二、奪われた神具【3】
クレイシスとは街で落ち合う約束をして森で一旦別れ、ようやく正規のルートで人工の小島──係留口の入り口へと辿り着いたミリアーノ。警備員の赤旗の指示に従い、係留口に降りる順番待ちをする。
この人工の小島は係留口の為だけに造られた港町の島で、そこから架けられた橋で神々の島へと入る形となっている。これは島の精霊たちを刺激しないよう地上から来る人々の安全を考えてのことだった。
順番待ちをしていた時にふと、ポシェットからフレスヴァがひょこりと顔を出してくる。心配そうな表情でミリアーノを見つめ、
「あの、ミリアーノお嬢様?」
「ん? どうしたの? フレスヴァ」
「ちょっとお訊ねしてもよろしいですか?」
「何?」
「本当にあの条件を受け入れるつもりなのでございますか?」
「うーん……」
ミリアーノは人差し指を顎に当て、唸り考え込む。
「正直迷っているところ」
「よろしいのでございますか? あのクレイシスとかいう魔法使い、あれに関わるとかなり厄介ですぞ?」
「確かにそうなんだけど。でも、彼に手伝ってもらわないとイベントに参加できる仲間なんて私一人じゃ集められないし、それに……」
ミリアーノはフレスヴァを見つめて不安に問いかける。
「ねぇ、フレスヴァ。私、決勝戦までいけると思う?」
「神具も無しに参加されるおつもりなのでございますか?」
フレスヴァの問い返しにぐったりと項垂れる。
「そうなんだよねぇ。そこなんだよね、問題は。彼が直接リズさんから取り戻してくれたら助かるんだけど」
「ミリアーノお嬢様が直接取り戻されてみては?」
「あ。それ、今思った」
「あー……」
フレスヴァが両翼で顔を覆って嘆く。
「わたくしめがもっとしっかりしていれば……」
「だからどっちにしても、もう一回彼に会わないといけないってこと」
「否しかし、厄介ですぞ?」
「わかっているわよ。あの条件さえ受け入れれば何とか大丈夫って言っていたし」
フレスヴァがさらに嘆く。
「あぁしかし……厄介ですぞ?」
「あーもう! 何度も繰り返さなくてもわかっているってば」
順番が回り、ミリアーノは警備員の指示に従い、レイグルをゆっくりと降下させる。
「…………」
ちらりとフレスヴァを見やれば、フレスヴァがものすごく心配そうな顔でミリアーノを見つめている。
ミリアーノは半眼になってフレスヴァに訊ねた。不機嫌な声で、
「何?」
「もしもの時は頼ってください、ミリアーノお嬢様。わたくしめの長年培った年の功、何かの役には立ちましょう」
「フレスヴァ……」
じん、と胸打つフレスヴァの言葉がミリアーノの目に涙を浮かばせる。涙を指でそっと拭って、
「心配かけてごめんね、フレスヴァ。ありがとう」
フレスヴァは頼もしく胸を張って、
「わたくしめを誰だと思っているのですか? ミリアーノお嬢様の執事ですぞ」
ミリアーノは思わず感極まって手綱を手放し、フレスヴァをポシェットから出して抱きしめた。
「うん、わかっているよフレスヴァ。だからありがとう」
レイグルが係留口に舞い降りる。
ミリアーノは係留口の先へと目を向けて、そこに広がる光景に「うわぁ」と感激の声を漏らす。
さすがに世界中の人たちが集うだけあって、そこは珍しい服装や肌の色、各々の環境で進化した姿かたちをしたたくさんの異種民族の人たちが行き交っていた。短く鋭い嘴と背中に翼を持った鳥人民族や、爬虫類の顔と青いウロコ肌と鋭い爪が特徴の竜人民族、赤い蛇目と長い舌、それにつるつると湿っぽい肌が特徴の蛇人民族、人間の二倍の長身を持つ巨人民族、狼のような尻尾と耳を持つ獣民族、などなど。色んな国の人々が往来していた。
