快適な馬車の旅
魔法師団長との再会を果たした翌日、俺たちは早々に起きると、すぐに身支度を整えて馬車に乗り込んだ。
俺たちが天幕の中にいると、天幕の片付けや出発準備ができないとのことだ。
ちなみに、朝起きると、まだバルアさんが起きていたので、大丈夫か尋ねたところ、昼間に俺たちの乗る馬車とは別の馬車で仮眠を取るので、問題ないと返答された。それに、今晩からは別の騎士が見張りに就くそうなので、仮眠が取れれば大丈夫だそうだ。
「フェイル殿。昨日から気になってはおったのですが、それは何ですかの?」
俺たちが馬車に乗り込んで、座ったところで魔法師団長が尋ねてきた。
その視線は俺のお尻の下に敷かれた物に向いている。
「あぁ、これは浮遊草の葉で編んだ敷物です」
「浮遊草? ですかの?」
俺はお尻の下に敷いていた敷物を引っ張り出して、魔法師団長に見せた。
しかし、魔法師団長は浮遊草を知らないみたいで、名前を聞いて首を傾げている。
物知りな魔法師団長が知らないということは、人間の世界には出回っていないのだろうか?
そう言えば、俺も聞いたことがなかったことを思い出して、なるほどと納得する。
「はい。森の中に生えている草で、このように弾力があるんですよ。これをお尻の下に敷けば、お尻が痛くならないんです」
俺は分かり易いように敷物を両手で挟んで、その弾力を魔法師団長に見せる。
魔法師団長は、敷物に顔を近付けて、繁々と眺めている。
「もし、よろしければ触らせてもらえませんでしょうかの?」
「ええ、いいですよ」
魔法師団長の頼みに応じて、俺は魔法師団長に敷物を渡した。
魔法師団長は、それを受け取ると、丁寧な仕草で弾力を確かめながら、あらゆる方向から敷物を観察し始めた。
「あの、もしよろしければ、これをお譲りいただくことはできませんでしょうかの?」
俺は魔法師団長のまさかの反応に、どうしていいか悩んでしまう。
この敷物は、昨晩の料理とは異なり、俺たちの人数分しか持ってきていない。
この馬車は貴族用なのか、椅子には綿が詰め込まれている。これによって幾分お尻の痛みは軽減されると思われた。しかし、流石に長期の旅ともなると、綿だけでは限界があるということなのだろう。
俺がどう断ればいいか悩んでいると、魔法師団長の横に座ったベルフェが口を開いた。
「ええ、いいですよ。それで、報酬はどの程度を想定していますか?」
「ふむ。それでは、この程度で如何でしょうか?」
魔法師団長はベルフェに向かって、右手の人差指を一本立てて見せた。
えぇ? これが銀貨一枚もするのか? それは流石に高過ぎだろう!
それに、昨日からオルフェスといいベルフェといい、報酬を求め過ぎだ。
俺がそう思って止めに入ろうとした瞬間、魔法師団長とベルフェの話が、俺の想定外の方に流れ出した。
「うむ。金貨一枚ですか。それは妥当なところですね。ですが、報酬は金銭以外でお願いします」
「金銭以外ですかな? それは、どのような物をお望みなのでしょうか?」
銀貨だと思っていたのに金貨だと言われて、俺は驚きのあまり止めようとした口を閉ざした。
それに、金銭以外って何だ?
俺も思い当たるものがないので、ベルフェの目的も知っておきたい思いからも、止めずに話の続きを聞いてみることにした。
「簡単な話ですよ。時折、我らが森へ転移することに目を瞑り、戻ってくるまでの間、馬車を停めておいてさえもらえれば、それだけで良いですよ。例えば、そうですね。本日、その敷物を取りに行くためとかですかね。オルフェスもそれで良いですね」
矛先を向けられたオルフェスも、黙ってこれに頷いている。
うん? これってもしかして、オルフェスが報酬と言っていたのも同じ目的のためなのか?
もしそうだとすると、話の内容から、例の妖鬼の件と関係あるんじゃないだろうか?
敷物を取りに行くのは別にしても、俺は当分、森へは来ないとフィリエさんたちに告げている。それなのに、わざわざこんなことを言う必要もない。それに、馬車を停めてまで転移するとなると、考えられるのは緊急時に限られる。
俺の予想が正しいなら、オルフェスとベルフェを疑って申し訳なかった。
確かに、妖鬼がいつ攻めてくるかも分からない以上、ベルフェの言っていることは、充分に想定できる事態だ。
それで、オルフェスもベルフェも昨日から報酬などと言っていたのか。
「ほっほっほっ。そんなことでよろしければ、お安い御用でございますじゃ。それに、先を急ぎたいのは山々ではござりますが、フェイル殿たちにも森での所要がおありでしょうからな。それくらいの融通は利かせますとも」
「ふふふ。そうですか。分かりました。では、今は私の敷物を渡しておきましょう。私の分は、野営の時にでも取りに行けば良いですからね」
「これは、かたじけござりません」
俺がベルフェと魔法師団長の会話を見守っていると、さくっと交渉が成立してしまった。
本当にこれで良いのだろうか?
