魔物の忠誠
さあ、勝負だ! 言い返してこい!
しかし、彼らは俺の期待を裏切って、言葉を発することなくその場から姿を消した。
その直後、俺の目の前に鎌の刃が頭上から現れた。
俺は即座に後ろに退いてそれを避ける。
そこに左横から漆黒の鉤爪が襲いかかってくる。
それを身を翻しながら右後方に跳んで躱す。
俺の動きを読んでいたかのように、左側から細い鋭利な刃物が迫る。
俺はさらに右側に跳んで、体を右側に捻って着地する。
そこに俺の腹を切断するが如く、横薙ぎに鎌の刃が滑り込んでくる。
俺はそれを後方に跳びながら、右前方で黒い燕尾服を着た男性が展開させていた魔法陣を魔力で打ち抜く。
着地と同時、俺の後頭部に何かが迫るのを感じ取り、俺は姿勢を屈める。
その俺の頭上を通過したヒールを視認し、俺は大きく後方に跳び退き、彼らとの距離を取る。
が、すかさず、漆黒の鉤爪が俺を貫くように突き出される。
ああ、腹が立つ!
漆黒の鉤爪を避けたところに、今度は細い鋭利な刃物。
間髪容れずに、それを躱した場所に鎌が滑り込む。
後方に跳び退く際、躱した俺の目に飛び込む魔法陣。
………
……
休む間もなく、次から次へと攻撃が襲いくる。
永遠とも思われる命を賭けた鬼ごっこ。
唯一残された舌戦をも無視されて、彼らの攻撃を避けることしかできない状況に苛立ちが募る。
そんな中、俺は何度、何十度目かの攻撃を避けて、ようやく彼らから大きく距離を取ることに成功した。
それと同時、『ちっ!』という舌打ちが俺の耳に飛び込んでくる。
え? ちっ!て何?
俺が苛立たし気に視線を送ると、向こうも険しい顔で睨み返してきた。
その視線を受けて、一気に俺の頭に血が昇る。舌打ちしたいのはこちらの方だ。
苛立ちを抱えながら、これだけの連撃を躱した直後に、逆に苛立ちをぶつけられて、俺の平常心が弾け飛んだ。
こちらが不利な状況で頭に血が昇るのは避けたいが、この状況下で舌打ちされると心中穏やかではいられない。
いいだろう! 挑発に乗ってやる。どの道このままでは後がないのだ。
俺は怒りで我を見失わないように、努めて頭は冷静に、そして身体の力を抜いて自然体に構える。
それに呼応するかのように、三体が瞬時にその場から消えた。
そして、俺の眼前に漆黒の鉤爪の先が迫る。
俺は先程までとは異なり、跳び退くことなく、顔を左に傾けて紙一重でそれを躱す。
俺の避けた鉤爪は俺の頬を撫でる様に掠めていく。
俺はその鉤爪に視線を向けることなく、正面を向いたまま、左足を大きく踏み出した。
踏み出した勢いと共に、前に傾く体に体重を乗せ、さらに腰の捻りを加える。
そして、鉤爪を突き出している相手の腕に添わすように、全身全霊を込めた右腕を突き出した。
俺の拳は狙い違わず相手の肩を捉える。
幸い俺は剣を持つために革製のグローブを装着していたため、自分の拳が砕けることはないと思っている。しかし、それでも自殺行為であることは誰の目から見ても明らかだ。だが、一撃でも加えないと俺の気が済まない。
そんな想いを乗せて、俺はそのまま体を捻ってさらに拳を奥へと送り込んだ。
自分の拳が砕けることも厭わず、少しでも相手へのダメージが大きくなるように。
俺が体を捻って拳をさらに奥に突き出した瞬間、『ぼふっ』という何かが弾ける音とともに、目の前の男性が後方に飛んで行く。
俺はすかさず周りに視線を巡らせる。巡らせた視界の中に他の二体の姿はない。ならば俺の死角にいるはずだと即座に判断を下し、俺は拳を突き出した勢いを利用して、体を死角方面へ反転させて、攻撃に身構える。
もちろん、先程殴り飛ばした男性への意識も保ったまま。
しかし、予想に反してさらなる攻撃は来なかった。
何故なら、残りの二体が俺の左右前方で跪いて頭を垂れていたからだ。
へ? こいつら何してるの?
