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祝言

「ここが君たちの新居だ」

 青山の指し示したのは、二階建ての木造建築である。広さも、十坪はあるかもしれない。今はまだ収入の無い二人に宛がわれるにしては、上々である。

「ありがとうございます。お世話になりました」

 千鶴は、深々と青山に頭を下げた。

「ほら」

 何かを茫然と考え込んでいた天川にも、礼を言うよう促す。

 ああ、と気の無い返事をして、天川も頭を下げた。

「ここらなら、山中さんのところが近いから、何かあったら山中さんに言ってくれ」

 山中、というのは、青山率いる武州党の重鎮の一人である。武州党の幹部の中では、彼の邸宅が二人の新居の近所であった。

「ああ来た来た」

 青山が手を振ると、向こうから老夫婦が並んで歩いて来る。山中夫妻であった。

「これからご近所さんだな、よろしく」

 夫のほうがそう言うと、

「よろしくお願いします」

 と、千鶴が頭を下げた。天川もそれに合わせて頭を下げる。

「これ、うちで漬けたお漬け物と、それから、こっちは干し柿、それと……」

 山中の妻から、様々な品物が手渡される。千鶴は苦笑いをしながら受け取った。

 皆で家の中に入ると、一通りの家具や、米などの食材はみな揃っている。どれも、村木が贈ったものである。

「あとで村木さんにもお礼を言いにいかないとね」

 千鶴が天川へ話しかけても、彼はまだ何か考えているようだった。

「青山さん、ここは、裏の家も空き家ですか」

 ふと、天川が尋ねる。

「ああ、そうだ。隣も、ずいぶん長く旅に出てるようだから、まだ当分は帰らないと思うよ」

 周囲に人がおらず、多少はうるさくしても良いような家を用意したのは、青山にとって、年寄りのお節介と言えるものだった。

「あら、子供なんか出来ると、どうしてもうるさくするものだから、良いわね」

 山中の妻の軽口に、またもや千鶴が苦笑いを浮かべる。

 この家に二人が越すのは、今夜である。そして、今夜が祝言であった。


 日も暮れた頃、武州党の有する講堂へは、多くの人の顔が有った。中心に座っているのは、村木である。

「一時はどうなるかと思ったが、いや良かった。今夜はめでたいな」

 下品な笑い声をあげながら、千鶴にそう語り掛けた。向かいに座る千鶴は、白無垢に身を包み、綺麗に化粧をして、静かに座っている。

「それで、新郎のほうはまだ準備が整わないのかな」

「いや、そのようで、はは……」

 ひきつった笑いで答えたのは、上州党の党首を勤める右倉である。

 狭い講堂であるので、人数は絞られているが、参列者の面々はみな郷党の党首格の人物である。新婦側に畿内党の、新郎側に八州党の面々が座っている。異世界一世を巡る、政治的に対立する両者の、言わば手打ちのようなものを象徴している。