だが、俺のそんな思いとは裏腹に、魔法師団長はさっさと敷物をベルフェから受け取ると、自分のお尻の下に敷いている。
うん。良いみたいだ。これは、俺が何か言うのも野暮だろう。
取り合えず、俺は心の中でオルフェスとベルフェを称賛しておいた。
と、その時、馬車の扉を叩く音が聞こえて、外から『出発の準備が整いました』という声が聞こえてきた。
これに対し、魔法師団長が『うむ。では、出発してくれじゃ』と端的に出発の許可を告げる。
それから暫くすると、ゆっくりと馬車が動き出し、次第に速度を速めて行った。
「ほぅ、これは快適でござりますな」
魔法師団長は、殊の外嬉しそうに敷物の感触を確認している。
その様子から、かなり切実にお尻の対策を欲していたのだと理解できる。
俺の方も、ヘイズさんと一緒に乗っていた馬車の時とは雲泥の差を感じる。
「ええ、ええ、そうでしょう。さて、すでに報酬については交渉が成立しましたが、約束は約束。オルフェス、ガレリックに念の指南を始めましょうか?」
「ああ、そうだな。それでは、ガレリックよ。これから教えるので、学ぶが良い」
「おぅ、ありがたき幸せでございますな。はい。よろしくお願いいたしますじゃ」
頼んだのはオルフェスに対してだし、すでに報酬が成立しているので、ベルフェは傍観するのかと思ったが、どうもベルフェも教える気でいるようだ。
馬車に乗って、俺の対面で魔法師団長を挟むようにオルフェスとベルフェが座ったため、不思議に思っていたのだが、最初からその積もりだったのかもしれない。もし、敷物の件がなければ、この念の指南で報酬の交渉をするつもりだったのだろう。
オルフェスとベルフェが教えてくれるなら、俺に否はないので見守るだけだ。
それに、複数から聞き取る方が、より思い込みなどに流されずに念に専念できるため、その方が効率がいい。
魔法師団長もやる気に満ち溢れているので、これは思ったよりも早く聞き取れるようになるかもしれない。
俺は対面で念の習得が始まったことを確認してから、鞄の中から本を取り出して広げた。
この本は、王様が準備してくれた冒険者の指南本のようなものだ。
さっと見た感じ、最初の方に薬草などの情報が記載されおり、その後に弱い魔物から順に魔物の情報、最後に魔法について記述がされているようだ。
「それほど大した情報は乗っていませんね」
俺の横に座って眺めていたネルフェアが、本の内容を見て感想を呟いた。
こいつらからしたらそうかもしれないが、これだけの情報を集めるのに、かなりの時間と人命が費やされているのだ。そんな風に片付けられても困る。
「俺の知らないことを事前に知れるから、これはこれで役に立つんだよ。全てを事前にお前たちから聞けるわけでもないしな。それに、基本的な知識を学ぶには、これぐらいが丁度いいんだ」
俺は丁寧にネルフェアにこの本の価値を教えてやる。
こいつらが知っている情報だからと言って、こいつらの頭の中にあるままでは、俺の役には立たない。
それに比べれば、この本の方が余程重要なのだ。
だが、俺の予想とは異なり、俺の言葉を聞いたネルフェアが本に敵意を向け出した。
「本のくせに生意気ですね」
うん。そういう問題じゃない。
本の価値が理解できるだけに、俺の役に立つのが悔しいのだろうが、本に喧嘩を売っても買ってくれないからな。
「物に当たるんじゃない。それなら、お前も書けばいいだろ」
「フェイル様の護衛に差し障りますから、残念ですが、それはできません」
「俺が寝てる間に、俺の顔を見てる時間を使えばできるだろ?」
「いいえ、あれも立派な護衛ですので、他のことはできません」
う~ん。こいつ何でもかんでも護衛と言えば許されると思っているんじゃないだろうか?
