06.王城の水
本日6話目です。
心から反省した表情のオスカーに「すまない、つい我を忘れてしまった」と散々謝られたあと。
クロエは店を閉めると、彼と一緒に、店舗スペース奥の扉から作業場に移動することにした。
「どうぞ、散らかってますけど」
「ありがとう、失礼する」
作業場に入ったオスカーが、あちこちに本や書類が積んである雑然とした作業場を見て、微笑ましそうに笑った。
「相変わらずだな」
そして、勧められた椅子に座ると、興味深そうにぐるりと周囲を見回した。
「ここで薬も作っているのか」
「はい、仕事関係は全部ここです」
作業場の隅にあるキッチンでお茶を淹れながら、クロエが答える。
そして、お茶の入ったコップの一つをオスカーの前に置くと、向かいに座った。
「どうぞ」
「ありがとう」
オスカーが、礼儀正しくお茶に口をつける。
その様子を眺めながら、クロエは思案に暮れた。
(これは、一体どういうことかしら)
なぜオスカーが、隣国の辺境の街になどいるのだろうか。
自分の正体が分かっていて来たのなら、まだ理解できなくはない。
でも、先ほどの反応から察するに、ここに来るまで薬師ココがクロエだとは知らなかったようだ。
(つまり、薬師ココに用事があるってことよね)
なんなのかしら、と考えていると、オスカーが顔を上げてクロエを見た。
「クロエはこんなところにいたんだな」
「はい、一年ほど前から。オスカー様、ご存じなかったんですか?」
オスカーが目を伏せた。
「……ランズ商会長に『自分の行き先を公爵家に告げないでくれ』と言ったのは君だろう」
あ、本当に言わなかったんだ、とランズの口の堅さにクロエが驚いていると、オスカーが微笑んだ。
「なにはともあれ、無事で良かった。元気そうで安心した」
心配してくれていたんだなと思いながら、ありがとうございます、とお礼を言うクロエ。
「コンスタンスはどうしていますか?」
「元気だ。本人の意向で、今は親戚の子供の家庭教師をしている。随分と懐かれているようで、楽しそうだ」
クロエは胸を撫で下ろした。
面倒見の良いコンスタンスのことだ、きっとうまくやっているのだろう。
よい機会だと、彼女は今まで気になっていたことを尋ねた。
「わたしが国を出た後って、どうなったんですか?」
「……まあ、一言で言うと、滅茶苦茶だな」
オスカーが苦笑いする。彼の話では、その後、色々なことがあったらしい。
「コンスタンスの冤罪については、君のお陰で晴れたよ。
ナロウ王子は躍起になって正当性を主張したが、いかんせん目撃者が多すぎた。あの会場で騒ぎを起こしたことが仇になったな」
その後、王子とコンスタンスの双方が希望したことから、婚約解消の運びになったらしい。
「ナロウ王子とプリシラさんには、なにも罰がなかったんですか?」
「ああ、複数の貴族から説得を受けて、抗議を取り下げざるを得なくなってしまったんだ」
「複数の貴族?」
「あの卒業パーティでナロウ王子たちと一緒にいた取り巻き五人の家族だ。公爵家を筆頭とする上位貴族で、悪いことに、そのうち一つは母の実家だった」
「……なるほど」
「二人が罰せられれば、彼らもただでは済まないからな。彼らに泣きつかれて、さすがの父も振り上げた拳を下げざるを得なくなった」
プリシラの嘘も、多額の賠償金と共に有耶無耶にされてしまったらしい。
「ただ、国王陛下が非常にお怒りでね。ナロウ殿下に対して、この件に関して、もう二度と君とコンスタンスに関わるなと厳しく言い渡したとの話だ」
なるほど、それならば、コンスタンスも安心ね、と思うものの。
クロエはモヤモヤした気持ちで手元のカップを見つめた。
色々とおかしいし、筋が通っていない。
(でも、もう一年以上前の話ですものね、今更言っても仕方のないことよね)
彼女は切り替えるように顔を上げた。
「教えていただいてありがとうございます。
――それで、なんですけど、オスカー様はなんでここに来たんですか。薬師ココに用があって来たんですよね?」
ああ、そうだ、とオスカーがうなずいた。
「薬師ココがクロエなら、これ以上心強いことはない」
彼はいったん言葉を切ると、真剣な目でクロエを見た。
「薬師クロエ殿、あなたにブライト王国の王城の水分を調べていただきたい」
――五分後。
オスカーが、持っていた肩掛け鞄の中から、丁寧に木箱を取り出して、作業台の上に置いた。
木箱の蓋を開けると、中には封をした円柱型のガラス瓶が複数本入っている。
中には液体が入っており、丸い蓋の上には『南門前井戸』など、場所と思われる名前が書かれた紙が貼ってあった。
「この水になにか異常があるということですか?」
クロエが、透明の液体をランタンの光に透かして見ながら尋ねると、
オスカーが残りの瓶を箱から出しながら口を開いた。
「騎士団施設でクロエを案内した、セドリックという男を覚えているか?」
「赤毛で緑色の目の、気さくな騎士様ですね」
「そうだ。あの人が言い出したんだ。王城内で飲む水分の中に、妙なものが含まれている気がすると」
クロエは考え込んだ。
あの人はとても魔力量が多かった。そういった勘も人一番強い可能性が高い。
「水だけですか?」
「酒もだそうだ。ただ、食べ物からは感じないと言っていた」
「専門家に調査を依頼しなかったんですか?」
「もちろん、した」
オスカーの話だと、王宮付きの薬師と研究者たちが、数カ月かけて調査を行ったらしい。
「ねずみのような小動物を使った実験まで行ったらしいが、結果は『異状なし』。体調がおかしい者も出ていないし、ただの水でしょう、ということになった」
それでも、セドリックは違和感をぬぐえなかったという。
絶対に何かあると考えているときに、たまたま会ったルイーネ王国の要人から『どんな毒でも解析して中和剤を作る凄腕の薬師がいる』という話を聞いたらしい。
「……なるほど、それで、ここに来たんですね」
「ああ、話題になるほどの薬師なら、なにか見つけられるかもしれないと思ったんだ」
そこまで話題になっているとは思わなかったわ、と苦笑しながら、クロエは瓶を観察した。
子供の握りこぶしほどの大きさの瓶で、コルクの蓋がきっちり閉められている。
保存状態は良好そうだが、長く置けば成分が抜けてしまう可能性もあるだろう。
調べるなら早い方が良い。
「わかりました。今すぐ分析してみます」
「ありがとう」
クロエは立ち上がると、レースのカーテンの隙間から窓の外を見た。
風がかなり強くなってきており、風に煽られた街路樹が、見たことない方向に傾いている。
(これは、外に出るのは危ないわね)
彼女は、後ろにいるオスカーを振り返った。
「外に出ると危険です。わたしは分析に入るので、オスカー様は、本でも読んでいてください」
「ありがとう。そうさせてもらおう」
ここまできたら、あと1話、キリの良いところまで投稿しようと思います。