03.不摂生な薬屋に至るまで(2)
本日3話目です。
その後、クロエは幾つかの街を経由し、大きな街にたどり着いた。
この街で彼女が向かったのは、薬師ギルド。
受付の女性に紹介状を渡すと、初老のギルド長が出てきて、ソファの置いてある応接室のような部屋で話すことになった。
彼は「ふむ」と顎を撫でながら、クロエに尋ねた。
「紹介状を読んだよ。住む場所と仕事の斡旋だね」
「はい」
ギルド長は、受付嬢に持ってこさせたファイルをパラパラとめくると、ローテーブルの上に三枚の紙を並べた。
「今出ている薬師の募集だ」
一つ目が、大きな街の薬屋からの募集。
二つ目が、長期移動予定の商隊からの同行薬師の募集。
そして、三つめが、サイファという辺境の街から、街にある薬店の店主募集。
(ふうん、色々あるのね)
クロエは三枚の紙を手に取った。
一枚目を軽く読み、二枚目を読んで「面白そうだけど、研究には向かないわね」と考える。
そして、三枚目に目を通して、彼女は目をぱちくりさせた。
「これ、すごく条件がいい気がするんですけど、なんでまだ決まっていないんですか?」
三枚目の紙の募集開始日は、二週間前。
条件にはこんなことが書いてあった。
――――――
・街から店舗兼住居の物件提供あり、家賃不要
・清掃、必要な道具の新調などの出店準備は、街が全面バックアップ&全額負担
・材料の手配は、冒険者ギルドが一括引き受け
・今なら、働いてくれる薬師様に、金貨二十枚プレゼント!
――――――
怪しすぎるからですか、と尋ねるクロエに、ギルド長が苦笑いした。
「まあ、怪しいっていうのもあるが、決まらないのは一番下に書いてある勤務期間だろうな」
クロエは紙の下部に目を落とした。
――――――
・勤務期間 : 二年
――――――
ギルド長がため息をついた。
「お偉いさんの息子が二年後に帰ってくるとかいう話だ。いわゆる大人の都合ってやつだな」
「なるほど、だからこんなに条件がいいんですね」
そうだ、とギルド長が苦笑いしながらうなずく。
「まあ、普通は二年なんて半端な年数しか働けない場所を選ばない。
だが、街の冒険者ギルドにとって、薬師がいないのは死活問題だから、こうやって必死に募集をしているって訳だ」
クロエは、ふうむ、と考え込んだ。
(これって、わたしにとっては、かなり良い条件よね)
二年も経てば、さすがにブライト王国も落ち着くだろうから、勤め上げて帰ればいい。
新たな魔道具を探す旅に出てもいいかもしれない。
彼女は、三枚目の紙を指差した。
「じゃあ、わたし、ここにします」
「は!?」
ギルド長が呆気にとられた。
「お前、俺の話を聞いていたか?」
「はい、聞いていました。それで、こちらからも条件が二つあります」
ほう、条件。とギルド長が目を細める。
「まず、一つ目は、絶対に期間を二年以上延長しないことです」
「……お、おう? まあ、そこは大丈夫だと思うが、一応明記してもらうか」
「あと、二つ目は、街にある古代魔道具の分析をさせてくれることです!」
ギルド長は目をぱちくりさせた。
「ああ、まあ、あそこの街には古代魔道具が集まるから、壊さなければ貸出くらい大丈夫だと思うぞ」
その後、薬師ギルドがサイファの街の冒険者ギルドに掛け合い、クロエの出した条件を全面的に呑むという形で契約を結ぶ。
そして、その翌日。
クロエは、馬車でサイファの街に向かった。
サイファは、大山脈にあるダンジョンから馬車で三十分ほどのところにある、草原に囲まれた小さな城壁都市だ。
すぐ横には美しい湖があり、観光地としても知られているらしい。
(素敵なところだわ、すごくいい)
草原の遥か遠くにある、複数のダンジョンを有するという巨大山脈をながめながら、見たことのない景色に胸を躍らせるクロエ。
現地の冒険者ギルド長に泣くほど感謝され、
