12:琥珀の瞳。
王城からの使者。
その言葉に皆緊張はしても、私とお兄様ほどの警戒は抱かなかったに違いない。
真実を知っているか否かで、その言葉の重みは全く違ってくる。
王城──つまりは、叔父様にお父様とお兄様を害するよう命令した王妃陛下がいらっしゃる場所だ。
使者が、果たしてどのような目的で来るのか。
誰の指示で来たのか。
それによっては、私達ウィズダム家の有り様そのものが変わってくる可能性がある。
「使者は、なんと?」
「それが……」
執事の言葉は、どうにも歯切れが悪い。
どうやら、使者は既に我が家の応接室で私達を──ウィズダム家の者が来るのを待っているのだと言う。
先触れも無しにやってきた者を、家主の許可無く通すなんて……そうせざるを得ないほどの大物だとでも言うのだろうか。
「父上は?」
「現在、商談の為に出ておられます。すぐに遣いを出しはしましたが……」
戻ってくるには、今暫く掛かるということだろう。
ならば、私とお兄様が対応するしかない。
「レイはここで待って……」
「いいえ」
私を待機させようとするお兄様に、頭を振る。
「私も、一緒に行きます」
お兄様には、私の鑑定能力のことも伝えてある。
それに、私には一度目のループで出会った人達の記憶もある。
相手が誰かを見定めることで、分かることもあるはずだ。
「失礼します」
応接室の扉を開き、お兄様に続いて、足を踏み入れる。
顔を上げた瞬間、相手を見て──私の表情は固まってしまった。
音のすべてが吸い取られたような静寂の中、ただひとり、鋭い視線が空間を支配していた。
そこにいたのは、少年と呼ぶにはあまりに完成された男。
漆黒の髪と、琥珀色の瞳。
まだ僅かに幼さの残る年頃ながら、しっかりと鍛え上げられた身体付きは、一流の騎士であるヒギンズ卿にも劣らない。
お兄様とは、違った意味で油断のならない相手。
お兄様が静ならば、彼は動。
知略で人を圧倒するお兄様とは異なり、彼はその身から発せられるオーラだけで他者を圧倒するだろう。
一分の隙もない動き──今も、琥珀色の瞳がこちらを値踏みするかのように、じっと私とお兄様を見据えていた。
第二王子アイヴァン・クレイヴン殿下──第一王子エルトン殿下の政敵。
政争に敗れ、エルトン殿下が王太子となった後は、謀反人として囚われた人物だ。
かつての私は、国を揺るがした大罪人である彼と内通していたという罪で処刑された。
そんな彼が、なぜ使者としてこの地に来たのだろうか。
「アイヴァン殿下には直接ご足労いただき、感謝の言葉もございません」
相手が誰かを察したお兄様が、深々と頭を垂れる。
しかし、その言葉にはどこか皮肉げな響きが混じっていた。
“先触れも無しに突然押しかけるとは、何事だ”と、暗に示しているのだ。
そんなお兄様の態度に、アイヴァン殿下がふっと表情を綻ばせる。
「俺を直接遣わせるあたり、どうやら王妃陛下の機嫌を損ねたようだな、ウィズダムは」
王妃陛下を皮肉っているとも、ウィズダム家を嘲笑っているとも、どちらとも取れる言葉だ。
対峙するお兄様とアイヴァン殿下。
どちらも落ち着いた表情ながら、その裏ではどのような駆け引きが飛び交っているのだろう。
確か、第二王子はお兄様とは同い年だったはず。
であれば、彼も今は十四歳──そうは思えぬ落ち着きっぷりだ。
妾腹の第二王子は、幼い頃から剣で身を立てて、戦場を渡り歩いてきた。
先ほどの“俺を直接遣わせるあたり、どうやら王妃陛下の機嫌を損ねたようだな”という言葉は、自分が出向くことが武力的な威圧になると知っての言葉だろう。
齢十四にして、一騎当千。
戦場に出れば負け無し、兵士達の間では半ば神格化されているほどの存在だという。
第一王子エルトン殿下に近かった頃は、社交界の噂を信じて、彼に対し野蛮人という印象を持っていた。
だが、いざこうして対峙してみると……ただ剣の腕に長けただけではない。
お兄様と対当にやり合うだけの胆力も持ち合わせている。
なかなかどうして、油断ならない相手だ。
ふと思い立って、彼のステータスを覗いてみる。
──武力:S。
流石は、圧巻のパラメーターだ。
だが、それ以上に驚くべきところ……。
