8:繰り返される悪夢。
いよいよ、領都で祭りが行われる日。
大人も子供も大騒ぎで、毎年酔っ払いが暴れたり、あちこちで喧嘩が起きたりと、諍いが絶えない日でもある。
公爵家の騎士達は領都の見回りに駆り出され、公爵家が最も手薄になる日だ。
同時に、旅行者がウィズダム領を大勢訪れる日でもある。
一度目の人生……この日を境に、私の生活は一変してしまった。
今日は使用人達も、朝からどこか浮ついていた。
恋人の居る使用人は、デートにでも出掛けるのだろうか。
早く仕事を終わらせようと、作業を急いでいた。
街に繰り出し、可愛い女の子に声を掛ける相談をしているのは、若い騎士達だ。
一見すれば、平和な風景だが──その裏では、恐ろしい計画が進行していた。
前世では、皆が祭りへの対応で疲れた頃に、酒が振る舞われた。
その為、公爵家の騎士達も後れを取ってしまったのだという。
結果──侵入した賊により、お父様とお兄様が殺害された。
貴族家として、あってはならない失態だ。
しかし……そんなの、全部嘘っぱちだ。
実際に酒は振る舞われたのかもしれない。
でも、酒を振る舞うまでもなく……公爵家で働く者達の大半は、叔父様の息が掛かっている。
そして、叔父様が手引きした賊によって、惨劇が発生してしまった。
私一人、何も知らずに怯えていた。
今世では、そうはいかない。
その為に、ヒギンズ卿を始めとする、古い忠臣達に戻ってきてもらったんだ。
私が気を張っていることに気付いたのだろうか、今日はお兄様も朝から警戒を強めていた。
使用人達を下がらせ、落ち着きなく屋敷中を動き回る私を自室に招き、膝の上に座らせる。
「大丈夫だよ、レイ。そんなに不安そうな顔をしないで」
そう言って、私を優しく撫でてくれる。
前は、どうだっただろう。
確か──私は前日に熱を出したんだ。
だから、お祭りに行けなかった。
そのことでふて腐れて、今みたいに、お兄様に甘えていた。
甘えて、お兄様の部屋で眠りに落ちて……あの恐ろしい時間を迎えた。
ゾクリと、身体が震える。
大丈夫、今度はやられはしない。
ヒギンズ卿と、彼の仲間達が、屋敷の警護に当たってくれている。
お兄様だって、大丈夫と言ってくれている。
だから、不安がる必要なんて無いのに……どうしてこんなにも、心が落ち着かないのだろう。
「レイ……?」
お兄様が、心配そうに私の顔を覗き込んできた。
窓の外から、夕陽が差し込む。
襲撃の時間は、刻一刻と近づいている。
長く伸びた影が、まるで恐ろしい化け物のように思えて──私は堪らず、お兄様の服を握りしめていた。
夕食を終えた後も、私は不安で、お兄様の傍を離れなかった。
本当は、お父様とも一緒に居たいのだけれど……お父様は、今も政務があるから。
お兄様の膝に座って、じっと時を待つ。
ホールに置かれた大きな柱時計の針を刻む音が、まるで鼓動のように大きく響いた。
撫でる手の心地よさも相まって、こんな時だというのに、つい意識が遠のきかけてしまう。
……いけない。
昨日は、心配でほとんど眠れなかったから……酷く、瞼が重い。
背を叩くリズムが、心地よくて……つい、うとうととしてしまう。
お兄様の身体にもたれ掛かるようにして、少しだけ、目を閉じる。
意識はあっという間に、夜風に攫われてしまった。
意識が浮上したのは、廊下を走る気配に気付いた時だった。
咄嗟に状況が分からず、慌てる私を、お兄様がぎゅっと抱きしめる。
ついに、賊が侵入してきたのだろうか……と、身構えたのも束の間。
開いた扉の向こうに見えたのは、頼もしいヒギンズ卿の姿だった。
「侵入者は、全て捕らえました」
「ご苦労様」
ヒギンズ卿とお兄様のやりとりに、ぱちくりと瞳を瞬かせる。
ひょっとして……私が浅い眠りの世界を漂っているうちに、全ては終わってしまったのだろうか?
寝惚け眼でお兄様を見上げると、パチリと片目が閉じられた。
「あ、あの……お父様は?」
「執務室にいらっしゃいます。今後、捕らえた賊をどうするか、相談に上がる予定です」
私の問いに、ヒギンズ卿が淡々と答える。
お父様も……ご無事なんだ。
ドッと、全身の力が抜ける。
そんな私を、お兄様の両腕がしっかりと支えてくれていた。
「僕もお父様の元に行こう。レイは、どうする?」
「私も行きます!」
無事だと報告は受けたものの、お父様の姿を、実際に確認したい。
元気な姿を、この目で見たい。
そう思って意思を伝えると、お兄様は力強く頷いた。
ヒギンズ卿に先導され、お兄様と手を繋いで、夜の公爵邸を歩く。
時折揺らぐ燭台の炎が、押し寄せる闇に必死で抗っている。
屋敷の中は、こんなにも静かで暗かっただろうか。
私は知らず知らずのうち、お兄様の手を強く握りしめていた。
そうして、訪れたお父様の執務室。
そこには、縛られた賊の首領らしき男が転がされていた。
「ユージーン……と、レイまで来たのか」
捕らえた後、既に痛めつけたのだろうか。
賊の顔は、赤黒く腫れ上がっていた。
私にそんなところを見せたくなかったのか、お父様が困惑気味に頭を掻く。
「お父様、大丈夫でしたか?」
「ああ、ヒギンズのおかげで助かった」
良かった……。
ヒギンズ卿を連れてきたことは、無駄ではなかったんだ。
この先もお父様とお兄様が居てくれれば、私の人生、一度目とは大きく異なる道筋を歩めることだろう。
お父様も、お兄様も、ヒギンズ卿もいる。
今夜は、もう、何も起こらない。
ああ、これで助かったんだ……と、そう、思ったのに。
「──兄さん、大丈夫でしたか!?」
声が聞こえた瞬間、胸の奥が凍り付いた。
勢いよく扉を開けて、駆け込んできた人物。
その背後には、彼が伴ってきたらしき騎士達の姿がある。
ゾクリと、身体が震える。
繋いでいた手が、自然と離れてしまった。
「賊が現れたと聞いて、心配で心配で……」
見覚えのある笑み。
それは、前の人生で何度も見た──悪夢のような顔だった。
「ああ、サイラス。大丈夫だ、侵入した賊は全て捕らえたよ」
お父様は、現れた人物に笑顔で近付いていく。
彼──叔父様の顔には、狡猾な笑みが浮かんでいるように見えた。
「ダメ!!」
「レイ?」
叔父様の胸元で、キラリと光る物が見えた気がして、咄嗟にお父様を突き飛ばす。
代わりに、叔父様の前に飛び出た私の身体に──、
──ざくり。
銀色に光るナイフが、深々と突き刺さった。
次の瞬間、胸の奥に焼け付くような痛みが走る。
周囲が、一瞬で喧噪に包まれた。
叔父様が連れてきた騎士達が、執務室に押し入ってきたのだろう。
お父様の、叫ぶ声。
ヒギンズ卿が応戦し、刃を打ち鳴らす音。
お兄様が、私を呼ぶ声──様々な物音が、まるで遠くの世界の出来事かのように、少しずつ薄らいでいく。
掠れ行く意識の中、最後に目にしたもの。
それは──、
リセットしますか?
▶はい いいえ









