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悪役令嬢、残機3。  作者: 黒猫ている


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7/20

7:忠誠、再び。

「改めて、紹介しよう。彼は、リオ・ヒギンズ。お母様の護衛騎士を務めていた」

「美しくなられたお嬢様にお目に掛かることが出来て、これに勝る幸いはございません」


お兄様の言葉に合わせるようにして、ヒギンズ卿は恭しく一礼した。

洗練された、騎士の所作。

手を取られ、挨拶されて、ちょっとだけ胸が高鳴ってしまう。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


街外れの、小さな家。

彼は騎士の職を辞して、七年もこの家で一人で暮らしていたという。

世捨て人同然の暮らしを選ぶほどに、彼はお母様を守れなかった自分が許せなかったのだろうか。


「あの小さかったお嬢様が、こんなに大きくなられるとは……」


ヒギンズ卿の目は、どこか遠くを見るように細められていた。

七年前は、私は三歳。

お兄様だって、まだ七歳の頃だ。


「ヒギンズ卿は、僕の剣の先生でもあるんだ」

「そうなのですか?」


それは初耳だ。

最近のお兄様はお勉強ばかりで、剣の修行は二の次なイメージだったけれど……ひょっとして、先生が居なくなってしまったからというのもあるのだろうか。


「お坊ちゃまは優秀ですから、私から教えることも、あまり無いくらいですがね」

「そう言うな。僕は一度も勝てなかったんだぞ」

「今でしたら、分からないでしょう」


そう言って笑うヒギンズ卿だが、どうだろう。

お兄様に、それほど剣を熱心に学んでいる印象はない。


「お兄様って、そんなに剣が得意だったのですか?」


私が素朴な疑問を口にすると、ヒギンズ卿の表情が凍り付いた。


「ひょっとして……お坊ちゃま、まさか剣の稽古をおろそかにされたりは……」

「い、いや、僕には後継者教育というものがあってだなぁ……」


と言いながら、お兄様の視線が宙を泳ぐ。

あ、これは図星の時の顔だ。

どうやら先生が居なくなったのを良いことに、剣の修行をサボって、勉強ばかりに精を出していたようだ。


「お坊ちゃま……?」


わぁ、ヒギンズ卿の後ろに、どす黒いオーラが見える。

顔は笑顔だが、目が笑っていない。


「ちょっと待ってくれ、卿はもう我が家の騎士では無いのだからな! 怒られる筋合いはないぞ!!」

「……それは、そうでした」


お兄様の言葉に、一瞬家の中が静まり返る。

和やかな空気が、急に冷え切った気がした。


「あー……いや。まぁ、それもこの後の返答次第なのだが……」


気まずい空気を振り払うように、お兄様が小さく咳払いをする。


「……と、言いますと?」

「僕達は、ヒギンズ卿に屋敷に戻ってきて貰えないかと、頼みに来たのだ」


お兄様の言葉に、隣に座る私も頷く。

ヒギンズ卿は、一瞬だけ痛みを堪えるかのように、眉を顰めた。


「私は……護衛騎士、失格です」

「え……」


言葉こそ柔らかだが、ヒギンズ卿の口から告げられたのは、明確な拒絶の言葉だった。


「その想いは、七年前のあの日から……変わることはありません」


ヒギンズ卿の声は、微かに震えていた。

小さな家に、重苦しい沈黙が漂う。


最高ランクの忠誠心を持つヒギンズ卿。

その彼が、共に居ながらお母様を守れなかったのだ。

彼の悔しさたるや、如何ほどだろうか。


「違う。護衛騎士失格なんてことはない」

「……お兄様?」


ヒギンズ卿の言葉を、お兄様がキッパリと否定する。


「あの時は、仕方が無──」

「お坊ちゃま!!」


お兄様の声を制するように、ヒギンズ卿が声を荒らげた。

なんだろう、慌てて制しなければならない理由でもあるのだろうか。


「黙っていたところで、仕方がないだろう。レイチェルだって、いずれ知る日が来るかもしれない」

「しかし……」


二人のやりとりに、ざわりと胸が騒ぐ。

ひょっとして、お母様が亡くなったという馬車事故……それには、私も絡んでいるというの?

