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彼の心は動かない

 


 「おっはようございまーす」というのは、女の子が出す甘ったるい猫なで声のモーニングコールだった。


 ルドルフは「んん」と声を出して目を開けると、視界には金髪碧眼の美少女が飛び込んでくる。

 コバルトブルーの瞳が、ルドルフの黒ずんだ瞳と合わさった。

 少女はむすうとした不満顔で、ルドルフの顔を覗き込んでいる。

 彼の思考は真っ白になる。

 なぜ、ここに金髪碧眼の自称美少女のメアリがいるのか。

 昨日は、パーティーから追放されたかと思ったら、令嬢の救出ミッションに行かされ、最後には奔放お嬢様メアリの相手をさせられる。散々な出来事が多かったからだろうか。ルドルフは帰宅するころには頬が青白くなっていた。彼にしては珍しいことだった。疲れ気味の顔つきで夕飯すら食べないで、死んだように布団に寝転んで、そのまま意識を失った。ここまでが昨日の一連の流れである。

 寝起きでボーッとする頭をフル回転させて、記憶の糸を手繰り寄せる。

 契約に関する話は後日にすり合わせる予定として、救出の感謝として金貨一〇枚を手渡しで受け取って、すぐに解散したわけであり、独りで帰宅したはずなのだ。

 そう、帰りは独りだった。

 メアリちゃんをお持ち帰りした事実もなければ、彼女の部屋に寝泊まりしたわけでもない。

 ここはどう見たってあばら家で、ルドルフ宅である。

 それがどうして、朝起きたら、目の前にメアリの顔があるのか。

 夢か幻覚を疑って、目をこするが、そこにはセミロング金髪碧眼がこちらを覗き込んでいる。


「あのー、メアリさん? なぜ、ここにいるのでしょうか?」


「そんなこと決まってますよ。超絶美少女のメアリちゃんがサプライズに来てあげたんです」


「なるほど」


 まるで意味が分からない。

 何がどうして彼女がモーニングコールをしにくるのか。

 メアリとは昨日が初対面だ。

 昔なじみの幼馴染でもなければ、生き別れの妹でもない。起こされるほど仲は親密ではない。

 カタカタと包丁でネギをみじん切りにして、朝食の準備をしている本物の妹に、助けを求めた。ヘルプの顔で目を向けたのだが、


「あ、お兄、おはよう。よかったね! メアリお姉ちゃんが起こしに来てくれたよ」


 と、なぜか鼻歌を歌ってご機嫌である。

 寝ている間に仲が進行していたようで、『メアリお姉ちゃん』呼びになっている。

 助けは期待できなさそうだ。

 ガン無視の姿勢である。

 ルドルフはメアリに視線を戻して、


「動けないんですが……」


 と退けるように願った。

 ルドルフは動けなかったのだ。

 彼は仰向けになって就寝していた。そこにメアリが跨るような形で座っているからだ。

 起きろと言われたって、起きれない。

 メアリは小さく頬を綻ばせて、


「敬語をやめてくれたらどきます」


「……いや、さすがに貴族のご令嬢相手にため口はできませんよ」


「敬語をやめてくれたらどきます」


 圧がルドルフにかかる。

 言葉という意味でも、体重という意味でも。

 彼は負けを認めた。


「わかった。退いてくれ」


「よし、いいでしょう」


