念の習得
二日連続で森に出かけた俺は、目覚めると大きく伸びをする。
う~ん。今日もいい日だ。
俺がそう思っていたのも束の間。目覚めた時の光景がいつもと少し異なっていることに気付いて、俺は急いで起き上がった。
「なぁ、ネルビアは寝てるのか?」
起き上がると、ネルビアがベッドで寝ている姿が目に入り、それを疑問に思ってオルディスに尋ねてみた。
いつもなら、俺が起きた時に真っ先にネルビアの顔が視界に入るのだが、今日はそれがなくて、なんだか嫌な予感を覚える。
「ああ、あれは幻術です。ネルビアなら止めるのも聞かずに森へ行きました」
「え? あいつ何やってるの?」
俺はオルディスから返ってきた言葉に頭を抱えてしまう。
ネルビアは寝る必要がないので、あいつが俺の顔を眺めずに寝ていることはないと思っていたが、案の定、俺の予感が的中していた。
「なんでもフェール様に贈りたいものがあるらしいですよ」
「俺に? 何を?」
「さあ? 聞いても言いませんし、フェール様のためだと言って聞かないので、外で問題を起こすとフェール様に怒られるぞ、とだけは言って聞かせましたけど、止めるのは無理でした」
ああ、なんともネルビアらしい気がする。
思い立ったら、考えるより先に行動しそうだしな。
オルディスに事情を説明しなかったのも、恐らく俺が喜ぶ姿を一番に見たいとか、そういう理由だろう。
「念話は通じるんだよな?」
「ええ、いつでも通じるようにしておけとは言ってありますよ」
さすが俺の知恵袋たるオルディス先生だ。抜かりない。
う~ん。それなら大丈夫か?
ネルビアのことだから、俺の機嫌を損ねるようなことをしないと思うが、でも些か心配になるな。
「じゃあ、『もし何かあったら、冥界に返すぞ』と伝えてくれ」
「はい。分かりました。フェール様からの言葉だと言えば、ネルビアも滅多なことはしないでしょう」
オルディスは俺の指示を受けて目を瞑った。念話を始めたのだろう。
それにしても、ネルビアには困ったものだ。起きて直ぐに慌てることになるとは思わなかった。俺のためとはいえ、帰ってきたら少し注意しないとだな。
「フェール様、伝えましたよ。ネルビアも声が震えていたので、大丈夫でしょう」
「ありがとう。助かるよ」
オルディスは目を開けると、ネルビアの様子を伝えてくれる。
まぁ、震えるほど怯えたのなら、これで一旦は大丈夫だろう。
俺は少し心を落ち着けると、それから顔を洗い身なりを整え始めた。
「それで、念の練習って、どうするんだ?」
俺は身なりを整え終えてベッドに腰を掛けると、オルディスに練習方法を尋ねる。
「それですが、俺とベルファで冥界の言葉で会話しますので、何を話しているのか理解してもらうのが良いかと考えてます」
それはいきなりの難題ではないだろうか?
そもそも冥界の言葉も知らないので、聞き取ることすら難しい。
まぁ、だからこそ念を聞き取る練習になると言われればそれまでなのだが。
「もっとこう、初心者にも優しい方法はないのか?」
「そうですね…」
オルディスは、『う~ん』と首を捻りながら考え始めた。
それほど考えないと駄目なのか? それなら諦めてオルディスの提案に従うけど…
俺が半ば諦めかけていると、ベルファが横から口を挟んでくる。
「それでは、我々が先に何を言うかをお教えしてから、同じことを冥界の言葉で話すので、それを聞き取ってもらうのは如何でしょう?」
「ベルファ。それだよ! そういうのを待ってたんだよ!」
「お褒めに預かり、恐縮です」
俺は即座にベルファの提案に飛びついた。
先に答えが分かっていれば、念の方に集中しやすい。これならなんとかなりそうだ。
というか、ベルファも考えられるじゃないか! 調理で少し見直していたが、一気に株が上がった気がする。
ベルファも俺に褒められて、嬉しそうな顔をしている。
オルディスは悔しそうにしているが、俺としては考えられる者が増えるのは大歓迎だ。
ネルビアについては、正直、もう諦めているので、これから増える見込みはないけど。
「それでは、早速、練習に入りますか?」
「ああ、そうするか」
方針も固まったところで、オルディスが問うてくる。
練習方法が決まったなら、始めるのも早い方が良いだろう。
「分かりました。それでは、俺から始めさせていただきますね」
「ああ、それでいいぞ。…あ、呉々も短いものから頼むな」
オルディスは、ベルファの案がよほど悔しいのか、主導権を取り戻したがっているように感じる。視線もベルファを意識しているし。
そんなことをしなくても、オルディス先生と呼ぶ程には頼りにしているのだが、これを伝えると今度はベルファが拗ねそうだしな。こればかりはなかなか難しい。
「それでは、『フェール様が念を聞き取れるようになられるのを心待ちにしております』というのは、どうですか?」
う~ん。少し長いが、これぐらいならなんとかなるか?
