ルドルフは立ち上がる
ちょっと長めです
ルドルフはまるで状況がつかめていなかった。
貴族の人間がこんな辺鄙な住宅街にやってくるなんて想像できるわけがない。
ひっそりと佇むあばら家にわざわざ足を運ぶ部外者なんて、せいぜいチンピラ紛いの金貸しか、ベネチア教の巡回くらいなものだ。
とはいえ。
ルドルフに緊張した様子はない。
いつものような感情の見えにくい仏頂面で、妹が出した茶を飲んでいる。
場数を踏んでいた。
冒険者業は、貴族相手の仕事も多い。領近辺に潜む盗賊退治の依頼だったり、魔物退治の依頼だったり。
護衛任務も引き受けたこともあった。
慣れのおかげか、ルドルフは肩の力を抜いたように柔らかな表情で座れていた。
反面、妹は足を生まれたての子鹿のように震わせていた
最初、リリはリリで逃走を試みて、靴を履いた。用があるのは兄なのだから、リリはいなくてもいいよね、という正常な判断だ。
しかし、ルドルフの性格が彼女の判断を曇らせた。兄を一瞥したかと思えば、「お兄だけじゃ不安」と顔を青くしながら靴を脱いで隣に座ったのだ。
兄が場慣れしている、なんて知らなかった。
失礼なことをしそう云々という勝手な妄想である。
ということで、ルドルフは胡坐で、その隣にリリは正座で座っている。
兄妹2人が横並び座っているような構図となる。
テーブルを挟んで、兄妹の向かい側にダンディーな貴族の男が胡坐をかいていた。
貴族の男は咳払いを1つすると、ルドルフと視線を合わせた。
「ふむ、君がルドルフ君か。なかなかいい面構えをしている」
「そうですかね?」
「ああ、憂いに満ちた冒険者の顔つきだ」
はぁ、とルドルフはどうでも良さそうに頭を下げる。
「なるほど。それよりも、本題のほうを――――」
ガシュっと脇腹に痛みが走る。
「お兄ちょっとだけ耳を貸して!」
「? どうした?」
「どうしたじゃないよ。どうしたじゃ。もっとしゃきっとして! お貴族様だよ。お貴族様」
「リリ、大丈夫だから心配するな」
緊張でお目目をぐるぐるしてるリリの頭をよしよしと撫でる。
頭をなでられたリリは、兄の服の裾を掴んで、ぷい、と目をそらしてしまった。
リリの情緒は不安定なようだった。
貴族はそんな2人のやり取りを微笑ましそうに眺めながら、
「名乗るのが遅れたね。私は公爵家、アズワール家のアズワール・グラッチェだ。君に直接の依頼があってきた」
「アズワール公爵……なるほど。依頼ですか? それはまた、こんなところまで……お付きの方はおられないのでしょうか?」
「ああ、連れてきてはいない。外で娘を”監視”させているからな」
「……」
監視?
娘を?
付き人に?
ルドルフは、あえて触れなかった。
貴族の事情に深入りしても、ろくでもないことになるというのを知っていたからだ。
「それで、グラッチェさん。依頼を、ということなんですが……」
ルドルフは言いよどみ、
「生憎、自分は【勇猛なる翼】は脱退した身でして、ご期待には応えられないと思います」
「ふふ、脱退の件は知っているさ。先ほどギルドで聞いたからな」
髭面の貴族は怪しく笑うと、リリが出したお茶を飲んだ。
――――ギルドで聞いた。
というワードを、頭で反芻して気づきを得る。
おそらくパーティー追放の話はすでにギルドで出回っている。
冒険者は情報が命だ。仲間を増やすにしても、新商品の装備を購入するにしても、情報一つでパーティーの生死が決まる。
そんな冒険者界隈で、「あの【勇猛なる翼】からメンバーが脱退!」という新聞の一面記事にもなりそうな情報は、一日経たずに広まる。
ルドルフの追放は噂になる。そんなことは自明の理である。
「だとしたら、余計にわからないですね。パーティーを抜けた俺ではなくて、【勇猛なる翼】に声をかけるべきだと思うんですが。それこそ、グレスさんとか」
「……君も冗談がうまいね」
「いえ、冗談ではなく真面目な話です。俺は仲間がいないんですよ」
貴族の目的がまるで分からない
仲間がいない自分に価値はないはずだ。
とネガティブな自己評価。依頼を単独で出される心当たりがなかったのだ。
グラッチェは小さな微笑みを崩さないまま、
「逆に仲間がいないのが好都合なのだよ」
「仲間がいないのが好都合? といいますと、どのような依頼内容なのでしょうか?」
魔物討伐にしろ、護衛任務にしろ、複数人のほうが依頼成功率は上がる。
そんなことは子供でも分かる。
冒険者業は何でも屋で掃除なども請け負っているが、それはないと断言できた。貴族だから掃除や鼠退治なんていう簡素な仕事はメイドや執事にやらせるだろうし、ルドルフ単体で雇用する理由が思い当たらなかった。
