4:見えぬ糸。
時間が巻き戻ってからというもの、私はお父様の執務室で過ごす時間を増やすことにした。
ここに居るのが一番叔父様の動向を探れて、かつ情報を入手出来るからだ。
当然、子供の私が居ては邪魔になることも多い。
今もお父様の膝に座る私に、叔父様が白い目を向けている。
「レイチェル、ここは子供の遊び場ではないのだ。それくらいは分かるだろう?」
「まぁまぁ、良いではないか」
神経質な声を上げる叔父様を、お父様が制してくれる。
お父様は、本当に人が好い。
二十一世紀の日本にも、一度目の人生にも、これほど優しい人はいなかったと思う。
そんなお父様の優しさにつけ込むのは気が引けるけれど、叔父様のことを放ってはおけないの。
「僕も子供ですが、それでも執務室に立ち入ってますよ」
お父様のデスク脇に立ち、書類を仕分けているユージーンお兄様が、叔父様にチラリと釘を刺す。
「君はお父上の手伝いをしているだろう」
「レイだって、邪魔はしていません。ちゃんと良い子にしています」
これに関しては、叔父様の言っていることの方が理解出来るのだけれどね。
お父様もお兄様も、私に甘いんだから。
それが嬉しくて、ついこちらも甘え過ぎてしまうのだ。
「まったく……まぁ、いい。今日は兄上に提案があって参ったのです」
「提案?」
「ええ、ブレアム侯爵領で発見された鉱山への出資計画です」
……始まった。
前の人生で、我が家を苦しめた“あの提案”が。
チラリと、お兄様と視線を見合わせる。
ブレアム侯爵家には、キンバリー王妃陛下の妹君が嫁いでいる。
つまり、この提案は王妃陛下を通じて我がウィズダム家に持ちかけられたものなのだ。
お父様が、デスクに置かれた書類を手に取る。
きっと、そこには融資を募る為の甘い言葉が並んでいるのだろう。
ブレアム領で発見された鉱脈は、鉄鉱と銅を含む複合鉱床と報告されていた。
確かに、一時は王国の資材不足を解消する良発見と持て囃されたものだ。
しかし、発掘に着手した後に地盤の脆さが発覚。
採掘場が崩落して、多くの作業員達が生き埋めにされた。
鉱山は収支を得るより先に、多額の賠償金を背負う羽目になってしまった。
「まぁ、こういうことならば全てサイラスに任せて──」
ダメだ。
お父様は、叔父様を信頼している。
それ故に、全てを叔父様任せにしようとしている。
このままでは、前世と同じ──発生した莫大な賠償金を、我がウィズダム公爵家が肩代わりすることになってしまう。
「お父様、出資というのはお金を出すということですよね。そんなに簡単に決めて良いものなのですか?」
なんとか、お父様を思いとどまらせなくては。
そう思って声を上げたら、ほれ見たことかと叔父様が眉を跳ね挙げた。
「だから邪魔をするなと言っているだろう、レイチェル!」
「邪魔ではありませんっ」
自分に都合の悪い話は、全て子供の邪魔として流そうとする。
なんと分かりやすい態度だろう。
どうして以前の私は、叔父様の違和感に気付かなかったのか……まぁ、当時は疑うことを知らない子供だったものね。
仕方ないとは思うのだけれど……だからこそ、叔父様の狡さに腹が立ってくる。
今の私は、何も知らない子供ではない。
叔父様の横暴を、黙って見過ごすことは出来ない。
「我がウィズダム家の財産は、領民が収めた血税で成り立っています。その使い道に慎重になることの、どこが間違っているというのですか」
私が声を荒らげると、執務室が一瞬静まり返った。
……しまった。
子供らしからぬことを言ってしまっただろうか。
一つ咳払いをして、慎重に言葉を選ぶ。
「お父様、どうしてブレアム侯爵領のことなのに、我が家がお金を出せと言われているのでしょう?」