俺の一番の感想はこれ。いや、だって今まで死闘を繰り広げてたのに、いきなり目の前で跪かれてもねぇ…。何が起こっているのか理解しろという方が難しい。
俺は構えを崩すことなく、しばらく彼らの目的を見定めるように観察した。
しかし、目の前の二体は跪いたまま一向に動こうとはせず、さりとて、俺の後方にいるであろう男性にも動きは感じられない。
そんな中、紅いドレスを着た女性が少しばかり顔を上げ、『あの~、よろしいでしょうか…』と声を掛けてきた。
俺は油断することなく、その声の主に首肯で答える。
「はっ! ありがとうございます!」
彼女は俺の返答に対して再度、深々と頭を下げた。
そして、そのまま続けて口を開いた。
「わたくしは冥界の王の一柱。ネルビア・デスフィアと申します。先程までの御主人様への数々のご無礼、申し訳ございませんでした。このお詫びは、御主人様への忠誠とともに、この身命を賭して献上させて頂く所存にございます」
うん? これって、もしかして服従するってこと?
俺の油断を誘っているわけじゃないよね?
俺が半眼で訝し気に視線を送っていると右側からも声がした。
「俺は冥界の王の一柱。オルディス・カリエンと申します。先程までの御主人様への数々のご無礼、申し訳ございませんでした。俺もこのお詫びは、御主人様への忠誠とともに、この身命を賭して献上させて頂く所存にございます」
言葉だけを聞けば服従だと思える。しかし、目の前の魔物たちには知性があり、言葉も喋る。言葉巧みに人を謀ることもできる存在だ。そんな相手の言葉を素直に聞き届けて良いものか判断がつかない。
それに彼らが語った言葉の中に、聞き流せない言葉が混じっているのも不信感を募らせている。
それは『冥界の王』という言葉。
この世界には北の大地に魔王と名乗る魔物が複数いるらしい。彼らは一体一体、別の国を造り、治めているらしいが、彼ら一体で人間の国を滅ぼすだけの力があると聞いたことがある。
そんな魔物相手に俺が対等に渡り合える筈もなく、そのことからも目の前の彼らがその魔王だとは到底思えない。
ならば、『冥界』とは何か? 『王』とは何を意味するのか?
安直に考えれば、彼らの言葉に嘘があると考えられる。とはいえ、目の前の彼らの身に着けている高級感に溢れた衣装を見ると、あながち全てが嘘とも言い切れない部分があるのも確かで…。
しかも、彼らは俺の目の前で跪いて頭を垂れていて、俺が手を伸ばせば簡単に殺せる。そんな状況も俺の判断を迷わせる一因となっている。
俺はこの答えを求めて思考の沼に沈み込む。勿論、その間の警戒も解くことはない。
もし、彼らの言葉に嘘がないとしたら、『冥界の王』とは、どういう意味だろうか?
彼らの高級な衣装を眺めながら、思考に耽っていると、ふとあるものが頭に浮かんだ。
高級な衣装を纏った王とも呼べなくもない人物。それは『商会の主』。
いや、確かに常識的に考えて商会の主を王と呼ぶのは難しい。
だが、目の前にいるのは人間ではなく魔物。言葉の意味が全て同じものだとは限らない。
もし、『冥界』というのが『商会』を示していて、『王』が『主』を指しているのなら、彼らが纏う高級な衣装にも納得できるのではないだろうか。
商会の主も一つの組織の頂点に座する存在と考えれば、強引な気もするが、ありえない話ではない気がする。
彼らは俺のことを御主人様と呼んだが、同じ『主』でも、俺は組織の長ではないので、言葉が違っていても不思議ではない。寧ろ、商会の主と主従の主は意味合い的にも違うのだから異なっていて当然とも思える。
それに、そもそも二体ともが『冥界の王』を名乗ること自体、不自然な話だ。これでは『冥界』が複数存在することになってしまう。逆に複数存在する組織と考えれば、商会もあながち間違いではないのではないだろうか。
「あの…、御主人様…。少しよろしいでしょうか…」
俺が思考の沼に嵌っていると、 ネルビアが恐る恐る声を掛けてきた。
彼女のおどおどした感じを見るに、ここから再度、闘いを仕掛けてくるようには思えない。
ここで、俺は受付嬢が最後の説明の際に『基本的に魔法陣には召喚した魔物が服従する術式が組み込まれて、魔物を弱らせれば服従するはずだ』と発した言葉を思い出した。
正直、今ここでそれを思い出す?と思わなくもないが、それだけ過酷な闘いだったと思ってもらいたい。
俺は彼らの態度と受付嬢の話から、彼らが服従していると判断し、警戒と身体の緊張を取り除くと、ネルビアに『なんだ?』と返した。
その際、俺の名前も告げておく。御主人様と言われるのが、どうにも俺には似合わない気がして。
「フェール様、え~っとですね…」
彼女は俺の右奥を指差しながら、俺とその右奥に交互に視線を彷徨わせる。
俺もそれに釣られるように視線を右後方に向けた。
そこには右肩を押さえながら倒れている男性と、彼から少し離れた手前側、俺と倒れている男性の中間辺りに、彼の腕が落ちていた。
え? なんで腕がこんな手前に落ちてるの?