困惑気味に眉を顰める彼に、グラッチェはお茶を一口含み、小さく吐息を漏らしながら、依頼書を出した。
『冒険者契約依頼』と書かれた一枚の紙だ。
直接、冒険者に依頼を出すときに用いる、ギルドが発行した正式な書類である。依頼内容や報酬などを記述して、冒険者側に出す。
ギルドの掲示板に貼り付けるタイプのものもあるが、物によっては秘密資料にあたるため、厳重な管理を求められる書類だったりもする。この依頼書は金銭的なやり取りでトラブルが生じないようにする役割もある。
ルドルフは渡された依頼書に目を落とすと、そこに書かれていた依頼内容欄に思わず「ん?」と首を傾げて、手を口元にあてて悩まし気に、依頼内容を何度も読み返す。
貴族の思わせぶりな顔からして、どうやら読み間違いではなさそうだ。
そこには
『メアリ・アズワールとパーティーの結成』
と書かれていたのだ。
アズワール公爵が詳細を話す。
「君には外の馬車で待機させている私の娘。娘と2人でパーティーを組んでほしいのだよ」
「パーティーですか?」
さしものルドルフも言葉に詰まる。
貴族のご令嬢と冒険者パーティーを組んでほしいと言われて動揺しないわけがない。そもそもどういうワケなのか、まるで事情がつかめない。
貴族が冒険者として活動する事例は少なくない。しかし、パーティーを組むことを依頼されるのは初めてだったのだ。
グラッチェは貴族らしくもなく、おどけるように目配せをして、
「冒険者なら、冒険者学院、くらいは聞き覚えがあるだろう?」
これにはルドルフの、鋭い目つきが少々見開かれた。
「冒険者学院。国家公認の国立学校ですよね」
「すまないね。ランクAの君に聞くのも無粋だったな」
その二人のやり取りを、リリは不思議そうに眺めていた。
冒険者学院? というのが顔に書いている。
そんなチンプンカンプンの妹。
正面にいたからこそ、グラッチェはそれに気が付いたらしい。
子供にやさしいのか。
それとも、親切心からか。
グラッチェは視線を横にずらして、妹ちゃんに目線を合わせて、
「冒険者になる方法の一つだよ」
「冒険者になる方法ですかあぁ!?」
いきなり貴族に話しかけられたリリは仰天。
肩をきゅうと小さく縮めて、目をちかちか点滅させている。
「冒険者になる方法は三つある」と貴族は指を三本立てた。
右の薬指を、左手で曲げながら、
「冒険者になる方法の一つが、冒険者試験に受かることだね」
「冒険者試験?」
「教養を確かめる筆記試験と、ギルマスと一対一の戦闘試験があるらしい」
「そう言えばお兄は試験で受かったって言ってたような気がする……」
「それが最難関でね。突破できるのは全体の三パーセントにも満たないという」
「ずいぶんと難しいんですね」
「ああ。だから君のお兄さんはとてもすごいんだよ」
リリは頬をほんのりと赤らめる。
兄が褒められて照れているのだ。
ルドルフは心底やめてほしいと思った。
ここ最近、過剰評価がすぎる。
ドラゴン討伐をするたびに歓声があがったり、オークを数10匹倒したくらいで武勇伝になる。ルドルフからしてみれば、露払いをしていただけで、討伐功績はグレスやカティアのものだったからだ。冒険者試験だって運がよかっただけ。
顔には出さず、ルドルフは悶絶する。
そんな彼を横に置いて、貴族の男は中指を曲げながら、
「もう一つ、現役冒険者の推薦。そんな裏技もあったりする」
これにはリリの眉が寄る。
(カティア姉。お兄の推薦で冒険者になったんだよね。今思うとマジあり得ない)
カティアは冒険者として三流である。
試験に受かるほど頭もよくないし、腕も良くない。
それは誰の目から見ても明らかだった。
ルドルフのおこぼれをもらったようなものである。
そんな甘えてきたカティアが、兄を裏切った。
思い出したリリは、歯噛みをするだけ。
そう、歯嚙みをするだけで顔には出さない。
貴族を前にして、暴れるほどリリは子供ではなかった。
貴族は「これが最後で、本題にもつながる」と前置きして、人差し指を曲げた。
「冒険者学院の卒業、これでも冒険者の資格が得られる」
「冒険者学院……冒険者学院ってどんなところなんですか?」
リリは怒りを抑えるために、違うことを考えたかった。だから、冒険者学院について質問をしただけだったのだが、
「ほう。妹さんは冒険者学院に興味があるのかな。さすがはルドルフ君の妹さんだ」
どうやら貴族の評価が上がったようだ。
好奇心が旺盛なことはいいことだ、云々。
