終章 白羽使いのミリアーノ【4】
海馬が両翼を振り下ろしてきた。
両翼から放たれた無数の刃が一斉に上空から降り注ぐ。
ミリアーノは握り締めた白羽神具に視線を落とし、懸命に叫んだ。
「お願い……! お願いよ、白羽神具! 私の意に応えて!」
それでもまだ目に見える反応は起きない。
ミリアーノは焦りと苛立ちに涙を浮かべた。もう一度叫ぶ。
「我が意に応えよ、白羽神具!」
「そんなんで間に合うか!」
クレイシスの叱責の声がミリアーノをハッとさせる。
庇うような形でミリアーノの前に立ちふさがるクレイシス。その手には聖杯が握られていた。
「クレイシス……」
彼に預けていたポシェットからフレスヴァが顔を出す。彼に向けて、
「たしかにこれしか方法がありませんが、二度目の召喚となると陣を奪われる危険性が──」
「それまでには魔力を断ち切る!」
「しかし」
「時間がない! 呼び出すから隠れてろ!」
ひぃとフレスヴァは身を縮めてポシェットの中に隠れた。
同時、不死鳥を召喚させる。
それは攻撃が降り注ぐギリギリの出来事だった。
不死鳥は降り注ぐ全ての刃を炎で包み込み、一瞬にして消滅させた。
そして海馬に向けて猛々しく咆哮する。
◆
攻撃をかき消され、その始終を見ていたファルコム皇帝が憎々しげに召喚神具を握り締めて呻く。
「おのれクレイシス……! 魔法使いの分際で!」
手持ちの召喚神具を激しく地面に叩きつける。そして鋭く上空を見上げ、皇帝は海馬に指を突きつけて叫んだ。
「奴を殺せ、海馬よ! 白羽ともども八つ裂きにしろ!」
声に応えて、海馬は再び大きく両翼を広げた。
◆
「リズ」
クレイシスがリズへと聖杯を放る。
聖杯を受け取ってリズ。
「……な、なんであたいに?」
「召喚神具の扱い方はわかっているだろ? オレは使い手じゃないから上手くコントロールできない。あとは任せたぞ」
そのままふらつき、クレイシスは地面に崩れ折れた。
「クレイシス!」
「クレイシス!」
声をかけるミリアーノとリズ。
地に手を付いてクレイシス。気絶しまいとしてか噛み締めた唇から血がつたう。
「ミリアーノ」
名を呼ばれるも、ミリアーノは言葉を返せなかった。神具を上手く扱えない負い目にクレイシスから顔を背ける。
それでもクレイシスは言葉を続けてきた。
「オレ限界が近いのはわかっているはずだ。不死鳥じゃ海馬は倒せない。あとは頼んだぞ。お前ならこの騒動を止められる」
だがミリアーノは神具を持つ手を払って言い返す。
「無理だよ、私には!」
「まだ無理だと決まっていないだろ? 白羽の意に応えていないのはお前の方じゃないのか? ミリアーノ。白羽神具に込めた魔力の流れが止まっている。幻影を解放しろ。そうしなければ意味がない」
「解放ならさっきからやっているわ、一次予選の時みたいに! でも上手くいかないの!」
海馬が両翼を振り下ろしてきた。
鋭い刃が再び上空から降り注いでくる。
リズが目を鋭く変えてミリアーノの前へと進み出る。
「海馬はあたいが引きつける。時間を稼いでやるから、あんたはその間に白羽神具を成功させな」
ミリアーノにそう言い残して。
リズは聖杯を突き出すように構えて聖杯に命じた。
「意に応えよ、召喚神具」
瞬間、不死鳥が炎の翼を広げて地を飛び立ち、海馬に向かっていく。
不死鳥が残した風が三人の髪や肌を凪いでいった。
ポシェットからフレスヴァが顔を出してクレイシスに緊急を伝える。
「これが最後の魔力ですぞ、魔法使い!」
「リズ!」
「あたいを信じな、クレイシス!」
不死鳥を抜群のコントロールで操り、リズは海馬の攻撃を全て消し去った。
それを見守った後、クレイシスは倒れて気絶し、フレスヴァも目を回して力尽きた。
リズがミリアーノに向けて言う。
「もうこの神具に魔法の補充はされない。不死鳥が消えるギリギリまで、あたいが何とか海馬の動きを封じておくから、あんたは早くその白羽神具の幻影を発動させな」
ミリアーノは手持ちの白羽神具へと視線を落とした。
「……」
自分を奮い立たせるように、それをぎゅっと握り締めていく。
戦意を取り戻した目でミリアーノは顔を上げ、上空の海馬を睨みつけた。
もう一度白羽神具を構える。
リズが微笑する。初めて会った、あの時のように柔らかく優しい声音で、
「大丈夫。あんたならこの騒動を止められる。きっと出来るよ」
ミリアーノは息を吸い込み、白羽神具に命じようとした。
まさにその瞬間!
