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デジャブ(Dejavu)

作者: 南砂 碧海

 「お前何やってるんだ。早くやれ」

今日も、同僚のあいつは怒鳴られていた。禿げ頭の上司から、ファイルや鉛筆と怒声が飛んでくる。いわゆる、今流行りのパワハラという奴だ。口答えをしても仕方がないので、いつも心の中で(この野郎!)と、秋男は返事もせずにやり過ごす。他人事とは言え。許せない奴『禿げ頭』だ。仕事は旅行業の相談窓口なのだが、今回は現場の怒声が待合室のお客さんまで聞こえ苦情があり別室の支店長が受付コーナーまで飛んできた。接客用のカウンタ―側にいるスタッフ冬子(とうこ)は何も言えずに下を向いている。奴は、女性社員にはいつも何も言わないが最悪の空気になっている。


「困りますよ。そんな大声で、待合室まで聞こえてますよ。仕事の事なら、もっと建設的に話し合ったらどうなんですか? オープン・スペースでは困ります!」と責任者は建前論を展開して注意した。

(そんな言葉でわかる奴じゃねえよ……)

秋男は、心の中で叫びながら話を聞いていた。


(ふゆ)ちゃん、もうお昼だから外に行こうか。支店長、食事に行ってきます」

秋男は、怯えている彼女に声を掛けた。オフィスは、良い空気ではないので半分無理やり外に連れだした。


 お昼の外出は、弁当持参組も多いので気にする事はない。奴も弁当組だ。顔を合せない方が良いに決まってる。オフィスはこんな空気で、秋男と一緒に働いていた同僚は何も言うことができず、退職代行サービスを通じて先月辞めていった。とても、この社内の空気感では自ら退職を切り出せなかったと言っていた。


(皆が辞めていく原因が奴にあるなんて分からないだろうな。可哀想だ。きっと、そのうち奴に報いが来るさ)

と思いながら、その日の仕事を終えた。


 秋男は、いつも仕事は定時で引き上げ気分転換して早めに帰ることにしている。その日も、まっすぐ1人暮らしのアパートに戻り醤油飯を食べた。肉や野菜を炒めたりで、フライパンなど洗い物をしたりするのは面倒くさい。いつも、炊飯器の水に醤油を垂らして炊き上げるだけ。このご飯を、自称......俺だけの特注醤油飯......と呼んでいる。変化を付けたいときは、鰹節やふりかけ海苔、お吸い物、肉野菜など何でも炊飯器に入れてしまう。後は炊き上がりを待つだけで簡単なのだが、それはそれで美味しいのだ。

(ああ、今日も1日終わったな。ストレスのない環境に生まれ変わりたいな。明日も禿げ頭と顔を合わせるのか。嫌だな……。あと一回、別な世界に生まれ変われないかな……)

そんな事を考えながら、秋男は眠りについた。


 次の日、朝が来ると俺は葉っぱの上にいた。涼しい風が吹いている。

(この葉は、柔らかくて美味いな。風も気持ちいい……)

何やら俺は、小高い木の上で葉っぱを食べている。下の方には歩いている人間が見えた。何も考えず本能だけで、青く細長い姿態で歩きながら、葉っぱに穴を開けていった。のんびりと風に吹かれて、気持ちの良い時間を過ごしていた。日差しが強くなり暑くなった俺は、葉っぱの裏に隠れようとした。その時、強い風が吹きバランスを失った俺は地面に落ちたが、どうやら骨が無いらしく特に痛みも感じなかった。地面には何もなく、木に這い上がろうとすると、後ろから奴らに鋭い牙で噛みつかれた。


「いたたぁ……何すんだよ、このやろう!」

奴らは叫んでも止めようとしない。こっちは手足や牙もなく何も抵抗できない。俺は大勢の黒い奴らに咥えられ、地面を引き摺られて暗く長い穴の中に落とされた。やっと奴らの目的地に到着すると、色々な仲間がそこに閉じ込められて休んでいた。1人ずつ連れて行かれては消えていく。ついに、自分も連れて行かれる順番になったようだ。そこには、少し大きめの黒い奴がいる。俺はいきなり噛み付かれて気を失った。


 目が覚めたら、俺はまた木の上にいた。今度は手がある足がある毛がある。俺は木の枝に上手に乗り、何やら果物を頬張っていた。

(俺にこんな特技があったのか。すげえな。でも近くに仲間は居ないようだな……)

そんな事を考えながら、自分の動作が鈍くあまり早くないことを自覚していた。少しは、前の青い奴よりも頭が働くことは分かったが、自分ながら(俺は、頭は良くなさそうだ)と感じた。1日中だらんと木の枝にぶら下がっているやる気のない俺だった。

(あそこに美味そうな丸い実があるな。少し高い所だけど獲りに行こう)

そう思うと少しだけやる気を出してゆっくり移動した。

(この実はデカいぞ。もう少しだ……)

