09.ちょっぴり前進したかもしれない
本日2話目です。
オスカーがサイファの街に来て、十六日目。
彼が作ったオムライスと野菜スープの夕食を食べ終わり、食後のお茶を飲んでいたときのこと。
ふと、少し離れたところにある台の上に並べられた試験管群に目をやったクロエが、大きく目を見開いた。
「……っ! もしかして、あれ、透明になってる!?」
視線の先にあるのは、【No.114】と書かれたラベルの張られた試験管。
数十本並べられているうち、一本だけ透明になっている。
クロエは立ち上がると、小走りにそれに駆け寄った。
目の高さまで持ち上げて透明になっていることを確認し、「やったわ!」と小躍りした。
「ついに成分が何かが分かったわ!」
ちなみに、試験管の中には、毒と思われる成分に色を付けた水が入っている。
その試験管の中に、様々な薬を入れ、反応を試していたのだ。
透明になったということは、成分が中和されたことを意味する。
(なんの薬を入れた試験管だったかしら)
横に置いてあった「試した薬剤メモノート」をパラパラとめくり、
「ええっと、114番、114番……」
ノートを指でなぞりながら目で追っていく。
そして、目当ての部分を見つけ出すと、クロエの顔が喜びから一転、難しい顔になった。
「どうした? なにかあったのか?」
彼女の様子に、オスカーが眉を顰める。
クロエは考えるように黙った後、ゆっくりと口を開いた。
「……ええっと、様々な薬剤を試した結果、毒の効果が分かりました。
『魔力回路の混乱』です」
人間の体には、魔力を血液のように全身に行きわたらせる『魔力回路』というものがある。
この毒は、この魔力回路を乱す作用がある。
クロエの言葉に、オスカーが軽く目を見開いた。
「そんな毒があるのか、初めて聞いた」
「……わたしも初めて見ました」
今世では、と心の中でつぶやくクロエ。
この『魔力毒』は、前世でメジャーだった毒物だ。
今世では見ないので、てっきりこの千年で廃れていたと思っていたのだが……。
(こんな毒、どうやって手に入れたのかしら)
前世において、この毒を手に入れる方法は二つあった。
一つは、船で数カ月かかる場所にある、東方の島国で手に入れる方法。
もう一つは、魔道具で作る方法。
(今の魔道具の技術じゃ、魔道具でこの毒を作るのは不可能よね。
千年前の魔道具が動ける状態で残っているとも思えないし、これは東方の島国からのものなのかしら、それとも何か別の方法が……)
思考の底に沈むクロエに、オスカーが尋ねた。
「解毒薬はあるのか?」
「はい、魔力回路がまだ不安定な小さな子供が起こす『魔力熱』用の薬を飲めば、症状が緩和されます」
「なるほど、症状が出たら、その薬を飲めばいいんだな」
クロエは「はい」とうなずいた。
考えるのは後だと自分に言い聞かせて、薬のサンプルを棚から取り出した。
「これは一般的な『魔力熱』の薬です。薬師に言えばすぐに作ってもらえます」
「念のため、この薬のレシピを教えてもらってもいいだろうか」
「もちろんです」
クロエが、本棚から本を取ってくると、レシピのページを開いて見せる。
オスカーは、胸ポケットから手帳とペンを取り出して、本の内容をサラサラと書き写すと、感謝の目でクロエを見た。
「ありがとう。これでなんとかなりそうだ」
「お役に立てて良かったです」
オスカーが時計を見上げた。
「十一時か。すまない、ずいぶんな時間になってしまったな」
「いえ、大丈夫です。――ブライト王国に帰るんですか?」
「……ああ、明日の朝一で帰ろうと思う」
そうですか、とクロエがつぶやく。
二週間ずっと一緒にいたせいか、寂しい気持ちになる。
(そうだ、忘れないうちに)
彼女は立ち上がると、棚の引き出しから布袋を取り出した。
中から手のひらサイズの小さな木箱を取り出すと、オスカーに差し出した。
「これ、前に言ってたお礼です。昨日できあがって良かったです」
「……見てもいいか?」
「はい、もちろんです」
箱を開いて、オスカーが大きく目を見開いた。
それは大きな青い石のついた美しい指輪。
クロエが「失礼します」と指輪を取ると、彼に見せながら説明した。
「ここを捻りながら引っ張ると、石が取れます。
裏が柔らかくできているので、ここを潰すと、中からちょっと凄い傷薬が出てきます。切られたくらいだったら塞がると思います」
「……なるほど、これはもらっていいのか迷うレベルの逸品だな」
オスカーがやや引きつった顔で苦笑しながらも、嬉しそうな顔で「ありがとう」とお礼を言う。
そして、指輪を見ながら、まぶしそうに目を細めた。
「それにしても、指輪はかなり意外だった」
「そうですか?」
「ああ、普通は親しい男女で贈り合うものだからな」
「じゃあ、いいんじゃないですか。わたしとオスカー様、親しいですし」
あっけらかんと言うクロエに、
「……そうだな」
とつぶやくオスカー。
指輪を中指にはめて、「ぴったりだな」と言うと、軽く息を吐いた。
「ありがとう。クロエ。一生大切にする。
――それと、この二週間、本当に幸せだった。ありがとう」
そして、オスカーはためらうように少し黙った後、顔を上げて彼女を真っすぐ見た。
「……クロエ、君が今後この国に飽きて、ブライト王国に帰ってくるとき、迎えに来てもいいだろうか?」
なんかこの会話覚えがあるな、とクロエが思っていると、
オスカーが、「いや、ちがうな」とつぶやいて、真っすぐな目で彼女を見た。
「俺は君を迎えに来たい、だから、迎えに来させてくれ」
オスカーの真剣な青い瞳を見ながら、クロエは思った。
わざわざ迎えに来てもらうのは、やっぱり申し訳ない気がする。
でも、一方で、来てくれたら嬉しい気もする。
少し迷ったあと、クロエは答えた。
「ええっと、じゃあ、よろしくお願いします」
彼女の答えを聞いて、オスカーが嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
その後、二人は夜が明ける少し前まで、お茶を飲みながら取り留めもなく会話をし。
夜明け前の空の下、
「本当にありがとうございました。道中お気を付けて」
「こちらこそありがとう、また来る」
という言葉を交わした後、少し悲しげに、手を振り合って別れた。
王宮の水から発見された、超薄めた毒物。
正体は、「魔力毒」という、魔力回路に影響する毒だった!
ちなみに、魔力回路が乱れると、イライラしたり情緒不安定になったりします。