とメアリは撤退しながら、ヤレヤレとオーバ気味に肩を竦める。


「命の恩人に敬語使われる気持ち、わかります? 背中が痒くなってくるんです。超がつくほど気まずいんです」


「だとしても貴族の令嬢にため口は無理があるよ。メアリさ――――」


「――――さん付けも禁止ですっ。気障すぎてキモいので」


 人差し指を真上に立てながら、メアリは笑顔で指摘してくる。

 ルドルフは座った姿勢で尻を少しだけ後ろに引いた。メアリと距離を取ったのだ。

 彼女は距離感が壊れていた。

 ルドルフは適度な距離感を大切にしていた。

 パーソナルスペースだったり、プライベートだったり、そういった価値観を踏みにじらないように、適度な距離感を気にするタイプだったのだ。

 だからこそ、メアリ・アズワールとの距離を取ろうと必死だった。

 仲のいい友人が沢山いたら、話は違っていたのかもしれない。

 しかしながら、彼は友人が少ない。

 仏頂面なうえに言葉数も少ない。日常会話は妹との雑談と、パーティーメンバーと仕事の会話をするくらいで、友人と呼べる友人はカティアくらいなものだった。

 カティアに絶縁されたのが現状。友人と呼べる相手は1人もいない。

 要するにどうしようもないコミュニケーション障害のボッチだったのだ。


 コミュニケーションが苦手なルドルフが、コミュ力の化身であるメアリを遠ざけるのは本能のようなものだろう。


「じゃあ、その、えーっと、メアリはなんで、こんなところに来たんだ?」


「きょどりすぎ、マイナス20点です」


 ルドルフの相貌が崩れる。

 うっ、というしかめっ面だ。

 これにいち早く反応したのは妹ちゃんだった。


「すごい! お兄が嫌な顔をした!!」


 なにか珍しいものを見たかのような感激した高い声で、妹ちゃんは歓喜していた。

 それもそのはず、ルドルフはずっと真顔だった。

 三年以上ずっと鉄仮面のように、相貌が大きく崩れることはなかった。彼の二つ名である『鉄壁のルドルフ』というのは、笑顔を見せない、隙を見せない、という性格にも意味が掛かっている。

 そんな均衡を打ち破ったのはメアリである。そのことに感激しているのだろう。妹ちゃんは目をキラキラさせていた。

 彼はそれに気が付くとすぐに真顔に戻って、いじけたような声音で質問をする。


「それで、メアリはなんでここにいるんだ」


 彼は彼で理由が気になって仕方がない。

 朝起きたら貴族の令嬢がいるなんてドッキリにしたってサプライズがすぎる。

 ルドルフは真顔であるものの、その実、心臓はバクバクと鳴っていた。

 彼は感性が死にかけているようだが、だからといって、性欲まで死んでいるわけではなかった。

 16歳といえば少年期。性欲も増してくるお年頃である。朝起きて、性格はともあれ美少女が目の前にいて、無関心でいられるほど強靭な精神を持ち合わせていない。

 ルドルフは鼻のあたりに人差し指を当てる。

 すごくいい匂いがしたのだ。

 ラベンダーのような華やかな香りだ。

 恐らく香水の類なのだろうけれども、キツイ感じではない。少し香るくらいの適量だった。カティアがそういうのを気にする性格ではなかったからか、香水で惹きつけられるのはこれが初めてだったのだ。

