彼女の言葉は届かない
帰宅後のこと。
「は? パーティーを追放? 意味わかんないよ。お兄」
12歳の女の子が、目を丸くしている。
その女の子はルドルフの妹である。
名前をリリといった。ルドルフと似通った黒髪黒眼ではあるものの、母似だからか明るい印象を与える朗らかな目つきをしていた。表情も豊かなため、鋭い目つきと無表情を貫くルドルフとは第一印象からして正反対であり、性格やノリも正反対である。
しかしながら兄弟仲は良好だった。
毎日ご飯を共にして、他愛のない雑談をし続けるくらい仲良し兄妹だ。
それもそのはず、ルドルフとリリの父母、祖父と祖母含めた親戚縁者は全員が全員他界しており、3世代くらい家系図を辿っても、残っている血縁者はルドルフとリリだけだ。身内がお互いだけともなると、自然と助け合いの精神で、尊重しあう関係性を育める。
現在は王国の夏。
それだというのに涼しいのは、風通しの良い小さなあばら家を兄と妹で借用して、2人暮らしをしているからだろう。
今朝のことだ。リリは目を覚ますと兄がいなくなっていることに気が付き、背の低いテーブルに作り置きしたサンドイッチを目にして頬をほころばせた。
サンドイッチを作り置きするのは兄しかない。それらを加味してルドルフがダンジョンに向かったのだと推察して、とりあえず、リリの任務である家事を遂行していた。洗濯をするために井戸から水を汲んできたり、夕飯の買い出しにでたり。ダンジョンに潜ってから夜過ぎに帰ってくるとはリリの読みで、ダンジョン帰りの兄をねぎらうためにちょっと豪勢にオークの肉なんかを買ってみたりして。
そんな準備は無駄になった。
兄が作ったサンドイッチをワクワクした面持ちで食べようとしたときのことだ。いつにも増した暗い表情で兄が家の玄関にいたのは。
ということでルドルフは妹から徹底した事情聴取を受けていた。
初め、正座させられたルドルフは頑なに話そうとしなかった。『お兄、なにがあったの?』『なにも』を十回以上繰り返し、約十分以上。あまりにもしつこく聞いてくる妹の粘り強い態度に、渋々ため息を吐きながらルドルフは折れた。ぽつりと小さく『パーティーを追放された』とつぶやいたのだ。
それを聞き逃さなかった妹ちゃんといえば、鬼のような形相でこめかみをピクピクンっと痙攣させている。
「ホントどういうことなの。一から説明して」
「言葉通りの意味だ。クビになった」
「いやいやいや! 意味わかんないって! だってあのパーティーはお兄で成り立ってたようなもんじゃん! 最強のお兄がいなかったらパーティー崩壊じゃん!」
何を慌てているのか、リリはドンドンと両手でテーブルをはたいている。なにかとんでもないものを見たかのような表情で、顎が外れるくらい驚愕していた。
彼は無表情のまま、「はは」とわざとらしくから笑いして、
「リリは優しいな。俺を気遣ってくれるなんて」
「……事実なんだけど」
「自覚はあるんだ。お荷物だっていう」
「お荷物じゃなくて最強なの。超最強の前衛魔法使いなの。なんでこの人ってば自覚ないの?」
(リリも子供だな。兄は偉大に見えるのだろうけど)
ルドルフは妹の前くらいは立派な兄でありたいと常々思っていた。
だから、今日はオークを倒しただの、今日は迷宮のドラゴンを倒しただの、いろいろと語ってしまった。
大きく語りすぎたのだ。
リリくらいの小さな子供にとってドラゴン討伐は偉大にも見えるかもしれないが、冒険者にとってドラゴン狩りなんてものは朝飯前であるというのがルドルフの価値観であり、認識でもある。
今までルドルフのパーティーの戦死者はゼロだ。Aランク冒険者とBランク冒険者オンリーという烏合の衆で、ドラゴン戦は負傷者なしで突破している。
ルドルフは学んだ。ドラゴンは弱いと。
自分が一人抜けたくらいでパーティーが崩壊するとは思えなかった。
上には上がある。
Aランクというのは過大評価な気がするし、SSランクは遥か高みであると思っているし、冒険者としてルドルフは一人では何もできない。。
なぜなら、
「俺のしてきたことといえば、敵の攻撃を防いできたことくらいだよ」
魔法でドラゴンのブレスやオークの剣戟を防いだくらいだ。
「それ、滅茶苦茶でかいじゃん。ふつうにMVPじゃん」
「グレスはすごい男だ。俺をクビにしたということは、俺以外の盾役が見つかったに違いない」
「お兄以外の盾役ねえ……」
「盾役がいればパーティーが崩壊することはないよ」
「その盾役がお兄よりも凄かったらね」
「凄いに決まってるよ。だって俺は魔法使いだ。魔法使いよりも弱い盾があるものか」
ルドルフは感情の読めない真顔のまま、自分用に作ったサンドイッチをほおばる。