「お金を出せと言われている訳ではないんだ。ただ、もし出してくれたら、儲けが出た時にそのお金を上乗せして返すと、そういう提案をされているんだよ」
膝の上に座ったままでお父様を見上げると、お父様は私の髪を撫でながら、優しく教えてくれた。
……良かった。
変に思われてはいないみたい。
「出資の意味も分からぬ子供が、軽々しく口を出すことではないっ」
叔父様は、さらに私の言葉を押さえつけようとしてくる。
こちらを見下ろす瞳は、親類を見る目とは思えぬほどに、冷たい光を宿していた。
「ちょっと失礼します」
お父様の手にあった書類を、お兄様が奪い取る。
そこに書かれた文字を追いながら、お兄様の整った眉は、次第に険しく歪んでいった。
「どの程度の埋蔵量か、可採埋蔵量の計算さえ、未だ出ていないではないですか」
「そ、そんなものは採掘を進めていくうちに、次第に明らかになっていくものだろう」
知識のあるお兄様を前に、叔父様の顔色が変化する。
私相手ならば強弁で押し切れるけれど、お兄様相手にはそうはいかないと分かっているのだろう。
ユージーンお兄様は、今よりもっと幼い頃から、神童と呼ばれ一目置かれていた。
そんなお兄様の言葉ならば、お父様も無視は出来ないだろう。
「いえ、まずは地盤調査を行って、どの程度の資源が眠っているのか、また安全に採掘作業が出来るのかを確認することが大事です。出資の話は、それからで良いでしょう」
「そ、そうか」
お兄様の言葉に、お父様が頷く。
……良かった。
お兄様が止めてくださらなければ、きっと前の人生と同じようにウィズダム家は多額の出資を行い、賠償金の支払いで多くの損害を受けたことだろう。
何より、お兄様のこの提案によって採掘前の調査がしっかりと行われたなら、崩落事故で作業員達が多く犠牲になることも避けられるはず。
ふと、お兄様と目が合う。
こちらに向けて、パチリと片目を閉じてくれた。
「ぐ……その間に、他の奴等に話を持っていかれても、知りませんからね!!」
そう言い残し、叔父様が大股で執務室を後にする。
後にはお父様の膝に座ったままの私と、やれやれとばかりに書類を置くお兄様の三人が残された。
「ユージーンはともかく、レイがあんな風に考えているとは思わなかったな。子供というのは、知らないうちに大きくなるものだなぁ」
お父様は、何やら感慨深げだ。
やはり、先ほどの言い回しは子供らしくなかっただろうか。
「私だって、ウィズダム公爵家の一員ですもの。お父様とお兄様のお手伝いがしたいのです」
以前の私はあまりに無知で、そして無力だった。
もう、二度とあんな思いはしたくない。
何より……優しい貴方達を、犠牲にしたくはない。
たとえ、誰を敵に回すことになろうとも。
お兄様に言い込められた叔父様の表情を見た時は、溜飲が下がる思いだった。
あの人の企みを、ようやく一つ防げた──そう喜んだのも束の間。
数日後、廊下を通りかかった時、使用人たちの噂話が耳に入ってきた。
「今日もサイラス様宛に届いているのか」
「流石はサイラス様だ」
最初は、何の話だろうと思った。
叔父様のことを誇らしげに語る彼等は、皆、叔父様に対して高い忠誠心を持つ者達だ。
子供のふりをして、それとなく鎌を掛けて──そして、気が付いた。
彼等が手にした封筒。
どうやら、叔父様宛に届いた書簡らしい。
その封蝋には──クレイヴン王妃陛下を象徴する紋様が刻まれていた。
王妃陛下からの文が、お父様ではなく、叔父様に届けられているという事実。
叔父様の背後で、王妃陛下が動き始めている。
いまだ、我が家には見えぬ糸が絡まりついていた。