 そんなルドルフの心境は顔に出ることはない。

 真顔である。

 メアリはどこか不満そうに頬を膨らませて、


「お礼です」


「お礼?」


 ルドルフは首を傾げる。

 何のことかわからない。

 お礼をされることなどあっただろうかと、思いだそうとこめかみのあたりを人差し指で押さえる。初対面、会ったときに助けて、それで……。


「助けてくれたことですよ! 私、感謝は形で示すタイプなので」


 てへぺろ、と笑ったメアリ。

 昨日もそうだったが、ルドルフは意味が分からない。

 お礼を言われるようなことではなかった。

 “当たり前のことをしただけなのだから”。

 なぜ、お礼をされるのか。

 なぜ、感謝されるのか。

 助けただけで感謝されるなんて、おかしな話だと昨日からずっと考えていたのだ。

 ルドルフにとっては、まるで答えが不明。無表情のまま目をつむり、考え込んでいた。

 そんな彼にいち早く気が付いたのは妹ちゃんである。

 なにかを察したように「あ!」と声をあげて、


「お兄もお礼、楽しみにしてるって。メアリお姉ちゃん!」


 と兄を代弁したのだ。

 これにはルドルフが反応する。


「おい、リリ。お礼をされるようなことじゃないだろ。助けただけで――――」


「いいから、お兄、耳を貸して」


 メアリが「?」と首を傾げるなか、彼女は兄の耳元に顔を近づける。

 彼女には聞こえないような小さな囁き声で、それを口にした。


「メアリお姉ちゃんは助けてくれて、”幸せ”になれたんだって。だから、お礼をしたいって言ってるんだよ」


「幸せのお礼。なるほど」


 それならば、理解できた。

 『助けてくれた感謝』というのはまるで理解ができないが、『幸せになれた感謝』であれば納得がいくのだ。

 助けるのは当たり前で、だけど、幸せにするのはとても難しいことだから。

 そう。

 幸せとは義務だ。

 幸せとは目指すべき到達点だ。

 ルドルフの思考は巡る。

 “幸せ”と”不幸”が彼を追想する。

 幸せというワードが、彼の脳裏を蝕み、過去の幻影となって姿を成した。

 




 ルドルフはいつの間にか見覚えのある村に立っていた。

 ここはどこだったろうか。とルドルフが思い出すのと同時。

 そいつが目の前に現れる。

 血反吐を口から漏らした、禿げ頭の男だった。その男は瓦礫に押しつぶされながら、涙を流している。


『――――キサマが、ここに来なければ』

 

 場面が切り替わる。

 そこは小さな街だった。

 レンガ造りの建造物が並んでいる。

 その裏路地。

 髭の伸びた浮浪者のような男が、激怒を顔に浮かべていた。

 彼は目から血の涙を流し、狂ったようにつぶやく。


『――――オマエのせいだ。オマエのせいで俺たちは』




 場面が切り替わる。

 小さなあばら家だ。

 そのあばら家で40ほどの女が腹を切り裂かれ、床に倒れていた。


『あなたのせいよ。あなたが、生まれてしまったばかりに』



 場面が切り替わる。

 紅の髪の男。

 先日までパーティーを組んでいたグレスだった。


『――――ルドルフ、オマエはお荷物なんだよ』


 老若男女の声が聞こえてくる。

 そこに出てくる者たちは幻聴であり幻影だ。

 忌まわしき過去の亡霊たちである。

 そんなことをわかっていた。

 分かっていたとしても、繰り返される呪詛のような言葉の連なりが彼の思考を塗りつぶし、幻想と現実を曖昧にしていく。たしかにあった白と黒の境界線は曖昧になって、頭の奥が焼けるように痛む。

 ルドルフの視界は灰色に染まっていく。

 黒と白だけになり、まるで、背景画のようなつまらない景観になっていく。


 だというのに。

 

 死にきった心は、呼び戻された『感情』に喜びを示し、内側にいるそいつは笑顔だった。残された感情が、ルドルフを嗤う。ああ、最高に、楽しいだろ? と。楽しいのだ。きっとこの不幸は、定められたものだから。


 どのくらいそうしていたのか。

 数秒か、数分か。

 女の子の甘えるような猫なで声で、視界の彩りは取り戻り、はっと目を覚ます。


「あのー、聞いてますか? 先輩?」


 先輩、というのはメアリの呼びかけだった。

 ルドルフは不思議そうに瞬きをする。

 先輩呼び、に対する疑問である。


「えーっと、悪い。先輩ってなんだ……」


「もしかして聞いてなかった感じです?」


「聞いてなかった」


 ルドルフがそういうとメアリはため息を吐いて、


「一応、私が17歳で、一個だけ年上みたいです」


「なるほど。メアリは年上だったのか」


「はい! しかし! ルドルフさんはこれからお世話になる冒険者としての先輩です。なので、先輩のことはルド先輩って呼びます。そう言ったんです」


 ルドルフは沈黙する。

 冒険者をやりながらも他の人とつるみがなかったため、先輩呼びされるのは実のところ初めてである。

ルドルフは真顔のまま硬直、戸惑っていたのだ。


「え、嫌ですか?」


 とメアリちゃんは悲し気に顔を歪ませる。

 演技である。

 メアリ渾身のおねだりポーズ。お手手をお祈りするみたいに組んで、頬の横にあてるあざとかわいいポーズだった。

女性経験が皆無の彼が、そんな彼女のあざとさを利用したお願い戦略に気が付くはずもなく、


「ああ、嫌じゃないよ」


 と答えてしまった。

 メアリは小さく笑って、


 「ルドせんぱい!」と甘い声音で叫び、


「早速、お礼タイムです!」

  