言葉にすると長いが意味自体はそれほど複雑でもないしな。
「ああ、いいぞ」
「فِيُورْ سَامَا نِنْ وْ كِكِتُورِرُ يْوُ نِ نَارَرِرُ نُ وْ كُكُرُ مَاچِي نِ شِتُورِمِسْ」
オルディスは俺の了承の後、一度頷くと一度大きく息を吸って、冥界の言葉を喋り出した。
しかし、俺の耳には全く理解不能な音が響いただけで終わり、俺は首を緩く横に振って、失敗に終わったことを意思表示をした。
これは、なかなか難しいかもしれない。
「それでは、次は私の番ですね。では、フェール様。私が『フェール様は今日も大変輝いていらっしゃいます』という言葉を………」
「ちょっーと待て! それは却下だ!」
俺はベルファが話し終える前に待ったを掛ける。
さっきまでの考えるベルファを何処に置いてきた? 早く取ってこい!
「何故でございましょう? 何か問題がございましたでしょうか?」
「いや、それだと俺が恥ずかしくて聞き取りどころじゃなくなるからだよ。もっと普通のにしてくれ」
ベルファは自信があったのか、却下されたことに焦っているが、俺からすれば、何故にわざわざ自分の誉め言葉で練習せにゃならんのだ、と言いたくなる。あり得んだろ!
日頃、言葉で聞いている限りであれば無視できるが、集中して聞き取らないといけない時に、そんな誉め言葉を聞かされたら、耳を塞ぎたくなって練習どころじゃなくなってしまうじゃないか。
「了解いたしました。では、『フェール様。おはようございます』で如何でしょうか?」
俺はベルファに冷ややかな視線を向ける。
こいつ、さっきのはわざとか?
こんな簡単で練習に最適な言葉があるのに、何故、最初に俺を褒める言葉を選んだんだ?
それとも何か? 今し方、考えるベルファを拾ってきたとでも言う気じゃないだろうな。
「フェール様。言葉がお気に召さなかったでしょうか?」
俺の視線を勘違いしたベルファが、慌てて言い募ってくる。
「いや、そうじゃなくて、最初からその言葉を選んで欲しかっただけだよ」
「そうでございましたか。これは失礼いたしました」
俺が溜息をつきながら理由を述べると、ベルファが安心したように胸を撫で下ろした。
「ああ。だから、その『フェール様。おはようございます』で頼む」
「了解いたしました」
ベルファもオルディスと同じように、俺の了承の後、一度大きく息を吸って、冥界の言葉で喋り出す。
「فِيُورْ سَامَا. اُوهَايُو شِتُورِمِسْ」
う~ん。駄目だな。
俺は、オルディスの時と同様に首を横に振る。
さっきのベルファとのやり取りで若干、集中力が落ちている気がする。
「悪いけど、『フェール様。おはようございます』って言葉を、オルディスとベルファで交互に喋ってもらえるか? 同じ言葉を聞き続ける方が良い気がするんだ」
「確かにその方が繰り返し聞けて、練習になりますね」
「さすがフェール様です。私も良い案だと思います」
オルディスは俺の意図を汲み取ろうとしてくれているが、ベルファはいつの間にか元に戻っている。
う~ん。考えるベルファを取り戻すには、どうすればいいだろ?
