絶体絶命の危機
魔物には確かに人型の魔物が存在する。その中でも一番代表的なのは小郎鬼だが、彼らは肌の色も顔つきも人間とは異なるため、見間違うことはない。それ以外にも人間に近い種族も存在するらしいが、彼らは人間が住む此の南の大地ではなく北の大地に住んでいるらしく、俺も聞きかじっただけで見たことはない。そのため、今、目の前にいる彼らがその種族なのかどうか判断がつかない。
目の前にいる三体のうち一番手前に立っている者は、黒髪で綺麗に整えられており、身長は俺よりも少し高く、体型はすらっとしており、顔立ちも整っている。そして、その身に纏っているのは、さり気なく金の刺繍が入った光沢のある綺麗な黒の燕尾服を思わせる高級感溢れる衣装だ。しかもその衣装は市販品ではなく、彼のために仕立てられたものだということも見て取れる。一見、貴族かそれに仕える執事に見える。
その左後方には、赤い長髪の妖艶な美女がいる。髪は長髪で綺麗に梳かれており、身長は俺より若干低いが、その身の細さが彼女を高身長に見せている。しかも、その身に纏っているのは、ところどころに細かい刺繍が施された紅いドレスで、裾や襟、手首などの部分に目が細かいレースがあしらわれていて、彼女の妖艶さを引き立てている。当然のことながら、その衣装も、彼女の胸や腰の括れをしっかりと強調させていることから、彼女のために仕立てられたことが伺える。こちらは一見すると貴族令嬢か王女様と言ったところか。
最後に、その彼女から少し離れた右側、手前の男性から見て右後方には、銀髪の男性が佇んでおり、彼の身長と体格は手前の男性とほぼ同じ程度で、白のカソックを身に纏っている。そのカソックも光沢があり、さり気なく金の刺繍が施されているため、見るからに大きな教会の司教のように見える。
こうやって見ると、ある一点を除けば、誰しもが間違いなく人間だと思うに違いない。
ただ、その一点が大きく人間と異なっている。
それは彼らの眼だ。手前の男性の眼は、眼球が黒く金色の瞳に縦長の紅い瞳孔をしている。左奥の女性は赤い眼球に金の瞳と紅い縦長の瞳孔。そして、右奥の男性は少し青みがかった眼球に金の瞳と紅い縦長の瞳孔をしており、全員、瞳と瞳孔は共通しているが、眼球の色が異なっている。
これによって彼らが人間ではないことが分かる。
しかし、それが分かったからと言って、彼らの種族まで分かるわけではない。今日、冒険者登録をする初心者に理解しろという方が無理というものだ。もし、事前にこんな魔物が召喚されると分かっていれば、事前に情報を仕入れることもできただろうが、俺の知る冒険者が従えている魔物たちは、いずれも獣型だったので、まさか人型が召喚されるなど露ほども思っていなかった。
とはいえ、対峙する以上、情報がないのは辛い。なにしろ、攻撃手段などが一切不明な魔物を相手に、ぶっつけ本番で対処を求められてしまうのだから。
ただ幸いなのは、彼らが俺と同程度の技量だということが分かっていることだろうか。その上、俺には彼らの半分の魔力が上乗せされていると考えれば、それだけでも、気分は幾分救われる。
そんな思いで彼らと対峙していると、さらなる驚きが俺を襲った。
「ほぉ、お前が私たちを召喚した人間ですか」
一番手前の燕尾服を着た男性が唇の端を上げ、言葉を発する。そして、その声とともに俺の頬に柔らかなそよ風が駆け抜けたような感触を覚える。
え? 喋った?
俺が驚きを覚えた瞬間、それを遮るように、同時に観覧席の騒めきも一段階上がる。
俺はその騒めきを耳にして、いらっとする。観覧している冒険者からすれば、俺の驚きも既知のことで、これから始まる闘いも、彼らにとっては娯楽の対象なのかもしれないが、情報を持たない俺からしたら楽しい要素など微塵もない。そんな状況で周りで楽しまれると、俺との温度差が激しくて、苛立たしく感じるなという方が難しい。
俺は周りの声が耳に入らないように、さらに集中力を高めた。
その瞬間、手前側にいた男性の姿が搔き消え、俺の目の前に漆黒色の爪が現れた。
速い! 俺は体を右に捻りながら跳んで、その爪を避けると同時に再度距離を取る。
今のは危なかった。後少しでも集中するのが遅ければ、爪が俺の頭を貫通していた。
俺の目線の先には、前方に右手を突き出した姿勢で、こちらに視線だけを向けている。その彼の手には、漆黒色をした鋼鉄製の鉤爪が装備…、いや、あれは手が鉤爪に変形しているのか?