日頃は俺の指示に従うくせに、こと護衛のこととなると、頑なに拒否するんだよな。
今も胸を張って自信満々に答えてきてるし。
確かに護衛であれば、四六時中俺の傍にいることにはなるが、こいつの場合は、護衛が目的じゃなく、俺の傍にいることが目的のような気がするから、どうにも釈然としない。
「そうかぁ。そうだな。ネルフェアばかりに護衛をさせるのも申し訳ないから、これからはオルフェスとベルフェにも交代でしてもらうか。そうすれば、お前も書く時間ができるだろ?」
「え? ふぇ、フェイル様…。そ、それは…。それだけは、どうか…、どうか考え直してください…」
俺が護衛を交代制にしようと言ったことで、ネルフェアが両手を顔の前で組んで、目に涙を溜めながら懇願してきた。
「はぁ…。なぁ、ネルフェア。お前の気持ちは嬉しいんだけど、でも、それを免罪符に使うなら、本当に交代制にするからな」
「うぅ…。はい。分かりました…」
ネルフェアは、俺の忠告に肩を落として頷いている。
少々可哀想にも思うが、護衛を盾に俺の傍にいようとするのだけは治しておかないと、こいつは真面目に四六時中、俺から離れそうにない。
もし、オルフェスとベルフェが手が離せない時に、ネルフェアに頼みごとをしたくても、できないようでは困るのだ。今のままだと、最悪の場合、不測の事態が起こった時に対処不能に陥ってしまう。
それに今は、この国と森の両方で襲撃が起こる可能性があるのに、このままだと手数が限られるのは避けたい。
ネルフェアに警告をして俺はもう一度、本に視線を落とす。
そして、何頁か捲っていくと、気になる項目を見つけた。
「なぁ、ネルフェア。紅牙狼って、灰色狼より強いのか?」
「どうでしょうか? 比べたことがないので分かりませんが、動きは灰色狼の方が速い気がしますが、力と硬さは紅牙狼の方が上かもしれませんね」
俺の質問に、ネルフェアが顎に人差指を当てながら、思い出すように教えてくれる。
ネルフェアの立ち直りの速さは、俺の好むところでもある。
ネルフェアの言う通りであれば、持久力が尽きれば速さは意味をなさなくなるので、紅牙狼の方が強そうだ。
この本にも、紅牙狼の方が灰色狼より強いと記載されているので、その認識で間違いないだろう。
「そうなのか。じゃあ、アゼルが襲撃してきたら、テオたちは闘いに参加させずに、後ろに控えさせた方が良さそうだな」
そもそも、俺が何故それを気にしたかと言うと、アゼルが従えている魔物が紅牙狼なのだ。
それに対して、テオたちは灰色狼なので、一対一で闘えば負けることになる。
こちらは四体いるが、それでも無事で済む保証がないとなれば、ガロアから預かっている者たちを危険に晒すわけにはいかない。
「ん? でも、テオたちなら大丈夫ではないでしょうか?」
しかし、俺の心配を他所に、ネルフェアが俺の言葉に不思議そうな顔をしている。
「うん? なんでテオたちなら大丈夫なんだ?」
「狼族は普通魔法を使いませんけど、テオたちは魔法が使えるので、大丈夫だと思うのですが?」
なるほど。確かに攻撃手段が多い分、テオたちに軍配が上がるように思える。
だが、硬い魔物には魔法が通じ難いという側面もあるので、意外と優位とは言えない気がする。
「でも、紅牙狼は硬いんだろ? それなら魔法は通じないかもしれないだろ?」
「はい。でも、オルフェスが対策を教えてましたので、問題ないんじゃないでしょうか?」
俺の考えに、これまたネルフェアが問題ないことの根拠を述べてきた。
ネルフェアが言っているのは、きっと森での最終日の訓練のことだと思われる。俺は自分の鍛錬に集中していたので、オルフェスとベルフェがどんなことを教えたのか知らないが、ネルフェアはそれを見ていたのだろう。
「そうなのか?」
「そうですよね? オルフェス?」
自分の名前が出たことでこちらを向いたオルフェスに、俺とネルフェアが同時に問い掛けた。
オルフェスは、それをおかしそうに見てから口を開いた。
「ええ、教えましたよ。ですので、今のテオたちでも紅牙狼に負けることはないと思いますよ」
いつから聞いていたのか知らないが、オルフェスは紅牙狼の件にも触れて教えてくれる。
恐らく魔法師団長は念に集中していて、俺たちの話を聞いていなかったのだと思うが、オルフェスの指南が止まったことで、魔法師団長が不思議そうに俺たちを見回している。
う~ん。これが本当なら、ガロアの配下で一番弱いはずのテオたちが、紅牙狼より強いということになってしまう。これは少しばかり俺の想定とは異なるんだが、どうしたものか…。とはいえ、テオたちの強さが増すのは不安も減って望ましいことだ。それに、テオたちより弱い灰色狼がいない以上、どうしようもない気もする。
まぁ、今考えても始まらないし、テオたちの強さを人に見せるわけでもないので、取り合えず保留としておこう。
「そうなのか。そんなに強くなってるなんて知らなかったよ」
「フェイル様の配下ですからね。それぐらいのことはできて当然です」
テオたちのことなのに、何故かネルフェアが自慢気に胸を張っている。
それを見て、俺は横にいるネルフェアに冷ややかな視線を送ってしまう。
オルフェスやベルフェが言うならまだしも、お前は何もしてないだろ。
それに、俺の配下が強くなるという根拠が全くないのに、何故その言い回しが出てくるのか理解できない。




