【勇猛なる翼視点】愚かな少女は何も知らない
「ぜーんぶ! るどるふが悪い!! そう! るどるふが悪いのよ!!」
カティアは泥酔しているようで呂律が回っていない。
夜の酒場にて。
【勇猛なる翼】が集結していた。グダグダだったが、なんとかゴブリン退治を終えて、仕事終わりの一杯としゃれこんでいいたのだ。
グレスは瓶酒を呷る。
ロットはちびちびと酒を飲んでいる。
マリーはワインを嗜んでいる。
各々が好きな酒を頼んでいるなか、カティアは木樽いっぱいのビールを呷り、いらっだったようにふんふんと鼻をならす。
眉間にしわが寄っており、どうやらカティアはストレスが溜まっているようだった。
なぜストレスが溜まっているのかといえば、まともにゴブリンを討伐出来なかったからである。
ルドルフが抜けた瞬間に戦いにくくなった、というのは彼の貢献度に気が付くには十分すぎる要素だった。
今までは命綱をつけてロッククライミングをしていたようなもの。
命綱を手放した。それで今まで通りスムーズに登れるわけもなく、討伐数という成果としてその影響が如実に現れていた。
カティアの最終的な討伐数は5。
ビギナーレベルである。
ゴブリンの残党はグレスとロットに任せて、泣く泣く帰還したというわけである。
「わらひは強い! るどるふううう。勝手に抜けてええ! ダメひゃないない!!」
瞳をぐるんぐるんと回転させている。
追放を宣告したのはグレスではあるものの、追放に一番乗り気だったのはカティアだ。
それがどうしてこうなるのか。酒の影響か。彼女のフワフワした思考では、悪いのはすべてルドルフということになっている。
これには女同士であるマリーも気まずそうに苦笑いをしながら、
「ほら、カティ? ちょっと、ゲーしたほうがいいんじゃないかしら? ゲー」
声高に「ルドルフが悪い」「ルドルフダメだ」と連呼しているせいで、本人は気が付いていないが、『ルドルフさんの悪口を言うなんて最低』だの『カティカス、うるせえな』等、カティアの悪口が飛び交っている。
日はとっくに沈んでいる。
この時間帯に酒場にいるのは、荒くれモノの冒険者たちだ。冒険者にはルドルフのファンも多い。女性だけのファンクラブもあるほどの人気者だった。
冒険者勢を前にして、悪口を言い続ければ株が下がるのは道理だった。
とはいえ。
カティアは彼の幼馴染である。
ほかの冒険者たちが口出ししないのも、裏路地に呼び出されて色々とされないのも、彼の幼馴染という加護が継続しているからである。
そんなことは知りもしないカティアは酒をもう一度呷り、
「うるしゃい! どいつもこいつも、うるちゃいのよおおおおお」
と発狂した。
カティアは「うう」とうなっている。
彼女にとっては自業自得とはいえ、悲劇の一幕だろう。
そんなさなかのことだ。
一方のグレス。
酔ったカティアを前に、小さく舌なめずりをしながら下卑た笑みを浮かべたのだ。何を考えているのか、同じ男ならばわかっただろう。
彼はちらりとロットに視線を送った。
(おい、ロット。耳を貸せ)
(は、はい。なんでしょう)
(てめえの恋人をどかせ。ここから失せろ)
(か、金のほうは)
(金貨一枚だ。あとで渡す)
これを聞いたロットは、ひひ、と笑い、
「ま、マリー。僕たちは先に帰ろう。ね、マリー?」
「なんでです? わたくしがカティを送らなければ……ああ、なるほど。そういうことですのね」
金髪縦ロールは、察しが良かったようだ。
グレスとカティアを一目見ると、
「わかりましたわ。行きましてよ。ロット」
「う、うん」
グレスとカティアを交互に見た後に、マリーは「お代はおいておくわ」と金貨をテーブルにおいて、ロットと腕を組んだのだ。
デートなのか。
帰るだけなのか。
それとも朝までお楽しみなのか。
グレスにとってはどうだっていいエピローグだ。
重要なのは酔ったカティアと2人きりになったことだった。
もう条件もそろったとグレスはにやけ面で、
「おい、カティア。俺の肩に掴まれ。部屋まで送るぜ」
と肩を貸そうとする。
グレスは期待も股間も大きくしていた。
酔っている人間は正常な判断力を失う。
これでグレスは多くの女を手中に収めてきたのだ。
しかし、カティアは例外だった。
グレスにとってはあまりにもイレギュラーな事態が起こったのだ。