その彼はゆっくりと姿勢を立てると、こちらに体を向けて訝しそうに視線を送ってくる。
「ほぉ…、あれを避けますか」
言葉だけを見ると、感心しているように受け取れるが、先程までとは異なり、その顔は一切笑っていない。
彼は俺の体を上から下に睨め付ける様に視線を動かした。
それに気を取られた瞬間、俺の左の目の端に紅いものが映り込んだ。俺はとっさに屈んでそれを躱す。
しかし、紅いものが俺の頭の上をギリギリで通過した直後に、俺が立ち上がろうとした瞬間、俺の背筋に怖気が走る。俺は考えるよりも速く、立ち上がろうとしていた脚に力を込めて、右前方に跳んだ。
そして空中で体を右に捻りながら反転し、着地と同時に剣を構え直す。
俺の右前方には、黒い燕尾服を着た男性。俺の左前方に鎌を持った白いカソックを着た男性と、その隣に紅いドレスを着た女性が、睨みつけるように目を細めてこちらを見ながら立っていた。
俺は冷静に左右に視線を送り、状況を分析した。
見る限り、紅いドレスの女性は特に武器を持っていないため、先程俺の頭の上を掠めたのは、彼女の脚だと思われる。恐らく紅いものが見えたのは彼女が履いているヒール。そして、白いカソックを着た男性が持っている鎌の先が先程まで俺のいた場所に刺さっていることから、彼が鎌で俺を切りつけようとしたのを怖気として感じたのだろう。
召喚された魔物は三体。一体だけに意識を向けるのは危険すぎる。しかも、今の動きから彼らの速度は俺よりも速く、剣で防ぐ前に眼前まで迫ってくる。この状態で眼を放すのは好きに攻撃してくださいと言っているようなものだ。
しかし、俺が状況を分析できたのは、ここまで。
俺の視界から、黒の燕尾服の男性と、紅いドレスの女性が消えたからだ。
その直後、俺の右斜め前から鉤爪が迫ってくる。それを俺は右後方に跳んで避ける。
だが、それを読んでいたかのように、そこに紅いヒールが左側から俺の顔を襲ってくる。
さらに、それを避けるために右後方に跳ぼうとしていた俺の目に、彼女が振り抜いた脚の隙間から淡い光を放つ円陣の姿が飛び込んできた。
え? 魔法?
俺は右後方に跳びながら、剣を左手だけに持つと、すかさず右手を魔法陣に向けて、そこから魔力を押し出した。
この世の中には、魔法というものが存在する。その中には魔法を防ぐ手段として防壁魔法という魔法も存在するらしいが、俺は魔法を使えないので、その方法は取れない。
この国では、一定以上の技量があり、国に認められた者のみが魔法を教わることができる。今日、冒険者登録をするような初心者が魔法を使えなくても、致し方ない話である。
しかし、防壁魔法以外にも魔法を防ぐ手段がある。それは発動前の魔法陣に直接魔力をぶつけて魔法陣を消滅させる方法だ。
これは、魔法を使えない俺たちのような初心者が少しでも身を守れるようにと、孤児院出身の冒険者が訓練の中で教えてくれた方法で、余程のことがない限り使わないだろうがと言われていた。まさか、これほど早く使うことになるとは彼らも思っていなかっただろう。本当に感謝しかない。
ただし、当然の如くこの方法には弱点があり、それは、発動前であること、魔力を飛ばせる範囲内であること、そして、最後が相手よりも魔力量が多いこととなっている。
今回の場合は、一番目と三番目は満たしている。あとは魔力を飛ばせる距離だが、そんなことに悩んでいる場合でもなく、俺は届いてくれという一心で力を込めて魔力を飛ばした。その甲斐あってか、俺の魔力は魔法陣に直撃して魔法陣を消失させた。
魔法陣が消滅するのを見て、目の前の三体が軽く眼を見開く。
俺はそれを視界に収めて、この隙に再度、状況分析を試みる。
てか、こいつら連携してねえ? いや、絶対、連携してるよね!
俺が一体の攻撃を避けても、そこに別の者の攻撃が飛んでくるとか、普通あり得ないよね!
これは明らかに、こちらの行動を予測しているか、誘導されているか、のどちらかしかない。
もし、そのどちらもである場合、こいつらはこの短い時間に俺の行動を見極めたことになる。その上、それを活かして連携まで熟したのだ。そう考えただけで背筋に冷たいものが流れるのを感じる。
武器はこちらも持っているので、そこを除いたとしても、速度は彼らの方が上。知能も兼ね備えていて、連携まで熟し、魔法を使う者までいる。これ、どう考えても俺と同じ技量じゃないよね!
とはいえ、こちらも一撃も喰らっていないので、完全に否定できるわけはないが。
とりあえず、このままでは打開策が見出せない。
俺は一旦、防御に徹することに決めて、剣を鞘に収めた。このまま剣を持っていても気が付けば眼前に攻撃が迫っている状態では剣などなんの役にも立たない。それに、魔法を使う者までいるとなると、魔力を飛ばすためにも手は空けておきたい。
俺が剣を鞘に収める様子を見た彼らの顔に激しさが増す。
「ほぉ…、我らを相手に無手ですか…。舐められたものですね」
眉間に皺を寄せて明らかに怒っていることが手に取るように分かる。
ばっか! 逆だ! 剣が役に立たないどころか邪魔になるので収めたんだよ!
