三、陰謀を阻止せよ【11】
回復どころか気絶してしまったクレイシスをポルメルが背負って、ミリアーノはポルメルとともに歩き出す。
周囲も森も、さきほどとは一変してしまったかのようにすごく不気味で静かだ。
「なんかいきなり……変に静かになったよね」
イベントの参加者たちを誰一人として見ていない。ミリアーノは不安を浮かべ、焦るようにポルメルに訊ねる。
「ねぇ。私達、迷子になったわけじゃないんでしょ?」
「ばぅ」
ポルメルがこちらの質問に答えてくれるも理解できない。
「ミリアーノお嬢様」
ポシェットから顔を出すフレスヴァに視線を落とす。
「ポルメルは『大丈夫だよ』と申しております」
「そう。それならいいんだけど……」
道を進めば進むほど、鬱蒼と生い茂る木々の天蓋に光は遮られていき、仄かな薄暗さと朝もやのような霧がだんだんと濃くなっていく。
そして聞こえてくる、不気味な鳥の声。時折揺れる木々のざわめき。
ひっ、とミリアーノは過剰に反応し、恐怖に身をすくめた。
「なんか怖いよぉ。魔物とかいきなり出てこないよね?」
と、ポルメルに話題を振ってみたが、ポルメルは答えてくれない。
晴れない不安。
ミリアーノはちらりとクレイシスを見た。
ポルメルに薬草を口に入れられて以来、いまだにぐったりしていてぴくりとも動かない。
そんな彼を背負って、ポルメルは導くようにミリアーノの前を歩き続けている。
(何かがおかしいわ)
ミリアーノは顎に手を当て考え込んだ。
(いくら島の番人とはいえ、初対面の時からあまりにも私達にあれこれと親切にし過ぎる)
視線を再びクレイシスへと戻す。
そして、ピンと察した。
(もしかして戦力となるクレイシスを先にやっつけておいて──!)
思い出す、幼い頃母に読んでもらった絵本『ヘンデルとグレーテル』の話。
「ひぃぃぃっ!」
ミリアーノは悲鳴を上げてその場に腰を抜かした。
ポルメルが足を止め、こちらへ振り返り首を傾げる。
「ばぅ?」
「どうしたのでございますか? ミリアーノお嬢様」
ポシェットから心配そうにフレスヴァも見つめてくる。
二つの視線を集め、ミリアーノは恐々と声を震わせ答えた。
「そ、そうよ。きっとそうよ。ポルメルの正体って実は魔法使いのお婆さんなんだわ。私とクレイシスを家に連れ帰って鍋を煮立て、そして今晩のおかずに──!」
フレスヴァが呆れるようにため息を吐く。
「あのぉ、ミリアーノお嬢様? 何をどう想像されたのかわかりませんが、わたくしめども精霊は人間を食べません」
ミリアーノは震える指先をポルメルに突きつけ、
「でもフレスヴァ、この精霊やっぱりおかしいよ。私達をどこかに連れて行こうとしている」
「ずっとさきほどの一本道を歩いてきただけでしたが?」
「でもフレスヴァ、周りの様子もなんだか変だし、それに──クレイシスを一撃でやっつけたんだよ? 無抵抗の人間をやっつけるなんて、こんな精霊聞いたこと無いわ」
「それはミリアーノお嬢様の誤解でございます。彼が気絶したのは薬草のおかげ。体内の防衛本能が無事働いたのでございます」
ミリアーノは首を傾げて、
「……防衛本能?」
「そうでございます。例えますと、ミリアーノお嬢様の目に虫が飛び込んできた時、反射的に瞼を閉じるのと同じことでございます。
魔法使いの持つ魔力ストックが最小限に達した時、通常、魔法使いは命を守る為に体内の一部機能の停止──つまり気絶をして強制的に神具との縁を切るのでございます。
この魔法使いの場合、何らかの形でその機能が麻痺した状態となっておりましたので、薬草にてそれを治し、正常に機能させたのでございます」
「…………」
ミリアーノは腰を上げて立ち上がる。お尻についた砂ほこりを手で払いながら表情を変えず、
「ごめんフレスヴァ。今の説明すっごくわかんなかった。まず『魔力ストック』って何?」
フレスヴァが気落ちしたように項垂れる。
「あぁそうでございましょう。もうこれはサラリと聞き流す程度で結構でございます。
魔力ストックとは、魔法使いが精霊から受け取る一定量の精霊エネルギー、つまり魔力を体内に留め、維持していくことを言います。
魔法使いにとって魔力とは大切な生命の源。それが減少すれば補充を行わなければなりません」
「補充?」
「精霊に魔力をもらうのでございます」
「それってつまり、フレスヴァが森の新鮮な空気を食べるのと同じで、魔法使いにとって魔力がご飯ってこと?」
「否。ご飯と魔力は別でございます」