その光景を見て俺の目が丸くなる。
俺は、何が起こっているのか知りたい一心で、説明を求めてネルビアの方に視線を向ける。
「数々の無礼を働きながら、不躾なお願いであることは承知しているのですが…、彼を助けてやってはもらえないでしょうか…?」
しかし、ネルビアの口から紡がれた言葉は俺の期待通りのものではなく、ネルビアの次なる願いを聞いて、俺はさらに目を点にして首を傾げる。
助けるも何も、何が起こっているのか分からないんですが?
俺が不思議そうに首を傾けている姿を見て、ネルビアも眼を瞬かせながら首を傾けた。
傍から見れば、不思議な顔をした二人が見つめ合っているという、なんとも滑稽な姿が見て取れただろう。
「あの…、俺からも少しよろしいでしょうか?」
そんな俺たちを見かねたのか、 オルディスが苦笑しながら声を掛けてきた。
俺は二もなく頷いて了承の意を示す。
「奴の肩から侵食しているフェール様の覇気を取り除いていただければ、奴の再生能力で復活すると思います」
オルディスの追言が、さらに俺を不思議の世界に誘う。
俺が分からなかったのは彼を救う手立てではない。いや、確かに魔物を助ける方法も知らないのだが、それ以前に何故、彼の腕が千切れて手前に落ちているかを知りたかったのだ。
そんな俺の疑問より、目の前の二体からしたら、彼を助ける方が優先順位が高いのだろうが。
「え~っと、覇気ってなんだ?」
俺は最初の疑問を横に置いて、追撃してきた疑問を解消することにした。
彼が再生能力を持っていることは驚きだが、一部の魔物が再生能力を持っていることは知っていたため、それには言及せず、初めて耳にした『覇気』について疑問を解消させることを優先する。
しかし、オルディスは俺の質問を受けて、目を瞬かせながら首を傾げた。
こいつもか! これでは話が全く先に進まない。
だが、疑問を解消しないと俺も何もできないため、オルディスのさらなる言葉を待つ。
そうして見つめ合うことしばし。オルディスよ、早く帰ってこい!
「え~っと、覇気とは魔力みたいなもの?…です」
オルディスの意識が帰ってきたのはいいが、こいつ説明を諦めたな。
俺は半眼で視線を送るが、オルディスは瞬きしながら見返してくるのみ。
まぁ、こんなことをしていてもしょうがない。俺は覇気が魔力のようなものだと一旦は納得する。
「ということは、俺の魔力があいつの肩に纏わりついてるってことか?」
「はい。纏わりついているというよりも肩口から侵食していると言った方が正確ですが、概ねその認識でよろしいかと」
俺たちは、ここでようやく会話が成立したことを認識し安堵する。
恐らくオルディスの話から推測する限り、俺が殴ったことにより、倒れている彼の肩が弾け飛んで、そこから俺の魔力が彼の体の中に入り込んだってことなんだろうと思われる。そう考えれば彼の腕が手前に落ちていることにも納得できる。




