10.黒ローブの男たち
本日3話目です。
オスカーがサイファの街を出た、三日後の夜。
クロエが眠そうに『虎の尾亭』のカウンターに座っていた。
「ココさん、眠そうですね」
「うん、ここ数日妙に頭が冴えてて、寝てもすぐ起きちゃうんだ」
オスカーがいなくなって、クロエは今まであまり感じたことのない寂しさに襲われていた。
その寂しさを誤魔化すために、薬を作りまくり、気が付けば一カ月分以上の薬を作ってしまっていた。
(この感覚、どこかで覚えがあるわ)
一体いつだったかしら、と頭を悩ませる。そして、思い出した。
(子供の頃に大切に飼っていたハムスターのハムちゃんが逃げてしまったときの感覚に似ているんだわ)
もしかすると、オスカー様はハムちゃんと同じくらい大切だったということなのかもしれない。
(それに、あの毒の出どころも気になるわよね)
考えないようにしているが、どうしても気になってしまう、毒の由来。
恐らく東方の島国からのものだとは思うが、どうも嫌な予感がぬぐえない。
(……オスカー様に手紙を書いて、調べてもらうべきかしら)
そんなことを考えるクロエに、マスターが「今日の日替わりだ」と料理を運んできてくれると、心配そうに彼女を見た。
「ココ、お前、そろそろ休暇でも取ったらどうだ。お前の前任者は、半年に一回は長期休暇を取っていたぞ」
「そうなんですか?」
「そうよ! ココさんは営業時間は短いけど、ほとんど休みを取っていないもの。きっと疲れがたまっているのよ」
二人に言われ、そういえば、最初この街にきたとき、長期休みについて何か言われたな、と思い出しながらあくびをするクロエ。
それも悪くないかなと考える。
「そうですね……。ここ数日、薬を作りまくったお陰で、一カ月分くらい在庫ができましたし、ちょっとどこかに行きましょうかね……」
「おう、いいじゃねえか。北の湖なんて有名だぞ」
「わたしは王都がお勧めね。美味しい物がたくさんあるわ!」
にぎやかに会話を交わす三人。
後ろでは、冒険者たちが十人ほど、いつも通り陽気に騒いでいる。
そして、定食を食べ終わったクロエが、ワインを飲みながらカウンターでうとうとしていると、
ふと周囲の気配がいつもと違うことに気が付いた。
(あれ? なに?)
振り向くと、先ほどまで騒いでいた客が全員静かになっており、鋭い目を扉に向けている。
クロエが戸惑っていると、チェルシーが険しい顔で耳打ちしてきた。
「さっき来た冒険者の人が、武装した怪しい男たちがこの酒場を囲んでいるって教えてくれたのよ」
「えっ!」
「ココさん、戦える?」
「い、いや、さっぱり」
「じゃあ、カウンターの奥にいるといいわ、大丈夫、ここに居る人達、みんな強いから」
クロエは、急いでカウンターの後ろに移動した。
ついさっきまで寝ていたこともあり、なにがなんだかさっぱり分からない。
マスターが扉に近づくと、大声を上げた。
「そこにいるやつ! 用があるなら入ってこい!」
シンと静まり返る店内。
そして、しばらくして、キイィ、と音と共に扉が開き、黒ローブに身を包んだ三人の男性と思われる人物が店内に入ってきた。
扉の外に、同じような服装の人物が複数控えているのが見える。
冒険者たちが、険しい顔つきをして、油断なく武器に手をかける。
張り詰めた空気の中、三人のうちの一人が、カウンターの奥で息をひそめているクロエを見ると、中央にいる男に小声で言った。
「間違いありません。あれです」
分かった、という風にうなずく中央の男。
クロエを見ると、口角をまるで三日月のように引き上げた。
「やっと見つけましたよ、クロエ・マドネス。
あなたに国家転覆を図った容疑がかけられています。今すぐ我々と同行してもらいましょう」
「は? 国家転覆?」
クロエは呆気にとられた。
クロエ・マドネスだとバレていることにも驚いたが、それよりなにより国家転覆が意味不明すぎる。一体なにを言っているのかさっぱりわからない。
(そもそも、国家ってどこの国家よ!)
