二、奪われた神具【7】
肩を叩かれ、ミリアーノは振り返る。
するとそこには腰を屈めたウサギの着ぐるみが、固定された円らな瞳を向けて心配そうにミリアーノを見つめていた。
「…………」
きっと泣いていたから大道芸人の誰かが気にしたのだろう。
ミリアーノは目の涙を拭って、にこりと笑う。
「ごめんなさい。大丈夫です」
するとウサギの着ぐるみは、励ますかのように手持ちの赤い風船をミリアーノに差し出した。
「……風船いるか?」
ミリアーノは相手の気持ちを汲んで、その風船を受け取る。
「ありがとうございます」
──が、
「オイ。本気で受け取るなよ」
「え?」
「声を聞いてもまだわからないのか? オレだよ、オレ」
「…………」
ミリアーノはしばし考え込んだ後、
「ぎゃぁぁぁぁ!」
身の毛がよだつ思いで悲鳴を上げた。
「ば、馬鹿っ!」
ウサギが慌てて口を塞いでくる。
ミリアーノの悲鳴を聞いて集った注目。それをウサギがおどけて何とか誤魔化し、視線を散らしていった。
そして、ミリアーノの前にウサギのかわいらしい顔がぐっと急接近してくる。
思わず身を仰け反らせるミリアーノ。
ウサギの空いた口の向こうから、ひそひそと声を落とした彼の怒鳴り声が聞こえてくる。
「なんで悲鳴をあげる必要がある? オレが何をした?」
言えない。裏切ろうかどうしようか迷っていたなんて。
ミリアーノは慌てて言い訳を繕う。
「え、だって、突然でびっくりしちゃって」
「こっちはお前を巻き込まないよう最大限の努力をしてきたんだぞ。それを全部無に帰す気か?」
だからって、なぜその格好?
「お前の言いたいことはわかる。なぜこんな格好をしているかだろう?」
「どうしてわかるの?」
「今一瞬オレの上から下までを非難じみた顔で見たからだ」
「ご、ごめん」
「オレが素のままでお前と接触したらどうなると思う? 奴等の脅しは本気だ。だから変装したんだ」
そうだったんだ。
ミリアーノは男の言葉を思い出して暗い表情で俯くと、申し訳なく謝った。
「ごめん……」
「…………」
ため息をついて。ウサギは座り込んだままのミリアーノに向け、手を差し出す。
「ほら、立てるか?」
「あ、うん。ありがと」
ミリアーノは膝にいたフレスヴァをポシェットの中へと入れ、彼の手に掴まりその場から立ち上がった。そして訊ねる。
「いつから私の後ろに? まさかずっと私の後をつけていたとか?」
「いや、ついさっきだ。お前を探していたらここで泣いていたから存在に気付けた。もしかしてあの三人と接触したのか?」
「うん、今ここで。でもまた接触してくると思う」
「だよな。これで撒けるようなら毎年苦労はしない。それにお前の名前や故郷、調べられていただろう?」
ミリアーノは驚きに目を見開いて、
「どうしてわかるの?」
「そういう国なんだ。ファルコム大帝国っていうのは」
さも当然と答えてくるウサギに、ミリアーノはゾクリと背中を駆け上がってくる悪寒に身震いした。
(このまま彼に関わっていたら絶対故郷が戦争に巻き込まれる)
スッと。さりげなく一歩、後退する。
首を傾げてウサギ。
「ん? どうした?」
ミリアーノは鳥肌のたった自分の両腕を擦りながら、少しずつウサギから後退していく。
「私もう……これ以上あなたに関わりたくない」
ウサギはポンと手を打って嬉しそうに、
「よし、わかった。じゃぁここで解散しよう」
くるりと踵を返して立ち去ろうとする。
「待って!」
ミリアーノは慌てて追いかけ、彼の背をむんずと掴んで引き止めた。泣きすがる声で、
「お願い。せめてリズさんからお母さんの形見だけでも取り戻してきて……」
「…………」
ウサギがうんざりと肩を落とす。影でぼそりと、
「他人任せかよ」
「え?」
パッと顔を上げて首を傾げ、問い返すミリアーノ。