 とワクワクした面持ちで、声をあげた。

 ルドルフは瞬きを三回。


「お礼? ああ、そうか。そういう話だったっけ?」


「お兄、お礼の内容すら聞いてなかったの?」


 貴族のご令嬢がいるからか。妹は卵焼きに薄切りのパン。オーク肉のソーセージにサラダを添えて。その他もろもろと豪勢な朝ごはんを並べながら突き刺すような目線を向けてくる。

 居心地が悪くなり、ルドルフは視線を床にそらした。


「聞いてなかった……その、悪い」


「うわーないわー。先輩、さすがにないわー」


「お兄って基本ぼーっとしてるから聞いてるのか、聞いてないか分からないんだよね。ごめん、メアリお姉ちゃん」


「いいんですよ。リリちゃんが謝ることじゃありません。と、に、か、く、です」


 メアリは続ける前に「次こそ、その耳穴をかっぽじって、よーく聞いてくださいね」と忠告して、いきり立ちながら高らかに言い放つ。


「この、超絶美少女のメアリちゃんと二日間デートする権利を差し上げます」


 メアリから出たのはデートのお誘いだった。

 『でーと』というのは世間知らずのルドルフでもさすがに既知の情報である。

 男と女が街で手を繋いだり、ご飯を一緒に食べたり、同じ景色を共有したりする、儀式のようなモノという認識である。

 デートする権利か。とルドルフは天を仰いで少々考える。

 デート相手はメアリちゃんであり、ルドルフが苦手な相手だ。

 彼はうなずいて、


「いらないな」


「うっわ。ルド先輩、超最低ですね。ここはですね、『うわん、うわん。メアリたそとデートできるなんて幸せだお。ワイほどの幸せ者はいないンゴね。ぶひいいいっ』て鳴くところですよ」


「それは誰だ」


「普通の反応です」


「なるほど」


 普通の男子はそういう反応をするらしい。

 ルドルフは脳に刻んでおく。

 普通の反応を求められた際に、同じことを繰り返すためだ。


「とにもかくにも先輩は私とデートする権利を得たわけです! おめでとうございます!!」


「いや、それは……」


「……お兄、デートしようか」


 ぽん、と肩に手を置いたのは妹ちゃんだ。

 ルドルフは拒否するつもりだった。

 メリットも少ないし、誰も幸せにならないと思ったからだ。

 しかし、リリの目を見て気が付く。


(デート、するか)


 決め手は、幸福だった。

 これもきっと”幸せ”に繋がることなのだ。

 誰かの幸せだ。

 リリがそう目で訴えかけてきてるのだから、間違いないと彼は確信した。

 幸せになるのはメアリかもしれないし、リリかもしれない。それ以外の人かもしれない。

 そこはどうだっていいのだ。幸せになるのは誰だっていいのだ。

 誰かが幸せになるのなら、ルドルフは行動する意味となる。

 世界から不幸が一つでも多く消えるのであれば、彼は何だってやれるのだから。


 黒ずんだ狂気的な瞳のまま、彼は二つ返事でデートの誘いを承諾した。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] うーん、コミュ力の化身? どちらかと言えばよく喋るタイプのコミュ障(余計なことを言う、失礼なことを言ってしまう、相手の気に障るかの気遣いが下手)に見える。 まあ、こういうのがかわいいと…
[一言] 我儘傲慢好き勝手するこの面倒な貴族令嬢に好感なんて持てるわけがない
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