カティアはびしっといきなり起立したかと思えば、グレスを指さして、
「ひらない男のひとに、ひくッ、ついていっちゃいけにゃいってママに習った! だからひといで帰る!」
「は?」
恋人に知らない人扱いされる。
これには彼のこめかみに青筋が浮かびあがる。
グレスには思うところが沢山あった。
今までは無能なカティアの尻拭いを何度もさせられてきた。今日だって、カティアの分の討伐を行ったのはグレスである。
だから抱く権利があるはずだ、とはグレスの意見である。
ふざけるな。とグレスは舌を打つ。
ここまで色々と尻拭いしてやったののに、酔っ払っているとはいえ恋人に知らない人扱いをされる。
ここまで屈辱的なことはあるだろうか。
彼は恋人の胸ぐらをつかみ上げて、壁に押し付け、
「調子にのるのもいい加減に――――」
胸ぐらをつかんだのが良くなかった。
カティアは、うぷ、と顔を青くして、頬をハムスターのように膨らませた。
それが意味することは1つである。
「――――おろおろおろ」
グギャーという獣のような咆哮はグレスの絶叫だった。
彼女のリバースタイムが始まってしまったのだ。
手を貸す者はいない。きらきらと、きらめく吐しゃ物がグレスの全身にぶっかけられ続ける。
これには酒場が沸いた。
酒場でそれを見ていた男たちは手を叩いたり、口笛を吹いたりしている。
『おい! 見ろよ! きったねえぜ! グレスの野郎がきたねえシャワーを浴びやがった!』『汚物に汚物を駆けられる! こいつは傑作だ』『自業自得だなあ』等々。
心にもない侮辱が飛んでくる。
これにはグレスは顔を赤くして、カッとなった。
恋人であるはずのカティアを地面に放り投げたのだ。ばたりと床に倒れる恋人に視線も送らず、踵を返し、
「クソ野郎ども。覚えておけよ」
という捨て台詞を残した。
羞恥心を掻き立てられ、そういう気分でもなくなったのだろう。
対して、床に投げ捨てられたカティアは、いろいろと吐いて楽になったのか。
真っ青な頬の色で、無表情のままぺたりと床に座り込んでいたのだ。
* *
吐しゃ物の後始末をして、酒場でパーティー全員分の金銭を支払って、独りぼっちで酒場を出た。
お気に入りの洋服屋の看板を目印に角を曲がり、大通りに入る。彼女は帰路についていたのだ。
いろいろと吐いたせいだろうか。それとも周りに笑われながらお片付けをしたからだろうか。すっかりと酔いが冷めてしまっていた。
頬を撫でる風がやけに寂しいものに感じられる。
どうにも酔いが冷めたのが良くない。
彼女らしくもなく、顔つきが暗い。
酔っていれば、考えなくてもいいことにまで頭が回ってしまうからか。
「嫌い。嫌いよ。何もかも」
まるで言い聞かせるようにして、ふらふらとした覚束ない足取りで自宅へと向かっていた。
彼女は憂鬱だった。彼氏にゲロを吐き捨てたこともそうだが、それ以上に帰り道は好きではなかった。
夜も更けった。
細道を帰るのは危ぶまれて遠回り。そうやって大通りの帰路で帰ろうと思えば、必ず、”そこ”を通らなくてはならない。
そこ、とはどこか。
小さなあばら家が見えてくる。
誰もそのあばら家から出てきませんようにと神様にお願いをしながら、通過し終える寸前。
カティアの願いは聞き届けられなかった。
その小さなあばら家から1人の女の子が出てきたのだ。
その娘を前に、カティアは息をのんだ。
黒髪黒目の少女。
彼とは対称的な、真っ直ぐなめをした少女だ。
何を口にしたらいいか分からずに沈黙した。
その黒髪で長髪の女の子はカティアと目が合うと、不愉快そうに眉をひそめた。
「うっわ、カティア姉。奇遇じゃん」
ルドルフの妹、リリだった。
カティアは迷う。
どのように対抗するべきか。
どのように言い負かすべきか。
何を口にしても、自分が屑のようなポジションになってしまう。
そんな自覚があるからか。頭の奥で自分が最低な女に見えず、なおかつ常識人っぽく見えるふるまいが、計算によって導き出される。
「……あんたこんな夜遅くまで何やってるの?」
それがこれだった。
心配している風である。
相手の身を心配するいい女風味の振る舞いである。
いい女"風味"なだけ。リリは『自分が可愛くて仕方がない』という卑怯な一面に気が付いているようで、鼻で笑って、