手を伸ばすと、木の枝が折れて真っ逆さまに地面に落ちた。


 その木に這い上がろうとすると、四つ足の茶色い奴が近寄って来た。奴は、茶色の体毛と顔の周りに沢山の揉み上げがあった。いわゆる(たてがみ)というものらしい。

「何か用か? お前は、何でこっちに来るんだ?」

近づいて来る奴に話し掛けてみたが、言葉が通じないらしく黙って近づいてくる。

「オウウ……。ガオー」

と言ってきたが、俺には奴の言葉の意味が分からない。

「用はねえから来るんじゃないよ。お前に興味はねえよ」

奴に言い放ってから、無視して落ちた木に這い上がろうとすると、いきなり後ろからガブっと噛みつかれた。頸から血が流れている。俺は、またも気を失った。


 今度は、目が覚めたら少し塩辛い水の中だった。俺の両手にはハサミがあった。何故なのか、俺は小さな岩の隙間に隠れて小魚を待っていた。小魚が目の前を通り過ぎると、本能的に右手が素早く動いた。小魚がキャッチされ(おもむろ)に両手で食べた。食事が終わると、潮が満ちてくるのを感じ、岩の奥へ隠れてしばらく休んだ。次の朝、潮が引いていることを感じて、また猟の準備で待ち伏せ。しばらくすると、長い手のような吸盤が近づいて俺の甲羅に吸い付いた。岩の隙間から引き剥がされて水の中を舞ったが、堅い甲羅を持った俺はそう簡単に食われない自信があったが……。次の瞬間、俺は甲羅ごと飲み込まれた。

(この俺が簡単に捕まった。こんな事があるのか? いったい、こいつは誰なんだ?)

飲み込まれながら考えたが、全身が溶けて行くのを感じ意識は次第に遠くなっていった。


 また、次の朝になり目が覚めると、今度は塩辛い水の中で狭い場所。暗くて何も見えない。時々、誰かの声のようなものが聞こえるが意味は分からない。何故かお腹は空いていないようだ。

「お~い、早く大きくなって出ておいで」

何かを話し掛けられているが意味が分からない。

(何言ってるんだろう。俺に話しかけてんのか? 温かいけど暗い所だなぁ……)

と思ったが不満はなかった。


 次の日になると、外からの刺激と振動で身体が小さく震え目が覚めた。

「元気な男の子ですよ~。エコーでは、問題ありませんよ。お大事にしてくださいね」

「ありがとうございます」

そんな会話をしているのが聞こえるが、何のことかサッパリ分からない。

声は聞こえるのだが、俺には言葉の意味が分からないのだ。とにかく、大切にされているのだけは分かった。


 ある日、俺は部屋が窮屈になってきて、部屋の壁を蹴っ飛ばしたくなった。足で思いっきり蹴っ飛ばすと、何故か外から笑い声が聞こえる。

「今、動いたよ~。元気だから触ってみて……」

俺はまたやってみた。同じように喜んでくれるので気分が良いのだ。けっこう暴れて疲れたので眠くなった。


 どのくらい時間が過ぎたのだろう。本当に窮屈になってきた。あまりにも狭くて窮屈だったので、今度は本気で暴れた。外からは、苦しそうな声がする。いつもの笑い声とは違った。

「息をゆっくり吸って、吐いて~。はい、力んでね~。がんばって……」


 俺には分からない意味不明な言葉が外では延々と続く。少し狭い出口から、俺は無理やり引っ張り出された。どうやら、外に出たようだ。明るい所だった。急に周りの温かい水が無くなった。

「オギャー。オギャー」

俺は、呼吸をしようとしたら何故かそんな言葉を言っていた。後に、もう少し気の利いた言葉は出なかったのかと思ったが、その時は精いっぱいだったのだ。

「元気な男の子ですよ。お母さん、頑張りましたね~」

なんて言われている。とりあえず、俺の身体は楽になった。暖かいお湯のような所に入れられると、疲れた俺は気分が良くなりぐっすり眠り込んだ。


 しばらくして、俺は自分がどんな状況なのか何も分からなかったが、新しい家のような所に帰ったようだ。そんな中で、寝て飲んで温かいお湯に時々入って、俺自身が愛され守られている事だけは感じ取っていた。


春樹(はるき)ちゃん、おはよう。お腹空きましたか? オシメでしゅか?」


 そんな事を言われている。何のことか分からなかったが、何となく『はるき』が自分の名前らしいということは感じ取った。俺の機嫌を取るように色々な人が来て(可愛い男の子ね~)(お鼻と目のあたり、お母さんにそっくりだね~)(抱っこさせて~)なんて言いながら、俺に声を掛けていった。今の春樹は、皆の言葉こそ分からなかったが気持ちの良い幸せな時間が続いた。訪れた人の心も春樹に届いている。


 ある日、禿げ頭の来客があり春樹に近づいた。何故か、俺は本能的に危険を感じて大声で泣き叫んだ。

「どうしたんでしゅか~。お腹空いたの? オシッコかな」と言われて直ぐに抱き上げてくれた。そんな流れから、春樹が禿げ頭に抱かれることは無かった。春樹は抱っこで心地良くなり温もりを感じながら眠った。何故か、春樹は禿げ玉というものに深層記憶から敵を感じていたのだ。


