20:夜が踏む足音。
楽しいはずの林間合宿──は、初日の午後になると、どの班も阿鼻叫喚の地獄絵図と化してきた。
「ちょっと、このヌメヌメしたのは何ですの!?」
「なんで私がこんなことを……従者を呼んではダメなのかしら……」
林間合宿、一番のハードル。
初日の昼食はアカデミー側で用意してくれているのだが、夕食以降は、全て自分達で調理しなくてはならない。
材料こそ用意されているが、それらは全て生肉と新鮮な生野菜。
かろうじてパンだけは市販の物が用意されているが、それ以外のメイン料理とスープ等、全て自分達だけで作らなくてはならないのだ。
生粋の令嬢達による、はじめての料理体験~。
二十一世紀の日本なら、これだけで一つの番組になりそうな勢いよね。
私達の班は、公爵令嬢である私を始めとして、侯爵家の令嬢であるセシリア、子爵家の令嬢であるエマ、男爵家の令嬢であるルイザという四人の組み合わせ。
全員が全員、屋敷で料理人を雇っている。
自分達で料理をした経験などない……はずだった。
まぁ、私は二十一世紀の日本で生きた記憶があるから、料理もお手の物なんだけどね。
公爵令嬢ともあろう者が、料理が得意だなんて、言えるはずもない。
適当に皆が料理するのに合わせ、右往左往していようと思っていたのだけれど……。
「ちょっと、ブライトン男爵令嬢! 貴女の家相当大変なようだから、料理くらい自分でしているのではなくって?」
「流石にそれは……」
出た、セシリアの言いがかり。
いくらルイザの家が没落寸前だからと言って、料理人も雇えないんじゃってのは酷い話だ。
「どうしましょう、誰か厨房に立ったことがある人はおりまして?」
「そんなの、居る訳がないですわ」
私以外の三人は、諦め半分に割り当てられた食材を前に、途方に暮れている。
林間合宿は、大きなコテージの傍で行われる。
先生達は皆コテージに寝泊まりするが、生徒達は自分達で山中にテントを張り、そこで寝泊まりするのが習わしだ。
調理はコテージ脇の炊事場で行われる。
班ごとに一つ一つの炊事場が割り当てられているのだが、どこの班からも悲鳴混じりの声が上がっている。
私達のすぐ隣にある炊事場は、騎士科の生徒達が使っていた。
「おい、これどうやって料理するんだ?」
「知らねぇよ、そんなこと」
「最悪、生でも食べられるんじゃないか?」
彼等の口から、とんでもない言葉が聞こえてきた。
あのー、貴方達が持っているそれは、生の鶏肉ですよね。
食べたら確実に危険なことになりますわよ。
「なるほど、最悪生でも……」
「サラダは生で食べますものね」
ちょっとセシリアとエマ嬢、彼等の話を真に受けないでください!!
嫌ですからね、林間合宿がカンピロバクターで大惨事なんて。
「……私が料理します」
結局、見るに見かねて私が手を上げることになってしまった。
いや、でもこんなの仕方ないと思うんです。
皆を食中毒から守る為には、せめて火を通さないと……!
「ウィズダム令嬢、お料理をしたことがありますの……?」
「まさか。ただ、やり方を知っていただけですわ」
驚くセシリアに、笑顔で首を振る。
公爵令嬢ともあろう者が、自分で調理場に立ったことがあるなんて、それだけで醜聞になりかねないものね。
適当に否定しつつ、知識でどうにかなっているという体にしてしまおう。
「鶏肉はしっかり焼かないと、お腹を壊すんですって。生で食べようものなら、大変なことになるそうですよ」
「おぉ~、なるほど」
隣の班にも聞こえるように、わざと大きな声で話す。
向こうの班でも、私の見様見真似でフライパンを火に掛け、鶏肉を焼いているみたい。
生で食べることにならなくて、良かったぁ~。
「後は、適当にスープでも煮込んでしまいましょうか。野菜は切れたかしら?」
「はい、出来ました!!」
鶏肉を焼いている間に、ルイザにスープ用に野菜を切っておくよう、頼んでおいたのだ。
料理は未経験のルイザだが、彼女は元々手先が器用だ。
包丁を持つ手も危なげなく、野菜も綺麗に切り揃えてある。
多少妙な形の物が混じっているのは、ご愛敬。
これも、全て林間合宿の醍醐味だ。
「では、お鍋に水を汲んでいただけるかしら」
「承知しましたわ」
セシリアとエマも手伝ってくれて、大鍋を火に掛ける。
そこに野菜をたっぷり投入して、程よく煮込んだら、鶏肉のソテーと簡単な野菜スープの出来上がりだ。
顆粒のコンソメでもあれば、サッと味付けが決まるのだけれどね。
こういう時、日本の調味料が懐かしくなる。
とはいえ、贅沢は言えない。
「どなたか、少し鍋の火を見ていていただけるかしら」
「別に良いですけれど、ウィズダム嬢はどこかに行かれますの?」
「ちょっと、お手伝いに」
さっきからこちらをチラチラと眺めている隣の炊事場にも、ヘルプに行きましょうか。
こういう時は、持ちつ持たれつですからね……!
