09.ごめんね
本日6話目です。
会場から逃げ出したライリューゲ子爵は、必死に走っていた。
(まさかこんなことになるとは!)
出席者を全員洗脳し、言いなりにする予定だった。
公衆の面前で、ナロウ王子に断罪させ、クロエ・マドネスに全ての罪を着せるはずだった。
彼女を隷属させ、使い潰すつもりだった。
(それなのに! くそっ! あの女! ――だが、まだ間に合う!)
足がもつれて転ぶことも気にせず、転がるように廊下を走り抜け、階段を飛ぶように降りる。
石造りの地下に降りると、ただひたすら、まっすぐ走る。
そして、地下の一番端の扉を開くと、子爵は肩で息をしながら絨毯をめくった。
絨毯の下から出て来たのは、大きな引き戸。
子爵は、腕に力を込めて、引き戸を開いた。
キィィ、と引き戸が音を立ててゆっくりと開く。
彼は、傍においてあった魔導ランプに火を灯すと、地下につながる階段を駆け下りた。
地下は石で出来た大きな空間になっており、どこかへつながる道が何本か出ている。
真ん中には、黒い布が掛けてある、人の背丈ほどの細長い何かが置いてあった。
子爵はそれに駆け寄ると、震える手で布の一部をめくった。
「あいつらに、目に物を見せてくれる!」
そして、付いているレバーのようなものを操作しようと手をかけて、怯えたように背中をビクリと震わせた。
聞こえてくるのは、ぴちょんぴちょんという水の滴る音に混じって、カツカツという足音。
振り向くと、そこには魔導ランタンを抱えたクロエと、その彼女を横抱きに抱えたオスカーの姿があった。
クロエがよいしょとオスカーの腕から降りると、驚愕の表情を浮かべる子爵に向かって淡々と言った。
「ようやく見つけました。なるほど、こんなところにあったんですね」
*
――十分ほど前。
ライリューゲ子爵が会場から逃げ出したのを見て、クロエとオスカーは行動を開始した。
廊下に出て、見張っていた騎士たちに、「あちらに行きました」と教えられながら、急ぎ足で進む。
途中、ヒールで走るのが限界になって、抱えて運んでもらうことになったものの、二人は無事に地下へ続く引き戸を発見した。
「こんなところに、下へ行く階段があったんですね」
「恐らくだが、直系王族しか知らない専用通路だろう」
そして、オスカーがクロエを抱えて下に降りると、そこは広い石室で、部屋の中央には、驚愕の表情を浮かべたライリューゲ子爵と、黒い布に包まれた箱のようなものが立っていた。
あれか、と小声で尋ねるオスカーに、間違いありません、とうなずくクロエ。
オスカーに下ろしてもらうと、驚愕の表情を浮かべる子爵に、淡々と言った。
「ようやく見つけました。なるほど、こんなところにあったんですね」
「くっ!」
我に返った子爵が顔を歪めて箱の横に付いている何かに触れようとする。
オスカーが一瞬で移動すると、子爵に体当たりした。
「ぶべっ」
毬のように転がっていく子爵を見送りながら、クロエは箱に近づくと、黒い布を引っ張った。
現れたのは、静かに佇む、銀色に光る傷だらけの四角い箱。
クロエは、そっとその表面に指を走らせた。
「古い傷と、最近の傷がありますね。
最近の傷は、むりやり分解しようとした感じなので、攫った魔道具師達に調べさせたというところでしょうかね、ライリューゲ子爵――」
そこで彼女はいったん言葉を切ると、起き上がった子爵の顔を見た。
「――いえ、Lieluge子爵、と言った方が良いのでしょうか」
「……っ!」
「まさか、リエルガ帝国の皇帝の末裔がいるだなんて、思いもしませんでした」
「き、貴様! な、なぜそれを!?」
恐怖と驚きの入り混じった表情を浮かべる子爵。
クロエは、「さあ、なぜでしょうね」とつぶやくと、オスカーにうなずいた。
「もう連れて行って大丈夫です。あとはわたしがやります」
「わかった」
「くそっ! 離せ! 俺を誰だと思っている! 離せ! 離せと言っている!」
オスカーが無表情のまま、暴れる子爵を捕らえる。
気遣うようにクロエを見ると、階段を上っていく。
その後姿を見送るクロエ。
箱に向き直ると、そっと箱を撫でながら、前世の言葉で懐かしそうに話しかけた。
「もしかして、と思っていたけど、やっぱり、君だったんだね。久しぶりだね、元気だった?」
どことなく懐かしそうに光る箱。
それは、前世のクロエが作った箱型の魔道具であった。
彼女は魔道具に頬を寄せると、愛おしそうにつぶやいた。
「まさか、君に会えるとは思わなかったよ。ふふ、傷だらけだね。さすがに千年経つと、年を取るね」
魔道具を作ったときのことを思い出しながら、クロエは、くすりと笑った。
「あの時はさ、リエルガ帝国のお偉いさんに『トラウマを抱えた兵士に医師を信じさせるための魔道具を』なんて言われて君を作ったけど、結局のところ、こうやって洗脳に使っていたんだろうね」
なにも言わず、静かに光る魔道具。
彼女はくしゃりと顔を歪めると、額を魔道具の冷たい壁面に押し付けた。
「……ごめんね、わたしが愚かだったばっかりに、君に、こんなにボロボロになるまで、たくさん酷いことをさせてしまった。わたしは親失格だ」
彼女は潤んだ視界で魔道具を見上げると、微笑んだ。
「会えて嬉しかったよ。もう休んで」
壁面に魔力を流し、出て来た自壊スイッチを震える手で押す。
魔道具が、お別れを言うように一瞬小さく鳴ったあと、ゆっくりと止まる。
ぺたりと座り込むと、止まってしまった魔道具に寄りかかるクロエ。
そして、彼女は一人、魔道具に手を添えると、オスカーが迎えにきてくれるまで、涙で頬を濡らした。
残り2話になります。
次は「事の顛末」です。