさと付いておいで。
アンタのメンテナンスは後回しだが、ここで呆けと突っ立ってたって仕方ないだろ?」
「はっ」
返事をした勢いで敬礼しそうになって、ジィオは誤魔化すように上がった手で短い黒髪を掻きまわした。
身についた癖でもあるが、それ以上にレディ・ブラックジャックの従うべきと思わせる雰囲気のせいでもある。
そんなジィオの行為に反応らしい反応を返さず、レディ・ブラックジャックはさっさと歩きだす。むしろ羞恥を覚えたが更に墓穴を掘る気にもなれず、ジィオは戸惑った様子の少女に断りだけいれ、返答を聞かずにその後に続いたのだった。
医療施設があるのは当然偽装部分ではなく、本船部分と称される中心部にある。そこに向かうべく無駄話なく進む一行だったが、何かを思い出したように唐突にレディ・ブラックジャックは口を開いた。
「ジィオ、アンタはBPS《生体電気永久機関》(Bioelectricity Perpetual motion System)についてどこまで知ってる?」
「……一般的な水準より知っているという程度で、あまり詳しいことは」
「まあ、そんなもんだろうね。あれは知らないほうが幸せなモンさ。
知っての通り、BPSは、その名の通り人体に流れる微弱な生体電気を特殊な装置で増幅し燃炉の起爆剤とすることで、燃料の補給なしに永久に動き続けるって仕組みさ。だから厳密にいえば永久機関と呼べはしないものなんだろうが、それでも世間では永久機関と認められた。この開発によって、それまでの常識が一変したといっても過言ではないだろうね。
ここまでは誰だって知ってる常識だね。だがね、決して世間には公表されない秘密がこの開発者にはある。開発したその男は、実は真正の変態だったのさ。それも度し難い程のね」
そこで一度言葉を区切ると、深いため息をつき、頭を思い切り掻きまわした。
ぼさぼさと表現するのですらやっとという髪型となったのも気にならないのか、更に深いため息をつき言葉を続ける。
「あの変態はハイティーンの少女を愛でるのを唯一無二の喜びとしていてね、それ故に自身の研究だった生体電気と無理にでもハイティーンの少女を結び付けようとしたのさ。結果としてBPSが開発されたんだから、皮肉なもんだがね。
現在では開発時よりは性能が格段に良くなっているし、ハイティーンの少女以外でもそれなりの効率を発揮するように改良されちゃいる。しかし変態の妄執でも残っちゃいるのか、一番効率がいいのはハイティーンの少女という現実は変わらない、忌々しいことにね」
ジィオの知人に、この永久機関の改良を仕事としている人物がいた。都合がついて飲む機会があると、その知人は頭を抱えながら「変態が」「ロリコンが」と悪態をつくのが常だった。理由を尋ねても疲れた笑いで誤魔化すだけで、いつからか理由すらも尋ねなくなったが。
その背景にそんな事があったとは、こうして聞かされるまで知りもしなかった。むしろ秘匿されてきたというほうが正しいのだろう。
「それを理解して踏まえてもらった上で、そこのお子様の姉――〈聖女〉の話を聞いておくれ。
BPSが作られて暫くした頃、当然のように変態の妄執を振り払おうという流れになった。その方法は大きく分けてふたつ。ひとつはシステム自体を根本的に見直し、誰でも変わらない効力を導き出そうとした者たち。これが現在の主流と言っていいだろうね。そしてもうひとつ、こっちがこれまた厄介なんだがね――システムを誤魔化してしまおうという連中さ」
見直すのと誤魔化すのと。そのふたつがそう大きく違わない様にジィオには思えたのだが、そんな疑問に答える気はないのか、レディ・ブラックジャックの言葉は更に続く。
「誤魔化そうという連中の主流はだ、装置を通すことで老若男女、誰のものでもハイティーンの少女のものと誤解させようとした。その成果ともいえるものが軍用機には導入されているから、アンタも知っているはずさ、ジィオ。しかし、その装置は確かにハイティーンの少女以外の生体電気を強化することに成功したが、ハイティーンの少女のものも強化する結果となって現状は変わらなかった。しかしそれは軍関係者を歓喜させた。
長々と前置きとなったが、本題はここからだね。
その成果の裏で、非倫理的だとして闇に葬られた研究があった。生体電気を変換する装置に、人間そのものを使った連中がいたのさ」
思わず、ジィオの足が止まった。
こんな生業をしている以上、自分を守るために他人の命を止めたことは数えきれないほどある。
それとて、相手側に如何な事情があるかを外におけば、その全てが己の命を守るための行為。正当化など出来るはずもないが、少なくとも快楽や我欲だけで行ったことはなかった。