咄嗟にヒギンズ卿を見上げると、彼はばつが悪そうに顔を逸らしてしまった。


「お兄様、ヒギンズ卿……どういうことでしょうか。私にも分かるように、詳しく教えてください」


私がお願いすると、お兄様はゆっくりと頷いた──が、ヒギンズ卿は唇を噛みしめて、俯いてしまう。

やはり、私には聞かせたくないことがあるようだ。


「あの日──あの馬車事故が起きた時、僕も、レイチェルも、お母様と一緒に居たんだ」

「え──?」


一瞬、世界が静まり返る。

ヒギンズ卿の吐いた深いため息だけが、耳の奥に響いていた。


「私も、その場に……?」

「ああ。レイチェルは、まだ小さかったから、覚えていないだろうが……いや、覚えていない方が良い」


お兄様は、当時七歳。

もし目の前でお母様が亡くなったのだとしたら……お兄様は、どれほど深い悲しみに打ちひしがれていたことだろう。


「あの日、僕は乗馬を習ったばかりで、一人で馬に乗ってはしゃいでいた。ヒギンズ卿はそんな僕の面倒を見る為に、馬車を離れていたんだ」


ぽつり、ぽつりと語るお兄様の声は、どこか苦しげで──私には、まるで懺悔のように聞こえた。


「水害に見舞われた地域に、視察に向かう途中だった。足場が悪いから、注意するようにと言われていたんだが……注意するべきは、足元じゃなかったんだ」


ヒギンズ卿とお兄様が馬車を離れた、そのわずかな隙に──

山の斜面が崩れ、馬車は一瞬で土砂に呑まれた。

それが、お母様の最期だったという。


言葉が出なかった。

声を失ったのは、きっと私だけじゃない。


「そんなの……お兄様も、ヒギンズ卿も、悪くないじゃないですか……」


私が声を上げても、二人の表情は苦しげなままだ。

きっと、二人共に自分を責め続けているのだろう。


お兄様は、どうして馬車から離れてしまったのかと。

ヒギンズ卿は、どうしてお母様を救えなかったのかと。


「いえ……私が、もっと早くに駆けつけていれば……そして、奥様をお救い出来れば……」


何度も噛みしめられたヒギンズ卿の唇からは、うっすらと血が滲んでいた。


「それは、違う。お母様は、土砂の下からレイを……レイチェルをどうにか救い出させようと、必死だったんだ」

「私を……?」


お母様が、私を救おうと必死だった……?

だというのに、どうして私は、その声すらも思い出せないのだろう。


記憶の糸を辿ろうとしても、途中でぷっつりと途絶えてしまう。

失われた過去。

幼い私は、恐ろしい想い出を忘却の彼方に封じてしまったのだろうか。


「ヒギンズ卿が、レイを助け出した後……それっきり、お母様の声は聞こえなくなってしまった」


ああ、そうか。

ヒギンズ卿が、先ほどお兄様の言葉を制したのは……このことを、私に聞かせたくなかったからなんだ。


じんわりと、悲しみが胸を締め付ける。

でも……今は、悲しんでいる場合ではない。

きっと、私よりもお兄様やヒギンズ卿の方が、悲しいはずだ。


私は……もう、お母様の声さえも、思い出せないのだから……。

二人のように、心を痛める記憶自体が……私の中には、残されていない。


「そう……私が無事だったのは、ヒギンズ卿が助けてくださったからなんですね。ありがとうございます」

「お嬢様……」


今は、悲しみに囚われるよりも、前を向こう。

上手く笑えているかは、少し自信がないけれど。


「卿が居なければ、私は今ここに居なかったのですね……」


初めて知る事実。

お母様は、馬車の事故で亡くなったとだけ聞いていた。

そこにお兄様が居たことや、私も一緒に巻き込まれていたことなんて……今まで知りもしなかった。


土砂の下敷きになって、どれだけ心細かっただろう。

どれだけ辛かっただろう。

そんな中、お母様は私を助ける為に、ヒギンズ卿に声をかけ続けて──そうして、私をヒギンズ卿に託した後、静かに息を引き取ったのだ。


「お母様……」


ぽつりと零した声が、やけに大きく響いた。

お兄様も、ヒギンズ卿も、何も言わずに俯いたまま。


……暫しの後、その静寂を打ち破ったのは、お兄様だった。


「違う、僕達はこんな話をしに来たんじゃない」


ゆるりと頭を振ったお兄様は、真っ直ぐにヒギンズ卿を見据えた。


「僕は……レイが不安を感じているなら、レイを守ってくれるのは、ヒギンズ卿以外にないと思ったんだ」


いつもよりも、どこか幼く感じる、お兄様の言葉。

ヒギンズ卿の前では、お兄様は今も七歳の子供のままなのかもしれない。

感情も露わに、ヒギンズ卿に向けて、声を荒らげる。


「お母様を守れなかったと後悔するより、これからもレイを守ってくれ。これは次期ウィズダム公爵たる僕の命令だ、リオ・ヒギンズ!!」


いつものような、落ち着いた柔らかな声音ではない。

我儘な子供のような、どこか傲慢ささえ感じさせる声。

でも、きっと……お兄様にとっては、紛れもない本音なのだ。

長年お母様を助けられなかったと後悔するヒギンズ卿を、解き放つ為の言葉。


「お坊ちゃま……」

「お坊ちゃまと言うな。僕はもう、十四歳だ」


ふんと、お兄様が鼻を鳴らす。

昔馴染みであり、剣の師でもあるヒギンズ卿の前では、いつもは大人びたお兄様が、小さな子供みたいに見える。


「……お嬢様」

「はいっ」


突然声を掛けられ、思わず姿勢を正す。


「もう一度……お側にお仕えしても、よろしいのでしょうか」

「そんなの、当たり前じゃないですか!!」


ヒギンズ卿の言葉を待たずして、声を上擦らせてしまった。

彼の言葉を聞くまでもない、こちらからお願いしたいことだと言うのに。


「お嬢様、お坊ちゃま……いや、ユージーン様、レイチェル様」


ヒギンズ卿が私達の前で膝を折り、恭しく騎士の礼を執る。


「我が忠誠、再びお二人の元に──次代のウィズダム家を守る剣として、この身を捧げさせていただきます」




こうして、私達には頼れる仲間が出来た。


ヒギンズ卿には、お父様とお兄様を守る為の盾となってほしい。

そして、彼にはもう一つ、お願いしたいことがある。


「ねぇ、ヒギンズ卿。昔から我が家に仕えてくれていた貴方なら、当時の知り合いも多いと思うのだけれど……」

「ええ、まぁ、それなりに居りますが」


私の言葉に、ヒギンズ卿が首を傾げる。

彼は、ウィズダム家の現状を知らない。

まずは、かつての使用人達を取り戻さなければならない。


「当時の知り合いに、出来るだけ声を掛けてほしいの。我が家に、戻ってきてほしいって」


少しずつ切り崩されてしまった、お父様の牙城。

このまま、叔父様の好きにさせる訳には、いかないんだから。

お母様が私を守ってくださったように、今度は私が“家族”を守ってみせる──!

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