マスターが、ポカンとするクロエを見つめると、静かに口を開いた。
「ココ、お前、国家転覆を図ったのか?」
「いやいや! そんな面倒なことを、僕がするはずないでしょう!」
だよなあ、とうなずくマスター。そして、彼はグッと黒ローブの男たちを睨みつけた。
「おい、お前ら、帰れ! ここは俺の店だ!」
「あれが国家に反逆しようとした罪人だと言ったのが聞こえませんでしたか?」
黒ローブの言葉に、マスターがバカにしたように笑った。
「はっ、お前らは馬鹿か。
いきなり来て顔も見せないお前らと、一年間街のために一生懸命働いたこいつと、どっちを信じるかなんて明白だろうが!」
そうだそうだ! と冒険者たちが声を上げた。
「こいつはな! 朝は弱いが、毎日休まず俺達にすげー薬を売ってくれる、最高の薬師なんだ!」
「そうだ! 古代魔道具バカだが、うちの息子の喘息を治してくれたんだ!」
「俺の動かなかった腕だって治してくれた! 大体こんな面倒くさがりなやつが、国家転覆とかややこしいこと、するはずねーだろーが!」
「しかも国家ってどこの国家だって話だ、嘘くせえ!」
庇われてるのか貶されているのか分からず、微妙な気分になるクロエの前で、
「仕方ありません、力ずくで連れて行きなさい」
「させるか! やっちまえ!」
と、いきなり始まる大乱闘。
(え! ちょっと、なにこの展開!)
クロエが、もつれながら表に出ていく男たちに目を見開いて見ていると、チェルシーが叫んだ。
「ココさん、店の奥に隠れて!」
精悍な顔で、両手に包丁を持って外に走り出ていくチェルシーを、呆気にとられて見つめるクロエ、
とりあえず店の奥に隠れようと、カウンターから出て、厨房から奥へと入ろうとする。
しかし、ドカドカドカッという足音がして、裏口から黒ローブの男が三人入ってきて、逃げようとするものの、彼女はあっという間に壁際に追い詰められてしまった。
(しまった、平和ボケし過ぎてた。ちゃんと身を守る道具を持ち歩いていればよかった)
そんな後悔をしながら、どうやって逃げようか考えていた、そのとき。
ガンッ
目にもとまらぬ速さで、なにかが室内に入ってきた。
ドカッ
鈍い音がして、男が一人、糸が切れた操り人形のように崩れ落ち、続いて倒れる他二人の男たち。
何事かと顔を上げると、そこには肩で息をした、紺色のマントを羽織った長身の青年が立っていた。
「オ、オスカー様!」
「大丈夫か、クロエ!」
彼女に怪我がないかを確かめ、無事だと分かって安堵の表情を浮かべるオスカー。
優しい手つきで彼女を支え、座らせる。
そして、険しい顔で倒れた男たちの所持品を探りながら、口を開いた。
「昨日の夜、ランズ商会の会長から、クロエを探している黒ローブの男たちがいると聞いて、矢も盾もたまらず馬を飛ばして来た」
そして、男の一人の胸ポケットに入っていた紙切れの文字を見て、「やはりか」と険しい顔をすると、座り込んでいるクロエの前にしゃがみ込んだ。
「すぐにこの街を出よう。立てるか?」
「は、はい」
生まれたての小鹿状態の足に鞭を打って、なんとか歩こうとするクロエを、オスカーが「失礼する」と気遣うようにそっと抱え上げる。
横抱きされた状態で外に出ると、外では黒ローブの男たちが冒険者たちに縛り上げられていた。
斜め向かいの衛兵詰め所にいる、衛兵の青年が
「はい、君たち、器物破損でギルティ。二週間反省タイムね」
と、男たちに犯罪者用の手錠をはめている。
マスターが、店から出て来た二人に気が付くと、大きな声を出した。
「お! ココ! お前、確か今日から休暇だったな!」
「え?」
他の冒険者たちがニヤリと笑った。
「そうだな、そういえば、休暇だって言ってたな!」
「ああ、俺も聞いた!」
マスターが、オスカーを値踏みするような目で見た。
「おい、そこの色男、こいつのこと、任せられんだろうな」
「命に代えても守るつもりだ」
間髪を容れず答えるオスカー。
チェルシーが包丁を地面に置くと、クロエの手を握った。
「お店のことは心配しないで、冒険者ギルドに作った薬を渡しておくから、勝手に売ってくれるわ」
クロエの目に涙がにじんだ。
何か言おうとするも、声が出ない。
その後、急ぎ店に戻って、分析の魔道具とお金だけ持ってきたクロエは、
オスカーが乗ってきた馬に乗せてもらうと、笑顔の冒険者たちに見送られながら、サイファの街を離れた。
疾走する馬上から見上げると、
ペンキで塗りたくったような黒い空に、薄い半月が浮かんでいた。
これにて第2部終了です。