リリを見る目に、敬いがこもり始めた。
「戦闘訓練があったり、魔法の訓練があったりだな」
「そうなんですね」
「金が必要、ということを除いては、普通の学校とあまり変わらないよ」
「……」
貧乏生活を強いられているリリにとっては、金がかかる時点でまったく普通の学校ではない。
いくらランクA冒険者の兄がいるとは言っても、彼1人の収入はたかが知れている。ルドルフは収入が低いのだ。
というのも、実情は、パーティーメンバーに報酬金を吸われていたという裏事情があったりする。グレスが報酬金の配分を決めていたからだ。そんなこと、今のリリが知る由はない。知るのはグレスのみである。
「たしか、商人のご子息と貴族のご子息がほとんどを占めているんでしたよね。なるほど。ようやく話しが見えてきました」
ルドルフは一通りの話をまとめ、
「要するに、課外授業ですね」
「その通りだ。いやはや、話しが早くて助かるよ」
貴族の男は「さすがルドルフ君だ」とつけて、
「知っての通り、冒険者学院は2年生から実地での冒険訓練が始まる」
「実地というと教師がつくのでは?」
実地訓練ともなると、教師のサポートがつくのではないか、と思ったわけだが、
グラッチェは首を横に振った。
「いくら冒険者学院といっても教師は教師。現役ではない。彼らのレベルでは、ビギナーである生徒たちを守りながら、ダンジョンで戦うのは難しいだろう?」
「……ダンジョンに潜るんですね。外の魔物狩りとかではなく」
「外の魔物よりダンジョンの魔物のほうが楽だと聞いているのだが……そんなことはないのかね?」
「どうなんでしょう。『崩落のダンジョン』や『獄炎のダンジョン』のようなダンジョンでなければ……」
「いやいや、ルドルフ君!? 『崩落のダンジョン』なんて馬鹿なダンジョンはいかんよ! 最初は『草原のダンジョン』だ!」
「え、でも『草原のダンジョン』は潜る意味がないような…………」
ルドルフは首を捻る。
崩落のダンジョンや獄炎、雪獄のようなダンジョンであれば探索する価値はあるかもしれない。
しかし、草原のダンジョンは課外授業として意味がないような気がしてならなかったのだ。
「ふむ、プロの意見を聞かせてもらおう。どうして草原のダンジョンでは意味がないのかね? 初心者ならうってつけだと思うのだが」
たしかに初心者にはうってつけだろう。
ゴブリン程度しか出てこないし、オークも一匹出てこればいいほうだ。
「だって――――」
次の発言に、貴族は絶句する。
「ドラゴン討伐の経験が積めないじゃないですか」
ドラゴン討伐の経験が積めない……
これを貴族の頭で三回反芻した。
ふむふむと頷き、感心したように唸る。
「ルドルフ君。君は想像以上に大物のようだ」
「そ、そんなことないんですが」
「も、申し訳ございません。馬鹿な兄がほんとうに申し訳ございません」
彼は価値基準にズレの多い。
周りに持ち上げられても治らないのだから、病的なまでの自己肯定感の低さ。症状は末期だ。
リリは頭を抱えてしまった。
肩を落としているリリとまるで状況を理解していないルドルフ、対称的な二人。グラッチェはそれを交互に見て、なにかに感づいたようだ。
「なるほど、ルドルフ君。これは君のためにもなる。ぜひ、私の娘とパーティーを組んでもらいたい」
「俺のため、ですか?」
「君は私の見立て以上に常識外れな存在のようだ」
ルドルフは規格外だ。
規格外なくせに、自己評価があまりにも低い。
そのせいで、価値観や常識が世間と大きく乖離している。
「世間と価値基準を一致させる必要があると思うのだがね」
「とはいっても、ですね」
ルドルフ本人は、常識人であると思っている。
ドラゴン討伐なんて誰にでもできるようになるお仕事だ。
体が無駄にでかいから、恐怖で挑まないだけ。挑めば誰でも倒せる。
これくらいの認識だった。
そんな話をしているときのことだ。
突拍子もなく、予兆すらなく、一人の男が駆け込んできたのは。
「――――アズワール公爵!! 至急お耳に入れたい話が!!」
突如として、あばら家の扉をこじ開けながら入ってきたのは執事服の男だった。
40くらいだ。
片眼鏡をつけたテンプレートな執事ではあるが、クールさは微塵もなかった。全力疾走した後なのか、はあ、はあ、と肩で息をしながらも、執事の男は声をあげた。
「メアリ様が、おひとりでダンジョンに向かわれました!!」
グラッチェが目を剝いた。
「セルド! オマエたちの監視はどうした!」
「大変申し訳ございません! 拳で全員気絶させられまして、『一人でもなんとかなる!』と声を張り上げながら、出ていきました」