「それで、天川くんは見つかったか」

 右倉は小声で部下に尋ねると、部下の一人がかぶりを振った。

「いかんな……」

 そろそろ、式が始まっても良い時間帯である。右倉の顔に焦りの表情が浮かぶ。

 天川がこの結婚に乗り気でないのは、青山から聞いていた。しかしまさか、こんな土壇場になって姿を眩ますとは。

 様子を不振に思った千鶴は、立ち上がって右倉の近くへ行き、小声で尋ねた。

「天川さんは?」

「それが……」

 どこかへ姿を眩ましたらしい、と聞くと、突然に千鶴は頭飾りも打掛も脱ぎ捨て、着物の裾を掴んで走り出した。

 こういうことになるのではないかという気はしていた。悪い予感が当たってしまった。

 花嫁の突然の行動に、衆人がざわつく。

「ああ……」

 もう、隠してはおけない。村木に、天川のことが知られるだろう。八州党は天川に対する監督不行届きを責められることになる。


 急に飛び出してきたはいいものの、実際に天川の行方の見当が付かない千鶴のもとへ、右倉の息子、正徳が走り寄ってきた。

「見つかりました」

 息を切らしながら言う彼に、次の言葉を促す。

「関所、関所です」

 その言葉を聞くと、千鶴は再び走り出した。漢京市内と日本城内を繋ぐ関所は、ここからさほど遠くない。

 やがて遠目にも、天川が数人の男に捕まってうなだれているのが見えた。周りを囲む男たちの中には、青山の姿もある。

「何やってんの……」

「津川さん」

 歩いて寄る津川の姿を見て、そう呟いたのは、天川ではなく青山であった。天川は、一言も喋らない。

「ねえ、天川くん」

 何度かそう言うと、天川が少し震えた声で、ぽつりぽつりと言葉を口にした。

「申し訳ない。俺がもっと早く決断していれば、こんなことにならなかったのに。出ていっても、生活の当てが無いから、決心が付かなかった。野垂れ死ぬ覚悟が付かなかった」

「私はいいって、言ったじゃん……。二人で幸せになろうって、言ったじゃん……」

 これから夫になる人間と、絶望的なまでに分かり合えない。その事実に、千鶴は涙が出る思いだった。

「おい!」

 という怒声と共に、村木が輪に入ってきた。

「まだ分かってなかったのか、いい加減にしろ!」

 村木はそう言って、天川の頭を叩いた。

「君も何をやっているのか、武州党の党首は君では勤まらんようだな」

「! ……申し訳ありません」

 青山も申し訳なさそうな表情を作る。

 天川は、なぜこのように周囲に迷惑を掛けるようなことを繰り返すのか。この時の千鶴には分からなかった。

 そのまま天川は式場へ引き摺られ、恙無く祝言は始まった。


 天川は、終始無言であった。

 祝言が一通り終わる。二人が平服に着替えて座に戻ってくると、既にこの祝言を言い訳にした酒盛りが始まっていた。酒が回ってくると、村木は上機嫌だった。

「仲人は宵の口、とは言いますからな。ここらで若いお二人にはお帰りいただきましょうか」

 暫くしてから、村木がそう言うと、天川と千鶴とは、周囲から促され、帰り支度を始める。

 多くの参列者の相手に疲れていた千鶴はすぐに帰りたい思いだった。

「ほら」

 千鶴は、天川を促して、二人で深々と頭を下げた。そして、講堂を出た。ここから、新居へは歩いて帰れる距離である。

 みな見送りには出たが、そこからついてくる者は無い。みな野暮だと考えているのである。星がよく出て明るい夜道の中、二人は二人きりであった。

 家路の半ばほどに差しかかった時、不意に天川は地面に額を擦り付けて謝罪した。

「本当に、申し訳なかった」

「突然なに。その申し訳ないって、どっちよ」

「申し訳ない。貴方を俺なんざの妻にしちまった。本当に申し訳ない」

 その言葉を聞いて、千鶴は、最後の期待すら裏切られた思いがした。最後に、彼が騒動を反省し、自分と夫婦としてやって行こうという決意を見せてくれるのではないか、そう、少しだけ思った。その期待も、裏切られてしまった。

 いよいよ、愛想が尽きた感がある。千鶴の中には、もはや天川の相手をするのが馬鹿らしく感ぜられ始めていた。

「申し訳なかった」

 まだ、天川は土下座を続けている。千鶴の視線は、既に冷えきっていた。

「もういいよ。私はいいからって、何度言ったら分かるのよ」

はぁ、とため息をついて、千鶴が呟いた。ふと、天川が顔を上げた。

「………いや、津川さんのことじゃない。これは私の問題です。そうですね、自分でも、気付いていなかった。これは俺の問題だ。本当に、申し訳なかった」

 僅かに、千鶴の中に天川への興味が戻った。

「どういうこと」

「私は、私は、もう恥を掻きたくなかったんです。今まで、情けない人生を送って来ました。親の恥になり、兄弟の恥になり、友人の恥になり、そして、加えて妻の恥になるようなことは、どうしても避けたかった」

 ああ、そうか、この人は、自分が嫌いなんだ、と、その時、突然に理解できた。

 また、自分は、相手に、自らを好きになるように強制してしまった、と、そうも思った。

 友人たちとの間の揉め事に巻き込まれ、それまでの友人をみな失ってしまった。両親も、自分を信じなかった。それでも、ただ一人、妹だけは、自分を信じ続けてくれた。妹だけが自分の味方だったのに。

 それなのに、私は、と、そこまで思って、千鶴は頭を上げた。妹は自傷癖があった。その生々しい傷跡を、思い出したくはなかった。

「これからさ、友達になってくれない?」

 千鶴の口から、不意に言葉が出た。

「は?」

 天川は素っ頓狂な声を上げた。

 その声を聞くと、千鶴は、何だか馬鹿らしくなった思いがして大口を開けて笑い出した。

「そうだね、それがいいよ。友達から始めようか」

 千鶴は笑いながら手を差し出した。天川は困惑した表情でそれを取ると、地面から立ち上がって膝の砂をはたいた。

「私もさ、やけになってたかも。もうどうでもよくなっちゃって、なるようになれー、て」

 千鶴は天川の手を引いて歩き始めた。すっかり困ってしまった天川は、なすがままについて行くだけだった。

「これからよろしくね、暦世(としよ)くん、だっけ。名前?」

「あ、はい。津川さん」

「千鶴でいいよ。一応、これから仮面夫婦なんだしさ」

 津川が冗談めかして行った。

 家までもうすぐである。


 その日、二人は布団を並べて寝た。次の日に天川は、宛がわれた家の裏の空き家を借りた。二人が共に生活を送ったのは、一日だけだった。

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