 誰もが幼い時の人見知りと考えたが、春樹はデジャブという前世の記憶と感性を生まれながらに持っていた。

(実際には未体験だが、どこかで過去に体験したことがある/懐かしさや親しみを感じる/相手から危険や愛情を感じ取る……能力のこと)

 小さな春樹の中には、既に前世からのデジャブが育っていたのだった。


 それは、いつも敵味方の識別でも鋭く働いた。そんな前世の深層記憶を合わせ持ちながら児童期まで過ごしたが、大人になるとそんな事実は忘れていた。春樹は理学部生物学科に進み、今は大学の助教となって研究室に勤務している。大学研究室の教授は飛び切りの禿げ頭だが、春樹の中にデジャブから感じる拒否感は無い。その後は、苦手な人間関係も特に無くなり、生物達に語り掛ける優しい研究者になっていた。


 ある日、学会で九州に行く事になり、ホテルや旅券・交通券一式の予約をするため駅前の旅行会社に足を運んだ。その店舗のサービス・カウンターで、女性スタッフに問い掛けようとすると、後ろ側の事務席で厚いファイルが空中を飛んだ。女性スタッフは、青くなって接客が出来ない様子だ。春樹は、パワハラだと感じ取った。


(それも、こんなオープンな場所でなんて事をしてるんだ。一瞬だから、客が分からないとでも思..ってるのか......)


 奥でファイルを投げた奴は、禿げ頭の上役のようだった。春樹は、何故か本能的に闘争心が燃え上がった。


「あなたは、ここで何をしているんですか? どんな事情かは分かりませんが、仕事中に物を投げて良い時代じゃないでしょう。それに、私がお客で案内して欲しい時にどういうつもりですか? この女性の方からも、この騒ぎで案内して貰えてないじゃないですか!」


春樹は、禿げ頭にスマホを見せて言葉を続けた。


「今の動画とあなたの写真は、取らせて頂きました。私は、客としてこの行為を許せません。SNSに拡散させてもらいますからね。あなたが、ここの責任者なんですか?」


 それを聞いて驚いた支店長が出て来ると、ひたすらに謝りSNSにアップロードしないようにと頭を下げた。

「これは、教育の一環で……」

と禿げ頭が言いかけたが、支店長から遮られて何も言わずに頭を下げた。その様子から春樹が言った。


「反省して頂けるなら考えますが、一つだけお願いがあります。実は、この騒ぎでまだ旅行プランのご案内を頂いていません。このスペースのこの空気感で案内を頂くのは嫌なので、この女性の方と外でお話をしてきても良いでしょうか? 行先は博多になります。飛行機の移動にするつもりなのでよろしくお願いします」

「分かりました。西園寺君、パンフレットと書類を持ってお客様のプランをご案内してください」

支店長がそんな言葉を言って、彼女に春樹と外に行くように促した。


 二人は、外に出て近くの喫茶店に座ると、彼女がさっそく案内の書類を出そうとしたが春樹が遮った。


「その前に、済みません。僕は、あなたに出会ったのが初めてでは無いような気がしてるんです。以前に、どこかでお会いしてないですか……。お名前は『ふゆこさん』と読むんですか?」

「これ『ふゆこ』では無くて『とうこ』と読むんです。職場では『ふゆちゃん』って呼ばれてますけどね。どこかでお会いしている記憶は無いですけど、買物の時とかに見たんですかね」

「何故かあなたを見ていると、懐かしい記憶が僕の中に残るんです。途中で無くしてしまったような遠い記憶が……。考えても分からなそうなので。今度もし良かったら、お会いできませんか? 僕にとって大切な人の様な気がするんです。僕の潜在意識がそう言ってるんです」


名刺にスマホの番号とSNSのIDを書いて渡した。


「すごい、理屈っぽいお誘いだなと思ったら大学の先生でしたか? こんな風にお誘いを受けたのは初めてです。土日の出勤もありますが喜んで。面白い方ですね」


 冬子は嬉しそうにパンフレットを持ちながら春樹に返事した。オフィスでの青い表情とは違い大分明るく元気になっていた。春樹は、デジャブから来る本当の気持ちを正直に伝えたつもりだが、冬子は変わったデートの誘いだと思ったようだ。こうして冬子と向かい合うと懐かしい安らぎを覚えていた。


 その後、2人はデートを重ねるようになる。春樹自身のデジャブから、無意識の中で過去からの懐かしい出会いを感じ取っていた。半年ほどすると2人は結婚する事になったが、その事を告げずに冬子は旅行会社を辞め他社に転職した。


 児童期まで覚えていたはずの前世の記憶は、二度と春樹の脳裏に蘇える事は無かった。ただ、『冬子』という二文字だけは何故か特別で、いつも心の中に残っている。この出会いで『冬』と『春』が結ばれたのは、春樹自身の遠い深層に棲むデジャブ、前世からの贈り物だと信じて疑わなかった。


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