ルドルフは戦士ではなく魔法使いである。魔法使いが盾役を担っているよりも、大盾を持った戦士のような人間が敵の攻撃を防いだほうが健全である。高火力の魔法使いが後方にいて、前線には戦士、これが常識的なパーティーというものだろう。
ルドルフのパーティーは全員が前線にいるようなものだった。
今までが異常だった。とルドルフは口にして
「とりあえず冒険者はやめようと思う」
「なんでそうなるの!?」
今度こそリリは目を剝いた。
は、なにそれ、この人頭おかしいの!? みたいなノリで。
「というかお兄って戦う以外できないでしょ!」
戦う以外できない。と断言されたルドルフは、少しだけむっとしたように鋭い目つきをさらに鋭くして、
「できる。接客とか」
「ぜええええええええったい無理、無理でーす。無愛想なお兄に接客は出来ませーん。3日持ちません!」
「じゃあ、調理師?」
「それはまあ、いや、でも、うん、駄目だ。お兄ってサンドイッチ以外作れないじゃん。肉魚は焼きすぎて焦がすじゃん。忘れたの? おととい石炭作ったの」
「それならスローライフでもしようか。兄妹二人で」
「一番なし。なしよりのなし! お兄に自給自足とか、なしおりのはべりでいまそがり!」
「そうか。俺としては名案だと思ったんだけど」
「お兄ってさ、筋肉ないよね」
「……ないな」
「ダメじゃん」
すべてに説得力があった。
ルドルフは無愛想だから接客業なんてできないし、、料理下手だからサンドイッチくらいしか作れないし、畑仕事ができるような筋肉もない。
ほかに何かないか、と考えたが。
じんわりとルドルフの額に汗が滲む。
「リリ、どうしよう。俺は想像以上の無能だ」
「だから冒険者やれっつってんだろ!!」
ずごんという鈍い音を合図に、脳天に鋭い痛みと、額に殴られたような痛みが走る。
しびれを切らしたリリのチョップが脳天に炸裂して、その反動で額からテーブルに叩きつけられたのだ。
リリとルドルフ、2人の筋肉量を比較するとリリが圧勝している。妹が兄を超えた、というよりかは、兄が妹を下回っている。これが正しい表現である。。
首の筋力すらないルドルフは、鞭打ちの大ダメージを喰らって、いてててと額を抑えている。
「リリ、ごめん。こんな兄で」
「あのね。お兄。リリは兄妹漫才なんてやりたくないの」
リリ切実な願いを口にしながら嘆息して、
「真面目にさ。お兄って16年間の人生でした仕事って冒険者以外、ないよね?」
「……あ、ある」
「リリの目を見て言いなさい」
リリのじい、というジト目がルドルフを突き刺す。
ルドルフは顎に手をやる。
なにか今までやってきたそれっぽい仕事を考えているのだ。
「ごめん、その、俺は冒険者以外、何もしたことがないかもしれない」
「そうだよね。お兄は冒険者以外できないんだよ」
リリは優しい声音でとどめを刺す。
「お兄は最強の馬鹿なの。そこ、わかってる?」
ぐうの音もでない。
ルドルフがやってきたことといえば、魔法を使って戦うことだけだ。冒険者一筋で生きてきた手前、第二の武器なんてものは持ち合わせていない。
家事すらもリリに一任している。洗濯もしたことはないし、夕飯も作ったことがない。
ルドルフは基本なにもできないのだ。
「だけど、その、俺とパーティー組む人がかわいそうだろ?」
「なんでそうなるの?」
「俺は冒険者として三流だから」
ルドルフのあまりにもネガティブな自己評価に、リリは呆れ気味に肩を落とした。
――――リリは逡巡した。
そんなことない。といいたかったが、その言葉は気軽に言えない。
リリはまだ12歳で、冒険者として活動できないからだ。
兄は冒険者として三流なのかもしれない。
冒険者にはかみ合いや相性、戦闘面以外にも大事な要素がたくさんあるのかもしれない。
しかしだ。しかしながら、
(でもさ、お兄は最強なんだよ)
ルドルフが戦闘において最強である。というのは確信していた。
リリは冒険者として活動したことがない。したことがないからこそ、ルドルフの異常性を客観的に評価できるのだ。
16歳と若くしてAランクまで上り詰めた最年少の冒険者でありながら、ギルドでは人望もある。【鉄壁のルドルフ】といえば、誰もが知る有名な冒険者である。
巷では彼はSランク以上の実力を有しているが、16歳という若さゆえにギルドマスターがSランクに上げていないのだという噂すらある。
しかしながら彼自身の自己肯定感の低さは人知を超越しているレベルである。
(言えない。最強だから戦い続けろなんて言えないよ)
リリはその原因を知っていた。
妹だからこそ、ルドルフの歩みを一番近くで見てきたからだ。
どうして、彼がこんなにも自己評価が低いのかを。
どうして、ルドルフが卑屈なのかを。
「結局のところ」とリリは口ずさんで、兄に聞こえないように、誰にも聞こえないくらいの小声でつぶやいた。
「リリの言葉は、きっとお兄には届かないんだよね」