15:差し伸べた手。
私にとっては嫌な記憶を思い起こさせる、セシリア・エフィンジャー侯爵令嬢。
アカデミーに入学した後、こちらは必死に彼女との距離を置こうとしているのに、なぜか向こうは私に近付いてくる。
前の人生で彼女が私に近付いてきていたのは、理解出来る。
当時の私は、エルトン殿下の婚約者だった。
未来の王太子妃という立場を重んじるにせよ、エルトン殿下との関係を邪魔するにせよ、探るにせよ、近くに居た方が何かと便利だものね。
でも、今は違う。
今の私は、一介の公爵令嬢でしかない。
こちらはかなりつれない態度を取っているつもりなのだけれど、どうして彼女は私に近付いてこようとするのかしら。
残念だけれど、どれだけ聞き心地の良い言葉を投げかけてこようとも、私は彼女と親しくなるつもりは無い。
自分を見下し、処刑に追い込む為に加担した女を友人だなんて、思えるはずがないわ。
金輪際、彼女とは関わらずに居よう。
そう思っていたはずなのに。
「ちょっと貴女、調子に乗っているのではなくて?」
「こんな方と席を並べているだなんて、人生の恥ですわ」
「なぜこんな方が神聖なるアカデミーにいらっしゃるのでしょう」
休み時間、廊下を通りがかった際に、嫌な会話を耳にしてしまった。
見れば、窓の向こう──中庭の一角で、三人の女生徒が一人の女生徒を取り囲んでいる。
どんな世界でも、陰湿ないじめというのはあるものね。
しかも、いじめている側の一人は、あのセシリアじゃない。
よくもまぁ、誰かにごまをする一方で、他の生徒をいじめたり出来るものね……いや、逆か。
そんな性格だからこそ、人によって態度を変えるのかもしれない。
いじめられている女性には悪いけれど、セシリアには関わらない方がいい……そう思ったはずなのに。
ふと視界に入った、あの子の俯いた横顔が、かつて助けを求めていた“自分”の顔と重なって見えてしまった。
気づけば、扉の取っ手に手を掛けていた。
「ちょっと貴女達、三人で一人を取り囲んで、一体何をしているの?」
「あ……」
三人の女生徒が、ばつが悪そうにこちらを振り返る。
「ウィズダム令嬢!? こ、これはそういうのではないんです!」
「“そういうの”とは、何かしら?」
セシリアが慌てて声を張り上げるが、こんな状況でどう言い訳をしようと言うのか。
私が押さえたのは、紛れもないいじめの現場だというのに。
「ウィズダム令嬢も、知っておられますよね? 彼女は、ブライトン男爵家の令嬢なんです」
貴族の子弟ばかりが集まる、王立アカデミー。
中には、貴族とは名ばかりの貧乏な家も、当然含まれている。
学費を払えず、入学を辞退する家もきっとあるのだろう。
ブライトン男爵家は、没落寸前の貧乏貴族だ。
だから、彼女を三人で取り囲んで、笑いものにしていたのだろうか。
なんとも、馬鹿馬鹿しい話だ。
「見てください、彼女の着ている制服! 一昨年卒業したお姉さんが着ていた物を、そのまま使っているんですって!」
信じられない! と声を上げるセシリアを無視して、私はブライトン男爵令嬢に声を掛けた。
「そう、お姉様は随分と物を大事にする方なのですね」
「え? え、えぇ……」
私の言葉に、三人の令嬢達だけでなく、当のブライトン男爵令嬢までもが目を丸くする。
私が一緒になって彼女を責め立てるとでも思ったのかしらね。
普通の貴族令嬢ならばともかく、二十一世紀の日本で暮らした記憶を持つ私にとっては、姉のお下がりなんて別に珍しいものではない。
ただ……この世界で、貴族がそれをしてしまうと、あれこれ言われるのは事実。
「貴女、ブライトン男爵令嬢とおっしゃったかしら」
「は、はいっ」
緊張気味に返事をする令嬢に、にこりと笑顔を見せる。
「今日の放課後、お時間はあるかしら?」
「え? は、はい、時間はありますが……」
「そう。でしたら、一緒に我が屋敷まで来てちょうだい」