彼らと街の全面バックアップのもと、大急ぎで出店準備をすることになった。
店は、大通りに面した白壁にレンガ色の屋根の小さな店で、
一階が店舗と作業場、二階が住居スペースになっている。
右隣が『虎の尾亭』という食堂兼酒場で、
夜は酔っ払いが少々うるさいが、衛兵詰め所も近くにあり、治安もいい。
加えて、クロエは店舗スペースの裏にある大きな作業場と、高い塀に囲まれた広めの裏庭が気に入った。
ここならばちょっとした実験なんかもできそうだ。
とまあ、そんなわけで、クロエはサイファの街で『薬師ココ』として働き始めた。
開店当初の営業時間は、朝の九時から夕方の五時まで。
店に訪れる冒険者に作った薬を売り、たまに街の人の病気の薬を調合したり。
閉店後は、冒険者ギルドから特別借り受けた古代魔道具の分析。
前世の知識を使って、毒の中和薬を開発し、ギルド本部からの依頼も受けるようになった。
実にのんびりした生活だ。
(こういう生活も悪くないわね)
しかし、一カ月もしたころ、クロエは思い始めた。
この生活、なんか効率悪くないか、と。
一カ月も経つのに、ギルドから最初に借りた古代魔道具の分析が終わらないのだ。
この調子だと、全部分析するのに二年以上かかってしまう。
(なにかしら、この効率の悪さ。一体なにがいけないのかしら)
原因を分析しはじめるクロエ。
そして、彼女はひらめいた。
(わかったわ、営業時間が問題なんだわ)
店の営業時間は、この国で一般的な朝九時から夕方五時にしている。
しかし、メイン顧客である冒険者は、日の出と共にダンジョンに向かい、夕方に街に帰ってくる。
店に来るのは、当然夕方で、夕方にやたら店が混むため、昼間は暇なくせに、営業時間が伸びてしまうのだ。
クロエは思った。
ということは、日の出前、つまり六時前に店を開ければいいんだわ、と。
この大陸で、最も早い時間に開店する薬屋の誕生である。
加えて、彼女は思った。
会計が、結構面倒くさい、と。
(原因は、薬の値段ね)
薬の価格は、毎日変わる。
基本価格である、「初級薬:銀貨一枚、中級薬:銀貨五枚、上級薬:金貨一枚」を基準に、出来栄えによって価格上下させるのが通例だからだ。
しかし、彼女はこの常識をぶった切った。
(よく考えたら、別に上下させなくたっていいわよね)
そして、計算が楽な「初級薬:銀貨一枚、中級薬:銀貨五枚、上級薬:金貨一枚」を統一価格とし、これを据え置くことにした。
世界初の、統一価格設定の薬屋の誕生である。
薬師ギルド長が聞いたらひっくり返りそうな前代未聞の店の誕生に、
冒険者は歓迎の声を上げた。
朝ダンジョンに行く前に買える上に、超高品質な薬が驚きの一律料金。
なんて素晴らしい薬屋なんだ!
しかし、問題が起こった。
「たくっ! また閉まってやがるぜ!」
クロエは朝が超苦手だった。
しかも、古代魔道具の分析に夢中になって、朝方まで起きていることも多く、開店時間の五時半に開いていたのは最初の三日だけ。
というわけで、
「起きろ! 薬屋! 時間だ!」
世界唯一の、毎朝客に叩き起こされる薬屋の誕生である。
――とまあ、こんな感じで、国を出て八カ月。
クロエは、薬や毒の中和剤を作って売る時間以外は、寝食を忘れて古代魔道具の研究に没頭するという、
コンスタンスが見たら卒倒しそうな、不摂生な生活を送っていた。
(まあ、ちょっとアレだけど、身を隠せてるし、古代魔道具の研究も進んでるし、平和だし、いい感じよね)
きっとこんな生活をあと一年ちょっと続けて、ブライト王国に帰るのだろう、と思うクロエ。
しかし、この予想は大きく外れることになる。
この三か月後。
クロエの元に、一人の客が訪れる。
そして、その客と、彼が持ち込んできた依頼により、彼女の運命が大きく回り始めることになる。
本日あと2話の予定でしたが、もうちょっと投稿するかもしれません。