「幸いかどうかはわからないが、連中が使用した少女は金で買った訳でも誘拐してきた訳でもなかった。優秀遺伝子を抽出して作り出された、創造子だったのさ。その元になった女性たちは当然いるが、今は無視していいだろうね。
その創造子を使用した装置は、少女そのものを核とした。外から与えられた生体電気を少女を通し、使えるようにしようとしたのさ。
結果は失敗。その核とされた少女は壊れちまった。創造子とはいえ、生身の人間と大差ないからねぇ。初めから無理のあったことだったのさ。
そこで研究が頓挫していりゃまだ良かったのだろうがね、脳だけは耐えてしまっていた。そのことが更に研究に拍車をかけちまったのさ。体は無理でも脳は耐える。それなら脳だけを使えばいいといった具合にね」
「一番上の姉様は、すべて知っていると言っていました。それが記憶としてのものなのか知識としてのものなのかはわかりませんが、それでも、末の私には同じ苦痛は与えないと言ってくれているんです。
自分たちはもう真っ当な生物ではないから終わりがいつ来ても受け入れるって言っていたのに、それが私にまで及ぶと知ったらこんな無茶して……」
「自分が消え去ったとしても、妹だけは助けたい。そりゃあ、相当な無茶だ。
残された資料にあったことしか知らないけどね、まともな設備もなくそんな事をやろうとすれば、確実に死ぬ結果になっていただろうね。何を持って死とするかは彼女ら次第だろうが」
レディ・ブラックジャックはそこで言葉を切ると、一枚の扉の前で足を止めた。
「さて、ようやく到着だ。
久々に腕がなるねぇ。二人とも、隅々までアタシが調べてあげるから、安心おし」
むしろそれが安心出来ないんだと、喉まで出かかった言葉を飲み込むジィオとは逆に、抱えられたままの少女は向けられた視線に悲鳴に似た声を上げたのだった。
医療ポッドと総称される医療機器の準備を済ませたレディ・ブラックジャックは、何も言わずにジィオの腕から少女を受け取った。ジィオの方も、指示を待つでなく着ている服に手をかける。
ジィオが着ているのは、極寒や灼熱の宇宙空間での作業にも耐えうる性能を持った宇宙服である上に、彼が乗る機体の動力源となる生体エネルギーを効率良く得るたの端子も内側に多く取り付けられている。当然のようにそんな服を着ていては正確な結果など得られるはずもない。それに体が資本ともいっていいジィオにとって、こうして医師の前で検診のために脱ぐことは慣れたもので、例えその医師がうら若い女性であったとしても変わらない。
「毎度のように、終わったら声かけたげるから眠ってな」
「これ以上妙な改造はしないでください、レディ」
「それは出来ない相談だねぇ。
アンタはアタシの被検体なんだ、いい加減諦めな」
中にジィオを入れた医療ポッドの蓋が閉まる中、無理とわかっていてもつい出てしまう呟きに、レディ・ブラックジャックはいつもの人の悪い笑みと共に応じる。なんてことのない、いつもの応酬だ。
ジィオの命を助ける際、レディ・ブラックジャックは合法とは言えない手法を使った。発見された時には手の施しようがなかったジィオを生かすにはそうするしか手が無かったためだが、その結果、体の大半が機械ということを抜きにしてもジィオを普通の人間と称することは出来なくなってしまった。それ程までに、あり方が違ってしまっていた。
それでも、人を辞めても生きたいかと問われた声に、生きたいと応えたのはジィオ自身。人を辞めたこと自体は悔いてはいなかった。
特殊な溶液が医療ポッドの中に満たされて行くなか、溶液を効率よく体内に取り込むための管を銜えた後、ジィオは意識を手放した。
☆彡
鳥のさえずりのような音で作られた旋律で目を覚ますと、いつものように自分の体に異常がないかをまず確認する。
まだ医療ポッドの中であるため大きく動かすことは叶わないが、かろうじて残った自分のものである器官に違和感がないかを確認し、次いで機械製となった部位も確認する。
それらはなんの問題もない。
普段であれば何かしらの変更が加わっておりそれで違和感を覚えるのだが、今回に限ってそれがない。そのことがいつも以上の不安を煽る。
「気分はどうだい?」
蓋が開くと、それを待っていたかの様にレディ・ブラックジャックが楽しそうに声をかけてきた。その口調に、何かしらの改造がされているだろうと推測がついた。しかしジィオにはその実感がない。
用意されていた着替え一式を手早く着込むと、そういえばともう一人の被害者を探すと……ジィオの目に入ってきたのは打ちひしがれ床に座り込む少女の姿だった。
「俺はいつも通りですが……」
「ん? ああ、そこのお子様かい?
