一、そこにある何かの縁【1】
雲海を抜けると、きらめく太陽の光が差し込んできた。
思わず手をかざして影を作る。
視界いっぱいに広がった透き通るような青い空。
大空に包まれるようにして、その島は存在した。
火竜にまたがった十六歳の少女──ミリアーノは、目を見張るような光景に「うわぁ」と感嘆の声をもらした。
「これが神々の島……」
光かざした手を頭へと移動させ、視界をちらつく淡い金髪を押さえる。
「私、本当に来ちゃったんだ。ここまで」
まだ彼方ではあるが、ミリアーノにしてみればもう目前だった。
行く手を阻むものは何も無い。
このまま順調に飛べば、あの島に辿り着いたも同然だ。
思い返せばたった一人で故郷を旅立ち、ずっと不安を抱えていた日々。
気流によって運ばれるその島を探す方法は一つ。
それは目撃証言のみ。
勇気を出して飛び込んだ見知らぬ土地で、共用語が通じない異種民族の人たちに戸惑いながらも、ジェスチャーや手書きの絵だけで、なんとかここまで辿り着くことができた。
熱心にねばり訊き続けた甲斐があったというものだ。
求めていた光景にミリアーノは歓喜し、両腕を思いっきり伸ばした。
「あはは。やったね私!」
心地よい風を胸いっぱいに吸い込んで、そのまま身をゆだねるように火竜の背中に寝転ぶ。
大きくノビをして、深呼吸を一回。
「いい風……」
呟きを風に乗せて、真上に広がる上空を見つめる。
自分の瞳と同じコバルト・ブルーの色。
その空を見つめながら、ミリアーノはやんわりと微笑む。
「天気も良好だし、大気も安定。風も気持ちがいいし、なんだかこの感じ──」
まるで夢みたい。
「──!」
ミリアーノは慌ててガバッと火竜の背の上から身を起こした。
すぐさま自分の頬をつねる。
……うん。たしかに痛い。
じんじんとする頬の痛みを実感しながら、ミリアーノは自分に言い聞かせる。
「そんなわけないじゃない。私はちゃんと目覚めてる。今まで苦労してきたことを思い出すのよ、ミリアーノ」
本腰入れ、火竜の手綱を手に取る。
きゅっと手綱を引き締めて両足に力を込め、ミリアーノは前方を睨み据えた。
島に向けて「逃がさないよ」とばかりに不敵に微笑んで、
「そうよ。これで夢なんかにしたら私、神様を一生恨んじゃうからね」
別世界にいるであろう神様にきつく忠告し、ミリアーノはいざ気合いを入れる。
「よし! じゃ、行くとしますか。神々の島に!」
そんな時だった。
ふと、腰に装着していたポシェットがもこもこと動く。それと同時にポシェットの中から聞きたくなかった声が聞こえてくる。
『おや? なぜここはこんなにも暗いのでありましょう?』
ミリアーノのテンションが一気にダウンする。
手綱を緩めてがっくりと肩を落とし、しぶしぶポシェットへと視線を落とす。
何もこんな時に起きなくてもいいのに。
ポシェットに向けて沈んだ声で問いかける。
「あら、起きたの? フレスヴァ」
ポシェットの中から聞こえてくる、くぐもった声。
『この声はミリアーノお嬢様。おはようございます。ここはどうしてこんなにも暗く狭いのでありますか? わたくしめの身に何が起こっているというのでしょう?』
問われ、ミリアーノは下顎に指を当てて、わざと惚けてみせる。
「んー。別に悪気はなかったのよね。相棒と家出するには少しばかり心細かったっていうか。ちょっとくらい口うるさいのが居てもいいかなって思ったんだけど、やっぱりうるさそうかなって思って、とりあえず食事に超強力な睡眠薬を盛って丸一ヶ月ほどポシェットの中で眠らせていたってとこかな?」
『なんと! わたくしめをポシェットの中に入れるとは!』
「あ。問題はそこなんだ」
『幼少の頃よりラステルク家の執事を勤めて百五十年。ミリアーノお嬢様がお生まれになった頃からずっと側でお仕えしてきたというのに、いったい何が不満だったというのですか!』
「いや、だから──」
『このような仕打ちを受けるのは初めてのことでありますぞ!』
「だから悪気はなかったんだって」
いったい、ポシェットの何に不満を感じたというのだろう。
ミリアーノは理解できずに小首を傾げた。
相棒の火竜が会話に加わるように翼を二、三度羽ばたかせる。
しばらくして。
ポシェットの入り口からひょこりと出てくる、丸々と太った小型フクロウの尻。
そして、呟き。
『今日はやけにお尻が涼しく感じますぞ』
「頭を逆さにしてごらん、フレスヴァ。涼しいのは火竜に乗っているからよ」
フクロウの尻がポシェットの中へと戻る。
そして、ポシェットの中からもごもごと聞こえてくる声。
『朝のお散歩でございましたか。いやはや、これは失礼いたしました。
奥様がお亡くなりになられてから早一年。ミリアーノお嬢様はいつも部屋にこもりっきりで泣いてばかりおられましたから、お体を心配していたところでございます。
なにはともあれ、お嬢様が外出できるほども元気になられたのは、わたくしめにとって何よりの幸せ。
これでやっと奥様の墓前に顔向けができますよ。
ぷはっ。──よいしょ、と」
ようやくポシェットから顔を出す、手のひらサイズほどのフクロウ──執事のフレスヴァ。真下に広がる大海原を覗き込み、
「おや? 今日は新しい散歩コースのようですな。ふむふむ。
──で、ここはどの辺でありますかな?
むぅ? なぜでしょう。ここの風はなぜか異国の匂いが──」
すぃっと、フレスヴァの顔が前方へと向く。
「って、ぎょぇぇぇぇぇ!」
目玉と舌が飛び出るのではないかと思うくらい、フレスヴァは目前の光景に驚いてくれた。
ミリアーノは得意げに胸を張って「ふふーん」と鼻を鳴らす。
「どお? 驚いた?」
「こ、こ、これはッ!」
声を詰まらせるフレスヴァに、ミリアーノは風に髪をなびかせて、笑顔で「そうよ」と答えた。
「私、とうとう来ちゃった。神々の島に」