「あのバカ娘! 何を考えている!」
グラッチェが右手で後頭部をガリガリと搔いている。
リリも蒼白している。
状況についていけないのはルドルフただ一人である。
「どうせ、草原のダンジョンだろう! ならば今からでも間に合うはずだ!」
「いえ、それが!」
「それがどうした!?」
「ちょうど今、目を覚ましまして! ちょうど通りかかった冒険者が教えてくださったのです。『煉獄のダンジョン』に入っていった、と!」
「は?」
これにはグラッチェも口をポカーンと開ける。
「目撃情報? 煉獄? それは冗談ではないのか! ただの見間違えだろう!」
「彼らがいうには! 入るダンジョンを間違えているのではないか? だそうです!」
「入るダンジョンを間違えた? そ、そんな馬鹿なことが――――」
「――――ありえますね」
それを遮ったのはルドルフだった。
「煉獄のダンジョンと草原のダンジョンは位置も近く、見た目も似たような洞穴ですから」
これにはグラッチェの顔が青くなる。
どうしよう。みたいな顔で、じい、とルドルフを見つめるが。
「俺は無理ですよ。きっと娘さんの足手まといになると思うので」
「そ、そんなことはない! だからどうか娘を助けてはくれないだろうか!」
「俺よりも他の人に頼んだほうが良い。そのほうがきっと助かる可能性は高い」
ルドルフは悲し気に肩を落とす。
力になれなくて申し訳ないと感じているのだ。。
ルドルフは自己評価が低い。
いまだに冒険者にふさわしくない、というのが自己評価である。
まるで洗脳のようにこびりついた自虐的なまでの卑屈さを、一瞬で治す方法はない。
もしそんなものがあるのなら、彼は強さを自覚しているはずだった。
グラッチェが何を言っても、妹が何をいっても、ルドルフは強さの自覚を持たない。
「君しか頼める人間がいないのだ! どうか! どうか娘を!」
煉獄のダンジョンなんていう悪夢のようなダンジョンを単独で歩けるのは、ルドルフくらいなものだろう。
しかし、ルドルフは動かない。
何故なら自己評価が低いからである。
リリはこぶしを握る。
(お兄やっぱりあの頃から……何も変わらないんだ)
リリは知っていた。
“ルドルフはすでに壊れている”。
まともな常識が受け入れられないほど人間として大事なものが欠落している。
ルドルフの目は、あの日からすでに狂気の狭間にいる。
黒く淀んだ瞳だ。
だけれども、
(でも、ダメだよ。このままじゃ)
リリはそれ以上に信じていた。
兄は誰よりも優しいのだと。
誰よりも英雄の素質を持っているのだと。
(きっとお兄は向き合わなきゃいけない。だから)
今の兄は狂気と正気の境目にいる。
このままじゃ兄は本当に壊れてしまう。
いつか救われると信じて、いつか治ると信じて、妹は兄の背中を押す。
そのための、スイッチを押した。
「お兄が行かないと、”不幸が生まれるよ”」
不幸、というワードだ。
これで大丈夫。
ルドルフの目は見開かれたから。
「不幸に。不幸? リリ、それは事実か?」
「事実だよ」
「俺が助ければ、その娘は幸せになれるのか」
「うん、なれるよ」
「グラッチェさんは……」
「幸せになれるよ」
ルドルフとリリにしか理解が及ばないやり取りだ。
正確にはルドルフの過去を知るものしか理解が及ばないやり取りである。
ルドルフの過去が、彼を追従する。
グラッチェやその執事は、そのやり取りを異常なものを見るかのような目で眺めていた。
なぜ幸せを語るのか。
幸せがどう関係してくるか
まるで理解が及ばない。
ルドルフ以外に関係ない。
ルドルフ以外に意味がない。
ただし、ルドルフにとって、幸せと不幸は彼の行動を決める唯一の判断基準だった。“幸せ”と”不幸”の原動力は彼に力を与える。
それに突き動かされるまま、彼は周囲の空気すら読まずに口を継ぐ。
「娘さんの容姿を教えてください」
腰をあげ、立ち上がった。
床に落としていたローブを被り、玄関に置いてた杖を取る。
冒険用の厚底の靴を履き、玄関扉のドアノブに手をかける。
そこには先ほどまでのルドルフはいない。
「娘を、助けてくれるのか?」
グラッチェは希望を見いだしたかのような瞳で、藁にも縋る思いを胸にルドルフを見ていた。
初対面のグラッチェですら直感した。そこにいるのは先ほどまでの卑屈な少年ではない。
まるで別人だった。
そいつは玄関の前に立ち、後ろを振り返らずに、前だけを見ながらこう宣った。
「――――世界から、不幸が一つ消えるなら」
次話からが本番です。