「えええっ!?」
私の申し出に、声を上擦らせたのはセシリアだった。
なぜブライトン男爵令嬢がウィズダム公爵家に誘われるのかとでも言いたげだ。
「心配症なお父様が、まだ背が伸びるかもしれないからと、少し大きめの制服も一緒に注文してあるのよ。きっと、貴女には丁度良いわ」
「え……」
ブライトン男爵令嬢は、いまだ訳が分からないといった様子で、目を瞬かせている。
「今日みたいに他の生徒に絡まれることがまたあるかもしれないし、新入生なのに使い古した制服を着ていて、アカデミーの統率を乱すと言われても面倒でしょう。我が家に準備してある制服を使うといいわ」
「あ、ありがとうございます……!」
ブライトン令嬢は信じられないといった様子で、長めの前髪に隠れた緑色の瞳を輝かせた。
近くで見ると、整った顔立ちをしているのね、彼女。
もっと髪型や着ている物に気を配って、磨き上げたら光ると思うのに。勿体ない。
ボサボサの長い赤毛なんて、綺麗に整えたらとても綺麗だと思うのだけれど……当人が無頓着なのが、とても残念だわ。
そんな風だから、自分を磨くことに余念の無い令嬢達にとって、彼女は異分子に見えたのかもしれない。
それにしても、このブライトン男爵令嬢……どこかで見覚えがあるような……。
同じクラスの女生徒なのだから、見覚えがあるのは当然。
だが、それだけではない。
新聞とか、噂話とか、そういった類のもので見た覚えがあるような……。
「ど、どうしてですか……?」
「え?」
私が考え込んでいると、セシリアが声を震わせた。
顔を上げ、私とブライトン男爵令嬢をキッと睨み据える。
「どうして私にはあんなに冷たくするくせに、その女には優しくするのですか!!」
叫んだ直後、セシリアはハッと我に返ったように口を押さえ、周囲を見回した。
けれど、もう遅い。
誰もが彼女を見ていた。
あらあら。
ひょっとして、自分は優しくされて当然で、異分子であるブライトン男爵令嬢はいじめられて当然とでも思っているのかしら。
「それでは……エフィンジャー侯爵令嬢は、持たざる者はいじめられて当然とでも思っておられるのでしょうか?」
私の言葉に、セシリアが一瞬呆気にとられた顔をする。
貴女が言っていることは、つまりはそういうことなのだけれど……それすらも、良く分かっていないのかしら、彼女。
「持つ者が持たざる者に配慮するのは、当然のこと……私はそう教えられてきましたが、貴女は違うのかしら、エフィンジャー侯爵令嬢」
セシリアが、ハッと息を呑む。
残念だけれど、ここで追求の手を止めるつもりはない。
「ブライトン男爵家も同じ貴族、決して過ぎた考えは抱いてはおりませんわ。ただ、先ほど申し上げた通り、私は制服を複数持っていて、かつ使っていない制服は彼女に丁度良さそうなサイズだった。ただそれだけのことです」
私の背が伸びた時の為に、お父様が予備の制服を準備してくれていたのは事実だ。
十五歳になって、もうほとんど成長も止まったというのに、お父様ったら本当に過保護なんだから。
「ですから、どうか貴女も変に気遣わずに受け取ってくださいね。私のお父様が心配症過ぎたというだけですから」
「は、はいっ」
ブライトン男爵令嬢にニコリと微笑みかければ、彼女はどこか頬を赤らめて頷いた。
対して、セシリアは俯いたまま、僅かに肩を震わせている。
「そろそろ教室に戻りましょう。次の授業が始まってしまいますわ」
生徒達に声を掛け、教室に戻るようにと促す。
セシリアとは対立してしまったし、変に目立ってしまったけれど、悪い方へは転ばない……むしろ、お釣りが出るくらいだろう。
たった一度の小さな勇気が、誰かの未来を変えることだってある。
そう。
ようやく探り当てた、記憶の欠片。
彼女──ルイザ・ブライトン男爵令嬢は、数年後には魔道具開発の第一人者と呼ばれるようになる人物なのだ。