小さな人工島ながらも大きな街一つ分くらいの広さはある。まるでどこかの街をそのままごっそりと持ち上げてきたかのような感じだった。でもここは係留口として造られただけの島。あまり観光としての期待はできない。ここでは誰も交易をしない。在るのは総合案内所や小型飛空艇の貸し出し、乗り物や荷物の預かり所、停留所といった最低限の施設しかないのだ。
ミリアーノはレイグルの背から降りるとフレスヴァをポシェットに入れ、物珍しそうに周囲を見回す。
人々の雑踏。馬やトカゲをひいた乗合車が人波の向こうに見える。
「さすがに火竜を連れて歩いている人は誰もいないみたいね。──と、すれば、まずはレイグルを預けなきゃだね」
レイグルの手綱を引いて、ミリアーノは火竜専門の預かり所へと連れて行った。
預かり所に到着する。
お金は先払い制。宿泊数の指定はなく、期間は一律でエサ代込み。体の大きさで料金が変わるシステムとなっている。公認の預け所なので一般客が気軽に払える金額だ。
「良いご旅行を」
「ありがとう」
ここから島にある街までは徒歩で行くこととなる。
乗合車になるだけのお金は持っていたのだが、この先何があるかもわからないので節約したかった。
途中、総合案内所に立ち寄って、交易都市の地図とパンフレットをもらう。
ミリアーノは総合案内所を出ると気合いを入れた。
「さてと。あとは人の流れに乗って街に入ればオッケーね」
「あのぉ~、ミリアーノお嬢様?」
ポシェットからフレスヴァがそっと顔を出す。こちらの機嫌をうかがうように、
「もうこの際ですからイベントに参加なんてお止めになって、島の観光に変更されてみてはいかがです?」
「でもお母さんの形見、取り戻さないと」
「奥様の形見を取り戻す使命は重々承知。しかし、わたくしめはさきほどから心配なのでございます」
「何が?」
「もし、魔法使いの出したあの条件に失敗して、戦争の引き金になってしまったらと考えると胃がキリキリと」
「心配性ね。フレスヴァ」
「ですが、もし万が一のことがあった場合、わたくしめはこの時この一瞬を一生悔やむような気がしてならないのです。あの時嫌われても良いからミリアーノお嬢様をお止めしていれば、と……」
ミリアーノは気にも留めない様子で人差し指をぴっと立てて明るく答えた。
「先のことをあれこれ考えたって何も始まらないでしょ? だったら今見える道を進むしかないじゃない。
大丈夫よ、フレスヴァ。あのクレイシスとかいう人、そんなに悪い人って感じには見えないし、とりあえず信じてみよう? ね?」
「ですが……」
「大丈夫大丈夫」
「そこが心配なのでございます」
「大変だぁ!」
叫びながら、人の流れに逆らって走ってくる中年の男が一人。長い耳が特徴のエルフ民族である。
「風の森帝国の奴等が氷河大帝国の奴等に目を付けられて、イベント終了後には戦争が始まるらしいぞ! 風の森帝国出身の人がここにいたら今すぐ国に引き返して避難の準備を始めた方がいい!」
ミリアーノの近くにいた人たちがひそひそと話し合う。
「やぁね、また戦争かしら」
「前もどこかの帝国が氷河大帝国にやられていたよな」
「また今年も地図から一つ、町が消えるな」
「今年は風の森がやられたか」
「かわいそうに……」
「地図から消える前に行っとけばよかったな」
「ファルコム大帝国と氷河大帝国。この二大大国には気をつけろか。あぁ怖や怖や」
あちこちから次々と、流れとは逆の──係留口へと向かっていく人たちがいる。岩のような装甲皮膚を持つ岩人民族だ。岩人民族の住むと言われる土地は──
「風の森……」
ミリアーノは呟いた。その民族の人たちとすれ違い、その去っていく後ろ姿を見つめる。
(こんな強そうな人たちでも戦わず逃げちゃうんだ……)
フレスヴァが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ミリアーノお嬢様?」
「だ、大丈夫よフレスヴァ。うん、きっと」
動揺して、少し声が震えた。