ウサギがこちらに振り向いてくる。なんでもないよと言わんばかりの明るい声で、
「いや、こっちのことだ」
「ねぇ。今『他人任せかよ』って言ったでしょ?」
「聞こえているじゃねぇか。聞き返すなよ」
「お願い。だったらせめてリズさんの居場所だけでも教えて。リズさんはこの街には居るんでしょ?」
「あぁ居るよ。知ってどうする?」
「直接会って取り戻そうと思うの。だから居場所を教えて」
「わかった。居場所を教えればいいんだな。リズなら──」
ウサギは広場よりももっと先の遠い方角へと指を向け、
「どこかあの辺りだったかな。ファルコム皇帝の宿泊施設がある。リズはそこに居る」
「え、ちょっと待って。皇帝がここに来ているの?」
「あぁ。公務を放棄して本国を離れる皇帝って珍しいだろう?」
「珍しいも何も、普通に考えてあり得ないでしょ。それにここは特別施設が建てられないから来ないはずなのに」
ハハと笑ってウサギ。
「あの皇帝は変わり者だからな。独裁者だからって冷徹なイメージを持つ人が多いが、実際はイベント好きの変なおっさんだ」
「変なおっさんって……。あんた、自分の国の皇帝でしょ?」
「いいんだ。オレ、アイツ嫌いだし」
「嫌いって……」
「じゃ、そういうことで。オレはいつまでもお前に構っている暇はないんだ。あとは一人でやれるだろう? 頑張れよ。じゃぁな」
再びくるりと踵を返すウサギの背を、またまたむんずと掴んで引き止める。
「ちょっと待ってよ。私なんかが入れてもらえるわけないじゃない」
「だろうね」
「『だろうね』って、私のことをからかっているの?」
「からかっているよ」
カチンと頭にくる。怒りをぶつけるかのごとくミリアーノはウサギの背を思いきり叩いた。
「ちょっ……ふざけないで! 私は真剣なのよ! あれはお母さんの大事な形見なんだから! 私の気持ちを知りもしないで、よくそんなことが──」
ウサギが吐いたため息がミリアーノの言葉を止める。
雰囲気に圧されて思わず身を引く。
「な、なによ」
ウサギはミリアーノともう一度向き合うと、苛立たしげに指を突きつけ言ってきた。
「もうこの際だ。リズには黙ってろと言われていたんだがハッキリ言ってやる。
リズはお前とサシで勝負をしたがっている。決勝戦でな。
お前が本当にシンシア・ラステルクの娘なら神具はイベントで取り戻せ」
ポシェットからフレスヴァが怒り心頭に顔を出す。
「黙って聞いていれば何たる物言い!」
「ごめんフレスヴァ。ちょっと黙ってて」
ミリアーノはフレスヴァをポシェットの中に押し込んだ。
そして真剣に、
「だから私の神具を奪ったというの?」
「このままあの神具を宝の持ち腐れにする気か? 白羽使い。扱えないならリズにくれてやれ」
「お母さんの大事な形見だって言っているでしょ」
「だったらイベントに参加して取り戻してみろよ」
「参加って──そんなすぐに私に仲間が集まるわけないじゃない」
「イベントに参加する仲間が居ないならオレが集めてやる。それでいいだろう?」
ミリアーノは怪訝に顔をしかめて首を傾げた。
「どういうつもり? それ」
お手上げをしてウサギ。
「リズもそうだが、オレも見てみたいと思ったんだよ。白羽神具の生み出す幻影を。けどお前にやる気がないんなら──」
「私、国からの推薦状も何も持っていないわ。それでもいいの?」
「参加は可能だ。昔のルールは全部オレが変えた。最高で最強の幻影を出せれば誰も文句は言わない。他に質問はあるか?」
「神具も無しに私に参加しろって言うの?」
「それがどうした? 無いなら作ればいい。それが出来る仲間を今から探してやる。他に質問は?」
「無いわ」
「よし。それじゃ最終選択だ。どっちかに決めろ。
ここで解散か? それともこのまま仲間探しか?」
「仲間探しに協力して」