俺は言葉に出さずに心の中で愚痴る。こんなことを言えば、彼らが喜ぶだけなのは分かっているし、彼らを調子づかせてなるものか。
俺は努めて余裕があるように涼しげな顔で視線だけを送り返す。
その途端、三体の魔物の姿が消えた。
そして、紅いヒール、漆黒の鉤爪、白銀の鎌が俺を連続して襲ってくる。
これもなんとかギリギリで躱して、再度彼らとの距離を取る。
今回も避けられたが、彼らの速度は先程までよりも速い気がする。剣を収めていて正解だった。
それからも幾度かの攻防を繰り返す。…いや、攻撃はしていないから防戦一方なので攻防じゃないか。
俺は疲れ始めたのか、そんなくだらない思考が頭を過ってしまう。
このままではいつか体力が切れて捕まってしまう。何しろ三体を同時に相手している時点でいろいろ不利なのだ。
ただ、俺の方もここまでの闘いで彼らの動きに慣れてきた。そのため、彼らの動きを捉えられるようになっている。
この辺りで、そろそろ決着をつける時かもしれない。
俺は静かに鞘から剣を抜いて構えた。
「ほぉ、ようやく本気になりましたか」
その言葉とは裏腹に、彼らの顔には焦りはなく、不敵な嗤いが浮かんでいた。
「ああ、そろそろ決着を、と思ってな」
俺も彼らに負けじと嗤い返す。彼らに圧倒されて飲み込まれたら終わりだ。
少しでも自分を奮い立たせるために、あえて口の端を上げたのだが、正直なところそんな余裕はない。
そんな俺の態度に気分を害したのか、紅いドレスを着た女性が一瞬で俺の前に迫ってきた。
俺は彼女の蹴りに対して、あえて一歩踏み込み、蹴りの威力を消し、その隙に剣で斬ることを試みる。
しかし、彼女から繰り出されてきたのは蹴りではなく、貫手。しかもその指からは鋭く細い刃物が伸びている。
それを視認した俺は、とっさに一歩出した脚に強引に横方向の力を加えて、体を斜めに傾けた。
その俺の頬を掠める様に鋭く細い刃物が後方へと過ぎる。当然のように剣など振るえる体勢ではない。
俺は後方に残っている脚に力を込めて、彼女の体の横を交差するように前方へと体を飛ばす。
しかし、彼女の体の横を通り過ぎた瞬間、俺の目に漆黒の爪が迫ってくるのが見えた。
この状態で避けることは流石に難しい。俺はとっさに漆黒の爪と俺の間に剣を滑り込ませた。
その甲斐あって、爪の軌道をわずかにずらすことに成功する。
だが、その代償も大きかった。俺の剣は、中央から先が爪に斬られ、見事に折れていた。爪を強引に押し退けた際、爪と交差した剣が斬り折られてしまったのだ。
ただ、幸いなことに次に俺の目に飛び込んできたのは、白いカソックを着た男性が魔法陣を展開する姿だった。俺はすかさず剣を投げ捨て、空いた手から魔力を飛ばして、魔法陣を消滅させると、彼らとの距離を取る。
もし、最後の攻撃が魔法ではなく、至近距離からの鎌での攻撃だったならば、間違いなく俺は今頃、真っ二つになっている。
俺は今の彼らの攻撃を思い浮かべ、背中に冷たいのが流れるのを感じ取る。
今のは真面目にやばかった。
ここにきて、紅いドレスの女性が新たな武器を出してきたこともそうだが、まさか、剣が斬られるとは予想もしていなかった。
確かに俺の所持していた剣は、一山幾らで売られているような安物だが、それでも鉄製の剣が斬られるとは誰も予想できないだろう。
これ、なかったことにできないだろうか?
俺は武器をなくしているのに、相手は全員武器を所持していて、動きは速く、魔法も使って、知能もあり、連携をする。
いや、これもう絶対無理でしょ!
こうなると最早、牙と爪を捥がれた狼みたいなものだ。逃げ惑うことしかできない。
これは、そろそろ『娯楽』改め、『安全対策』の出番だろうか…
「ふっ」
俺の焦燥感が伝わってしまったのか、鼻で嗤う声が耳朶を打った。
明らかに三体の魔物の顔には嘲笑が浮かんでいる。
その顔に苛立ちが湧く。今の状況下を考えれば、より冷静さが求められると分かっていても、所詮、俺も人間なのだ。闘っている相手に嘲笑されれば腹も立つ。
「楽しそうだな。もう、勝ち誇った気でいるのか? でもまぁ、三対一で挑んで来てるのに未だに俺を倒せてないんだ。俺の剣がなくなったことに安心する気持ちも分かるけどな」
最後に舌戦だけでも勝ってやる。俺は半ば投げやりな気持ちで苛立ちをぶつけた。
剣がないと言っても、彼らの攻撃を避けることならできる。
多少、煽ったところで、即座にやられる訳でもないのだ。この苛立ちだけは解消させてもらう。
助けを求めるのは、それからでも充分だ。




