頼み事を断れない人間の被害者面が最も邪悪
頼み事を断れず、何でもかんでもハイハイと引き受けては自らの首を絞める人間は一定数いる。
かく言う自分もどちらかと言えばその一人だが、最近は意図的に『断る』勇気を覚え始めた。
断らないことで自分のリソースを奪われるのは当然だし、常態化すれば確実に「あの人は何でも引き受けてくれる」と思われてしまう。
たとえば学生時代のアルバイト、今になって思えばシフトの空きが出た時はほぼ毎回代理出勤を頼まれていた気がする。
善意の安売りは言い過ぎかもしれないが、やりすぎると相手も無意識のうちに頼りクセがつく。
で、問題なのはここから。
知人に何でも引き受ける『良い人』がいるのだが、ハッキリ言って呆れている。
その人は何でも引き受けてしまい毎度気苦労が絶えない。なら断ればいいのに、と伝えても「相手に申し訳ない」「人間関係に綻びが生じる」「他にやる人がいないからやるしかない」と疲れた顔で言う。
それを聞いて「ああ、この人はもうダメだ」と自分は思った。何故なら自らの意思を主張出来ない挙句、そんな己を『不幸だ、苦労人だ』と被害者面しているのだから。
現実的に断ることは可能なのに、様々なことを理由にその選択をせずさも環境の被害者ですとため息を吐くのは単なる卑怯者だ。
相手に申し訳ない? 知らん。面倒なことを押し付けてくる相手に何故申し訳なさを感じる必要があるのか。
人間関係に綻びが生じる? 綻べばいい。それで冷たくするような相手ならば元よりその程度の関係。結局気苦労するなら自分の意見を貫き通せ。
他にやる人がいないからやるしかない? 違う。お前がそう思っているからこそつけ込まれている。関係者全員がやるべきことを放棄し、状況が悪化してようやく人は真剣に考え始める。
要するに申し訳なさからくる安請け合いは優しさではなく、単に思考放棄の甘えだ。
自分の意見、本心を告げる。これはある種の戦いで、何も考えずに頼みを引き受けるのは不戦敗のようなもの。
自ら負けを選んでおきながら、その結果に文句を言うのはありえない。人間関係・コミュニケーションは大事だが、互いの意見をぶつけ合って「やりたくない」と拒否するのも同じくらい大切なことだ。
最後に。上記の論はあくまで日常生活、あるいは法的強制力が働かない場面を想定しており、たとえば会社内における上司からの『命令』であれば受けざるを得ない時もあるとは心得ている。