自らが自らを助く
『天は自らを助くる者を助く』
で有名なサミュエル・スマイルズの『自助論』。
素晴らしい著作だが、やはりこれでは人は変われない。
『自らを助くる自らになる』
そのために何が必要か、どう考え、行動すればいいか、
漂流する現代に生きる私達の指針を示していく。
・めんどくさいを克服する
「めんどくさい」というのは、猿が進化したヒトの動物たる本能の強力たる側面の一つだ。
餌を十分に食ったライオンが、さらにシマウマを狩ろうとするか。
そんなことはない。ゴロンと横になってだらけているのだ。
これは、エネルギーを保存しておくという意味でも、極めて合理的な行動だ。
つまり、ヒトたる我々の本能には、食べる・寝る・まぐわうと同様に、サボる・怠ける・だらけるという行動がインプットされているのだ。
では、めんどくさい・サボる・怠ける・だらける、というのを、本能の1つとして、受け入れ、そのまま従っていけばよいのか。
人間がヒト(動物の延長線上)であれば、それも1つだっただろう。
しかし、人間はヒトではなく、高度に文明化された、組織化された社会の中で生きている。
その中で生きる上で、めんどくさいという本能に100%従うことは、許容されていない。
だから、我々は、この本能にうまく折り合いをつけて、付き合っていく必要がある。
つまり、めんどくさいを(それぞれの人の状況に応じた程度で)克服する必要があるのだ。
さて、前置きが長くなったが、めんどくさいを克服する方法だ。
魔術のような素晴らしい呪文や方法があればいいのだが、残念ながら地味な方法だ。
それは、脳にごく少しずつでも、めんどくさいに抗う行動を刻み込んでいくしかないのだ。
私も、基本的には何もかもめんどくさい。
しかし、それでは、何もかもできない、無力な、無価値な人間に堕してしまう。
めんどくさくてやらないのと、能力が低くてできないのと、違いがあるだろうか?
結果として、成果が上がっていないという意味では、そこに違いはないのだ。
私は、無能な、無価値な、何もできない、愚かな人間だろうか?
めんどくさくてやらないというのは、めんどくさいを超える能力がない、無能ということなのだ。
そうではないと思うのであれば、それを乗り越えるしかない。
はじめから、1日24時間、全集中で望むことは、期待すべくもない。
誰しも、はじめから100mを9秒ではしれないように、誰しも、めんどくさいを乗り越える能力が身についているわけではない。
自分が無能でないと思うのであれば、毎日少しずつ、めんどくさいを乗り越え(その都度、めんどくさいを乗り越える能力、脳の神経回路が鍛えられる)て行くしかない。
結論
めんどくさいを克服する方法:自分は無能(めんどくさいに抗う能力がない)でないと意識し、毎日ほんの少し、めんどくさいをやってみる、乗り越えることことで、めんどくさいの克服する能力、脳の神経回路を強化していく。