「あれ、こんな時間に帰宅ねえ。さぞ楽しんだんだろうね」
バカにするように笑った。
カティアはむっと眉を寄せ、目を細める。
「何が言いたいの?」
「べっつにい。ほんとカティア姉ってクズだなって思っただけ」
リリの態度に、カティアは目をかっと見開いて、顔を真っ赤にして。
「――――なにが屑なのよ!!」
と大声で怒鳴ったのだ。
それを受けたリリはビビりすらせずに、嘲笑したまま、大仰におどけた。
「カティア姉、うるさい。そういうとこだよ」
「……」
「そういうヒステリックとか、近所迷惑を考えられないところとか、ほんとクズだって言ってんの。何もかも」
これにはカティアが苦虫を嚙み潰したかのように歯噛みをする。
「リリ。あんたこそ、あんな馬鹿といつまで一緒にいるわけ?」
「は?」
「は? じゃないわよ。アンタの兄。ルドルフなんてただのお荷物でしょ。いつまで仲良しこよしの兄妹でいるつもり?」
「お荷、物? そう言ったの?」
「そうよ。ルドルフなんてただの愚図じゃない。さっさと男でも見つけて出ていきなさいよ。そのほうがあんたも幸せに――――」
「――――黙れクズ」
リリは鋭く目を細める。
恐怖からか、カティアは一歩引いた。
リリは眼光を光らせる。今までに見たことがないような、激怒の表情だ。
「お兄にアレだけの借りがあって、なんでそんなこと言えるの」
「か、借り? なんのことかわからないんだけど」
「だとしたら、余計にクズだね」
「むしろ借りがあるのは、ルドルフでしょ! 私が引っ張ってきてあげたのよ!」
「引っ張ってきた? は、カティア姉は何を言ってるの?」
「冒険者としては私のほうが有能だもの! みーんな私のおかげでしょ! Aランク冒険者になれたのも! ここまで冒険者としてやってこれたのも!」
カティアは意気揚々と口にする。
リリは呆れたように目を逸らした。
――――リリは子供だが馬鹿じゃない。
強く拳を握る。
苦しそうに歯をかみ合わせて、小さく息を吸って、ぶん殴りたい衝動を抑える。
言いたいことは山ほどある。
何度、子供っぽい妄想で彼女を殺しても、内側に渦巻く憤激は、収まりそうもない。
それでも、リリは馬鹿じゃなかった。
カティア姉を殴ったとしても碌なことにならないし、暴行罪で悪はリリになってしまう。
それに、とリリは口角を歪め、
(どうせ、カティア姉は破滅するしいいか)
と小さく笑った。
カティアは弱い存在だ。
ルドルフが過保護すぎたのだ。
兄だったなら、カティアが破滅すると知れば、救おうとするだろう。
大切な幼馴染だと兄は自己犠牲を行うだろう。
しかし、妹は――――リリは兄ほどお人よしではない。
目の前の愚図を救ってやるつもりなど毛頭ない。
リリにとってカティアは明確な敵だったのだ。
だから、
「ねえ、カティア姉。一つだけ。お願いがある。最後のお願い」
「……何?」
彼女を絶望させるための呪いをかけることにした。
「もう、二度とお兄に近づかないで」
リリは彼女に呪いを紡ぐ。
「たとえ、これから先、どんな未来が待ち受けてようと、どんな目に合おうと、二度と、お兄に近づかず、助けを求めず、許されようとしないで」
「……何を言ってるのか分からない」
「だろうね」
今は無意味な言葉の羅列だ。
近づかない。
助けを求めない。
すべてが戯言にしか聞こえないだろう。
それでよかった。
呪いとはすぐに効力を発揮するものではない。
じわじわと相手を苦しめるための呪いである。
「もう一度言う。二度とお兄に近づかないと約束して」
何も知らないカティアは、あは、と笑って、
「いいよ。近づかない」
と答えてしまった。
リリは歓喜に満ちる。頬を綻ばせそうになるのを必死にこらえる。
これで呪いはかかった。
この一言は、”まだ”意味をなさない。
ただの口約束で、ただの他愛もない雑談だ。
これは仕掛けだ。
マジシャンが、マジックを始める前にはテーブル下に仕掛けが施しておくように、先んじて罠を仕掛けをしておく。
カティアが破滅するための起爆剤を仕掛けたのだ。
彼女は再び帰路につく。なにも言葉を交わさずに、リリの横を素通りしたのだ。
リリは振り返る。
愚かな少女の後ろ姿は、とても滑稽で、とても哀れで。
その背中を、リリは汚物を見るかのような、酷く冷めた目で眺めていた。