08.欲しいのは眼鏡じゃない
本日1話目です。
オスカーが店に現れて八日目。
夜、クロエが一人で『虎の尾亭』に行くと、チェルシーが笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい、ココさん、久し振りですね」
「最近家で食べることが多くて」
いつも通りカウンターに座っていつもの定食を頼み、
つい先ほどまで行っていた分析について、ボーッと考えていると、食事を運んできたチェルシーがクロエをまじまじと見た。
「……もしかして、ココさん、ちょっと丸くなりました?」
「そうだな、顔色もいい」
カウンターの奥でコップを磨いていたマスターがうなずく。
「そういえば、この前冒険者の人が『最近薬屋が朝起きている! 地震が起きるに違いない!』って騒いでいましたけど、なにかあったんですか?」
チェルシーの言葉に、そんな話になっていたのか、と苦笑しながら、クロエが答えた。
「まあ、そうだね、なんていうか、お世話してもらっている感じかな」
*
はじめてオスカーが店を訪れた、翌日の夕方。
分析に没頭するクロエのもとに、彼が再び現れた。
作業場に通すと、彼は作業机の上に持っていた鞄と大き目の紙袋を置いた。
「追加でこれを持ってきた」
鞄から取り出したのは、大きな瓶に入った水。
どうやら不足すると困るからと、追加で水を持ってきていたらしい。
「ありがとうございます。足りなくなったらどうしようかと思っていたんです。こっちの紙袋は?」
「ここに来るまでに買ってきた食材だ」
「食材?」
中をのぞくと、入っていたのは、玉ねぎやレタスの野菜と、肉の入った袋。
美味しそうな赤林檎も入っている。
首をかしげるクロエに、オスカーが微笑んだ。
「台所を借りて、料理を作ろうと思って買ってきた」
クロエは思わず目を見張った。
「え! 料理!? オスカー様、料理するんですか!?」
「ああ。遠征に行くと必ずするからな。それと――」
オスカーが作業場に並んでいる棚を指差した。
「あそこを片付けてもいいか」
指を差したのは、壁際の棚。
中には、薬を入れるガラス瓶など重い物が入った大箱が詰まっている。
一年前にここに居を構えた際に、工事に来た人が適当に入れていったもので、クロエには重すぎて、そのままになっていたものだ。
「重さで棚が歪み始めている。このままだと危険だ。整理させてもらえないだろうか」
それはとてもありがたいわ、と思いながらクロエがうなずいた。
「ありがとうございます。助かります」
「隣の棚もついでに見るが、大丈夫か」
「はい、お願いします」
その後、クロエは再び分析に没頭。
気が付くと、外はすっかり暗くなっており、
作業机の上にはシチューとサラダが並べられていた。
「食べよう」
「あ、ありがとうございます」
びっくりするほど美味しいシチューを口に運びながら周囲を見回すと、先ほどオスカーが指さした棚が綺麗に整理されていた。
「整理、してくださったんですね」
「ああ。分かりやすいように並べたつもりだ」
その後、食事の片づけをした後、「今日は早く寝るように」と帰っていくオスカー。
――とまあ、こんな感じで。
この日から、オスカーは夕方近くになると現れて、さりげなくクロエの面倒を見てくれるようになった。
食事を作り、部屋を整頓し、製薬のサポートをこなしてくれる。
そして、二人で夕食を食べ、他愛ない話をした後、後片付けをして、「もう遅いから寝るんだぞ」と念を押して帰っていく。
お陰で未だかつてないほど作業部屋が綺麗だし、毎日おいしい夕飯を食べてお腹はぱんぱん。
睡眠もちゃんと取るようになり、体調もいいし、心なしか肌もつやつやだ。
ちなみに、昼間のオスカーはというと、ソロの腕利き冒険者として活動している。
なにもしていないのも怪しまれるし退屈だと、仮面姿で冒険者登録をしてダンジョンにもぐったところ、すっかりはまってしまったらしい。
「いや、あそこは面白いな。騎士団で模擬戦をやるよりも、ずっといい訓練になる」
お土産にと、冒険者でも滅多に見つけられないような、小さな古代魔道具の時計を持ってきてくれたときは、後ろにひっくり返りそうになった。