「このまま煮込めばよろしいのですわね? 焦げつかないように、私が見ておきますわ」
「助かります」
スープの番は、セシリアが快く引き受けてくれた。
一方、エマは気を利かせて、お茶の用意を始めている。
「お食事の後は、皆で温かいお茶をいただきましょう。持参した茶葉があるんですの」
「まぁ、そんなものまで。嬉しいですわ」
焚き火の傍らで、お湯の沸く心地よい音がした。
煙と共に立ちのぼる香りが、どこか甘くて、癒されるような──ほんの少し、胸の奥が温かく痺れるような香りだった。
という訳で、出来上がりました、初めてのキャンプ料理!
私にとっては初めてでも何でも無いのですが、他の三人はなかなかどうして感動しているようなので、良しとしましょうか。
「お料理をするのって、こんなに大変なんですのね……」
「私、もうちょっと料理人に優しくしようかと思います」
「本当ですね……」
食材だけを手渡された時の絶望が、よほど印象に残っているのだろう。
ご令嬢が使用人達に優しくなったのなら、良かったんじゃないかしら。
「いただきまーす」
屋敷やアカデミーでいただく時のように、豪華なテーブルでナイフフォークを使ってとはいかないけれど、小さなテーブルで四人集まって、いざ食事開始。
「んん!」
「まぁ、お肉って焼いただけでこんなに美味しいんですか!?」
皮目からパリッと焼き上げた鶏肉は、塩胡椒だけのシンプルな味付けが、素材の味を十分に引き出していた。
うん、良い出来。
こう見えても、日本に居た時はちゃんと自炊をしていたのだ。
これくらいの簡単な料理なら、特に困ることはない。
「流石はレイチェル様、凄いです……!」
「そ、そう?」
だと言うのに、ルイザったら派手に持ち上げてくるし、他の二人も満更ではなさそうだし、隣の班の男子達まで感心している始末。
目立つつもりはなかったというのに、おかしいなぁ……。
ま、感謝されているようだから、良かったのかもしれない。
食後にエマのいれたお茶を受け取り、ひと息つく。
「良い香り……今日の疲れがほぐれていくようですわ」
一口飲んだだけで、体の芯がじんわりと温まる。
ほんのりと、瞼までもが重くなるような気がした。
「あら、でもまだ片付けが残っておりますのよ」
料理を食べ終わった時点で、皆一仕事やり終えたという雰囲気を出しているが、屋敷での生活のように、使用人達が片付けてくれる訳ではない。
ここは林間合宿、片付けも全て自分達でやらなければならないのだ。
「片付けも、皆さんに手伝っていただきますからね」
「そうでしたわね」
「本当に……どうして私達が、こんなことまでしなければならないのかしら」
一部不平不満を漏らしながらも、食器を洗って片付けるところまで、全てを終わらせることが出来た。
食事の片付けが終われば、就寝用のテントへと潜り込む。
テントと言っても、個人用の小さなテントだ。
林間合宿とはいえ、そこは貴族の子弟達。
誰かと一緒のテントで寝泊まりをする訳にはいかず、一人一つずつのテントが準備されている。
私のテントは、ルイザの真横。
その向こうにセシリアとエマが並ぶ形だ。
四張りとも講師達が見回れるように、纏まって設営されている。
暗くなってから潜り込んだテントは、その狭さも相まって、どうも落ち着かない。
布団を被って目を閉じても、虫の声が気になるばかりで、なかなか寝付けやしない。
いつもとは違う環境。
非日常の世界。
興奮して寝付けないのも、無理はない。
ごろりと寝返りを打つと、テントの外から、小さな物音が響いてきた。
ひたり、ひたり……。
決して、大きな音ではない。
まるで、誰かが足音を殺して近付いてきているような……そんな気配。
何だろう。
不安が暗闇のように、じっとりと押し寄せてくる。
足音は少しずつ大きくなって……しかも、複数聞こえてくる。
先ほどまであれほどうるさく感じていた虫の声が、いつの間にか止んでいた。
静かに息を殺し、気配が過ぎ去るのを待つ──が、足音は、私の居るテントの真横でピタリと止まった。
見回りを告げる教師の声は、無い。
「……ここで間違いない。さっさと済ませろ」
低く押し殺した声が、布一枚隔てた向こうから聞こえてきた。