ミリアーノはある光景を目の当たりにし、息を止めた。
上空では襲い来る不死鳥から地に落とされまいと両翼を広げて激しく抵抗している海馬の姿。
それがミリアーノの脳裏の中で二頭の火竜の姿と重なる。
蘇る、あの日の出来事。
この島にやって来て早々に降りかかったアクシデント。
自分の火竜とリズさんの火竜が衝突して、そして──。
思い出す、リズさんが言っていたあの言葉を!
【この島は昔から平和の島として有名なのさ。精霊は生命あるモノを殺すことなんて出来ないからね。だからどうすれば争いが止まるか、みんなで考えるんだってさ】
ミリアーノは手中の白羽神具に視線を落とした。
(平和を意味した何か──。そうよ、わかったわ!)
導き出した答えに白羽神具が反応を示す。それは強く光を放ち、
ミリアーノは白羽神具を空に掲げて叫んだ。
「我が意に応えよ、白羽神具!」
白羽神具から放たれた眩い光が、辺りを一瞬にして包み込む。
白く、それは気を失いそうなほども強く純白の光で。
その光の中でミリアーノはあるものを目にしてハッとする。
時を同じくして、ファルコム皇帝もその光の中で何かを目にして悲鳴に近い声で驚愕の叫びを上げる。
「ば、馬鹿なッ! あの樹を召喚しただと!?」
ファルコム皇帝のその叫びを最後に、全ての戦いは幕を下ろした。
◆
戦いを終え、穏やかさを取り戻した闘技場の中心地で。
ミリアーノとその仲間たちは奉納式を迎えていた。
代表の枢機卿により、彼女たちの頭上に贈られるオリーブの冠。
観客席からは安堵に包まれた声と祝福を示す拍手が聞こえていた。
そんな誇らしげな舞台に立つミリアーノだったが、その表情は暗く浮かなかった。
ミリアーノがふと視線を向けた先──闘技場の裏へと続く出入り口付近──に、慌しく動く神殿兵の姿。
騒ぎを聞きつけて大勢集まった神殿兵によって運ばれていく何体もの石像。
驚き顔のまま石化したファルコム皇帝、羽交い絞めの姿で石化した道具屋のトカゲ男、以下武器を構えたまま石化したファルコム大帝国の兵士たちの石像だった。そして彼らに加担していた罪として神殿兵に連行されていくサラ、リズ、そしてクレイシスの姿。
それを目で追いながら呆然とその様子を見ていたミリアーノに、グランツェが軽く小突いて小声で知らせる。
「おい、白羽使い。前見ろや、前。失礼やろ」
「でも」
「今までが今までやったんや。俺らにはどうすることも出来へん」
フレスヴァがポシェットから顔を出してミリアーノに言う。
「そうでございますぞ、ミリアーノお嬢様。庇えばミリアーノお嬢様も同罪になってしまいます」
アーレイがミリアーノの服の裾を引いて、無言のまま目で訴える。
前を見れば、いつの間にかそこに佇まれている教皇の姿。
ミリアーノは感情的になって、非情なファルコム大帝国の内情を伝えようとした。
だが、教皇はそれをそっと手で制し、静かに首を横に振る。
「どうしてですか……?」
訊ねるミリアーノに教皇は穏やかな声で語り掛ける。
「法は無意味に存在するのではなく中立にあるから法なのじゃ。法を犯した者は裁かねばならぬ。それはどこの国も同じじゃ」
その言葉にミリアーノは口を噤んだ。
教皇は暮れゆく空を見上げて「さて」と話を進める。
「陽が暮れるとこの島の精霊に迷惑がかかる。奉納式を進めよう」
運ばれてくる、ふかふかの赤いクッションが置かれた箱。教皇はミリアーノを促す。
「さぁ。その神具をこちらへ」
奉納式。
優勝すれば優勝者は神具を奉納し、代わりに願い事を言うことができる。
ミリアーノは胸の前でぐっと白羽神具を握り締めていった。
母の遺した白羽神具。
思い出が、ミリアーノの判断を迷わせる。
奉納を辞退することはできる。ただ願い事が言えないというだけ。
でもそれだと何も変わらない。
もし、この白羽を奉納することで誰かの運命が変わるのならば──。
ミリアーノは白羽神具を赤いクッションの上に載せると、そのままそっと手放した。
教皇が訊ねる。
「では、そなたの願いを一つだけ叶えよう」
ミリアーノは真っ直ぐに教皇を見つめると、迷うことなくハッキリと願いを告げた。