09.「迎えにいく」の意味
本日2話目です。
オスカーが出ていったあと、テオドールがクロエの方を向いた。
「さて、これからどうする?」
「とりあえず荷物の準備かしら」
「なにか足りないものはあるか?」
「いえ、学園から出るときに色々持ってきたので、その中から見繕います」
テオドールが、そうか、とうなずくと、気遣うような顔をした。
「では、休むといい。お世辞にも顔色が良いとは言えないからね」
クロエは時計を見上げて、目を見開いた。
時刻は二時。パーティが始まって四時間しか経っていない。
(もっと経っていると思ったわ。夜までまだ時間があるわね)
ホッとしたせいか、急に眠気に襲われる。
クロエは立ち上がると、欠伸をしながら言った。
「わかったわ。じゃあ、夕方まで寝かせてもらうわ。客間のベッド、借りるわね」
テオドールが優しくクロエの頭をなでた。
「ああ、ゆっくり寝るといい。おやすみ」
*
その日の深夜。
テオドールの家の前に、真っ黒に塗られた馬車が停まった。
中から出てきたのは、紺色のマントを羽織ったオスカー。
彼が来たのを知って、クロエは急いでエントランスに向かった。
オスカーは彼女を見て穏やかに微笑んだ。
「準備はいいか?」
「はい、大丈夫です」
クロエは振り返ると、見送りに出てきてくれた、少し寂し気なテオドールに抱きついた。
「兄上、いってきます」
「ああ、いっておいで。気を付けるんだよ」
「はい。兄上も。客間のテーブルの上にみんな宛の手紙を置いてきたので、渡してください」
「わかったよ。きっとみんな喜ぶ」
オスカーとテオドールが真面目な顔で会話を交わす。
それが終わると、クロエとオスカーは、そっと家を出て馬車に乗り込んだ。
「出発してくれ」
馬がゆっくりと走り始め、家の明かりの下で手を振る兄の姿が、どんどん小さくなっていく。
しばらく走った後、オスカーが口を開いた。
「先に、これからについて説明しておこう」
「はい」
「今向かっているのは、王都の東にあるパレモという街だ。そこには、これから隣国に向かうランズ商会の商隊がいる」
「もしかして」
「ああ、君はその商隊の一員として隣国に向かうことになる」
オスカー曰く、ランズ商会は公爵家と「そういう契約」をしている商会の一つらしい。
「商会長のランズはこういったことに慣れている。向こうに到着したら、彼が話をしてくるから、自分の希望を伝えてくれ。大抵のことは叶えてくれる」
「すごいですね。たった半日でここまで整えられるなんて」
「公爵家で持っている既存のルートを使っただけだ。たまに、こうやって人を隣国に出すことがあるんだ」
公爵家ってなんかすごい、とクロエが感心する。
そして、少しためらったあと、尋ねた。
「あの。コンスタンスはどうするんですか?」
そうだな、と、オスカーが目を伏せた。
「まだ本人と直接話したわけではないが、我が公爵家としては、婚約解消の方向で動くことになると思う」
クロエは、ホッと胸を撫で下ろした。
「良かったです。あのア……ではなく、王子様と一緒にいても、絶対に幸せになれないと思うので」
「俺もそう思う。ちょうど一時帰国していた両親も、この話を聞いて驚いていた、まさかナロウ殿下があそこまで愚かだとは思っていなかったんだろう」
それは俺も同じだが、とつぶやくオスカーに、クロエは気になっていたことを尋ねた。
「あの、プリシラっていう人は何なんですか?」
「北方にある領地を治めるライリューゲ男爵家の長女だ」
ライリューゲ、とつぶやくクロエ。
「どんな家なんですか?」
「家柄はかなり古いらしい。領地の特産品は、茶葉と家具で、有名な家具職人が揃っていることで知られている。
王都にも店を持っていて、ティーサロンが二軒、家具店が二軒、アンティーク骨董品店が一軒だそうだ」
商売上手ではありそうだが、普通の貴族だな、と言うオスカー。
「あのプリシラっていう人は、どんな人なんですか? 編入って聞きましたけど」
「学園に入学するまでは、特に大きな話もない普通の娘だ。編入については、母親の病気が理由のようだ」
ふうむ、とクロエが腕を組んだ。
「なんか、普通な感じですね」
「ああ、普通だ。だから王宮側も対応が遅れたんだろうが……」
そんな会話をする二人を乗せて進んでいく馬車。
しばらくして、馬の嘶きと共に停まった。
「街の郊外に着いたようだ。郊外に門限に遅れた体を装って野営している馬車がいる。そこまで歩いて行って合流する」
荷物を持ったオスカーが先に降り、クロエに手が差し伸べられる。
「足元に気を付けて」
大きな手に支えられて馬車を出ると、外は草原。
明るい半月に照らされて、街道が白く光っている。
遠くの方に微かに見える光が、オスカーのいう野営だろうか。
「いこう」
二人は街道をゆっくりと進みはじめた。
オスカーの大きな手が、クロエの手を支えるように握り、彼女がつまずきそうになると、ぐっと支えてくれる。
オスカー様って手が大きいわね、とクロエが考えていると、彼が口を開いた。
「コンスタンスから伝言だ。部屋の乱れは生活の乱れ、もうちょっと部屋を綺麗に片づけなさい、だそうだ」
「……そういう文句は、今度会ったときに聞く、とお伝えください」
「そうだな。そう伝えておこう」
「わたしからは、ドレスを三秒で脱ぐ練習をしておいてくれとお伝えください」
「余計なお世話だと怒られそうだが、一応伝えておこう」
くすくすと笑う二人。
柔らかい空気が流れる。
そして、月明かりに照らされた街の城門と、その裏側に置かれている馬車と焚火がぼんやりと見えてくると、オスカーが足をとめた。
「ここからは、向こうからも見える可能性がある。見ているから、一人で行くといい」
そして、息を軽く吐くと、クロエの目をまっすぐ見つめた。
「三年後、いや、五年後でもいい。クロエがむこうに飽きたら、迎えにいかせてくれないか?」
迎えに? とクロエが首をかしげた。
来てくれるのはありがたいが、帰りはちゃんと自分で帰れるようになっていると思う。
さすがに迎えにまで来てもらうのは申し訳ない。
「大丈夫です、気にしないで下さい。自分で帰れますから」
明るく言うクロエ。
オスカーが、この娘、絶対に意味が分かっていないな、という風に苦笑すると、「じゃあ、せめて」と両手を広げて彼女を包み込んだ。
「しばらくお別れだな。くれぐれも気を付けて」
彼女の頭に、なにか柔らかいものが押し付けられる感触がする
そして、彼はそっと体を離すと、彼女の頭を優しく撫でながら、空を見上げた。
「月が翳ってきた。今がチャンスだ」
「はい、じゃあ、行ってきます」
クロエは荷物を受け取ると、踵を返して歩き始めた。
転ばないようにと足元に気を付けながら、ずんずん進む。
そして、焚火に近づいていくと、男女が焚火のそばで番をしていた。
男性がクロエを見て、「あ!」と声を出した。
「あんた、クロエか?」
「はい」
女性がにっこり微笑んだ。
「待っていたわよ。さ、こっちにいらっしゃい、そこは寒いでしょう」
二人の親切な態度にホッとしながら振り返ると、遠くの方にぼんやりと見える人影がゆっくりと手を振っているのが見える。
その姿に向かって軽く頭を下げながら、クロエは小さくつぶやいた。
「ありがとう、オスカー様、またね」
これにて第1部終了です。