三、陰謀を阻止せよ【22】
アーレイはしばし壁画を見つめた後、考え込むようにして顔を俯け、顎に手を当てる。
「──平和を意味した何か、ですか」
クレイシスの隣に座り込んでいたミリアーノ。壁画を見つめていたが、その視線をアーレイへと移す。白羽神具を胸の前で握り締めながら、不安の表情を浮かべて訊ねる。
「何かわかったの?」
「そうですね……」
「待てや、おい! それ返せや!」
二人の後ろをグランツェとポルメルが通り過ぎていく。
どうやらポルメルに荷物の中から何かを取られたようだ。
無視してミリアーノは再びアーレイへと視線を戻した。
アーレイが、ずり落ちた眼鏡の位置を指で正しながら、さきほど止めていた言葉を続ける。
「平和というキーワードだけではあまりにもこう、漠然としていますね」
「そこなのよ。一次予選みたいにハッキリ『蛙』ってイメージしやすいものじゃないと、なんだかさっぱり掴めなくて」
「いえ、イメージするのは簡単ですよ。オリーブ、そして運命の三女神が意味すること。本当にこの壁画が白羽神具に関係しているのならば、この絵をそのまま思い浮かべるだけでいいんです」
「え? そうなの?」
「ただそれを実行する前に、不安に思うことが一つあります」
「不安?」
アーレイは頷く。
「はい。実はモイライには二つの意味があるんです」
「二つの意味?」
「僕を知識者として育ててくれた師匠は、モイライには二つの意味があると言っていました。
一つは【時の流れ】。未来、過去、現在を三女神で表しているという意味。
そしてもう一つは【生命の流れ】。割り当てる者、紡ぐ者、そしてそれを断ち切る者。師匠はその三女神であるとも言っていたんです」
「違ったら何かあるの?」
「最後の『断ち切る』というのがなんとも……」
「……たしかに怖いわね」
アーレイはシュンと狼耳を垂れて、自信なく顔を俯ける。
「すみません、ミリアーノさん。僕の知識だとあまりお役に立ちそうもない気が……」
ミリアーノはにこりと微笑む。心配させまいと白羽神具を振ってみせ、
「きっと大丈夫だよ」
「でも」
「大丈夫。クレイシスが復活したら、きっとなんとかなるわよ」
とは言ったものの。
ミリアーノは不安を浮かべて隣にいるクレイシスへと視線を流した。
彼が目覚める様子はない。今なおフレスヴァから光を──おそらくこれが魔力と呼ばれるものなのだろう──を与えられていた。
(彼が何か言ってくれたらそれだけで心強いのに……)
ミリアーノは壁画へと目を移す。
(お母さんはどんな幻影を出したんだろう?)
それさえわかればどんなに楽か。
記憶を辿るも、どれも手がかりとなるものは思い浮かばない。
──ふと。
微かに彼の呻く声が聞こえてきて、ミリアーノはハッと我に返った。すぐに彼へと目を向ける。
見れば、クレイシスが一人で無理しながら体を起こしていた。その傍でフレスヴァが慌てふためいている。
「そんなすぐに起きられる状態ではありませんぞ!」
「クレイシス!」
ミリアーノはふらつく彼に手を貸す。
だがこちらの手を掴んで、彼は言った。
「大丈夫だ。一人で起きられる」
しかしその声はまだ弱々しい。
ミリアーノは心配に彼の様子をうかがいながら、
「本当に大丈夫なの?」
「あぁ……」
絶対無理している。それは明らかだった。
グランツェとアーレイが傍に寄ってくる。ポルメルも遅れて、
「って返せや、コラ」
隙見てポルメルから壷を取り戻し、グランツェはクレイシスに訊ねる。
「もう大丈夫なんか?」
「まだ顔色が悪いですよ」
「ね? ほら、みんなの言う通りだよ。まだ安静にしていた方が──」
クレイシスはグランツェへと目を向け、
「オレはどのくらい気絶していた?」
首を傾げてグランツェ。
「そんなに経ってるとは思わんが。子ヤギが乳を飲み終わるくらいは経ったんやないんか?」
即座にミリアーノは内心で突っ込む。
(つまりそれってどれくらい?)