ずるりと肩をすべらせてミリアーノ。
「なにそれ」
「つまり、腹が減るのと魔力がなくなるのは別問題。どちらも欠けてはいけないのでございます」
「ふーん。なんか大変そうね、魔法使いって」
曖昧に納得しながら、ミリアーノは再び歩き出した。
ポルメルも一緒になって歩き出す。
少し間を置いて、フレスヴァはさきほどの話を続ける。
「そういうわけでございまして、ミリアーノお嬢様」
「なに?」
「ここからが大事な話ですのでよく聞いておいてください」
「わかったわ」
フレスヴァが咳払いを挟み、真面目な口調で説明してくる。
「ミリアーノお嬢様は神具を扱い、平然と幻影を生み出しておいでですが、それを生み出す時どのくらいの魔力が消費されているか気にかけてございますか?」
ミリアーノは足を止める。
「どういうこと……?」
「神具が生み出す幻影は無限のものではございません。一度魔力を失った神具は魔法使いの魔力を強制的に喰らい、生まれてくるのでございます」
「えっ! じゃぁもしかして私が神具を使ったからクレイシスはあんなに苦しんでいたの?」
「否。あの程度の神具で苦しむことなどあり得ません」
「じゃぁどうして? なんで急にこうなっちゃったの?」
問い掛けに、フレスヴァが片翼の先を下くちばしに当てて唸り考え込む。
「もしかしたらこの魔法使い、何か他の頑丈な神具に陣を刻ませていたのかもしれませんな」
「じん?」
「バゥ」
「やはりそうでありましたか」
「ちょっと。精霊同士で納得し合ってないで私にも教えてよ」
途端にフレスヴァが表情を変え、まるでお化けを真似るかのごとく両翼をしな垂らせ、怖い顔で説明してくる。
「陣。正式には魔法陣というのですが、これは魔法使いとその神具とをつなぐ、いわば『呪いの足枷』にございます」
「呪いの……足枷……」
ミリアーノはごくりと生唾を飲み込んだ。
フレスヴァが頷き、言葉を続ける。
「通常、魔法使いは魔力ストックが最低限に達すると命を守る為に神具との縁を切るのですが、陣を刻んだ神具から命を守ることは不可能です。永遠に切れない鎖と言いましょうか。これを魔法使いが神具に刻んだが最後、魔法使いはその神具から永久的に逃れられなくなり、気絶も許されずに命の源が尽きるまで、強制的に魔力を奪われ続けるのでございます」
「尽きる、まで?」
「つまり──死」
「死!?」
ミリアーノは悲鳴に近い声でフレスヴァの言葉を繰り返した。
フレスヴァが両翼を組んで唸る。
「この魔法使いはあまり良い環境に恵まれていなかったのでしょう。神具に陣を刻むとはよほどの理由があってのこと。脅されでもしない限り、魔法使いが神具に陣を刻むなどまずあり得ません。恐ろしきファルコム大帝国。魔法使いという存在を何だと思っているのでしょうか」
ミリアーノは暗く俯く。
脳裏に浮かぶ、リズさんのこと。
(リズさん……まさか知っていてわざと幻影を出しているわけじゃないんだよね?)
きゅっと拳を固め、呟く。
「教えてあげなきゃ……」
「へ?」
問い返すフレスヴァ。
ミリアーノは目を鋭くして、声を大きくする。
「決勝戦に行こう、フレスヴァ」
「し、しかし神具がありませんぞ」
「そんなの造ればいい。早く決勝戦に行ってリズさんにこのことを知らせてあげないと──このままだとクレイシスが死んじゃう」
「気絶をしている間は大丈夫にございます」
「大丈夫なわけないでしょ! このままずっと放っておくわけにはいかないじゃない!」
「な、納得……。否しかし──」
ミリアーノは顎に手を当て呟く。
「要はグランツェとアーレイ君が来るまで生き延びればいいってことよね」
「生き延びると言われましても……」
陰気に口ごもるフレスヴァをよそに、ミリアーノはポルメルに駆け寄り問いかける。
「ねぇポルメル。どこかに良い隠れ場所ってある?」
「バゥ」
何と言っているのかわからない。
ミリアーノの視線は自然とフレスヴァに向く。
「フレスヴァ、通訳して」
「本気で決勝戦を目指されるのでございますか?」
半眼になってミリアーノ。
「それはあなたの内心でしょ。いいから早く通訳」
「ぎょ、御意に。『隠し通路を知っているから案内する』と申しております」
「それはどこ? ここから近い?」
「さぁそこまでは……」
首を傾げて曖昧に言葉を濁すフレスヴァ。
ミリアーノはポルメルへと目を向けた。
ポルメルが無言でミリアーノを手招く。
ミリアーノは頷き、ポルメルの後をついていった。