08.そうだ、国を出よう
本日1話目です。
「クロエ……、あなた、寮に住んでいたんじゃなかったの?」
「三カ月前までは住んでいたわ。でも、こっちに住めば、寮のお金を魔道具研究に回せると思って」
まったくもう、と苦笑しながら、コンスタンスがクロエから借りた白いワンピースのボタンをしめる。
「でも、お陰で助かったわ。あなたがここに住んでいたっていう決定的な証拠がなかったら、あの人たち、多分無理矢理にでも、わたくしとお兄様を連行したと思うわ」
そして、彼女は軽くワンピースのすそを引っ張って整えると、足元に目を落とした。
「……ごめんなさいね、あなたを巻き込んでしまったわ」
コンスタンスの肩が震えていることに気が付かないフリをしながら、クロエは真面目な顔で言った。
「気にしないで。わたし、二歳の時に、お天道様の下を歩けないことは絶対にしないって決めたの。だから、これはわたしのためでもあるわ」
そして、ほらほら、と涙ぐむコンスタンスの背中を押して狭い部屋から出すと、水耕栽培の棚の横に置いてあるベンチに座らせた。
「ここで待ってて。トマト、食べていいわよ」
「もう、クロエったら!」
そっと涙をぬぐうコンスタンスをベンチに残し、クロエは大急ぎで着替えると、手当たり次第、貴重品を鞄の中に詰め始めた。
(ここが証拠として押さえられたら、しばらく入れなくなるかもしれないものね)
他にも大き目の鞄があったので、適当に服などもまとめて詰める。
そして、部屋を出て、片手を口元に当てながら、美味しそうに、もぐもぐと口を動かしているコンスタンスに声を掛けた。
「準備できたわ、行きましょう」
「え、ええ。分かったわ」
「トマト、持って行く?」
「……できたら、この小さいのを」
鈴なりのプチトマトを枝ごと切って袋に入れて外に出ると、ちょうどオスカーが走ってくるところだった。
「馬車を裏門に呼んである、行こう」
「殿下たちは?」
「会場を覗いてきたら、右往左往していた。女性達に、なるべく長く化粧直しをしてくれるようにお願いしたから、我々がいなくなったことを気付くのに、もう少し時間がかかる。
……って、君たちは何を食べているんだ?」
「トマトですわ」
「トマトです」
そうか、と訝しげな表情をしながら、オスカーがクロエの荷物を持つ。
三人は裏門まで走ると、公爵家の紋章を布で隠してある馬車に乗り込んだ。
馬車がすぐに走り始める。
オスカーが、やや硬い表情で口を開いた。
「しばらく行ってから、私とクロエは降りる。コンスタンスはそのまま屋敷に帰って、すぐに父上と兄上に連絡を取ってくれ」
「わかりましたわ」
「クロエの家族で、誰か王都に住んでいる者はいないか?」
クロエは考え込んだ。
「ええっと、兄のテオドールが王立図書館の近くの屋敷に住んでいます」
「治水卿か」
「はい。家に研究所を構えているので、多分いると思います」
「では、そこに向かわせてもらおう。事情を俺から話しても?」
多分オスカーから話してもらった方が的確だろうと思いながら、はい、とうなずくクロエ。
と、そのとき馬車が止まり、ドアが開かれた。
「着いたようだ、降りよう」
はい、と立ち上がったクロエの手を、コンスタンスが目を潤ませて握り締めた。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
クロエは、初めてできた友人の白くて美しい手を握り返した。
「こちらこそありがとう。あなたの幸運を祈っているわ。あと、トマトは冷やすと更に美味しく食べれるから、試してみて」
コンスタンスが吹き出した。
「もう! クロエったら! 分かったわ、ありがとう」
*
コンスタンスを乗せた馬車が、ゆっくりと走り去ったあと。
オスカーは、すぐ近くの道端に停まっていた黒塗りの馬車に乗り込んだ。
「急ぎ、王立図書館近く、治水卿の屋敷へ」
馬車が走り出す。
クロエは正面に座っているオスカーをながめた。
目の前で、ここまで鋭い顔をしているのを見るのは初めてだ。
クロエに見られていることに気が付いたのか、オスカーが表情を緩めた。
「すまない。少し考えごとをしていた」
「いえ、あの、これからどうする感じでしょうか」
オスカーは、躊躇うように一瞬黙ると、ゆっくり口を開いた。
「色々考えてみたのだが、もしかすると、クロエには少し王都を離れてもらった方が良いかもしれない」
「王都を離れる、ですか」
「ああ、君は俺達の恩人だ。この件で不利益を被らないように公爵家を挙げて全力を尽くしたいと思うが、王子側がゴネた場合、面倒をかけてしまう可能性がある」
クロエは目をぱちくりさせた。
「あれだけ証拠があってもゴネるんですか?」
「普通だったら考えられないが、ここ最近、彼は普通では考えられないことを、やらかしすぎている」
「まあ、確かにそうですね……」
オスカーが頭を下げた。