『忠誠心:F』
彼の忠誠心は、最低ランクを示していた。
……なんということだろう。
あれだけ戦場に立って戦う彼が、欠片ほどの忠誠心も持ち合わせてはいないだなんて。
今日も王妃陛下の命を受けて来ただろうに、王妃陛下は勿論のこと、国王陛下にさえ忠誠を抱いていないだなんて……どれほど冷めた考えを持っていたなら、このようなパラメーターになるのか。
流石は、天下の大罪人──後に謀反人として捕らえられるだけのことはある。
けれど……なぜか、彼の真っ直ぐな瞳からは、裏切り者が持つような狡さは見えなかった。
かわりに感じたのは──深い孤独。
誰にも忠誠を抱かない……それはつまり、裏返せば誰のことも信頼出来ないし、誰にも心を許そうとはしないという証なのではないか。
そう思った瞬間、心のどこかが小さく軋んだ気がした。
驚きはひた隠しにしていたつもりだったが、ステータスを見る為に、つい彼に意識を集中しすぎてしまったようだ。
琥珀色の瞳がお兄様から逸れて、こちらへと注がれる。
真っ直ぐに見据えられて、蛇に睨まれた蛙のように、身体が竦んでしまった。
どうしよう。
不躾な態度を、詫びるべきだろうか。
でも、ダメだ。
喉が張り付いてしまったかのように、声が出ない。
それどころか、立っているのすらやっとのことで……今にも、足元から頽れてしまいそうだ。
「殿下、あまり妹を威圧しないでいただきたい」
「おっと、失礼」
お兄様が声を掛けてくださって、ようやくアイヴァン殿下の視線が外れた。
それで、ようやく私は呼吸を再開した。
彼に見つめられていた間、息をすることさえ忘れていたのだ。
「して、この地には何用で来られたのですか」
「公爵の弟君は、王妃陛下の覚えが高い文官であったそうでな。その彼に間違いがあろうはずがないから、調査をするようにとの仰せだが……」
……なるほど。
証拠は、既に隠滅済み。
であれば、適当な難癖を付けて公爵家に圧力を掛けようという腹づもりか。
「ま、そんなことはどうだっていい」
「……は?」
当のアイヴァン殿下はと言えば、心底どうでも良さそうに肩を竦めて見せた。
「あの王妃陛下の息が掛かった者となれば、ろくな者では無いだろうからな……真面目に調べるだけ、馬鹿馬鹿しいというものだ」
「そ、それでよろしいのですか?」
咄嗟に、返してしまった。
殿下が愉快そうに笑い、こちらを見つめる。
「なんだ、令嬢は痛くもない腹を探られたいとでも?」
「そういう訳では無いですが……」
ああ、ここに来て納得してしまった。
確かに、彼の忠誠はFだ。
国にも、そして勿論王妃陛下にも、まったく忠誠らしき忠誠を抱いていない。
……ふと、かつて聞いた噂話を思い出した。
妾腹の子であるアイヴァン殿下は、王妃陛下にとっては目の上のたんこぶ。
彼は、望んで剣を習った訳ではない。
自らの身を守る為に、強くならざるを得なかったのだ。
戦場を渡り歩く野蛮人──そんな噂を鵜呑みにしていた私は、なんと愚かだったのだろう。
成人前の子供が、戦場に立つ──そのこと自体が異常であることに、どうして気付けなかったのか。
野蛮人。
謀反人。
大罪人。
アイヴァン殿下の名に付き纏っていた、数々の悪評。
それら全てが、政敵である第一王子エルトン殿下と王妃陛下によって語られていたことだと、今なら分かる。
私を裏切った、エルトン殿下。
お父様とお兄様を殺すよう命じた、王妃陛下。
その敵であるアイヴァン殿下は、果たして私達の敵なのか、それとも味方なのか──彼の琥珀色の瞳からは、何の表情も読み取ることは出来なかった。
「……ま、調査をしている振りくらいはしておく必要がある。数日は、こちらに滞在させてもらうぞ」
「どうぞ、どうせこちらに選択肢はないのでしょう」
「ははっ、逆らわぬが身のためだ」
どうやら、お兄様とアイヴァン殿下の間で、話は付いたようだ。
再び、彼の瞳が私を捉える。
「世話になるぞ、レイチェル嬢」
琥珀の瞳が一瞬だけ細められた。
まるで、何かを見透かすように。
その視線が離れたあとも、なぜだか胸の奥がざわついて──私はしばらく、息をするのも忘れていた。