って、今はそれどころじゃないな。集中しないと。
それから俺は、幾度となくオルディスとベルファに話しかけてもらう。
途中、守衛が運んできた食事をオルディスとベルファが処分する間を除き、休むことなく何度も何度も繰り返して、それでも諦めることなく聞き取り続けた。
そして、いよいよ集中力も途切れそうかと思った頃、ついにその変化が現れる。
「フューفِيُورْ سَامَ…ざい…ま…」
俺はベルファの言葉の中に、聞き覚えのある言葉を感じ、はっと顔を上げる。
確かに聞こえた気がする。今の音はきっと思い込みではないはずだ。
「ベルファ。もう一度頼む」
俺はそれを確認するために、ベルファに続けてもらえるように頼む。
俺の様子を察したのか、ベルファが『了解いたしました』と頷き、再び口を開いた。
「フュー………はよ…ござい…ま…」
うん。間違いない。
俺はベルファが発する音を外に追いやり、聞き取れそうになっている念に集中する。
「もう一度」
「フェールさ……はようござ…ます」
………
…………
「もう一度」
「フェールさま。おはようございます」
そして、ベルファに頼むこと数度。言葉の全容が俺の頭の中に響き渡った。
「聞き取れた…」
俺は、喜びを噛み締めるように呟いた。
「「おめでとうございます」」
ベルファもオルディスも手を叩きながら喜んでくれる。
「ありがとう。でも、まだ一回聞き取れただけだしな」
「一度聞き取れれば、念の聴き取り方は身に付いてますよ。もし、ご不安でしたら別の言葉で続けますが、どうしますか?」
「そうだな。お前たちが大丈夫なら続けてくれるか? それと、今度は答えを先に言わずに頼めるか?」
「分かりました」
俺はオルディスに少し難易度を上げて続けてもらえるように頼む。
オルディスを信用していないわけではないが、一過性のものではなく、このまま一気に身に付けたい。
「ふぇーるさま。はなしてだいじょうぶですか?」
俺は、オルディスが紡いだ言葉に驚いて目を開いてしまう。
伝わってきた言葉の内容以外にも、別の音が同時に聞こえたからだ。
「え? ああ、話してくれていいけど、今の冥界の言葉で話したよな?」
「はい。でも、いみはつたわったようですね」
「ああ」
オルディスは俺の反応に、にこやかに微笑んでいる。
答えを先に言うなとは言ったが、まさか、不意打ちでくるとは思わなかった。
今も、オルディスは冥界の言葉で話している。
その後、しばらくオルディスとベルファに冥界の言葉で話してもらい、念のため、俺が聞き取った内容も確認してもらったが、間違いなく聞き取れていた。
他にも能力など習得したいものは沢山あるが、この念の聞き取りが、それらへの第一歩だ。
俺は一つ目をやり遂げられたことに喜びを噛み締めた。
「これで、白狼たちとも話せると思いますよ」
「ああ、今日行った時に話してみるよ」
「はい。是非…。あ、ちょっと待ってください。ネルビアから念話です」
オルディスの言葉の途中でネルビアから連絡が入ったようだ。
そう言えば、念話の練習に夢中になっていて、ネルビアのことをすっかり忘れていた。
俺は不意に小窓の外に視線を向ける。ずいぶん前に守衛が食事を運んできたので、もう夜も遅い時間になっている。すでに外からの喧騒も聞こえてこない。
「フェール様。ネルビアの用事が終わったので、これから帰ってくるそうですが、どうしますか?」
オルディスも横目で小窓の外を気にしているので、俺と同じことを考えての質問だろう。
そうでなければ、尋ねなくとも戻ってくれば良いだけだ。
「だったら、昨日転移した場所に直接行ってくれるように伝えてくれるか」
「分かりました」
どうせなら、ネルビアにはそのまま移動してもらった方が、俺たちもすぐに森に移動できて都合が良い。
オルディスが念話を終えるのを確認すると、幻術と結界を張ってもらって俺たちは森へ向かって転移した。
ちなみに、今日はネルビアの代わりにベルファに幻術を担当してもらっている。