その表現で分かったのか、クレイシスが動き出す。
「タイムリミットまでに決勝戦の会場に入らなければ──」
言葉半ばでクレイシスは崩れるように地面に倒れこむ。
「クレイシス!」
「まだ無理でございますぞ!」
「おいおい無理すんなや」
「まだ安静にされていた方が!」
手を貸すミリアーノを払って、クレイシスは地面に手をつき頭を下げた。
突然の彼の行動に目を丸くする三人。
クレイシスは懇願の意を込めて言葉を口にする。
「頼みがある。オレと一緒に決勝戦まで行ってほしいんだ。もう時間がない。このチームならきっと何かが変わる。
オレ一人がこんなところで必死になったって意味がないんだよ」
「…………」
しばらく無言の時が流れた後。
グランツェが急に雰囲気を壊すかのごとく明るくポンと手を打った。
「なんやそういうことやったんか、大魔法使い」
え? とみんなの視線がグランツェに集う。
「やっぱイベントに参加するんやったら決勝戦まで行かな面白ないっちゅうことやな?」
顔を崩してクレイシスが問い返す。
「は……?」
「たしかにこのチームは優勝への意気込みっちゅーもんが足りん。それは仕方のないことや。お前を除いてはみんな初参加やからな。だからって何も八つ当たりに前の仲間に喧嘩売ることないやろ? こんな体ボロボロになってまで無理して一人で盛り上げることやない」
ミリアーノはそこでようやく気付いた。
(あ。そういえば、グランツェにまだ事情を話してないんだった)
グランツェがクレイシスの肩にそっと手を置き、何かを諭す。
「優勝したい気持ちはみんな同じや、大魔法使い。そこは心配せんでええ。俺もちゃんと試練の間をクリアしてきた。もちろんアーレイも、ココにいるいうことはクリアしとるんや。ちゃんと周りを見ろや、大魔法使い。仲間はみんなそろっとるやないか」
ぐっと拳を固めてグランツェ。
「俺の道具屋としての実力を見せるのはここからや」
なぜかつられるようにアーレイも急にやる気をみなぎらせ、
「ぼ、僕だって!」
負けじと拳を固めて叫ぶ。
「思い出しました、故郷を旅立つ時に固めた決意を! 僕は一流の知識者になるって決めたんです! 優勝して師匠を驚かすって! こんなところで挫折している場合じゃありません!」
「……」
もはや言葉もないクレイシス。混乱しているのか、呆然と二人を見つめている。
そんなクレイシスの様子に、ミリアーノはくすりと笑った。アーレイを真似るかのようにして拳を固め、元気よくその場を立ち上がる。
「そうだよ! みんな揃ったんだから絶対勝てるよ!」
言って、ミリアーノは壁画へと振り向いた。
(解けないものをいつまでも考えたって仕方ない。だったら──)
思いつくままにミリアーノは壁画に駆け寄る。
舞台に上って壁画を背にし、
「私たちで誰にも負けない神具を作ろうよ! この絵に囚われていたって何の解決にもならないし! ね?」
グランツェが首を傾げて今更な質問をしてくる。
「そーいやお前らなんでその絵にこだわっとるんや? 二次予選は戦闘やったんやないんか?」
「この絵も重要だったの! ──ね? そうしない? フレスヴァもそう思うでしょ?」
「ミリアーノお嬢様にしては賢明な判断でございます」
不機嫌に頬を膨らませてミリアーノ。
「私にしてはってどういう意味よ」
機嫌をとろうとしてか、フレスヴァが駆け寄ってくる。途中、舞台の段差と更に加えてミリアーノの身長との高さに気付いたのか、両翼を広げて地面から飛び立った。
懸命に宙を羽ばたく。その位置はミリアーノの頭上より高くに。
「あ、すごい。最高新記録だね、フレスヴァ」
というより、これが本来在るべき姿なのだが。
ミリアーノは右手の甲を差し出してフレスヴァを迎え入れた。
フレスヴァがミリアーノの手の甲に舞い降りる。
──まさにその瞬間!
アーレイがハッとして大声で叫んだ。
「ミリアーノさん! そのままストップです!」
「え?」
ミリアーノはフレスヴァを手の甲に止まらせたまま身を固めた。
アーレイに集う視線。
その視線を受けながらも、アーレイは何かを悟ったように驚き目を見開いている。そのまま震える両手で画家のようにして両の親指と人差し指を合わせ、四角の空間を作ってポーズをとった。
壁画はまるでこの瞬間を予言していたかのように、一人の女神の姿と今あるミリアーノの姿を一寸違わずピタリと重ねていた。
アーレイは興奮に声を震わせる。
「そんなまさか……そうだったのか。だから師匠は……」
「どうしたんや? 坊主」
「何かわかったのか?」
グランツェとクレイシスがアーレイに訊ねるも、アーレイには聞こえていないようだ。ぶつぶつと独り言を続ける。
「背景にオリーブの木、そして梟、女神……これってもしかして!」
アーレイはポーズを崩して興奮に叫ぶ。
「わかりましたよ、ミリアーノさん! この壁画の示す意味が!」