昼は冒険者で、夕方から夜にかけて、クロエのお世話。
以前から何でもできる人だとは思っていたが、驚くほどの万能ぶりだ。
ところどころボカして、この話をチェルシーにすると、彼女は感心したような顔をした。
「すごいわね。そんなに自分を気遣ってくれる人って、滅多にいないわ。ココさん、そのお友達に感謝しないといけないわね」
本当にそうだわ、と考え込みながら『虎の尾亭』を出るクロエ。
(わたしも何かお返しをしたい)
そんなことを考えながら薬屋に戻り、再び分析に没頭していると、オスカーがやってきた。
今日は朝から少し離れたところにある大きな街まで行っていたらしい
「遅くにすまない。思ったよりも時間がかかった。ちゃんと夕食は食べたか?」
「はい、虎の尾亭に行ってきました。オスカー様は?」
「むこうで食べてきた。これはお土産だ」
差し出された紙袋に入っていたのは、クロエが好きなカリッとした焼き菓子。
ありがとうございます、とクロエがお茶の準備をする。
二人は作業机に座ると、お茶と焼き菓子を食べ始めた。
「分析の方ですけど、今日で色々分かりました」
「そうか、どんな感じだ?」
「まず、一つは、七日経っても濃度がほとんど変わらないことです。変化しにくい物質なのだと思います。あと、毒の効果は、恐らく『興奮』です」
「興奮か」
オスカーが考え込む。
「もしかして、媚薬の類か?」
「まだ分かりません。
ただ、濃度が非常に薄いので、バケツ十杯飲んでも効果が出るか出ないか微妙なところだと思います」
オスカーが難しい顔をした。
「聞けば聞くほど、一体なんのために危険を冒してまで王城の井戸や酒樽に入れたのか、分からないな」
「そうですね。効果がはっきり分かるまで調べてみますが、動機の部分で謎は残りそうな気がします」
そして、あらかた食べ終わると、
クロエは、コホンと咳ばらいをして、改まったように口を開いた。
「ところで、オスカー様、欲しい魔道具ありませんか?」
「欲しい魔道具?」
唐突な質問に不思議そうな顔をするオスカーに、クロエがうなずいた。
「はい、お店のこととか、生活のことを、色々気遣っていただいたので、お礼に作って差し上げたいなと思いまして」
(コンスタンスが言っていたわ、感謝の気持ちを表すには、相手の欲しい物をプレゼントするといいって)
そんな大したことはしていないが、と謙遜しつつ、オスカーが嬉しそうな顔をする。
「欲しい魔道具とは、クロエが開発した魔道具の中から、ということか?」
「いえ、欲しい機能を言って頂ければ、それをもとに開発します。
難しい物だと、実験と改善を繰り返す必要があるので時間がかかりますが、一年以内にはなんとか」
「……予想以上に本格的だな」
やや引きつった笑みを浮かべるオスカー。ふむ、と腕を組んだ。
「だが、なかなか難しいな、魔道具にそこまで詳しい訳ではないからな」
「では、魔道具に限定せず、『もの』でもいいですよ」
「もの、か……」
オスカーが、腕を組んで考え込む。
(公爵家ともなると、欲しいものは全部あるから、聞かれても困るのかもしれないわね)
そんなことを考えるクロエを、オスカーが真剣な目でじっと見つめる。
彼女は、はっとして両手で眼鏡を押さえた。
「この眼鏡はダメです! 確かにちょっとした魔道具になっていますが一点ものですし材料がレアなので今なくなると困るんです!」
「……うん、まあ、欲しいのは眼鏡じゃないんだが」
苦笑すると、再び目を落として考え込むオスカー。
そして、逡巡の末、これならどうだ、という風に口を開いた。
「なんでもいいから、クロエが作ったものが欲しい」
「なんでも、ですか」
「ああ、クロエが俺に合うと思ったもので、持ち運べるものがいい。身に着けられるものであれば更に嬉しい」
なるほど、とクロエがつぶやいた。
確かに、プレゼントを開く時のような、ワクワクした楽しみがあっていいかもしれない。
感謝の気持ちを込めて、すごいものを作ろう。
「分かりました、サプライズってやつですね、がんばってみます」
ああ、楽しみにしてる、と微笑むオスカー。
その後、二人は楽しく会話を続けたあと、
「また明日」と星空の下で別れた。
本日は3,4話くらい投稿しようと思います。




