一、そこにある何かの縁【13】
彼の指が動き始める。
ミリアーノは様子を窺おうと彼の顔を覗き込んだ。
「具合はどお? 大丈夫?」
訊ねると、彼はうっすらと目を開けていった。そしてミリアーノを見て、顔をしかめる。
「……お前は誰だ?」
惹かれるくらいの男性独特のとてもいい声をしていた。思わずミリアーノの心臓がドキンと高鳴る。そういえば今まで彼をこんなにも直視していただろうか? よく見れば顔立ちも整っているし、何より真っ直ぐこちらに向けられた異国的な色の双眸が、ミリアーノを魅了する。
ミリアーノの声が緊張に震えた。
「わ、私は水の帝国のミリアーノ。ミリアーノ・ラステルクよ」
「みり……? いや、本気で誰だ?」
ミリアーノは慌てて両手を振って言い換える。
「あ、あの、知らなくて当然なの。初めましてだから。えっと、あの──火竜にぶつかった時のこと、覚えています?」
「火竜に……?」
彼はしばし虚空を見つめて考えを巡らせた後、
「あー。あの時火竜で道を塞いでいた邪魔な女か」
「邪魔な女って……」
助けてあげたのにひど過ぎる。
ミリアーノは怒りにひくひくと口端を引きつらせた。
彼が不機嫌に表情を曇らせて問いかけてくる。
「オレに何をした?」
「へ?」
意外な質問をされ、ミリアーノは目を丸くした。
「オレに激しい頭痛を仕掛けてきたのはお前だろう?」
慌てて両手を振って否定する。
「ち、ちょっと待って、誤解よ。なんでそんなことになっているの? 私だってすごい頭痛がしてあなたを避けることができなかったんだから」
「お前も?」
「えぇ。なぜかよくわからないけど急に激しい頭痛がして──でも、あなたとぶつかる寸前にその頭痛が嘘みたいに消えたの」
「ふーん……」
嘘くさいとでも言いたげな、彼はしばし疑うような目でこちらを見た後、やがて諦めるかのようにため息をつく。
「まぁいいや。お前のおかげでアイツ等から逃げ切ることができたしな。……ん?」
と、額に貼られた違和感を覚えてか、彼がそこに手を当てた。
ペロリと薬草を剥がして、それをしばし観察する。そして、
「これは?」
薬草を突きつけて問いかけてきた。
ミリアーノはあの事故のことを思い出し、笑って誤魔化す。
「あぁそれね。森の精霊さん達。あなたが気絶している間に色々あったの」
ぴくりと片眉を吊り上げて彼。
「色々?」
「そう色々」
「具体的に言えないのか?」
ミリアーノは一瞬言葉をためらって、やがて視線を流して答える。
「知らない方がいいと思うわ」
「なぜだ?」
「生きた心地がしないと思うから」
「……。わかった。じゃぁ訊かないことにする」
会話を切って、彼は静かに上半身を起こすと夜空を見上げた。
深い森の木々に遮られた夜空。
何か居たのだろう、そこを見上げたまま愕然と、
「なぜ神々の島の精霊がここに? ここは地上じゃないのか? なんでオレ、こんなところに……?」
「だからあんまり深く追求しないでねって。そこんとこ」
今までの経緯をさらりと流す。
「…………」
彼は無言で視線を落とした。状況を知ろうとしてか、周囲の森を見回し始める。
そしてある一点で視線が止まった。
リズだった。
リズは今までの会話に口を挟むことなく、ずっと彼を睨んだまま聞いていた。
彼もまた、リズを睨み返す。
「え? え?」
状況がわからずオロオロと二人を見回すミリアーノ。
するとリズの方が先に目を伏せてフッと笑う。
「あんたも相変わらずだね」
彼の視線をはね退けるようにしてリズは大きく欠伸をし、ノビをした。
「あたいはもう寝るよ。ごたごたに巻き込まれるのはご免だから」
ミリアーノは慌てる。
「えー、そんなっ! 私だって面倒事はヤダよぉ!」
泣きつこうとして、
「泣き言なんて聞きたくないね。自分のことは自分でどうにかしな」
リズから言葉と同時に寝袋を投げ渡される。
「わぷっ……」
ミリアーノは寝袋を顔面でキャッチした。
ふわりと甘い花の香りがミリアーノの鼻孔をくすぐる。
(すごく良い香り)
手に取ってくんくんと寝袋の匂いを嗅ぐ。
瞬間、彼の鋭い声が飛んでくる。
「この匂い! 馬鹿、嗅ぐんじゃない!」
いきなり寝袋をひったくられ、ミリアーノに怒りが込み上げてくる。
「ちょっと、それ返しッ」
拳を振り上げたその時、
「あれ……?」
急に体が鉛のように重くなり、全身から力が抜けていく。そのままミリアーノは地面に崩れ、眠るようにして倒れこんだ。
意識がしだいに遠のいていく。
混濁した意識の中でリズの小さな笑い声が聞こえてくる。
「ふふ。こんな手に引っかかるなんて」
「リズ、お前!」
「ちょっと茶化してみただけ。ライバルからのご挨拶ってやつ。心配しなくても二時間ぐらいで目を覚ますから」
「ライバルだと?」
「そう。まさかこんなところであの最強と謳われた伝説の白羽使い──シンシア・ラステルクの娘に会えるなんて。
──ふふ。今年のイベントは骨がある奴が居て楽しめそうだよ、クレイシス。彼女がここからどう這い上がってくるかが楽しみだね」
(お母さんのこと、何か知っている……?)
ミリアーノの意識はそこで途切れた。