「すまない。以前相談されておきながら、甘い手を打ってしまった俺の責任だ」
クロエは慌てて首を横に振った。
「いえ、違います。ナロウ王子が変なだけです。……というか、あんな人が第一王子で大丈夫なんですか、この国」
「以前はここまでではなかったのだが……」
オスカーが再び考え込む。
考えを邪魔しない方が良さそうな気がして、クロエは黙って窓の外を見た。
見慣れているはずの街並みが、なんだか知らない場所のように見える。
彼女は流れる景色を見ながら思案に暮れた。
(かなりの面倒をかける、ってことは、呼ばれたり、何度も同じ質問をされたりするってことよね)
なんだか時間の無駄っぽいわね、と思う。
あの頭の悪そうな王子が納得するまで付き合わされるとか、考えるだけでもしんどい。
(そんなのに付き合うくらいなら、確かに身を隠していた方が良いわね)
窓の外をながめながら、身を隠している間に何をしようかと考える。
そして、馬車は一軒の大きな屋敷の前に停まった。
門のベルを鳴らすと、玄関の扉が開いて、無精ひげを生やした眼鏡の男性――兄のテオドールが現れた。
「驚いたよ。急にどうしたんだい? そちらは?」
「初めてお目にかかります。ソリティド公爵家のオスカーです」
礼儀正しくお辞儀をするオスカーに「は? ソリティド公爵家?」と目を丸くする兄。
なにかあったみたいだね、と家に招き入れると、雑然とした居間に案内してくれた。
「僕は人が家にいるのが好きじゃなくてね、使用人なんかはいないから安心して欲しい。ただ、お茶がないんだが……」
じゃあ、わたしが用意してきます、と、クロエが立ち上がった。
「二人は先に話をしていてください」
散らかっている台所に行って、なんとか見つけ出したポットでお湯を沸かし、古くなさそうな茶葉を選んでお茶を淹れる。
それらをお盆に載せて居間に戻ると、テオドールが大笑いしていた。
「王族をそこまで完膚なきまで叩きのめすとか、さすがはクロエだねえ」
「こちらとしては助けられました。しかし……」
オスカーが軽く視線を落とすと、テオドールがうなずいた。
「まあ、そうですね、クロエの証言を覆そうという者が出ても不思議はないでしょうねえ」
そして、お茶をテーブルの上に並べるクロエに、陽気な口調で言った。
「どうする。しばらく実家の物置にでも隠れているか? うちの地下室でもいいぞ」
懇意にしている修道院なら魔道具の研究を続けられる、と言うオスカー。
クロエはソファに座ると、二人に向かって口を開いた。
「それなのですが、わたし、いい機会だから隣国に行こうと思って」
「え?」
「は? 隣国?」
予想外の答えに目をしばたたかせる二人に、クロエが目をキラキラさせながら説明した。
「隣のルイーネ王国に、古代魔道具が出土する場所がたくさんあるって聞いて、行ってみたいと思っていたんです」
これについては考えたことがあるものの、技術を持っている者が国から出るのを禁止されていると聞いて諦めていた。
でも、今回の件を利用すれば、国を出ても咎められない気がする。
(それに、わたしがこの国にいたら、家族はもちろん、コンスタンスやオスカー様に余計な苦労をかけそうな気がするわ)
王子とプリシラは、かなり粘着質なタイプに見えた。
家族やオスカー達は守ろうとしてくれるだろうが、これは自分の蒔いた種だ、自分で何とかするべきだろう。研究はどこででもできる。
彼女の考えを察したのか、兄のテオドールが「なるほど」とつぶやくと、陽気に笑った。
「はは、そりゃいい考えだ。マドネス家はこういう機会でもないと、他国に住むなんてできないからねえ。
しかし、惜しいなあ、クロエが未成年なら、僕も一緒に行く理由になったんだけどね」
「ふふ、いい考えでしょう。せっかくだから、むこうで三年くらい研究してくるわ」
「三年じゃもったいないな。理由をつけて、もっといてもいいんじゃないか、その間は別の国に行くのも自由だしねえ」
二人の会話を聞いて、オスカーが驚きの表情を浮かべる。
そして、少しだけ寂しげに苦笑した後、「それが君の希望なら」と目を伏せてつぶやくと、顔を上げて大きくうなずいた。
「分かりました。出国に関してはお任せください。隣国の生活についても、望む通りになるように尽力します。いつごろ出発できそうですか」
なるべく早い方が良い、とオスカーに言われ、クロエが思案した。
(廃教室から必要最低限の荷物は持ってきている。あれを整理して持っていけばいいわよね)
「……そうですね、じゃあ、今日の夜とか、明日朝なんてどうでしょうか」
「実家には僕の方から伝えておくから心配いらないよ」
二人の言葉を聞いて、オスカーが立ち上がった。
「分かりました、では、準備を整えて、今日の夜にこちらに迎えに来ます」
テオドールは、2話にちょこっと出てくるお兄さんで、治水の専門家です。
本日は4話ほど投稿しようと思います。