別にどうもしちゃいないさ、ちょっとばかし生命維持に必要なモンが足りてなかったから外から得るようにしただけの事さ」
「どうしてそう簡単に言い切れるんですかっ」
ジィオの疑問になんてことがないとばかりにレディ・ブラックジャックが答えるが、苦情はその少女から飛んできた。
「私を生かすためにその人から生きる力を奪ってるんですよ。寿命を縮めてる様なものなんです。
だっていうのに」
今にも殴りかからんばかりにレディ・ブラックジャックに詰め寄る少女をジィオは慌てて捕まえると、どう言ってよいものかと宙を仰ぐ。
なんとなくであるが、どんな手が打たれたかジィオには想像がついてしまった。ジィオを生かすためにとられた手と同様の、世間には公表できない類の手段がとられたのだろう。
「だからその件については問題ないと言っているだろう? そこの男はアンタとは違う意味で真っ当じゃないんだ。
アンタが生まれが真っ当じゃないんであれば、そこの男は生きてる手法が真っ当じゃないのさ」
そこで一度言葉を区切ると、ポケットから金属製のスキットルを取り出してひと口呷る。笊というより枠である彼女だが、それでも仕事があるとわかっている間はアルコールを摂取することはしない。
それがわかっているジィオは、既に全て終わっているのだと、今更何を言っても無駄なのだと想像がついた。
しかし少女がそれをわかるはずもなく、ジィオの腕から逃れようと更にもがいた。
「見ての通り、ジィオは体の多くを機械に交換している。
ちょっとした失敗をしてそうしなければ生きていけない状態になった訳だったんだがね、それは見た目だけじゃわからない中身も同じだってことなのさ」
「内臓の多くが人工臓器になっているってことですか? だとしても人としての範囲内でしょう?」
「昨今の人工臓器ってのはねぇ、安全性を優先するために本人の遺伝子からの培養が義務付けられているもんなのさ。どんなに急いだって一週間はかかる。急場凌ぎのためのもんもあるにはあるが、それじゃあ用がたらなかったんだよ。アレは五割が限度だからねぇ。
そんな訳でだ、そこの阿呆を生かすためには悠長に待ってられなかったアタシは、仕方なしに試用段階だった医療器械を注入することにしたのさ。個々の細胞と結託して驚異的な回復をリスクなしにもたらすものなんだけどねぇ、アタシとしたことがあり得ない失敗をしちまってね。
本来なら完治して三ヶ月もすればすべて排出される予定だったんだけどね、しっかと細胞と結びついちまうもんだったのさ」
その内容は、ジィオが人ではないものになった後聞かされたものと同じもの。何度聞いても理解の範囲を超えていた。ジィオが理解出来たのは、どうやら超人的な力が発揮されるらしいとのことなのだが、これまでの間にそれを体感したことがないために実感がない。
唖然とした表情を浮かべ、間抜けそうに口を開けたままレディ・ブラックジャックを見つめる少女に、ジィオはこっそり同情する。理解しようとしたりその行動を先読みしようとすること自体、無理で無茶で無駄なことなのだと、ジィオはすっかり諦めていた。
「そういう訳でそこの阿呆は、真っ当な人じゃないんだよ。
限度ってもんはあるがね、それでも人ひとり分ぐらいの負荷ぐらいはなんてことはないのさ」
そこでレディ・ブラックジャックはもう一度スキットルを呷り今度はすべてを飲み干すと、再び口を開く。
「まあ、アンタの体はアタシが今調べた限りは健康そのもの。年齢の割にちみっこいのだって、元となった遺伝子の持ち主の影響でどっかに異常がある訳でもない。このまま普通に生きる分にはそこの阿呆に迷惑をかける心配はありゃしない。
小鳥を肩に止まらせるより負荷はないだろうさ」
その言葉に一転して明るい表情を浮かべた少女に、「だがね」と強い口調でレディ・ブラックジャックは続ける。
「人間の体は〈聖女〉としての力に耐えられるように出来ちゃいない、それはアンタとて同じだ。
そこの阿呆に負荷がかかるとするなら、アンタが〈聖女〉の力を使う時さ」
「そんなものっ」
「アンタが使うつもりがないのは百も承知だけどねぇ、それしか手が無いときに使わないと断言できやしないだろう。
その場合、アンタの生命維持に足りないものを、そこの阿呆から強制的に搾取することになる」
ふたりの会話で取られた手がどんなものなのかを知るにつれ、ジィオは堪えようのない疲労が重く圧しかかった気さえした。
それが精神的なものであることは間違いないのだろう。けれど疲労を感じるのと同時に、力が湧き出るような妙な違和感がある。
「レディ……?」
それについての説明を求めるように声をかければ、見慣れた人の悪い笑みが返ってくる。
しかしそれに続いてジィオの望む答えが返ってくることはなく、空のスキットルをポケットに押し込みつつ立ち上がった。
「さあて、今後のことを含め話すにはここじゃちぃと場所が悪いね。腰をつけて話せる場所に動こうじゃないか」
そこのお子様を抱えてついておいで。そう告げるなり足早に戸口に向かうその人に遅れない様にと、慌てて少女を抱えて後追う。
抱えられた少女は何か言いたそうにジィオを見たが、腹を割って話すには時間が足りない。
気にするなと言外に伝えるように、少女の頭を少し強引に撫でるにとどめた。